冷血(下) (新潮文庫)

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  • 新潮社
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  • Amazon.co.jp ・本 (440ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784101347264

作品紹介・あらすじ

井上克美、戸田吉生。逮捕された両名は犯行を認めた。だが、その供述は捜査員を困惑させる。彼らの言葉が事案の重大性とまるで釣り合わないのだ。闇の求人サイトで知り合った男たちが視線を合わせて数日で起こした、歯科医一家強盗殺害事件。最終決着に向けて突き進む群れに逆らうかのように、合田雄一郎はふたりを理解しようと手を伸ばす──。生と死、罪と罰を問い直す、渾身の長篇小説。

感想・レビュー・書評

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  • 第三章「個々の生、または死」
    第三章「○○」のような名詞でスタートするのだとばかり思っていたので、三章のタイトルだけで何かに打たれたような思いがした。
    犯人が捕まっておしまい、ではなく、その後を丸々下巻に充てた高村薫さん。
    一人一人の思いにぐーっと焦点をあてていくような作風が色濃く出ている。

    上巻にあった、
    「機械が強盗に及んだような無機質な現場の様子と、事件前後のホシ二人の様子の間の距離が、捜査が進むにつれてどんどん開いてくる感じ…………それが一段と顕著になった」
    の距離を埋めるべく、戸田・井上の聴取は進む。
    戸田は歯痛の治療を受けたものの、中長期的には再発の可能性ありとされる。
    井上はといえば、"相変わらず机に張りついたナマケモノ"のようであり、"心身のギアはなおも一速に入ったまま"だ。

    でもここへきて井上の精神疾患の有無が浮上する。
    あらら…上巻から感じてた不安定で危なっかしい感じはそのせい???
    どうする、合田。

    それに下巻では、世間から見た被害者家族や、捜査員たちの燻された事情など、違った背景も描かれる。

    正直、戸田と井上が辿る結末は予測出来てしまった。
    被害者遺族の反応も然り。
    そして裁判所の罪状などが慣れていないせいで読みづらく、必死で文字を辿った感じだった。
    その為、下巻は☆3かしら?と思いながら読んでいた。

    それが私の中でひっくり返ったのは、ラストもラスト、436ページ後半からだった。
    情が厚いと言うと言葉が薄っぺらいけれど、こうして揺らいでしまうところが合田の魅力なんだよなぁ。
    事件が自分の手を離れてからも頭を離れず、手紙や文庫を贈ってしまうところ。
    こういうところが無かったら、今も最前線で現場に立ってギラギラした感じでいたのかもしれない。
    だからこそ農作業に打ち込む合田がいるのだろうけれど。

    私の気持ちは429ページ「2005年 夏」から波立っていた。
    (戸田の件あれこれでも切なくなっていたが。)
    合田の手紙に対し、たまに送られてくる井上からの返事。
    ここまで読み進めてきた私は、それ以前に記訴状などが並んでいたせいもあってか、フィクションなのかノンフィクションなのか分からなくなるような気分に陥った。(またいつもの、入り込みすぎ 汗)
    いやフィクションなのだけど、井上克美という人物の存在が、読み終えてから暫く心を掴んで離さなくて、実在しない人物が脳裏から離れなくて、
    帯に書かれていた「"罪と罰"を根元から問う」との文言が、ここへきて急に重みを増したように思えた。

    そして急に泣けてしまった。
    残された井上に関して、もっと何とかならなかったんだろうか。
    いや、あれだけの罪を犯したのだから、あれでも精一杯何とかなったと言っていいのだろうか。
    危なっかしい精神状態で、稚拙で自分勝手で、眼が合っただけで何度もスキを振り下ろすような罪人なのに、悲哀を感じてしまった。
    「刑事さんにはマジで感謝しています。」
    「キャベツ食いてぇーーー!」

    戸田と井上は罪に見合った裁きを受けるべきではある。
    ただ、タイトルの『冷血』は戸田と井上なのか、
    1回も公判に訪れることもなかったうえで、被疑者を殺してやりたいと言った遺族なのか、
    ベルトコンベアーのように起訴へ持ち込んだ警察か、
    戸田が運ばれたICUの医師か、
    戸田と井上を囲む親族か、
    こんな事件でさえ時と共に忘れ去る社会か、
    あるいは死刑という刑罰の存在か。。。
    私には分からなくなった。
    おそらく全てなのだろう。

    合田の言葉が胸に残った。
    『支援団体もない貴君の近況が外に伝わってくることはないこの現状は、折にふれて貴君のことを考える外の世界にとっても、実に孤独です。』



    個人的に、読んでいて"とまれ(=ともあれ)の多用"が目につき、少々読みづらかった。
    私自身が"とまれ"を使わないからかもしれないけれど。
    合田が考えを巡らす際に"否"も多用されていたが、何故かこちらは気にならず。

  • 上巻以上に合田雄一郎の考察に引き込まれた。

    雄一郎の、情熱とは違う何か義務感と虚無感を、足して割った様な感情は、非常に複雑であり、物語の深さを増した。

    生きて目の前にいる人間に引き寄せられていく様は、人間の性であろうか。雄一郎は犯人に情ともいえる形容できない感情を抱いている。殺害された一家の無念はしばしば放置されているが、警察現場の現実なのだろう。

    戸田、井上の関係にはとても考えさせられた。

    事件に関わる生きた人間のドラマである。

    有意義な読書ができました。

  • 重い。『冷血』、高村薫がこの物語で投げかけた命題は、とても重かった。

    読み進めるにつれ、にわかに戸惑いの感が深まった。強盗殺人が行われたという「事実」を捜査するも、容疑者は「殺そうとは考えていない」し、「お金が欲しかったわけでもない」と供述する。捜査で判明した事実もそれを裏付ける。だが、容疑者たちが歯科医一家四人を残忍な手口で殺害したのは事実であり、歯科医の家で奪取したキャッシュカードを用いて、預金を引き出しもしている。犯罪事実とその背景にあるはずの「動機」といったものがあまりに乖離している。主人公の合田雄一郎はそのことに戸惑うわけだが、本作を読む者もまた同じように迷うだろう。

    読みながら、不思議な思いが去来した。本作が掲げる重い命題とは少々異なるのだろうが、本作にチラと顔を出す大地震やJRの尼崎脱線事故、そして9・11といった事件。いずれも多くの命が失われた。東日本大震災を思えば、副次的な原発事故発生に伴って、あたら命が失われた。一体、この失われた命に対する罪を、誰にどのように問えばいいのだろう? さらに近い事例を考えれば、一国の愚かな権力者が、おのが権力に醜くもしがみつき、罪の露呈を防止するために公の記録さえ書き換え、あるいは破棄して、あまつさえそれらをすべて「始末は役人がやっておけ」とばかりに押し付けた。ここでも、正義感に溢れる優秀な官僚の大切な命が、愚か者と関わったがために失われた。権力者はそれと引き換えに、おのが立場を死守したわけだ。このとき、愚かな権力者が「木っ端役人の命なんて知ったことか」とばかりに、その死の原因をろくに調べもせずに早々に幕引きを図ったことは、浅はかな「未必の故意」とはなり得ないのだろうか? こうした出来事に対する罪をどう問えばいい?

    本書を読むうちに、目は物語を追いながら、一方でこのような思いが頭の中を去来した。人間は理由なく罪を犯すこともできるのだ、と知った。

    明確な答えはまだ出ない。投げかけられた命題が重すぎて、理解が追いつかなくなっているだけ、という可能性もあるが、海原にポンと投げ出されたかのような心細さを抱えながら読んだ。この命題に対する自分自身の答えが明らかになるためには、少しばかり時間をかけて自分の中で醸成する必要がありそうだ。

  • 上巻は一週間と一日をかけてやっと読んだが、この下巻は三日間をかけて読み干した。

    とまれ、毎日繰り返される「未来の死刑囚」への刑事たちの取り調べを統括する合田警部の主眼は、犯人たちのほんの一瞬の心の動きに移って行く。否、移って行かざるを得ない。死刑相当の犯罪の事実認定は明らかでも、犯意、計画性、殺意認定は、判決に必要だからである。

    何故、2002年末に行われた犯罪が、2012年末に刊行されたのか。
    ひとつ、どんな死刑囚であれ、犯行、逮捕、起訴、判決、死刑執行に至るまで、最短でも(一審で確定したとしても)、ここにあるように2008年までの6年間はかかるのであり、その総てを見せて刊行するまでは、これぐらいの(サンデー毎日の)連載開始が必要だったということなのだろう。
    ひとつ、私だけの感想で他のレビューには一切出てこないが、犯人たちのまるで思いつきのような、「勢いで」「眼が合ったから」殺害に至るようことは、2003年から死刑執行の頃まで、イラクで同時並行で行われていたファルージャ掃討作戦に付随して無数に行われたイラク市民への殺害の場面でもあったのではないか、と思うからである。金銭目的でもなく、殺意もあったかどうかはわからない、年少の頃のトラウマを引きずり、「決着を着けたい」という想いで「やり過ぎてしまう」兵士たちは、ハリウッド映画で明らかにされているように無数にあっただろう。小説は、どこまでも内面に潜り込んで、それを我々に見せる。作者の意図はどうであれ(それを匂わす文は一切なかったが)、私はそこに、この小説の意義を見出すのである。

    『新リア王』『太陽を曳く馬』の文庫化を飛び越えて、何故『冷血』が文庫化されたのか。
    これも、作者の意図は知らず、私の単なる推察なのだが。
    ひとつ、『新リア王』(2005年発行)は栄と優の原発論議をそのまま改訂を入れずに文庫化するのに躊躇する部分が、何処かにあった。『太陽ー』(2009年刊行)は、今年オウム死刑囚の死刑執行が行われるまで、やはり躊躇する部分があった。ということなのではいか。
    ひとつ、それでも合田雄一郎を世間に出しておきたかった。それは即ち、もう一度、原発事故以降、関東平野で野菜つくりに精を出す合田を我々に見せたいために、この文庫化を急いだのではないか?つまり、合田雄一郎は、また書き始められているのではないか?

    もうひとつだけ、云っておきたいことがある。作者とは預かり知らぬところで、文庫本編集者の書いた巻末の『晴子情歌』文庫本煽り文句に対してである。「『冷血』に繋がる圧倒的長編」という文字は、殆ど詐欺である。私は文庫本を読んでいないので確定的ではないが、全く「繋がらない」はずだ。次の重版のときには消去して貰いたい。

  • 高村薫『冷血(下)』新潮文庫。

    文庫化されたので再読。文庫化に期待することのは作品解説なのだが、高村薫クラスとなると書き手が居ないのか、高村薫自らが拒否したのか解らぬが、本作の解説は無しである。また、高村薫作品と言えば文庫化の際にはかなりの時間を掛けて加筆修正することが常なのだが、今回はそれも無しのようである。従って、以前読んだ単行本と内容は同じということになる。

    下巻では二人の容疑者が犯行を自供し、事件の詳細と、冷酷で余りにも身勝手な犯行理由が次第に明らかになる。まるで今の世を知り尽くしているかのような著者の鋭く冷めた眼は現代の犯罪の姿を紙の上にリアルに写し出しているようだ。ニュースで報道された2018年のハロウィーンに渋谷で起きた騒乱。若者たちが立ち往生した軽トラを横転させるなど、地方に住む者には全く信じられない光景だった。いつ、どこで凶悪犯罪に巻き込まれるかもという恐怖……本作の中に描かれる冷酷な余りにも身勝手な犯罪は今の日本では普通に起こりうることなのかも知れない。

    フィクションでありながら、警察機構や捜査の様子、迫真の裁判シーン、犯人が強盗殺人に至る背景から犯行場面とよくぞここまで書き込んだと驚くばかり。創作ノンフィクション小説と呼ぶべきか。

    • シマクマ君さん
      最近、まともな作品解説ができる人がいなくなったと思いませんか。まともな批評家がいない高村薫さんとか、かわいそうですよね。
      最近、まともな作品解説ができる人がいなくなったと思いませんか。まともな批評家がいない高村薫さんとか、かわいそうですよね。
      2020/05/25
    • ことぶきジローさん
      確かに最近の解説で唸らされることは少なくなりましたね。
      確かに最近の解説で唸らされることは少なくなりましたね。
      2020/05/26
  • 面白いとか面白くないとか、そんなありがちな評価基準ではとても測れない一作でした。闇の底のさらに奥――深淵を垣間見たような気持ちになります。

    闇サイトで出会い、流れに任せて行き当たりばったりに、罪を重ねてきた二人の男。彼らはなぜたいした考えもないまま重大な罪を犯したのか。合田をはじめ警察は、取り調べを重ねていくが……

    小説に限らず、映画なりドラマなり、フィクションの物語の人間には何かしらの行動原理があり、そこには信念もあれば、悪い記憶、トラウマといったものもある。だから自分たちは、そのキャラクター、そして物語を理解できるのだけど、この『冷血』はそれを許さない。

    どれだけ合田たちが取り調べを重ねても、犯人の行動原理も、これといった動機も皆目見えてこない。なんとなく破壊衝動や、社会への絶望や不信感、あるいは親子関係の問題などがあったのかな、というのは見えてくるものの、そのどれもが、犯人の短絡的な供述の前に霞んでしまう。

    子どもを含む一家四人の惨殺という事件の重大性と、犯人の軽い短絡的な供述の乖離。それは常識や一般的な思考では説明のつかない人間の深淵をのぞかせる。そんな軽さや常識のなさが印象的だった犯人が、合田との手紙のやり取りでは一転、知的で思慮深い面を見せるあたりも、人間のわけの分からなさを思わせる。

    一方で論理や法、社会通念で、その深淵に臨まざるを得ない合田をはじめとした警察や司法。それはともすれば、犯罪という行為に対しての人間の理解の限界、裁きや罰の無力さを映しているようにも感じてしまいます。

    これまで読んだ高村薫さんの合田シリーズだと、個人と巨大な権力、社会の相剋、巨大な力の前に流されていく個人の姿が印象的でした。しかし今回は、個人の闇が警察や司法を翻弄しているように、感じられました。

    これだけ執拗に闇を浮かび上がらせようとする作家は、高村薫を除いて他にいないのではないかと思います。

  • 知り合ったばかりの二人が一家四人を惨殺する強盗殺人の話し。上巻は事件を起こすまでの経緯、
    加害者、被害者それぞれの視点からの章。

    上巻の終盤から下巻の全てが、加害者が事件に至るまでの感情の解明に悩む合田刑事の語りと、取り調べの様子。
    事件そのものの経緯は上巻で解明していて
    事実も罪状もはっきりとしている。
    残る動機を知りたいと悩む合田刑事たち。
    事件のミステリーではなく心のミステリーだと思った。
    マークスの山 からの合田刑事がやはり相変わらずと言うか、更に増してと言うか、考えすぎてしんどそうで、難しく、ややこしい心情の描写が
    ああ、合田刑事だなあと。

  • 係長になって偉くなって現場から少し離れた合田。
    歯科医師の幸せな一家が惨殺されるが、殺人の動機は犯人も警察も分からない。そもそも動機がないのだから分からない。小説の中では、9.11テロを始め災害、脱線事故等の記述があり、ひとの死が何の前触れもなく訪れることを書きたかったのだろうか。最後の方に合田刑事と犯人との交流があるのだが、見届け人のようでもあり。
    伏線やどんでん返しもなく、多くの警察関係者が登場する髙村氏らしい緻密な描写は健在だ。

  • 冷血 高村薫 初版2012/11
    2018/11文庫版
    読了 2019/4…平成も終わりぎわ

    上下巻

    いやぁ久し振りに良い小説を読ませていただきました^^;

    「教団X」にはがっかりさせられたから…

    いや正確には「教団X」を絶賛してた読書大好き芸人ってとある番組のあるコーナーの所為ですが。


    高村作品の素晴らしさは今更言うまでもありませんが
    今作も読む程に引き込まれてぼく個人の日常にまで侵食してこられる感覚…

    (こんな感じになるのは高村作品だけ…だなぁ)

    これは初めて読んだ高村作品「リビエラを撃て」の時に感じた空気と同じでした。
    (その時は衝撃的でした)

    同じ世界のどこかでこの登場人物たちは
    ぼくと同じ空気を吸って生きている…
    そんなリアルな感覚。

    今作の登場人物たちも
    淡々と塗り重ねられながら生き生きと描かれていました。

    文字通り生と死の狭間に生きている
    犯人、被害者、医者、検察そして高村作品シリーズの刑事合田雄一郎。

    それぞれがそれぞれの理由のある人生を同じ価値で無為に生きている凄みを感じさせる

    高村薫作品の素晴らしさを充分感じさせる作品でございます。

    超おすすめいたします。

  • 「マークスの山」からこんなところまで来てしまわれたのか、と若輩ながらおもう。ほぼ1年ほど前に読んだ単行本版は懸命に読んだという記憶が強く残っている。今回はじっくり読んだせいか、被害者さえも置き去りにされるその犯罪というものの不可解さ、恐ろしさをより強烈に感じた。文中のことばを借りれば「透明人間」。透明人間となってしまう霧のなかで、合田さんたち刑事の執念のみがこころを慰める。皮肉なことに被疑者を追い、逮捕し話を聞く刑事の。被疑者との“近さ”がその執念を生むのであれば、犯罪にいちばん近いのは法ではなく刑事だ。

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著者プロフィール

作家

「2022年 『ベスト・エッセイ2022』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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