百鬼園随筆 (新潮文庫)

  • 新潮社 (2002年4月25日発売)
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Amazon.co.jp ・本 (368ページ) / ISBN・EAN: 9784101356310

AIがまとめたこの本の要点

プレミアム

みんなの感想まとめ

ユルい雰囲気の中に独自の視点が光る随筆は、読者に楽しい近況報告を提供します。偏屈でありながら柔軟な思考を持つ著者は、日常のささいな出来事を独特のユーモアで描き出し、小鳥や飛行機、酒とヨーヨーなど多彩な...

感想・レビュー・書評

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  • 随筆というのは読者ファンへの近況報告サービスであり、ブログやSNSのつぶやきに近い。そのくらいこの本はユルくて楽しい。

    偏屈なのに柔軟で独創的、幻想めいて騙されているような感覚、飽きっぽくてワガママなのに、ご本人的には一本筋を通していてどこか高尚な感じ。

    小鳥を愛でるかと思えば飽きたら鳴き声がうるさいとか九官鳥は化け物だという。
    飛行機の姿と音は好きだけど乗るのは怖いという。
    酒を飲みながらヨーヨーで遊んでいたら空を飛んでいる感じがするという。
    髭を剃ったら顔が変わりすぎて学生が笑いを堪えたという。
    借金をするのは人に頭を下げて頼み込むのだから心的鍛錬であり道徳的だという。

    ファンにはたまらない一冊。

  • 再読。寝転がりながら好きな話をパラパラとつまみ喰い。
    フロックコートと山高帽で転けてしまう話がやっぱりおかしみがあって良い。進水式の話も良い。大変恥ずかしながら、文庫の裏表紙の作品紹介の「洛陽の紙価を高めた」(著書が好評でよく売れる事の例え)という慣用句を知らず、ひとつ勉強になりました。

  • なんというか、金策に走る話までもなんだかのんきな感じがして、くすっとしてしまった。
    新聞の広告を見て高利貸しの家を訪ねていく話が特におかしい。
    大真面目なやり取りをユーモラスに描いている。
    挙句、「お金がなくてもなんとかなるんじゃないかなぁ」とこっちまで思わせられる。

    手に取った時、「変な表紙」と思ったら、芥川龍之介画だった。
    でも確かに、内容もおおむねこの絵のような雰囲気。
    息抜きになる一冊!?

  • この表紙、名随筆との事で本書を手に取った。

    借金の話ばかりじゃないか!人の帽子やコートなどを気軽に取っていいのか!真面目にドイツ語を教えろ!と突っ込みたくなる。
    気さくでとぼけていて憎めない人だったのかもしれない。

    今度はぜひ作品を読んでみたい。


  • めちゃめちゃ面白かった。
    なんなの、このおじさん(内田百閒先生)!!
    いい意味デス。

    世の中的な許容範囲の内外は全く頓着せず、
    自分の中での独特で厳格なルールがあり、
    そこは絶対に曲げられない確固たる意志がある。
    (でも本人が具体的に明文化したわけでもない。)
    その感覚やそれに基づいて書かれた文章が面白すぎて、
    読みながら何度も電車で吹いてしまった。
    そのこだわりは他者には全く理解不能だし、
    周りの人にとっては、面倒で迷惑以外の何者でもない、
    また本人は人を笑わそうと思って書いてないからこそ、
    そこが本当に面白い。好み。

    三島由紀夫の豊饒の海4部作を読みながら、
    疲れたり気分転換したかったりなタイミングで、
    ちょっと気持ちを和まそうと都度都度読んでたけど、
    本当に笑わせていただきました。
    短いお話しの最後のオチが何なのか、
    毎話毎話、楽しみに楽しみに読み進められた。
    でもオチがない時もあってそれはそれで良し笑

    次は『贋作吾輩は猫である』を読みます。
    このネーミングセンスもめちゃ好きです。

  • 他所の小間使いを顎で使うエピソードが面白かった。

    自分の周りにもそんな人物がいるが、見事に人が離れていく。本人は悪びれる様子もなければ、人を使うことで快楽を得ているようだ。周りも憐れんでいた。
    読んでいるときに、その人物は今も元気にしているだろうかと、ふと物思いに耽った読書だった。

  • 夏目漱石の息子の見送りに向かう途中で火事を見に行ってしまって遅れてしまった話だったり、ヨーヨーで遊んだという話だったり。
    川上弘美さんの解説にある通り「事実をくわしく述べているだけ」なのになぜこんなに面白いのだろうか。
    間抜けの実在に関する文献と百鬼園先生言行録が特に好き。
    宮城道雄との関係がとても良かった

  • 以前からなんとなく気になっていて、竹田昼さんの漫画「ヒャッケンマワリ」を読んだらどうしても読みたくなった内田百閒。
    まずは入り易そうな随筆集から。
    随筆集とあるが、必ずしも随筆ばかりではなく、本人らしき人が主人公の短編小説も多数入っている。
    「ヒャッケンマワリ」によれば「錬金術」と言われたという内田百閒の借金癖がこの中でも披露されていて、借金をしに行く話や、どことなく奇妙な高利貸しと、そこにお金を借りに行く男の話が、次から次へと出てくる。
    借金を返すために借金をするという行為が、ごく普通のこととして出てくるし、そんな忌み嫌うようなものではないと、淡々と語られて、ちょっとこちらの感覚も麻痺しそうになる。
    そんな随筆集。

    ところで、「ヒャッケンマワリ」にも出てきたが、内田百閒と懇意であったという盲目の琴奏者・宮城道雄氏との話も出てくる。
    僕はなぜかこの宮城道雄という名前を知っていた。
    宮城道雄という人は、昔読んだ永六輔氏の「芸人その世界」か「役者その世界」にも名前が出てきた人。
    永六輔氏の本を読んでいたのは高校生か浪人生の頃だから、40年ほど経って、初めてその名前に再会した事になる。
    その時はまだ内田百閒という名前は知らなかったから、ホント、偶然に自分の嗜好がぐるーっと回って、40年前の自分の軌跡にかすった。そんな巡り合わせ。

  • カバーイラストは芥川龍之介によるもの
    内田百閒の伸ばした鼻毛が
    自身のドッペルゲンガーを捕まえているようであるが
    逆に、ドッペルゲンガーの伸ばした鼻毛で
    内田百閒が捕まっているようにも見える
    芥川にとっての内田百閒はそういう人だったんだろう
    …どういう人なんだよ
    構造としては、ヨーヨーという玩具を考えてみてほしい
    人間から見れば、上下運動をしているのはヨーヨーなんだが
    ふとそれに感情移入をはたしたとき
    人間のほうで上下運動の浮遊感を感じるということがある
    つまりそういうことだ
    もうひとりの自分自身に規定されて、地に足がつかない!

    …このように、赤の他人の一方的に決めつけた話が
    回り回って当人の耳に入ったとき
    ドッペルゲンガーという幻想は生じるのだと思う
    とはいえ、内田百閒という人が
    じっさい地に足のついてない印象をまとっていたであろうことは
    「百鬼園随筆」を読むと察せられるのだった
    教員職についていたとはいえ、職務態度はデタラメで
    原稿も書かず借金を膨らませており
    そのくせ、余計なことにカネを使っては一人で後悔ばかりしている
    根は生真面目なんだろうけど
    そういう自分に耐えられない部分があったのではないか
    その耐えられない部分を
    小鳥や小猿に託していっときの開放感を味わったりもするんだが
    そんなことは何の具体的解決にもならない
    結局、書くことによる自己相対化のみが救済をもたらしたのであろう

  • とにかく文章が美しく軽快(と同時に難しく、読書中は辞書が手放せませんでした)。
    内容は、今で言うところのクズ芸人の日常。

  • 毎日少しずつゆっくりと味わいましてよ。偏屈ワガママぶりも貫き通せばまた才能だな・・と。その生き様に感心。はい、偏屈ばばあ目指します。まだまだ百鬼園先生の足もとにも及ばず。精進せねば。

  • ニヤニヤしたり、不思議に思ったり…。なんと表紙のイラストはあの芥川龍之介による落書き。

  • ドイツ語の先生のくせして辞書を売り払い、
    大使館では面倒なのでドイツ語話せないふりして過ごそうとする話とか、
    学生時代どうしても居眠りしてしまう先生の授業があり、
    先生に申し訳ないとは思うものの、自分が教師になってみると今度は
    生徒に読ませている間に居眠りしてしまい、いびきをかかなかったか心配してみたり。
    百?先生、キュートな人物なのね。

    債鬼に追われる話にしても、悲惨というよりむしろ滑稽。

    自分をちょっと斜め上から見下ろしてるような視点が良いのでしょうね。

  • 漱石のお弟子さんなのでちょっと敷居が高いかなと構えていたが、視覚障害者の知人に勧められて初めて著作を読んだ。なんと面白いではないか!他の方もコメントしていらっしゃったが、著者のこだわり、オチ、面白いことなのに淡々と進める筆使いに、何度もぷっと笑わされた。特にお金の工面で苦労するところ、物価高で苦しむ今の私 にすとんと落ちて共感する。視覚障害者、あの琴奏者の宮城道雄との交友も面白い。対等で、同情だけでない、温かみがある。次は『ノラや』を読もうと考えている。

  • 戦前の短編集。夏目漱石氏との話はあまり出てこない。借金の話があるが、そこまで酷くないのは私にとっては読みやすかった。最後の書評に「イヤダカライヤダ」という言葉が紹介されていて、この言葉は知らなかったのだが、たしかに著者を現す良い言葉だと思った

  • アワヒニビブリオバトル100回記念タイマンビブリオバトル第6戦テーマ「飛行機」で紹介した本です。
    チャンプ本。
    2023.6.10

  • 近代ナリコ・市川慎子「ふたりの本棚 ナリコとノリコの往復書簡」で、個人的に何度か挫折した内田百閒、ふたたび挑戦したくなり、初めて一冊読めたかも。最初の「短編二十二篇」は個人的には山なし落ちなし意味なしみたいなのが多かったけど、「貧乏五色揚」「七草雑炊」は動きがあって読んでてたのしかった。特に、借金話と森田大人とのやりとりあたりは生き生きとしてて大変良かった。あと、新潮文庫版、メガネの中年男性が鼻から糸を出してぐるぐるとうずまきになって、別の中年男性をぐるぐる巻にしてて、シュールで、誰の装画だろうと思ったら芥川龍之介だったといううれしいおどろき、ぜいたく。◆1月から初めた日記を、1月21日に"「スンダ事ニ用ハナシ。モウ今日限リ止メル也」と書いて、今年の日記はお仕舞にする茶目っ気。おくれて故人をしのびに行ったのを、"私は自分の道徳を利己主義で行なった徳義上の野蛮人であった"と悔悟したり。沢山借りている友人数氏に集まって貰って、ローザンヌ会議を開催、とか。無闇に人を使う癖を、「人をつかって知らぬ顔。馬鹿にするにも程がある。己は恐らく小僧だぞ」と反撃されたり。といったあたりも印象に。

  • 真面目なのにダメダメでだらしない
    本の帯にもなっている給料日の件は本当におもしろかった
    こんな人なのに周りの人はなぜお金を貸しちゃうんだろう、不思議な愛嬌と信頼があったのかな?
    エッセイが好きな人は好きだと思う

  • 少し退屈な本だった。今、私がもっと楽しい本を読みたい気分なのかもしれない。ただ、百閒先生が愛されているのが分かる本だった。当時の人々の生活が見えたり、くすっとなるところもあった。現代でも読みやすいようになっていて、気軽に読めるのも嬉しかった。

  • 1930年代初頭の、まだ平穏な心理的にも余裕のある時期。
    東京の、まだまだ開けていない街や家屋の描写も良い。

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著者プロフィール

内田百閒(うちだ・ひゃっけん)1889―1970
岡山県生まれ。本名・栄造。15歳のときに親友・堀野寛と出会い、堀野を通じて読書の趣味に目覚める。翌年、夏目漱石の『吾輩は猫である』上篇を読み、漱石に傾倒。19歳のころには俳句熱が高まって、俳諧一夜会や苦渋会という句会を結成。岡山近郊の百間川から俳号を「百間」とした。1910年、東京帝国大学文科大学へ入学。翌年2月に、静養中だった漱石を訪ねる。漱石の面会日「漱石山房」に出席するようになり、小宮豊隆、津田青楓、森田草平、芥川龍之介、久米正雄などと知り合う。以後、陸軍士官学校や法政大学で教鞭をとる。1920年には、作曲家・筝曲家の宮城道雄に知遇を得て親交が続く。同年、幼少期より寵愛を受けてきた祖母の竹が死去。1922年、はじめての著作集『冥途』を稲門堂書店より刊行。翌年、関東大震災に遭い、『冥途』の印刷紙型を焼失してしまう。1933年に三笠書房から『百鬼園随筆』を刊行してから、『冥途』の再劂版や第二創作集『旅順入城式』(岩波書店)、『百鬼園俳句帖』(三笠書房)などを刊行。その他、『贋作吾輩は猫である』(新潮社)、『ノラや』(文藝春秋社)など多数の書籍、作品を発表する。1965年には、これまでの功績を評価され芸術会員に推薦されながらも「いやだから、いやだ」とそれを辞退。それからも『麗らかや』『残夢三昧』(いずれも三笠書房)などを著す。多くの名筆を世に刻み、1971年4月20日に逝去。

「2023年 『シュークリーム』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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