第一阿房列車 (新潮文庫)

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  • Amazon.co.jp ・本 (317ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784101356334

作品紹介・あらすじ

「なんにも用事がないけれど、汽車に乗って大阪へ行って来ようと思う」。借金までして一等車に乗った百〓@6BE1@先生、世間的な用事のない行程を「阿房列車」と名付け、弟子の「ヒマラヤ山系」を共づれとして旅に出た。珍道中のなかにも、戦後日本復興の動きと地方の良俗が描き出され、先生と「ヒマラヤ山系」の軽妙洒脱な会話が彩りを添える。読書界の話題をさらった名著を新字新かな遣いで復刊。

感想・レビュー・書評

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  • 著者、内田百閒さん、どのような方かというと、ウィキペディアには次のように書かれています。

    內田 百閒(うちだ ひゃっけん、1889年〈明治22年〉5月29日 - 1971年〈昭和46年〉4月20日)は、日本の小説家、随筆家。本名榮造。別号は百鬼園(ひゃっきえん)。

    夏目漱石の門下生の一人で、夢の光景のように不可解な恐怖を幻想的に描いた小説や、独自の論理で諧謔に富んだ随筆を多数執筆し、名文家として知られる。

    鉄道に関しては「目の中に汽車を入れて走らせても痛くない」というほど愛しており、国鉄職員であった「ヒマラヤ山系」こと平山三郎をお供に、全く無目的に、ただひたすら大好きな汽車に乗るためだけの旅を実行、それを『阿房列車』という鉄道紀行シリーズにまとめた。のちに『南蛮阿房列車』を書いた作家の阿川弘之、鉄道紀行作家の宮脇俊三も、自らの先達として百閒を挙げている。

    81歳にて亡くなられていますので、当時としては大往生になると思います。

    で、今回手にした、『第一阿房列車』。
    無目的な鉄道旅をユーモラスに綴った作品になりますが、なかなか面白いですね。
    文体も読みやすくて良いです。

    冒頭は、次のように始まっています。

    阿房と云うのは、人の思わくに調子を合わせてそう云うだけの話で、自分で勿論阿房だなどと考えてはいない。用事がなければどこへも行ってはいけないと云うわけはない。なんにも用事がないけれど、汽車に乗って大阪へ行って来ようと思う。

    ●2023年4月21日、追記。

    現在の、乗り鉄。
    私も、高校生時代は、国鉄全制覇などと考えたが、何もしないまま、現在に至りました。

  • 用事がなくても旅に出る。お金がなくても旅に出る。忙しい現代人には考えられない(当時も?!)、旅をすること自体が目的になった究極の旅本。
    内容はくだらない(失礼!)ことばかりなんですが
    こんな旅に出たいな、と思わせる名著です。

  • 大好きな百けん先生のこのシリーズをようやく読む。

    なんともこの表紙がぐっとくる。
    続く、2,3のどの表紙もほれぼれ。
    なかなか今の時代、こんな重鎮はお目にかかれない。

    電車(汽車)に乗ること、お酒が目的で、目的地にはなんの思入れもないこの姿勢がなんともあっぱれ。

    辛口かと思いや、アイスクリームを2つも平らげる。
    なんとも豪快な人物だけど、描写は繊細。

    東海道線をはじめとした昔の趣もまた楽しい。

  • 『阿房(あほう)というのは、人の思わくに調子を合わせてそう云うだけの話で、自分で勿論阿房だなどとは考えてはいない。用事がなければどこへも行ってはいけないと云うわけはない。なんにも用事はないけれど、汽車に乗って大阪へ行って来ようと思う。』

    明治生まれの鉄道オタク、元祖「乗り鉄」と言っても過言ではない、内田百閒の代表的なエッセイ?阿房列車。
    旅行の記録なら「紀行文」と考えるかもしれないが、汽車に乗って移動することに重きをおいて、観光は二の次、三の次、どちらかというと興味がないので紀行にならないのだ。

    そもそも早起きが苦手だから、朝早い列車は避ける、宵のうちに早く着きすぎると持て余すから、丁度良い時間に着くために、途中で別の列車に乗り継ぐなど、本当に列車に乗りたいのかしらんと疑うほど。
    同行するヒマラヤ山系(本文中では説明がないが、内田百閒の愛読者の平山氏)とはずまない会話をし、ヒマラヤ山系の「どぶ鼠」のような容姿に呆れ、それでも宿屋に着くと酒盛りをする、それなら東京にいても同じじゃないかとも思えてくる。

    しかし、そもそも用事がないままに汽車に乗ると最初に断っているから、用事がないなら移動していても、していない時と同じになるのは当たり前かもしれない。

    と、そんなふうに感じながら、明治生まれの還暦を過ぎた御仁が列車の車窓を眺めながらの独り言のようなエッセイを読み終えた。

  • 区間阿呆列車:東京から御殿場線経由で沼津、静岡まで行く編。途中、横浜駅で購入した弁当が代用米使用と表示のある支那料理風の焼き飯、甚だうまくない、外米をふやかしたのを油でどうにかしたような、丸で飯粒の姿のない代物、後味が悪い。山北駅、富士岡は今もスイッチバックがあるのか?
    山北駅は2022年11月16日に訪問。広い構内が当時をしのばせた。昔は映画館が複数あったそうな。
    興津、由比は気分的にスイッチバック?
    最後のコメント、一等車にいながら食堂車に居座って一等車の意味が無いは心当たりあり。(スイスの食堂車)
    鹿児島阿呆列車(前編)37列車、博多行き筑紫号、寝台で晩酌、なかなかよいもんだ。呉線がそこまで景色が良いとは思わなかった。再訪しないといけない。
    三石駅、吉井川、瀬戸駅、線路がコウコウと鳴る、砂塵をあげて西大寺駅通過、リアルに記載されている。鹿児島駅を降りた時、目の前に山があり、その間に海がある。なので桜島。
    鹿児島阿呆列車(後編):鉄道ど関係無い記述が多い。肥薩線は様子が良くわかった。三等編成、魚臭い、矢岳、吉松駅、ループ線、球磨川。無縁のおむすびの部分は笑えた。
    東北本線安房列車:大阪に行く特別阿呆列車にも匹敵する良い内容であった。東北本線101列車は仙台止まりであるが一部車両が常磐線経由201列車に併結、更には1両が会津若松、院内に行くというきめの細かい車両運用には驚いた。朝の弱い百閒は1日早く出て福島に宿泊するのはなかなかの名案。東京駅と違い上野駅の薄暗い感じがかえってドブネズミのようなヒマラヤ山系に似合う。
    赤羽に着いて、大宮に着いて、利根川の鉄橋を渡って、段段馴染みのない景色の中へ這入って行った。宿の女中が”準急”で来たのかと聞いたのを”選挙”で来たと聞き間違えたのは笑える。福島から山形へ行くのに青森を経由すると言えばとんでもないと言われる。いろいろトラブルのある女中であったが茶代と心付けを断るのを見て高潔と称賛する。
    翌日、本来予定していた101列車に乗車、仙台で車両を移り松島の綺麗な景色を眺めながら北上。沼宮内駅では駅弁が売れない。駅員が駅名のまくまないを”うまくない”と連呼するから。金田一(きん”た”いち)駅というのは知らなかった。現在は金田一温泉駅と改名されている。
    小川原、沼崎(現在の上北町)の間で右側に恐ろしく大きな沼を見た。→小川原湖
    野辺地からは陸奥湾に沿って走る。暮れかけた水明かりで、空の色を下から明るくしている。反対側の西空は、浮雲の切れ目に夕日が残り、ほろせの様なぶつぶつした小さな山が、いくつも連なって、遠い陰を作っている。文章が素晴らしい。
    ほろせ:皮膚に出来る小さな発疹の事。
    奥羽本線後章:お酒に関するコメントが面白い。行く先々で 毎晩お酒を飲み、それはいいけれど必ず飲み過ぎて酔っ払う。
    お酒は酔うまでがいいので酔っ払ってからの事は、いいのかよくないのか判然しない。そうして翌日は歴然とよくない。嫌な気持ちで鬱陶しくて世界の終わりに近づいたような気がする。安房列車の何の用事も気苦労もない旅行でもしお酒というものを飲まなかったら宿から宿への出立がどんなにすがすがしいだろうと思う。しかし今晩からもうお酒を飲むのはよそうと考えるのは六ずかしい。せめてあまり飲みすぎないように心がけたい。太宰治の津軽でも同様の記述があった。

  • 列車に乗ることを楽しんでいる。無目的が目的というへそ曲がり的旅行記。そこで出会う人との交流、現代人の忘れているものを思い出させる。今も色あせぬ名著。

  • 気軽に旅行できない今の時期にぴったりの一冊。東京を起点に東北から鹿児島まで。こっそり百閒先生の旅に同行している気分になり、自分も長旅から帰ってきたような読後感。実際にお供していたヒマラヤ山系氏は色んな意味で得がたい人。観光名所など巡らない、列車とお酒が好きな人の旅。何もしない時間と車窓の景色を楽しむ贅沢。それにしても、車内で、宿屋で、よく飲んでいる。

  • おそろしいほどに、おもしろいと思うところがなかった。感想としては、面倒くさいオッサンの長旅につきあう山系氏が哀れに思えた…というくらい。

  • 山口瞳先生を数冊読み返してる中に、百閒さんの話が幾度か出てきたもので、つい読み返してみたくなってしまいました。

    たぶん・・四半世紀前、十八九の頃に読んだものなので、実家に預けてあるのか、手元に見当たりませんので購入しました。

    カバー巻末に、「~名著を新字新かな遣いで復刊」とあるように、以前読んだ時よりかは、かなり読みやすくなっていたと思います。
    ―が、「旧字旧かな遣い」の或る種の風情のようなものが・・。

    四半世紀前のガキの頃にも愉しく読めた覚えがありますが、四十を越えたいま読むと、更に愉しく読めたような気がします。

    ヒマラヤ山系君(旅の相方)との会話が・・。
    「そこの、右の窓口に何とかいてある」
    「遺失物取扱所です」
    「何をする所だろう」
    「遺失物を取り扱うのです」
    「遺失物と云うのは、落としてなくなった物だろう。なくなった物が取り扱えるのかい」
    「拾って届けて来たのを預かっておくのでしょう」
    「拾ったら拾得物だ。それなら実体がある。拾得物取扱所の間違いかね」

    こんな人をくったようなことで、いつもヒマラヤ君を黙らせてしまっているかと思うと、その数頁前には 『何事によらず、明日にのばせる事は、明日にのばした方がいい』 などと、悟っとどこかのお坊さんの格言のようなことを言いますので油断がなりませぬ。

    第二阿房列車、第三阿房列車と読み進めたいのですが、なんとか手に入れた芥川受賞作がどうにも気になったりします。

    かといって百閒さんの直ぐ後に読むのも、なんだか田中慎也さんに意地悪のような気もします。

    ここは先日のNHKドラマの原作【トンビ/重松清・著】が、買ったままになっていますので、ワンクッション、柔らかいのを読んでみます。

  • 一度読んでみたかった内田百閒さんの随筆。今で言うところの「乗り鉄」であり、国鉄職員の「ヒマラヤ君」と一緒に、日本国中を旅して回る。ただ、目的を決めないことがルールになっていて、誰と会うとか、どこにいくとか、何を見るとか、そいういうことは一切ない。行って温泉宿などに泊まり、飲み食いして帰ってくるだけ。その旅の記録と洒脱な会話が面白く、こんな旅もいいなあと思う。そろそろ旅に出ようかなあ。

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