第二阿房列車 (新潮文庫)

  • 新潮社 (2003年10月29日発売)
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Amazon.co.jp ・本 (256ページ) / ISBN・EAN: 9784101356341

みんなの感想まとめ

ユーモアと自由を感じる紀行文であり、1950年代の日本の鉄道旅行の魅力を余すところなく伝えています。著者の鉄道への情熱や原理原則主義が随所に表れ、特別急行列車「かもめ」の運転初便に招待されたエピソード...

感想・レビュー・書評

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  • ユーモアと自由を感じる、観光ではない紀行文の名著、第2巻。
    1952年~の日本の(高級な)鉄道旅行とはこういう感じだったのかという観点でも面白いです。

    読んでいて感じたことは下記3点。
    1. 好きなものを好きと公言することは大事
    2. 百閒先生の原理原則主義
    3. 日本人の風俗の変化(特に宴会)

    1. 好きなものを好きと公言することは大事
    著者の鉄道好き、本著のお陰もあって知れ渡ることになり、結果として特別急行列車「かもめ」の1953年運転初便に招待された訳です。(著者はこれで色々な気忙しいことを考えて憂鬱になっていたものの。。)
    自分の好みを知らせておくことには当然メリットとデメリットがありますが、個人的には公言した方が相対的に幸せなんじゃないかと思っていまっす。

    2. 百閒先生の原理原則主義
    解説にも書かれていましたが、徹底した原則主義の著者。本著でもその頑固さ・面倒臭さを遺憾なく発揮しています(笑
    三ノ宮駅と神戸駅のどちらに特別急行列車を停めるべきかについて、百閒先生のスタンスは圧倒的に後者。理由は「東海道本線の終点、山陽本線の起点である神戸駅を、片道だけにしろ通過駅に扱ったのは、鉄道と云うものの姿から考えてよろしくない」「こんな曖昧な処置に出たのは、国鉄が段段に高貴なる官僚精神を失いつつある証左であって、人が嫌ってもいいから、毅然としてサアヴィスを行うと云う精神に欠けている。」とのこと。。
    乗降客数が多い駅で…といった実務的な話じゃないんでしょうね。しかしご本人も面白がって言ってるような感もあるなぁ。

    3. 日本人の風俗の変化(特に宴会)
    本シリーズを読むにつけ感じたのは、昭和中期の日本の宴会って、今とだいぶ違うな…ということ。
    宴席は座敷で行われて、だいたいみんな途中から歌い始め、女中さんに怒られる…。
    そう思うと、カラオケの発明やカラオケボックスの普及は「カラオケのあるトコでしか歌わない」という風土を徐々に根付かせていったのではないかと思いました。今は座敷で長々やるよりも、飲み→二次会でカラオケって感じだなぁと。

    あと、横手の旅館でボラの刺身を食べたというくだり、お刺身って珍しいな…と。冬なら美味しいんですかね。

  • 多分「古典」と呼んで差支えないと思う。紀行、または小説という感の、内田百閒の旅である。なかなかに愉しく読了に至った一冊だった。
    「なんにも用事がないけれど、汽車に乗って大阪へ行って来ようと思う」と始まったのが「阿房列車」のシリーズである。思い立って列車に乗って出掛けてみるという、紀行であって小説風な作品である。『第一阿房列車』として纏まったシリーズの後、「用事がないけれど…」と旅立つシリーズが再開し、この『第二阿房列車』のタネとなっている旅に出発したようだ。
    本作中、前作の旅で訪れた場所を再訪している例が在る。そういう中で「一昨年」というような表現が見受けられる。『第一阿房列車』は1950(昭和25)年頃の旅に関して綴ったモノが翌年、翌々年に発表され、纏められて本になった。その少し後で1952(昭和27)年頃か1953(昭和28)年頃にこの『第二阿房列車』のタネとなっている旅に出ていると見受けられる。
    本作は「続いている“好評シリーズ”」という雰囲気も少し色濃い。過去作で登場した場所に、事前連絡をした上で訪ねているという様子も伺える内容が在る。が、「少し知られた作家が、“思い付き”で若い友人を伴って出掛けている」という様子ではある。本当に、列車で移動し、辿り着いた場所で細かい予定を如何こうするのでもなく、知人や友人、出会って紹介された人達と宿等で歓談するという感じで、淡々とした独特な雰囲気が綴られている。
    前作の『第一阿房列車』では、大戦末期の時期を挟む「鉄道の受難の時代」から「旧に復しつつある」という時代の空気感が感じられる内容が在った。対して今作は「旧に復すると同時に、新しいモノが登場」というように、急速に移ろう時代の中での旅という感じが強い。更に、偶々出掛けた時季の故なのであろうが、雪や大雨という中での経験という要素も加わる。
    「旧に復すると同時に、新しいモノが登場」ということでは、京都・博多間に新たに登場した「特別急行」に乗車してみるというような挿話が在る。夜行列車で京都に乗込んでから乗車するということになる。
    時季の故の経験では、雪に縁が薄いと見受けられる作者が、積雪期の雪国を訪ねる様子が何となく好かったが、驚いたのは大雨の話しである。本書の最後に収められている旅では、列車に乗っていれば雨に濡れるのでもないのだからと出発したものの、訪ねた先では大雨で、何か雨に追われるように動いていて、結局訪ねていた先では水害が発生している。水害で動けなくなる直前に、逃れるように動いて東京へ引揚げているということにもなっている。
    本作が綴られた時代、縦横に張り巡らされた鉄道網が、列車の速度は然程ではないものの、随分と充実していた様子だ。そういう中で、相方の「ヒマラヤ山系」または「山系君」を従えて、正しく気儘に動き回っている様、そういう中で沸き起こる想いが活き活きと綴られる本作は、時空を超えて愉しいという感じだ。

  • 鉄道唱歌が全文(歌)掲載されていました。
    なんとこんなに長かったのですね、1番しか知らなかった。Youtubeでも、途中がないものしか聞けず・・・

    と第2弾も期待を裏切らず。
    新聞記者を適当にあしらい、雨の道中でも苦にならず。
    観光しなくとも、当時の雰囲気と季節感がそのまま伝わってくる旅旅情、昔の食堂車と寝台車、今となっては羨ましい鉄旅です。

  • 雪中新潟安房列車:少し早めに乗り込んでいて、そうして発車を待つ。なんにもする事はない。その間の時間が実にいい。神聖な空白である。見送りがあると、見送り人には顔があるから、その顔に高速されてしまう。又何か云うから、発車まで受け答えをしていなければならない。動き出せばあらためて挨拶を要する。安房列車が行くと云うので、別れを惜しむなぞと云う心事は、人の心事でも自分の心事でも腑に落ちない。

  • 頑固で几帳面すぎて相変わらずぶれない百閒先生。周りを困らせまくりつつもどうにも憎めず魅力的で、会話などはその場で聞いていたらきっと吹き出してしまうことだろうと思う。だが決して自らのユーモアをひけらかさない、そういうところがむしろ知的じゃないですか。かっこいい。
    高橋義孝氏が解説でこの『阿房列車』を指して、「生麩のような高野豆腐のようなもの」と表現していて、なるほど言い得て妙。

  • <目次>


    <内容>
    『第一阿房列車』よりも面白くなかった。最後が鉄道唱歌でお茶を濁されている。百閒さんの奔放さになれてしまったのかもしれない。

  • 百閒先生、第二弾です。
    表紙の写真がナイス!
    熊本旅行の途中だと思うんだけど
    駅の水道で身繕いしてるのだ。

    今回も新潟やら奥羽やら、はたまた九州やら
    相変わらず何の目的もないままに旅に出ております。

    おもしろかったのは
    山陽本線に「かもめ」という列車ができて
    先生と山系クンはその初運転に招待されて乗るわけですが
    「鉄道唱歌に出てくる神戸駅に止まらないなんて!」
    みたいなことを書いてます。
    そうか〜、今は三ノ宮の方がメインの駅だけど
    昔は神戸の方が有名だったんだなぁ。
    (1953年の話。先生64歳か…)

  • ワタシの旅行スタイルは
    完全に百閒先生に影響されてます。

  • 中年になってこの作家の面白さがようやく分かるようになりました。

    昭和20年代の鉄道旅行記の元祖阿房列車の第二弾。横手と八代は気に入ったのか再訪。ヒマラヤ山系との珍道中は続く。

  • 新潟、横手、九州を旅します。いいなあ。
    巻末に掲載されている鉄道唱歌もいいですね。

  • 第一・第三と持っていて、先日古本屋で揃いであるやつを何故かバラ売りされていたので、第二だけ購入。何か、兄弟の仲を引き裂くようで申し訳なく思った。

    百閒先生はとにかく観光や見物が嫌いで、誰かが案内しようという兆しをみせると異常なまでに警戒する。

    新聞記者の取材も禅問答のようなやりとりで終わらせる。温泉旅館でも温泉に入らない。というか「温泉に入らない」というステートメントさえ避けて、入りたくなかったら入らないでもない、というようなスタンスでいる。

    列車で移動する(移動中の酒を飲むことだけは執着)以外の目的は徹底的に排除する。これは三部作に徹底している。

    僕が書いたかしら、というような内容の文書もある。

    「こうして早手廻しにやって来て、そのホーム迄出たけれど、実は行く所がない。行く所ではない、いるところがない。(略)遅過ぎて乗り遅れたら萬事休する。早過ぎて、居所がない方が安全である。しかしこういう来方を、利口な人は余りしないと云うことを知っている。汽車に乗り遅れる側の方の側に、利口な人が多い。」

    早く着きすぎるか、乗り遅れるかなのは、乗り物に乗るのが好きな人に共通なのか。

  • 戦後まもない汽車の旅が堪能できる。当時はやっと電気機関車が出てきたばかりで、蒸気機関車がまだまだ活躍していた。何もとのんびりとした時代だ。内田氏が汽車に乗ろうとすると見送りの人が必ず来て、挨拶を交わす。目的地に着けば駅長室に呼ばれて一服する。こんな時代もあったのだ。

  • 第一阿房列車に続き第二阿房列車。雨男のヒマラヤ山系君と用事のない鉄道旅をするのは変わらず。自分が旅行する時に、宿などで「もう今日は何もする必要はないなぁ…」という用事がなくなったときの楽しさを思い出した。
    京都についても記述があるが例の如く内田百閒先生なので観光はさらっと終わっている。
    鉄道唱歌が終わりのほうについてる。わりと楽しい。

  • 第二列車完乗。相変わらずヒマラヤ山系君をどぶ鼠呼ばわりで、寝台の上段へ寝につく際も「天井裏の」などと言いえて妙な例えに思わず笑ってしまった。本文の構成が各列車の出来事毎に小見出しが付いて短編のようになっていること、第一列車では「歩廊」と云っていた駅施設が「ホーム」と書かれていることなど、おやと思わせるものがあった。本書では大変気に入った文章があったので、ここに引用する。「人が嫌ってもいいから、毅然としたサアヴィスを行うと云う精神に欠けている。サアヴィスとは愛想顔、御機嫌取りの意味ではない筈である。」

  • 2016.10 本棚整理のため第一阿房列車から第三阿房列車まで再読。

    時代を越えて愛される列車紀行エッセイ。百閒先生の軽妙洒脱な文章からガタンゴトンと線路の楽しいリズムを感じるよう。どうしても続けて3巻読んでしまう形になるので慣れもあってか、第一☆4.5、第二☆3.5、第三☆3くらいの評価。10年に一度は読みたい名作。 (レビューは1~3巻共通)

  • 百けん先生が走らせる、阿房列車の第二号。雪中新潟阿房列車と春光山陽特別阿房列車は、先に読んだ内田百けん集成に収められていたため、未読の雪解横手阿房列車と雷九州阿房列車(前後章)のみを拾い読み。

    雷九州阿房列車はまさに危機一髪という状況をさらりと語り、かろやかな中に観察眼の鋭さ、描写力の適切さが活きる名編。もっとも、阿房列車はフィクション部分が多いようなので、どこまでが本当の体験談だか判らないけれど。

    このシリーズでは第一作の飄逸さが一番良いという評価が多いようだが、しかし、第二列車でも独特のユーモアは健在。東洋軒ネタや日本食堂ネタで伏線を張るなど、構成の妙も魅せる。

  • 百閒せんせいくらいさらっと生きたい。
    たいていの物事には執着してない(ように見える)ところに憧れる。
    水筒に入れて飲む酒はうまいんだろうか。

  • 【本の内容】
    ただ列車に乗るだけのための内田先生の旅は続く。

    「汽車が走ったから遠くまで行き著き、又こっちへ走ったから、それに乗っていた私が帰って来ただけの事で、面白い話の種なんかない」。

    台風で交通が寸断する九州では、なぜか先生と弟子の「ヒマラヤ山系」が乗る汽車だけはちゃんと走り「無事に予定通りに行動しているのが、相済まぬ」。

    悠揚迫らざるユーモアに満ちた、シリーズ第二弾。

    [ 目次 ]
    雪中新潟阿房列車―上野‐新潟
    雪解横手阿房列車―上野‐横手‐横黒線‐大荒沢
    春光山陽特別阿房列車―東京‐京都‐博多‐八代
    雷九州阿房列車・前章―東京‐八代
    雷九州阿房列車・後章―八代‐熊本‐豊肥線‐大分‐別府‐日豊線‐小倉‐門司

    [ POP ]
    何も用はないけれど、取りあえず汽車に乗って大阪に行ってきたから始まり、三作を数えた阿房列車だが、微苦笑を誘うとすれば本二作目だろう。

    いつも一人で旅ができないからお供に「ヒマラヤ山系」という年若い男を連れ、何とは無しに旅行に出かける。

    だが、そこは野次喜多よろしく平穏無事なわけは無くて、新潟に出かけ地元の新聞記者のしつこい取材に、辟易したこんにゃく問答や、どうでも良い百閒の問いかけに、糠に釘の返事しかしないヒマラヤ山系など、うやむやのまま旅は進んでいく。

    脱力系かと言われればそうかもしれないが、神は細部に宿り給う。

    小さな出来事の積み重ねに、苦虫を噛み潰した様な、著者の魅力が詰まっているのだ。

    時は戦後からやっと落ち着き、高度経済成長時代の前夜。

    百閒の愛した戦前の匂いが漂う、時代が作った作品といえるだろう。

    [ おすすめ度 ]

    ☆☆☆☆☆☆☆ おすすめ度
    ☆☆☆☆☆☆☆ 文章
    ☆☆☆☆☆☆☆ ストーリー
    ☆☆☆☆☆☆☆ メッセージ性
    ☆☆☆☆☆☆☆ 冒険性
    ☆☆☆☆☆☆☆ 読後の個人的な満足度
    共感度(空振り三振・一部・参った!)
    読書の速度(時間がかかった・普通・一気に読んだ)

    [ 関連図書 ]


    [ 参考となる書評 ]

  • やっぱりこの人の書くものは好きだ。いろいろと見下しているくせにどこかで思いやりや敬意を含んでいて、そんなんなのに「漱石先生」と敬称し続けるところが好きだ。

  • 乗り鉄百鬼園先生の鉄道随筆第二弾

    ヒマラヤ山系君とあちこち電車ででかけて、食堂車で酒のんで、寝台車で酒のんで、現地の宿で酒のんでと。
    相変わらずの飄々っぷりが素敵っす。
    しかし先生ともなると、どこでかけても、鉄道の偉い人やら、新聞記者やらやってくるんですなぁ。
    オススメっす。

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著者プロフィール

内田百閒(うちだ・ひゃっけん)1889―1970
岡山県生まれ。本名・栄造。15歳のときに親友・堀野寛と出会い、堀野を通じて読書の趣味に目覚める。翌年、夏目漱石の『吾輩は猫である』上篇を読み、漱石に傾倒。19歳のころには俳句熱が高まって、俳諧一夜会や苦渋会という句会を結成。岡山近郊の百間川から俳号を「百間」とした。1910年、東京帝国大学文科大学へ入学。翌年2月に、静養中だった漱石を訪ねる。漱石の面会日「漱石山房」に出席するようになり、小宮豊隆、津田青楓、森田草平、芥川龍之介、久米正雄などと知り合う。以後、陸軍士官学校や法政大学で教鞭をとる。1920年には、作曲家・筝曲家の宮城道雄に知遇を得て親交が続く。同年、幼少期より寵愛を受けてきた祖母の竹が死去。1922年、はじめての著作集『冥途』を稲門堂書店より刊行。翌年、関東大震災に遭い、『冥途』の印刷紙型を焼失してしまう。1933年に三笠書房から『百鬼園随筆』を刊行してから、『冥途』の再劂版や第二創作集『旅順入城式』(岩波書店)、『百鬼園俳句帖』(三笠書房)などを刊行。その他、『贋作吾輩は猫である』(新潮社)、『ノラや』(文藝春秋社)など多数の書籍、作品を発表する。1965年には、これまでの功績を評価され芸術会員に推薦されながらも「いやだから、いやだ」とそれを辞退。それからも『麗らかや』『残夢三昧』(いずれも三笠書房)などを著す。多くの名筆を世に刻み、1971年4月20日に逝去。

「2023年 『シュークリーム』 で使われていた紹介文から引用しています。」

内田百閒の作品

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