第二阿房列車 (新潮文庫)

著者 :
  • 新潮社
3.86
  • (45)
  • (40)
  • (58)
  • (2)
  • (1)
本棚登録 : 500
感想 : 47
本ページはアフィリエイトプログラムによる収益を得ています
  • Amazon.co.jp ・本 (248ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784101356341

作品紹介・あらすじ

ただ列車に乗るだけのための内田先生の旅は続く。「汽車が走ったから遠くまで行き著き、又こっちへ走ったから、それに乗っていた私が帰って来ただけの事で、面白い話の種なんかない」。台風で交通が寸断する九州では、なぜか先生と弟子の「ヒマラヤ山系」が乗る汽車だけはちゃんと走り「無事に予定通りに行動しているのが、相済まぬ」。悠揚迫らざるユーモアに満ちた、シリーズ第二弾。

感想・レビュー・書評

並び替え
表示形式
表示件数
絞り込み
  • 鉄道唱歌が全文(歌)掲載されていました。
    なんとこんなに長かったのですね、1番しか知らなかった。Youtubeでも、途中がないものしか聞けず・・・

    と第2弾も期待を裏切らず。
    新聞記者を適当にあしらい、雨の道中でも苦にならず。
    観光しなくとも、当時の雰囲気と季節感がそのまま伝わってくる旅旅情、昔の食堂車と寝台車、今となっては羨ましい鉄旅です。

  • 雪中新潟安房列車:少し早めに乗り込んでいて、そうして発車を待つ。なんにもする事はない。その間の時間が実にいい。神聖な空白である。見送りがあると、見送り人には顔があるから、その顔に高速されてしまう。又何か云うから、発車まで受け答えをしていなければならない。動き出せばあらためて挨拶を要する。安房列車が行くと云うので、別れを惜しむなぞと云う心事は、人の心事でも自分の心事でも腑に落ちない。

  • 頑固で几帳面すぎて相変わらずぶれない百閒先生。周りを困らせまくりつつもどうにも憎めず魅力的で、会話などはその場で聞いていたらきっと吹き出してしまうことだろうと思う。だが決して自らのユーモアをひけらかさない、そういうところがむしろ知的じゃないですか。かっこいい。
    高橋義孝氏が解説でこの『阿房列車』を指して、「生麩のような高野豆腐のようなもの」と表現していて、なるほど言い得て妙。

  • 百閒先生、第二弾です。
    表紙の写真がナイス!
    熊本旅行の途中だと思うんだけど
    駅の水道で身繕いしてるのだ。

    今回も新潟やら奥羽やら、はたまた九州やら
    相変わらず何の目的もないままに旅に出ております。

    おもしろかったのは
    山陽本線に「かもめ」という列車ができて
    先生と山系クンはその初運転に招待されて乗るわけですが
    「鉄道唱歌に出てくる神戸駅に止まらないなんて!」
    みたいなことを書いてます。
    そうか〜、今は三ノ宮の方がメインの駅だけど
    昔は神戸の方が有名だったんだなぁ。
    (1953年の話。先生64歳か…)

  • ワタシの旅行スタイルは
    完全に百閒先生に影響されてます。

  • 中年になってこの作家の面白さがようやく分かるようになりました。

    昭和20年代の鉄道旅行記の元祖阿房列車の第二弾。横手と八代は気に入ったのか再訪。ヒマラヤ山系との珍道中は続く。

  • 新潟、横手、九州を旅します。いいなあ。
    巻末に掲載されている鉄道唱歌もいいですね。

  • 第一・第三と持っていて、先日古本屋で揃いであるやつを何故かバラ売りされていたので、第二だけ購入。何か、兄弟の仲を引き裂くようで申し訳なく思った。

    百閒先生はとにかく観光や見物が嫌いで、誰かが案内しようという兆しをみせると異常なまでに警戒する。

    新聞記者の取材も禅問答のようなやりとりで終わらせる。温泉旅館でも温泉に入らない。というか「温泉に入らない」というステートメントさえ避けて、入りたくなかったら入らないでもない、というようなスタンスでいる。

    列車で移動する(移動中の酒を飲むことだけは執着)以外の目的は徹底的に排除する。これは三部作に徹底している。

    僕が書いたかしら、というような内容の文書もある。

    「こうして早手廻しにやって来て、そのホーム迄出たけれど、実は行く所がない。行く所ではない、いるところがない。(略)遅過ぎて乗り遅れたら萬事休する。早過ぎて、居所がない方が安全である。しかしこういう来方を、利口な人は余りしないと云うことを知っている。汽車に乗り遅れる側の方の側に、利口な人が多い。」

    早く着きすぎるか、乗り遅れるかなのは、乗り物に乗るのが好きな人に共通なのか。

  • 戦後まもない汽車の旅が堪能できる。当時はやっと電気機関車が出てきたばかりで、蒸気機関車がまだまだ活躍していた。何もとのんびりとした時代だ。内田氏が汽車に乗ろうとすると見送りの人が必ず来て、挨拶を交わす。目的地に着けば駅長室に呼ばれて一服する。こんな時代もあったのだ。

  • 第一阿房列車に続き第二阿房列車。雨男のヒマラヤ山系君と用事のない鉄道旅をするのは変わらず。自分が旅行する時に、宿などで「もう今日は何もする必要はないなぁ…」という用事がなくなったときの楽しさを思い出した。
    京都についても記述があるが例の如く内田百閒先生なので観光はさらっと終わっている。
    鉄道唱歌が終わりのほうについてる。わりと楽しい。

全47件中 1 - 10件を表示

内田百けんの作品

  • 話題の本に出会えて、蔵書管理を手軽にできる!ブクログのアプリ AppStoreからダウンロード GooglePlayで手に入れよう
ツイートする
×