第三阿房列車 (新潮文庫)

  • 新潮社 (2004年6月27日発売)
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Amazon.co.jp ・本 (320ページ) / ISBN・EAN: 9784101356358

感想・レビュー・書評

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  • 百閒先生の鉄道紀行文、第3巻。最終巻なのですがあまり綺麗に締まっておらず、もっと続いてほしかったなぁという感覚です。一等寝台車の終焉と揃えたのでしょうか。
    今回は旅行中に発熱して辛い思いをするシーンもありましたが「同じく苦しいなら、熱が低くて苦しいよりも、高くて苦しい方がそれに堪える張り合いがある」というのはわかるような、わからないような(笑

    1. 百閒先生の鉄道ストライクゾーン、狭い!
    2. 昔の鉄道の"気密性"のなさ
    3. 昔の世の中の適当さ/おおらかさ

    1. 百閒先生の鉄道ストライクゾーン、狭い!
    今回は銚子にも足を延ばしていたのですが、鉄道マニア的に銚子と言えば…の銚子電鉄はスルー!
    1946年には運転再開しているので動いていたはずですが、百閒先生のお好みは電車ではなく列車ということかと。(そうなると現代日本にはほぼ残っていない訳ですが…)
    そして、列車の中でも電気機関車ではなく蒸気機関車が良い模様。現代社会に百閒先生が突如転生してきても、鉄道好きにはならない可能性がありますね(笑
    「蒸気機関車だと、こうしている窓の外をたまに小さな火の粉が飛んで、赤い蛍が流れる様な風情を添える事もあるが、電気機関車はただまっしぐらに闇の中を走るばかりで車窓の趣きはない」

    2. 昔の鉄道の"気密性"のなさ
    長距離列車の寝台で「目がさめたら枕許のカアテンの隙間が明かるくなっている。寒くて目がさめたのだと云う事が、目がさめてからわかった。朝になって、ボイが換気の為に廊下の窓を少しずつ開けたらしい。そこから吹き込む風で車内の気温が急に下がり、コムパアトの中の寒暖計でも十七度である。」という感覚は、例えば現代の寝台特急に乗っても感じないのではと。
    ここにある温度以外にも、煤の匂いや汽笛の音といったものが旅情に彩りを添えていて、今の静かで空調の効いた車内とは少し違うんだろうなと感じました。

    3. 昔の世の中の適当さ/おおらかさ
    今回、寝過ごして予定の列車に乗り遅れたシーンがありましたが、宿の女中が「よく眠っているから起こさなかった」逆だろと(笑
    しかし時間観念がまだ緩くても大丈夫たったということか。なんか羨ましい…
    学生が意味もなく露店のヒヨコをぶちまけるくだり(怒られはしたんでしょうが、笑い話で済んでいそうなあたり)も、Xで即炎上する現代とは違うなぁと思いました。

    ちなみに、鉄道マニア的には、この時代「も」瀬戸と出雲は連結していた!というのが発見でした。
    (瀬戸は東京発23列車、出雲は大阪仕立ての701列車)
    3巻を読み切った総括としては、文豪による質の高い文章の紀行文と、個人的には昭和20~30年代の鉄道文化に触れられる良著だったと思います。
    本著を更に味わうための情報として、当時の一等寝台車の車内公開時のレポートをされている方の記事があったので貼らせていただきます。。
    http://ayu2.com/train/2021/01/401119.html

  • 既に「第一」と「第二」とを読了していて、「第三」が在るので「是非!」と手にしてゆっくりと読了した。
    1954(昭和29)年から1955(昭和30)年に雑誌等に掲載され、1956(昭和31)年に纏まった本として登場したという本作である。勿論、最近とは随分と異なる事情の中での行動や出来事を基礎とする、「小説的な気分で綴る随想」という風の文章なのだが、「変な旧さ」は感じず、自身の来し方や、自身が生きて来た時代を少し突き放しながら見詰め、「聴いた人達が少し笑うようなことを大真面目に語ろうとしてみる」というような風情で実に愉しい。
    本作は内田百閒(1889-1971)が、全くの思い付きのように列車に乗り、東京を離れて方々を訪ねてみるという経過を綴ったというシリーズで、纏まって本として登場した3作目ということになる。
    最初の作(『第一阿房列車』)で「なんにも用事がないけれど、汽車に乗つて大阪へ行つて来ようと思ふ」と冒頭近くに書いている。この、用と言うようなモノは無いが、移動してみること自体を愉しみ、何という程のこともしない旅の様、湧き起る想いを綴り続けた。独特な筆致の紀行文ということになると思う。1950年代から現在に至る迄、長く読み継がれている本作のシリーズは、紀行文の「古典」と言っても差し支えないと思う。
    本作『第三阿房列車』では、長崎方面、房総半島、四国方面、松江方面、静岡県(興津)、熊本県方面というような旅をしている。実際の旅は1953(昭和28)年の10月や12月から、翌1954(昭和29)年、最後の篇は1955(昭和30)年の旅であるようだ。
    結局、このシリーズは「1950年代(昭和20年代後半から昭和30年頃)」の社会や人々の変遷を、若い友人を引き連れて気儘に各地を巡ってみることを愉しむ内田百閒の目線で、自身の来し方に纏わる様々な想いも込めながら綴っているのだと思う。そんな訳で「紀行文の古典」であると同時に「小説的な気分で綴る随想」という風情なのだと感じる。
    想い起すと、このシリーズの最初の作(『第一阿房列車』)では、急速に発展していた鉄道網の活動が戦時中というような事情で抑え込まれてしまい、漸く新たな歩みを始め、新しい列車や新たな強力な機関車も登場したというような「復興する鉄道」というような様子を眺めている様が感じられた。やがて鉄道網は、戦前の最も発展していたような頃のヨスを取り戻し、更に新たに色々と再編成されて行っている。本作『第三阿房列車』では、そんな再編成されつつあるような様子が少し出て来ると思う。
    列車に乗って出発して、乗り続けるが“区切り”が必要なので到着地に入り、とりあえず宿を取って泊っていると内田百閒は嘯く。少し名前が通った作家が当地へやって来たと、報道関係者が「是非、御話しを!」と現れる場合も少なくない。内田百輭は、少し億劫そうに対応をする。その辺りが読んでいて笑った。
    「当地の印象?」とでも問われれば「着いたばかりで判らない」と応じ、「訪ねる場所は?」とでも問われれば「特段に決めていない」と応じ、「何方かに御会いになる?」とでも問われれば「当地に知り合いという程の誰かが在るのでもない」と応じる。それでも写真付きで新聞記事になり、教員を務めていた頃の、嘗ての学生が「新聞を見た」と宿に訪ねて来るというようなことも在る。
    こういう大真面目に惚けたことをしながらの各地への旅というのが面白いが、当時の列車の運行の様子や列車内でのサービスの様子、誘われて少しばかり動き廻ってみた時の雑感も面白い。
    内田百閒は岡山出身で、このシリーズに綴られているだけでも何度も九州へ向かっているので、その都度に岡山を通っていると見受けられるが、岡山に滞在するという挿話は無い。本作にそういうことへの言及が在る。時間を経て故郷の街の様子が変わるのは在り得るが、岡山は戦禍で街の多くの部分が破壊されてしまい、何もかもが記憶に在る様子と変わっているから敢えて立寄らないのだという。「古里は記憶の中」ということのようだ。
    このシリーズの全般を通じて、朝早くから動くことが不得手、というよりそんなことはしたくないとしている内田百閒であるが、本作『第三阿房列車』には朝の列車に乗込んで動くという様子が登場している。
    個人的には、本作『第三阿房列車』に登場の九州各地の路線、山陽地方や山陰地方の路線、静岡県内や千葉県内の路線で列車に乗車した経験も在る。本作を読んでいて、そういう様子、自身の旅は内田百閒の旅よりも何十年も後ではあるのだが、沿線の雰囲気が頭の中に蘇った。軽妙さと精緻さが兼ね備えられ、抒情的な作中世界が描き込まれるというような作風だと思った。
    「自分の流儀」を飽く迄も貫き、「心の自由」というようなモノと共に各地を随意に動き廻っているという様子を感じずには居られない、「小説的な気分で綴る随想」という風情の「紀行文の古典」が本作のシリーズだと思う。出逢えて本当に善かった。広く御薦めしたい。

  • 前2編と同じところが重なっているが、全編とまた趣や表現が違って楽しめる。

    八代の今は公園になっているけれど、定宿にした松浜軒に文庫片手に行ってみたい。同じ気分といっても、台風の時期は避けたいものである。

    3編とも執筆当時の解説と現代の解説2編があって、これも対比して読むのも楽しい。

    百閒先生、郵便税がなくなり、そのうち所得税の所得料金になるのか・・・といった件
    所得税はそのままに消費税というものもお目見えしてますよ(笑)

  •  内田百閒先生の阿房列車シリーズ、三部作の最終作であります。いつまでも無節操に続けて欲しいシリーズですが、やはり三部作で収めるのが上品と申せませう。
     同行するのは、勿論ヒマラヤ山系こと平山三郎氏。作中では「山系君」として登場。この人の付添ひが無ければ阿房列車は運転されなかつたので、大功労者であります。相変らず、百閒先生とは会話が噛み合つてゐるのか、ゐないのか良く分からない茫洋ぶりが良い。もつともその人物像は筆でデフォルメされてゐるかも知れませんが、まあいいでせう。

     今回は「隧道の白百合 四国阿房列車」に於いて、体調不良に陥り辛い旅行になつたりして、異色篇となつてゐます。そもそも阿房列車は不要不急の最たるものですので、身体の具合が悪ければ中止すればいいものを、やはり出かけるのですねえ。現在のコロナ禍でかかる旅行をしてゐたら、非難轟轟ではないか。
     また、「菅田庵の狐 松江阿房列車」みたいなミステリイ仕立てのものとか、「列車寝台の猿 不知火阿房列車」のやうにどこまでもついてくる謎の人物を描いたり、マンネリにならぬやうに、先生なりに工夫してゐるのかなと存じました。

     これで阿房列車は終りかと思ふと寂しいですが、何度読んでも面白い三部作ですので、是非手元に揃へませう。正仮名の旺文社文庫版が一番好いのですが、入手が中中難しいので、次善の策で新潮文庫版でもいいでせう。うむ。

  • 阿房列車で初めて百閒先生の著作に触れたのですが、第一から第三まで、先生と山系さんとご一緒させていただく中で、すっかり先生のことが大好きになってしまいました。
    巻末の解説も愛に溢れていて素敵です。

    最後の不知火阿房列車に出てきた謎の男とは結局どうなったのか、とても気になります。阿川さんの解説にもあったように、本当に、第四、第五と続いてほしかったなという気持ちでいっぱいです。

  • 百閒先生が房総阿房列車を走らせて我が故里・銚子に来ていたとは嬉しい限りだ。泊まった旅館の名は書かない主義なので、どこに泊まったかを想像しながら読むのも楽しかった。九州では大雨で不通になる路線を、ぎりぎりのところで走り抜け、四国では病に苛まれ、あまり良い旅ではなかった。松江と不知火では、摩訶不思議な夢とも現とも思われる話で、百鬼園の幻想世界を醸し出していた。カバーの百閒先生が正に口をへの字に結んで写真に映っている様が、何とも微笑ましい。

  • 長崎へ行こうと思う。
    行っても長崎に用事はないが、用事の有る無しに拘らず、どこかへ行くと云う事は、用事に似ている。だから気ぜわしない。、、、、、
    今迄の続きで、因果と諦めて貰って、今度も天の成せる雨男、ヒマラヤ山系氏を煩わそうと思う。

    第一、第二で、わかっちゃいるけど
    出だしの掴みからニヤつかせる百閒先生

    あー、用事のない旅行いきてー

  • 百閒先生、第三弾、そして最終阿房列車です。
    今回の表紙写真もおもしろいですよ。
    どこだか知らないけど、陸橋をバックにしかめ面。
    いや、本当は楽しくて仕方ない心持ちだと思うんだけど
    なんせ「レンズを向けられて、狙われている様で」と
    あんまり写真がお好きでない先生のこと
    さっさと済ましてちょうだいよ…という感じの顔です(笑)

    実は今回、四国阿房列車の章があったから
    高知に行く時に旅行カバンに忍ばせて行ったのだが
    先生ったら、この章では風邪でダウンしちゃって
    ほとんど感想らしい感想がないじゃないのさ。
    でも、それを正直に書いているところが好きなのよ。
    全三巻、本当に可愛いわがままっぷりでした。

    ところで全阿房列車に同行した山系クンが気になる。
    先生とのやりとりが絶妙な鉄道マン。
    検索してみたら、平山三郎さんという人なんですね。
    なるほど、それでヒマラヤ山系か(笑)

  • 「第二」を最初に読んで「第一」に。
    そして本作「第三」で阿房列車は一応完走。

  • ブクログさんの紹介文等はことごとく「閒」の字がひらがなになっているのに、感想を述べている諸兄の多くが「百閒」とちゃんと漢字で、しかもプラス「先生」で「百閒先生」と表記されているところがうれしい。

    閑話休題。

    私が読んだのは「1984年重版」とある旺文社文庫版。新潮文庫版がどうなのかわからないが、百閒先生は旧かな(できれば旧漢字)でないと。
    ということで古本屋で旺文社文庫をコツコツ40冊ほど集めたのは我ながら粘り強いというかしつこいというか執念深いというか気が長いというか……。

    というわけで最近は寝る前のお供は百閒先生にお付き合いいただいている。死ぬまでに全部読めるかな?
    なぜ『第三阿房列車』かというと、第一と第二は以前読んでいたため(内容は覚えていない)、第三を手にとったわけだ。

    やはり阿房列車は面白い。というか百閒先生は面白い。
    本人もこの企画(?)は楽しそうで、「ブラタモリ」のタモさんのようである、といえば近いか。
    巻末にある写真も、写真嫌いな百閒先生がカメラ目線で山系くんと楽し気に写っておられる。

    自分は地理に疎いので土地土地の風景が目に浮かばないが、旅する2人のやりとりはニヤニヤものだ。
    みうらじゅんさんの「見物記」と六角精児さんの「飲み鉄」を合わせたようだな、という、昔は当然思わなかった感想になる。みうらさん&六角さんにはぜひ百閒先生のあとを追ってほしいものである……なんじゃそりゃ。

  • 長崎、房総、四国などを旅します。
    巻末のグレゴリ青山さんの漫画もいい感じ。

  • 阿房列車、最終巻。

    今回も行く先で体調を壊したり、雨に見舞われたり、中々の旅路です。百閒先生。
    最後は夢と現が混ざったような、今までと違う雰囲気で阿房列車は幕を閉じました。

  • 相変わらず、「用事はないが、列車に乗る」先生。
    相棒・ヒマラヤ山系くんとのとぼけた掛け合いも良い。

    個人的には、八代を贔屓にしてくれるのが嬉しい。

  • 第一、第二と変わらず、なんの用事もないが汽車に乗っていろんなところへおでかけするという内容。旅行っててきぱきするよりはだらだらしたほうが楽しいものなぁ…。今回珍しく百閒先生は旅行中に病を得ている。そこで「なまけるには体力が必要である」という真理に至ったそうな…

  • 底本1956年刊行、初出1954~55年。房総半島、長崎、四国、山陰松江、宮崎経由の八代等の紀行文である。新幹線はもとより電車特急こだますらない時代なので、へえーっということが多かったが、鉄道旅行を叙景的に記すというよりは、著者の内心に目が向けられることが多く、紀行文とはやや異質な趣き。もっとも、長崎行きの寝台急行に26時間ほど揺られたり、食堂車連結が進んだ時代の利用者像、九州の八代に日豊本線経由で向かう際、宮崎に一泊する等、戦後10年くらいの時代感覚が蘇ってくる。

  • 2016.10 本棚整理のため第一阿房列車から第三阿房列車まで再読。

    時代を越えて愛される列車紀行エッセイ。百閒先生の軽妙洒脱な文章からガタンゴトンと線路の楽しいリズムを感じるよう。どうしても続けて3巻読んでしまう形になるので慣れもあってか、第一☆4.5、第二☆3.5、第三☆3くらいの評価。10年に一度は読みたい名作。 (レビューは1~3巻共通)

  • 阿房列車もとうとう最終列車が出た。この後、百けん先生は何度か鉄道旅行をしているらしいのだが、それが阿房列車シリーズにまとめられることはなく、晩年は身体が衰えて列車での長旅ができなくなったため、結果的にこの第三阿房列車が最終列車となってしまった。まさに「なまけるには体力が必要」であったわけだ。しかし、その遺志は阿川弘之、最近では酒井順子に受け継がれ、今日に至るも阿房列車を走らせる輩は後を断たない。

    もともと阿房列車の楽しみは卒意の面白さというか不作意の妙といったところにあった(もっとも、同乗したヒマラヤ山系氏が後に書き記したところによると、当初よりかなりの部分がフィクションだったようだが)のだが、第三阿房列車では「菅田庵の狐」や「列車寝台の猿」などやや "狙った" 作編も含まれている。まあ、それはそれで独特の恐怖感があり、楽しめる。

  • 目的地に用もなく、ただ単に列車に乗るということをくり返す、作者:内田百聞。列車が手段でなく、目的と化している。これは飛行機マイル修行を行っている身としては、十分共感できる。

  • 百閒先生のこの絵に描いたようなへの字口と、いかにも偏屈そうなしかめっ面が好きなんだよなぁ。
    この顔まんまのテンションで、こんなにとぼけた作品を書くとは。

  • 内田百閒先生は旅が好きなのではなくて、列車が好きな人なんだなあとつくづく思う。今でいう鉄道オタクではなく、ただ好きなだけのようだ。旅行に行くのが目的ではなく列車に乗るのが目的のように感じる。しかし、そんな詮索も百間先生からしたら面倒くさいものだろう。一度でいいからこのような旅を私もしてみたい。あてもなくぷらぷらと。

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著者プロフィール

内田百閒(うちだ・ひゃっけん)1889―1970
岡山県生まれ。本名・栄造。15歳のときに親友・堀野寛と出会い、堀野を通じて読書の趣味に目覚める。翌年、夏目漱石の『吾輩は猫である』上篇を読み、漱石に傾倒。19歳のころには俳句熱が高まって、俳諧一夜会や苦渋会という句会を結成。岡山近郊の百間川から俳号を「百間」とした。1910年、東京帝国大学文科大学へ入学。翌年2月に、静養中だった漱石を訪ねる。漱石の面会日「漱石山房」に出席するようになり、小宮豊隆、津田青楓、森田草平、芥川龍之介、久米正雄などと知り合う。以後、陸軍士官学校や法政大学で教鞭をとる。1920年には、作曲家・筝曲家の宮城道雄に知遇を得て親交が続く。同年、幼少期より寵愛を受けてきた祖母の竹が死去。1922年、はじめての著作集『冥途』を稲門堂書店より刊行。翌年、関東大震災に遭い、『冥途』の印刷紙型を焼失してしまう。1933年に三笠書房から『百鬼園随筆』を刊行してから、『冥途』の再劂版や第二創作集『旅順入城式』(岩波書店)、『百鬼園俳句帖』(三笠書房)などを刊行。その他、『贋作吾輩は猫である』(新潮社)、『ノラや』(文藝春秋社)など多数の書籍、作品を発表する。1965年には、これまでの功績を評価され芸術会員に推薦されながらも「いやだから、いやだ」とそれを辞退。それからも『麗らかや』『残夢三昧』(いずれも三笠書房)などを著す。多くの名筆を世に刻み、1971年4月20日に逝去。

「2023年 『シュークリーム』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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