アンのゆりかご―村岡花子の生涯 (新潮文庫)

著者 :
  • 新潮社
3.96
  • (99)
  • (151)
  • (87)
  • (12)
  • (1)
本棚登録 : 1204
感想 : 159
本ページはアフィリエイトプログラムによる収益を得ています
  • Amazon.co.jp ・本 (431ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784101357218

感想・レビュー・書評

並び替え
表示形式
表示件数
絞り込み
  • 「赤毛のアン」の翻訳で有名な村岡花子。
    孫娘でライターの著者が書いた、その生涯です。
    NHK朝ドラの原作。

    戦時中に翻訳を始めていたいきさつから、始まります。
    そこから遡って、貧しい暮らしをしていた大勢の兄弟の中から、長女のはな(後の村岡花子)一人だけが東洋英和女学校の給費生として学ぶようになったこと。
    東洋英和が、カナダ人宣教師が開いた学校とは知りませんでした。
    奇しくも、モンゴメリと同世代のカナダ女性に教育を受けたのですね。

    柳原白蓮と友情があったという、意外なつながりも。
    若くして離婚した後の白蓮が女学校に入り直していた時期で、年上の美しい親友が出来たわけだったのですね。
    九州の炭坑王との急に決められた再婚に怒り、純情な花子は披露宴にも出席を断ったとか。もっともすぐに和解し、後の出奔と再婚にも理解を示したようです。

    花子自身は出会った男性・村岡と愛し合って結婚し、出版社を営む婚家にも認められて幸福でしたが、震災で工場が倒壊してしまいます。
    さらに長子を疫痢で失い、戦時中にも苦難があったそうです。
    夫の村岡は最初の妻を病気を理由に離婚していたので、花子は不幸に見舞われた後になって、他の人のそんな苦しみをおもんぱかることもなかったのがよくなかったと胸を痛めたそうです。

    ラジオの番組で有名だったことも、知りませんでした。
    70過ぎてのアメリカ旅行で、着物姿で通し、きれいな英語を喋ると驚かれたり。微笑ましいエピソードも色々。
    プリンス・エドワード島には、ついに行かなかったのですね…
    機会があったのに延ばしたという、気持ちはわかるような気もします。

    しかし、「赤毛のアン」て、ものすごくたくさんの版で出ていたんですね~ちょっと調べたら、感嘆しました。
    私は子供の頃からずっと村岡さんの訳で「赤毛のアン」ブックスを読んでいたんですよ。一時はお気に入りのところを暗記しているほどでした。
    他の翻訳にも何かしらよさはあると思いますが、いま一つピンと来ないんですよね。

    村岡花子は明治26年(1893年)生まれ。昭和43年、75歳で没。
    著者は1967年生まれ。
    1991年より姉の美枝とともに「赤毛のアン記念館・村岡花子文庫」として資料を保存。
    この本は、2008年6月発行。
    2008年は「赤毛のアン」誕生百周年だったのですね!

    • vilureefさん
      こんにちは。

      朝ドラって基本的に見ないので「花子とアン」がどんな話か全然知りませんでした。
      今朝もちょうど、和菓子屋の花子の話かなな...
      こんにちは。

      朝ドラって基本的に見ないので「花子とアン」がどんな話か全然知りませんでした。
      今朝もちょうど、和菓子屋の花子の話かななんて考えていたところです(^_^;)
      アンって赤毛のアンなんですね!!
      俄然興味を持ちました。

      sanaさんのレビューを読まなければ知らずに終わっていました。
      ありがとうございます(^_-)-☆
      2014/04/03
    • sanaさん
      vilureefさん、
      こんにちは☆
      コメント、ありがとうございます~!
      そういえば、「和菓子のアン」という和菓子屋さんの女の子の小説...
      vilureefさん、
      こんにちは☆
      コメント、ありがとうございます~!
      そういえば、「和菓子のアン」という和菓子屋さんの女の子の小説もありますからね(^^)
      そうなんですよ~翻訳者とあの赤毛のアンなんです。あの時代の先駆者ですね。女学生時代も楽しみ。
      これで、赤毛のアン・ブーム再び?!
      興味を持っていただけて嬉しいです♪
      2014/04/03
  • 赤毛のアンから知った翻訳者「村岡花子」さんの生涯についてまとめられた作品です。

    生まれ育った家庭環境は良いとは言い難いが、父親のキリスト教信仰、社会主義的なものの考えかたによって、花子さんは幼いころからいろんな人に出会い、いろんな本に出会い、いろんな文化に触れられ、この時代では珍しい自立した日本女性だったのではないかと思いました。

    海外の有名な作品は日本語に翻訳されたものを読んできましたが、この作品を読んで、原文で読んでみたい、花子さんのようにその作品の国の文化や慣習も勉強したら、より興味深く作品を楽しめるかなとも思ってしまいました。

    また、花子さんと花子さんが学んだ東洋英和女学校のカナダ人宣教師たちこそが、国境を越えて平和祈り、子供たちに平和な未来をという思いから行動に移していったノーベル平和賞的な人たちだと思いました。

    最後に、花子さんと儆三さんのような大恋愛してみたいものですね。こんなに愛し合い、尊敬しあえる関係はうらやましい限りです。

  • 赤毛のアンの原書を戦時中守り抜いたという話はうっすらと知っていたけれど、翻訳も灯火管制下のうすぐらい中で進めて、戦後にはもう訳了していたという話には驚いた。絶望するような毎日のなかで、アンの生きる世界が、ひとつのよすがになっていたのだろう。
    カナダに行ったことはなくとも、恩師たちとのふれあいを通じ、また数多くの原書を通じて、「鬼畜米英」と言われた国の人々が、どれだけ血肉の通った人たちで、日本の友人たちのことを気にかけているか、肌で知っていた村岡花子。平和は、言葉のみで説いても意味はなく、人や文化を介して実際にふれあってこそ生きたものになるのだと、あらためて感じ入った。
    何度も目頭を熱くしながら読みました。

  • 私が子供時代から幸せな読書生活を送れたのも、村岡花子さんをはじめこの時代の方々ががんばったおかげだったんだなぁとしみじみ。感謝の念しかありませんわ。
    赤毛のアンを読んだのはほんと最近のことなのだけど。

    「あさが来た」の広岡浅子さんと親交があったんだなぁ。
    村岡花子さんも「花子とアン」で朝ドラになりましたしね…。

    http://www.excite.co.jp/News/reviewmov/20140927/E1411774487314.html
    完訳だと思ってたので、こちらの記事を読んでびっくり。

  • とても興味深く読み進めた。
    今まで戦時中の話は怖さも手伝い読むことがなかったが、今回のこの本で初めてきちんと読むことができた。それは戦中に物質は貧しくとも心の豊かさを失わずに生活していた日本人の姿がはっきりと見えたからだ。
    また広岡浅子やヴォーリズ、澤田美喜など明治期に活躍した人々との接点が見えてきて嬉しくなったり、教科書の中の歴史上の人物だと思っていた市川房江や、生きて動いている姿をみたことがある宇野千代が同時代に活動しているのを知り、昭和初期という時代が本当に自分たちの今につながる実在の時代だったのだなあと感じた。今更だけど本当に感じた。

    今まで手にしてこなかった赤毛のアンを読んでみようと思う。いや読みたくてたまらない!!!

  • 自分が小学6年生の時ひきつけを、起こして入院したさい、いとこのお兄ちゃんが見舞いに来て渡してくれた本が赤毛のアンでした。

    それまで本を読む楽しさがまだわからなかった私が 最後まで読み通した初めての文庫本でした。

    その時の楽しさを感じたことはその後も
    読書をするきっかけになりました。

    そしてそれから40年余りを経て
    いま、赤毛のアンを翻訳した村岡花子さんの生きていた時代、そのころの思いなどが胸に響きました。

    10代の女の子が共感し、希望を、持って生きていく力を貰っていたのだとあらためて思いました。
    もう一度、アンの世界を尋ねてみようかな。

  • 「赤毛のアンシリーズ」や「リンバロストの乙女」の古臭い翻訳体は私の血肉となっていて、いまだに「しかつめらしい」とか「なくってよ」とか使いたくなるんだけど、ご本人の伝記まで読む気はなかった。けど読んでみてよかった。
    寮で同室だったのが白蓮夫人とか、初恋の人がエリザベス・サンダーズ・ホームの創始者とか、自宅で始めた児童図書館の手伝いを頼んだ近所の大学生が渡辺茂男とか、知ってる名前が次から次へと出てくる。そういう星の下に生まれたというのか昔の知識人って一握りでみんな知り合いだったのかと思う。

    村岡さんの人生の道筋に絡めて書かれる、明治後期から第二次大戦後までの日本への各種思想の伝播の経緯や、女性文学者たちと社会運動の関わり、戦争との関わりが日本の近代史として面白い。
    日本史の教科書の最後にある、三学期に駆け足で習うあたりの歴史が、明治の終わりに給費生として東洋英和女学校の寮で十年を過ごし、カナダ人宣教師たちから衣食住から語学、神学に至る薫陶を受け、後に翻訳家、文学者として名をなす女性の生涯と結びついている。

    川村湊の「異郷の昭和文学」あたりに詳しいが、日本の文学者たちは第二次大戦中に軍部からプロパガンダに協力させられている。この本はそのあたり文学者に同情的だが(私も思想弾圧に抵抗とかできないしする気ないから長いものに巻かれた方を非難する気はない)、彼らが感じたであろう葛藤を知らずに安易に平和を壊すようなことをしてはいけないなぁとも思う。
    第二次大戦中に密かに翻訳を続け、家族の次に大事にしていたという「赤毛のアン」の原稿の話は目頭が熱くなる。戦後、焼けずに済んだ大森の家を訪れる編集者たちが「本棚を食い入るように眺めた。多くの作者や研究者が、戦災で命の次に大切な蔵書を失った。」という一節は何度読んでも泣ける。本当に戦争って嫌なものだ。

    村岡さんが生涯を通して強く願った「姉も妹も父も母も一緒に集まって聲出して読んでも、困る所のないやうな家庭向きの読物」(文庫版145p.)を日本の若い人に、という気持ちはよく分かる。でもこれも行き過ぎるとナチスドイツみたいに「健全な家庭生活にそぐわない思想をテーマにした文学は発禁」てなことになっちゃうので、様々な思想が自由に語れることが一番大事だと思う。

    ……とまあ、村岡花子さん自身のことよりも時代の空気が感じられたことが面白かったのだけど、もう一つ本筋に関係なく「おお」と思ったのが『女子の名前には「子」がついているほうが、山の手風でモダンであった(文庫版88p.)』というところ。明治の終わりから大正、昭和の半ばまで半世紀くらいの間に「子」のついた名前の価値が下がっていったのね。

  • 村岡花子さん、今とは全く異なる時代の中で、家庭と仕事を両立した女性として、尊敬する1人です。

    自分の夢と家族、どちらを優先するべきか悩んでいる私にとって、今後の道標になった本。

    女性、家庭、英語、といったキーワードに興味がある方にお勧めしたいと思います。

    ▼覚えておきたい▼
    ・彼女たちは、自分ひとりの夢の実現よりも、共存の道を選んでいく。しかし、それは挫折や犠牲ではない、確かに夢からは遠廻りしたかもしれないが、アンもエミリーも新しい道で幸福を見出す。
    ・自分の望みを一筋に貫ける人は、ほんの僅かにすぎない。(中略)人生には、思いがけないさまざまなことが起こる。無理を通せば誰かを傷つけ、あるいは、どこかで行き詰まる。

  • 不登校できない不登校中学生時代、とりあえず、生きていくんだと、村岡花子訳「赤毛のアン」に励まされました。あらためて、「赤毛のアン」を日本語訳してくださって、うれしくなりました。

  • 赤毛のアンのファンですが、毎日通っている街の当時の風景が描かれているので、違った角度から、戦争の狭間で生きた女性の生き様がリアルに味わえた!

著者プロフィール

1967年東京都生まれ。1991年より姉の美枝とともに、祖母・村岡花子の資料をまとめ「赤毛のアン記念館・村岡花子文庫」として保存している。著作に、「アンのゆりかご 村岡花子の生涯」など。

「2014年 『赤毛のアン』 で使われていた紹介文から引用しています。」

村岡恵理の作品

  • 話題の本に出会えて、蔵書管理を手軽にできる!ブクログのアプリ AppStoreからダウンロード GooglePlayで手に入れよう
ツイートする
×