- Amazon.co.jp ・本 (160ページ)
- / ISBN・EAN: 9784101359359
感想・レビュー・書評
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雫石とおばあちゃん、雫石と楓、雫石と片岡さん、雫石と真一郎くん、その全ての関係が美しくて読んでいて幸せな気持ちになる。
雫石がそれぞれのことを、それぞれに愛しているのが分かる。
一つとして同じ関係も同じ愛情もない。
人との関係って本当に代わりのないものなんだ。
そのことが本当には解ってなかったなと反省。
そして雫石がテレビを見て発見したこと。
「あんなよどみを、あんなくささを飲み込んでもびくともしないなんて、そしてあの人たちが夜に光るコケ類のようにちゃんとそれぞれの美しさを持って生きることを許されているなんて、世界とはなんと包容力があって、すごい浄化作用を持っているのだろう。」
「私はただここで小さく輝いて、消えていくだけ。小さな小さな物語を作って。それでいい。」
この発見に私も許された気がした。
ここで生きていることを。
私のことも飲み込んでいるこの世界に。
そしてその世界で一緒に生きている人(雫石のような)に。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
あー分かってる方
繋がってる方なんだなぁ、
吉本ばななさん(*^^*)
人生の普遍が物語を通してかかれてます
深いな〜 -
みんながもっている魔法。
大切なひとのために、よいことのために
使いたいな。 -
やっぱりよしもとばななの小説の良さは人と人とが関わる様なのかもしれない
雫石とその周りの人たちの関係性がとても丁寧で、みんなそれぞれに違う形でお互いを思い合っていて、素敵だった
TVのくだりがとても印象に残っている
私も丁寧に物に触れようと思った、すぐに忘れてしまうのかもしれないけど -
あったかいな。私もそういう繋がりをいろいろな人との間に築きたい。忙しかったり、他人の評価が気になったりと、上の空になっていると、ついつい雑にものごとに接してしまう。ていねいに、ていねいに生きてゆきたいものです。
あと、商店街の描写がなんか懐かしいかんじがして好き。ちくわぶ食べたい。 -
出会った占い師・楓と片岡さんは、フィレンツェに行ってしまうし…。おばあちゃんはマルタ島。
都会で流れるような時間に慣れると共に、大事な何かを忘れて行く…。
つくずく丁寧さを忘れている自分に気付かされます。雫石みたいな力があるわけじゃないけど、「感」が鈍る感じ、すごくわかります。
最後のおばあちゃんからの手紙にうるっときました。 -
夢の中では自分の精神だけが自分だ。
だから感情は大きくなったら遠慮なく器からあふれ出してしまう。あふれて、いろいろな気持ちが100倍くらいに増幅されている。そして遠い旅をしてきたように、ただただ心が痛くなってくる。人々のストレスを感じ取らなくてはならない位置にあるのも大変だ。ストレスのある人間が発しているのは本当に毒なんだな、と思った。目に見えないからと言ってあなどってはいけないのだ。そして人はみんな、自分がストレスを抱えて歩いているだけで回りの人を害しているという事実を神経質にでなくって、素直に感じられた方がいい。
人は人に慰められ、力を得ることができる。人間同士だから、誰だって痛いのはつらいから。
大きな本当の目で見れば自分のしたことは絶対に消せないし、今までしてきた仕事や生活の型は必ず体のまわりに残ってしまうのだから、やり直すということは厳密にとっても難しい。だからできれば何事も慎重にやるべきなのだ。
人は永遠に生きるけれど、何も感じない。感じないまま、なんとなくさみしい漢字がして、なんとなくものたりなくて退屈で、そして死んだらそのことはなかったことにしてまた術の中に戻っていって永遠に目はさめない、そう思えた。
人は大変なものや来栖うものや輝いていないもの、うらぶれているもの、生々しいものを見るのを好まないのだ。本当は見たいのだが、みるといろいろと考えてしまうからできれば避けていたいのだ。
人間がどれほど弱いものかは、私も身にしみて知っているし、誰でも一度くらいはおかしなタイミングのせいで何かそういうふうに楽しみます。
この光こそが人間なんだ。人間の本当の姿なんだ。どうしてそんなふうに角新できたのかよくわからなかった。きっと心の目で見れば人間の世界はいつだってこんな風だった。真っ暗な宇宙空間にものすごい数の人間の光がただよい、つながりあい、光っている。ここは生死の区別もなく、大地も空もない。時間というものも存在しない。でも光はある。そのくらいに人間の光は強いものなのだ。 -
よしもとばななさんの本を読んでいると、わたしのくだらない固定概念が取っ払われる。
雫石という名前が可愛すぎる。田舎で育っても都会で育っても、introvert でもextrovert でも心が壮大に広がっている子は素敵なんだ。 -
“なくなったものを惜しんでいるばかりで、得たものを考える余裕がなかった。ちょうど、閉じられたドアの前でじたばたして悲しんでいたら、新しいドアがすぐそこにあったというような気持ちだった。何かが終われば必ず何かがはじまっている。それを見るかみないかだけが私の自由なのだ。ドアが開いた匂い、新しい匂いの中で、私はあせらずにゆっくり立ち上がり、少しずつ歩きながら、何かを探し続けよう。”