半島へ、ふたたび (新潮文庫)

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  • 新潮社
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レビュー : 14
  • Amazon.co.jp ・本 (338ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784101362212

作品紹介・あらすじ

その日、僕は韓国に初めて降り立った。ソウルの街を歩き、史跡を訪ね、過ぎ去りし植民地時代や朝鮮戦争を振り返る。しばしば、二十四年間囚われていた彼の国での光景がオーバーラップする。ここは、同じ民族が作った「北」と地続きの国なのだ。旅の最後に去来した想いとは-。第二部として、翻訳家という新たな人生を切り拓いた著者の奮闘記を収める。新潮ドキュメント賞受賞作。

感想・レビュー・書評

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  • 拉致被害者の蓮池薫さんが初めて韓国へ行く話。韓国と北朝鮮の比較などが興味深い。

    市役所勤めや大学の講師、翻訳家としてのデビューなど日本に帰ってきてからの奮闘の話もちょいちょい出てきている。

  • 拉致被害者で現在は翻訳家、文筆家として活躍されている蓮池さんの本。前半はソウルの旅行記、後半は日本に帰ってから翻訳家として生活とそれまでの半生を綴る。
    読めば読むほど、ごく普通の人であることがわかる。日本に帰ってきてから韓国語を能力を活かし、様々なことにチャレンジしている姿は爽快である。
    失敗や不安なども綴られていて、親しみがもてる内容となっている。
    韓国訪問の直後に読んだが、韓国文化の案内にもなっている。

  • 100%の自信を生まれるまで待っていたら、チャレンジなんてできない。というより、100%の確立なら、それはすでにチャレンジではない。最初は50%でいい。まずは始めてみよう、あとはやりながら間案んでいけばいい。必要にかられた学習、実践の中での学習こそ、何倍も身に付く。失敗したら、失敗を通してしか学べないものを学びとればいい。僕にとって北朝鮮での24年間に失った最大のものは、自分の夢を実現するためのチャレンジの機会であって、そのあとにくる成功や業績などではなかった。

  • 北朝鮮といふ国は、金正恩なる御仁に代替りしてから、その無鉄砲さに拍車がかかつてゐるやうに見えます。
    彼の親父の時代は、無鉄砲ながら対立国との「駆け引き」に長けてゐた。我儘を言ひ、駄々を捏ねれば条件を引き出せたのであります。一応「外交」らしきものはありました。
    しかしながらこの肥満児ぼんぼんのやることといつたら、挑発の意図が那辺にあるのか、とんと分からない。たぶん本人も分かつてゐないのでは、とすら思はれるのであります。口汚く罵るだけでは、何の見返りもないでせう。こんな状態で拉致問題の進展はあるのかとヤキモキしてしまひます。

    蓮池薫さんの『半島へ、ふたたび』といふ書名を見て、「え、また北朝鮮へ行つたのか?」と思つた人はわたくしだけではありますまい。
    ところが「半島」には変りはないが、北朝鮮ではなく韓国訪問記なのでした。紛らはしい。意外にもこの旅が初めての韓国行きださうです。わづか八日間の旅行にしては、とにかく色色な場所へ出入し、多くの人に会ひ、ギュッと濃縮された密度の濃い旅となつたやうです。

    二部構成になつてゐて、第一部がその韓国旅行記「僕のいた大地へ」。もちろん違ふ国なのですが、どうしても陸続きになつてゐる(拉致された)北朝鮮を想起してしまふやうです。そもそも同じ民族なのだから当然といへば当然。
    兄の蓮池透さんの著書『奪還』では、帰国後しばらくは北朝鮮による薫さんの「洗脳」ぶりについて書かれてゐましたが、本書を読む限りでは一般的な日本人の視点から客観的に見つめてゐるやうに思ひます。
    しかし拉致問題が解決しない中、未だ語れぬこともあるのでせう。本当に書きたいことはまだあるのでは? と読みながら感じてしまふのです。

    第二部は「あの国の言葉を武器に、生きていく」。蓮池さんは、友人(翻訳家の佐藤耕士氏)の骨折りもあつて、新たに翻訳家として歩むことになりました。かういふのは、仮令チャンスがあつても、教養といふか知識といふか、さういふ素養がないと出来ない仕事であります。
    その奮闘ぶりは時に壮絶、時にユウモラスで、感心したり微笑ましかつたり。失はれた24年間といふ時間を埋めるかのやうに翻訳に熱中する姿には感動すら覚えるのでした。

    「まだ帰還しない拉致被害者が多くゐるのに、自分だけかくも順調で良いのだらうか?」といふ気持ちが根底にあるのでせう、手放しの喜びや満足はあへてその表現を避けてゐるやうに見えます。
    事件の完全解決により、心から笑へる日が、一日も早く来ることを願ふばかりであります。

    http://genjigawa.blog.fc2.com/blog-entry-170.html

  •  拉致された当事者が何を感じているのか、何を思っているのか。「半島へ、ふたたび」の日韓の違いについて取り上げた部分を読むと、風呂と茶室のことが語られている。茶をまわして飲む時の韓国人の困惑振り。風呂の栓を抜くという、慣習の違い。歴史的背景を知らなければ、対話はありえないということが本著から教えられる。キムチを日本人は美味しく食べ、寿司を韓国人は美味しく食べている。それでいいのではないかと思うのだが、たちまち韓国から起源の主張がなされ、それに日本側が激昂する形となる。歴史をふまえ、それを情報発信していく労力が必要だが、しかし双方、主張はゆずらないだろう。結局、ものわかりのいい日韓の人間同士が仲良くしていくしかなく、ものわかりのない人間達はどうしようもないということなのだ。

     北朝鮮について、「アメリカの侵略的意図を破綻させたことが勝利に値するというわけだ」の本著における指摘だが、これはまるで、ヨーロッパによる世界中の植民地化を破綻させたことが勝利に値するし、植民地解放をしたのだと述べている保守派のようだった。
     韓国での戦争記念館にて、「立派な言葉が並べられているが、戦争記念館が発信するメッセージとしては、少し違和感を覚えずにはいられなかった。いろいろな要素を含みすぎていて、いったい何が言いたいのか明白に伝わってこないのだ。自国民に犠牲を強いる戦争に反対しながらも、安保意識の高揚を謳っているのは何故なのか。また平和統一は切望しているものの、軍事的手段の使用をはっきりと禁じてはいない」は慧眼だと思った。日本で言えば、靖国神社の遊就館で、大戦の大義と、米軍に敗れたこと、平和へのメッセージと鎮魂を展示していながら、その施設を支持する保守は日米同盟をとても重視している。アメリカに好き勝手やられたが、アメリカと一緒でなくてはならない。これも日韓の共通事項であろう。
     「名門延世大學の社会学科で哲学を専攻したパクさんが、拉致というものをどういうふうに捉えているか訊いてみたい気もしたが、相手を責めるようであり、やめておいた」という著者の一文が気になった。これはどうか。相手を責めるようで……とある。だからやめておく。これをどう理解したらいいのだろうか。ここで黙らなければならないのだろうか。いつから日韓は遠慮したりするような上下関係になったのだろうか。パクさんはすまなさそうな顔をして黙ったという。いったい何に黙ったのだろう。朝鮮民族として本当にすまない。これでまたアジアが融和の道を歩むのが遠のいてしまったと、彼は思っているのだろうか。むしろアジアが一つになるための障害として拉致の事実があり、だから、かつて拉致は存在しないとしなければならなかったし、議論や、議論のための議論をいつまでもしていれば知識人にとってはよかったのだが、実際に小泉首相が北朝鮮まで行ってしまった。そして被害者を連れて帰って、しかも返さなかった。官房長官だった安倍晋三は、交渉へ行く際、「タカ派と言われたが、国民の生命を守るのにタカ派と言われるなら、私はタカ派と言われてかまわない」と述べた。国民の生命を守るためには何をしてもいいのか、という反論はできるが、しかしそこには、「国民の生命を守るためには何をしてもいいのかと言って何もしなくていいのか」、「こうしている今も、被害者にとってつらい現実と時間は過ぎていく、チャンスは二度とないかもしれない」と言われたら知識人にとってはどうしようもない。パクさんは沈黙した。だが、そこで彼を責めたり、追求しない著者に怒ったりするのではなく、なぜ黙ったか。ここに日韓のもう一つの共通事項としての問題があるのではないかと思う。だが、それが何なのかはまだわからない。
     「弧将」の著者金薫氏について、彼は自ら親日派を名乗っていて、話を聞いてみると、「親日派の本来の意味」とはずいぶんと違っていたという。日本の歴史や政治をただ支持・称賛するのではなく、日本人が創造した固有の文化を尊重し、その良さを愛するという意味だという。日本の文化そのものを否定し、自民族の文化だけを評価する偏狭なナショナリズムに対する非難も含まれている。千坂恭二の「フランスの作家がファシズム問題でナチスを批判した時、フランスの諸君はフランス・ファシズムを批判したまえ。君たちのナチス批判はどれほど正しかろうと、自国の批判を欠落させているかぎり、排外主義の延長になるだろう、と。これは韓国にいえる理屈だ。」というツイッターでのつぶやきを思い出した。

     また、西大門刑務所歴史観で、トイレに愛国烈士が流れるのとかも本当に不思議だった。私からすれば非常にグロテスクなセンスだと思うのだが、韓国では称賛されているのだろうか。こういった、細かいところで韓国側の意見というものを聞きたいと素直に思った。そうして対話を重ねていけば最終的には、トイレにまでそういうのを流す愛国教育は、正しいのかどうか、日本側もそうならないように気をつけるべき点は何か。それらが見えてくるのではないだろうか。同じく本著における、韓国は「反日教育だけだと断じるのは短絡的だ」という指摘。こういうのは重要で、「今の自分がいるのは誰のおかげか。これを問うているのだ」というのも、日本で同じことやれば狂信的ナショナリストを生み出すとして大問題になるが、しかし、これを問わないと、むしろ偏狭なナショナリズムを生み出すのではないかとも思われるし、議論の深化が待たれる。

     ベストセラー作家の孔氏の「それより奥様のほうが蓮池さんよりも年上なのに若く見えるわ。北での苦労は蓮池さん一人でしたみたい」という言い回しのエピソードも興味深かった。若く見える妻へと同時に、その妻の若さを守ってあげた夫に対する賛辞というわけだ。ここは本当に日韓の違いを感じる。だが、具体的にこう感じるとは書けないのだが、この孔氏の一言に、違い、をとても感じる。日本人ならば、「いえいえ~」と笑ってにこやかにそこで会話が終了するだけだろう。

     著者は日本へ生還後、ゾクゾクしたいと考えて、仕事に選んだのは、韓国語にたずさわる仕事である。著者が「北」で西側出版物の翻訳の仕事をさせられていたとき、訳文の意味が通じないといって、そのまま突っ返されたことは一度や二度ではなかったという。屈辱を覚えた日もあり、突っ返されたら、またやり直すしかない。相手が納得する原稿になるまで何度も何度も。それを乗り越えてきたタフさが日本で生きていくことに活かされているのは何とも言えないけれども面白い。また、民族問題に対する具体的な主張として、韓国人だから差別されたのではないかということに対して「意地悪な人は、日本人の中でも嫌われている。これはあなたの国でも同じではないのか。それを国民感情だの民族感情に直結させて日本人全体がそうであるかのように考えるのは、間違いじゃないのか」というのも、理性的で良い回答だと思う。
     最後にあとがきで拉致問題の解決を願いって、本著は終わる。


     半島へ行って、会話して、時にはぶつかるが一生懸命議論して、細かいところから大きなテーマまで韓国の人々と語り合うこと。しかもそれは、できればものわかりのいい人間同士で行うこと。そうしてその対話を記録として残し、日韓をまたぐ「公」をつくり、お互いが健全なナショナリズムを生み育てていくこと。これが、間接的ではあるが、拉致問題解決にも繋がっていくと、読んでいて思った。
     最後に、一つ、思うことがある。これはドキュメントなのだろうか。著者は暮らしを「心と言葉と仕事」と言ったが、この一冊には彼がいったいどんな暮らしと仕事を北朝鮮でしていて、言葉を操り、心がどのようなものだったか、それほど書いていない。そこまで書かせるのは残酷だろうか。もちろんこれは永久の謎だろうし、著者はそんなことを易々と書くような人間ではないだろう。そんなことをつらつら書く程度の人間ならとっくに消されていただろう。
     私は、この本は何も書かれていない、と思った。ただ、タイトル通り、半島に行って、思い出を綴ったもので、何の価値観も、日韓そして北朝鮮問題の本丸には至っていない。政治の本でも何でもないからだ。誰もが納得できる、ごくごく常識的な優等生の回答が並んでいて、私は著者の言葉に何の反論もツッコミもできない。それはそれで良いのだろう。だが、著者は決してただの優等生でも一般人でもない。夏休みに帰省してる時に彼女と会ってたらいきなり浜辺で殴られズタ袋に入れられ北朝鮮に連れ去られた人である。日本からいつまで経っても助けが来ないことに絶望した人である。いったい助けが遅れた原因は何だろうか。この理由を解くことが、いまの日本のナショナリズムの高揚を解く鍵になる気がする。だが、それを直視することは、短絡的な結論に必ず辿り着いてしまう。この世界は愛にあふれているが、非常に残酷だ。助け合いもするが、弱肉強食である。自分の思考の慣習・習慣を脅かすものは、異常なものとして排除する。寛容の精神を持っていても、その寛容の精神の虚をつくような鋭い批判者は白眼視する。
     著者は、絶対に助けに来ないとわかって、二十四年間生き抜いた。その「生き残るための文章」がこの本だ、とも思える。この本は、売れる。賞も取る。それは、著者の価値や意見が斬新で、「拉致されていたからこその、鋭い意見だ。目から鱗だった」というわけではない。ただ単に、著者は良いことを言っているだけだ。これは、生きるための文章であって、新しかったり古かったりするわけではない。私の読後感は、役所の回覧板を眺めているような印象だった。中立的で、生命を大事に思い、友好を願い、拉致被害者の一刻も早い救出を訴える。それでいて、半島でいろんな面白いことに巻き込まれる。だがそれはコマ回しとか、キムチを作るのに苦労したとか、それぐらいである。それがなるほど独自のこれぞと思えるドラマだと思えるならばそうだ。だから、最終的には、「どれほどの神経で北を生きたのだろう。これほど完璧な文章を書けるとは」と、恐ろしくなったのだ。この本ほど怖いものはない。そして生き抜いたことを証明しているものはない。お母さんと叫び死ぬこともなく、日本万歳とか、どうして日本は助けてくれなかったかと嘆いて死ぬこともなく、日本の言論の状況やマスメディアがきっと助けてくれることを願いながら死ぬこともなく、著者を小泉首相が持って帰り、小泉首相は半島へ返さなかった。拉致を見逃したり、ありえないとしていた言論は「残酷な世の中だね。でも北朝鮮が悪いわけではない。あそこまで追い詰めた日本やアメリカが悪い」と述べるだろう。ならば、それは「日本が悪いわけではない。あそこまで追い詰めた欧州列強が悪い」という保守の言動とどう違うのか。日本が戦争をしたのはもちろん悪いことだろう。ヨーロッパ人やアメリカ人やアジア人に多大な迷惑をかけてきた残酷な国である。それは直視視し続けねばならない。例え彼らが日本を許したとしても、それは見続けねばならない。だがもしそこから友好というものがあるのならば、教えて欲しいことがある。
     私は韓国や半島の言論状況がまるでわからない。韓国にも、君が代の強制は許さないといった、愛国歌の反対運動はあるのだろうか。半島に対して、憲法九条を輸出しようとか、韓国で武力放棄の平和憲法を作ろうという動きがあるのかどうか。あるのならば、どれほど進んでいるのか。何がその進行を阻めているのか。「憲法九条を世界に」と述べている名だたる知識人からまったくその報告を聞かないのだが、それは何故だろうか。
     また、二〇一四年一月一二日の朝日新聞デジタルで、韓国で歴史教科書めぐる混乱として「保守派の知識人らが執筆した教学社の「韓国史」。昨年8月に検定に合格したが、野党や市民団体から「日本の植民地支配を肯定するような記述がある」「独立後の軍事独裁時代を美化している」と批判の声が上がり、教育省が事実関係の誤りも含め251件の修正を勧告。同社は内容を大幅に修正し、発行が認められた。」というのは、日本の保守派の教科書騒動のようであるのだが、日本のリベラルや日本にいる韓国人はこの場合、韓国の保守派を非難するのだろうか、それとも韓国は韓国の問題として放っておくのだろうか。ならば、なぜアジアの歴史や共通の価値観とか、語るのだろうか。ここもわからない。

     韓国に対するヘイトスピーチが取り上げられているが、なぜ日本に対するヘイトスピーチもフェアにとりあげないのか。むしろそういうフェアのなさは、韓国に対するヘイトスピーチをさらに盛り上げる原因になっているのではないか。

     だが、こういう風にたくさんの疑問を残したまま、何かが進んでいる気がする。現在、知識人の間では右翼研究がブームだし、(実は右も左も右翼を批判していて、いったい誰が何と戦っているのかわからない)それこそ、一部の右翼をとりあげて「国民感情だの民族感情に直結させて日本人全体がそうであるかのように考えるのは、間違いじゃないのか」という思えるものもある。
     アジアの平和と対話を唱えようにも、では日本の平和的価値観や平和学を広めて、中国や韓国の人々が、どれほど影響されているのかまるでわからない。平和学とは歴史の価値観や見方のことであり、平和的価値観の共有を学問することではないのか。その共有をするために、価値観を統一することは、はたして平和なのかどうか。それもわからない。
     現在、インターネットの世界は、左にとって有利なもの、右にとって有利なもの、右でも左でもないといって左っぽいことを言う人、右でも左でもないといって右っぽいことを言う人のそれぞれに都合の良い情報を得られる時代である。チマチョゴリが一着あるだけで、左にとってはそれはカッターナイフで切られるニュースになるし、右にとってはカッターナイフは自作自演であるニュースになる。価値観が先にあり、ニュースがあとからついてくるようだ。ジャーナリストが書いた記事は取捨選択され、誰かの思想派閥の価値観を作る素材となる。そんな状態のなかで、著者蓮池薫氏は自ら歩いて、自らのことを偏ることなく見事なバランス感覚で書いた、実に丁寧で、それでいて怖い本だと、私は思った。そして、情報社会において右往左往するなか、この本の「慎重さ」は実に示唆に富んでいると思える。

  • 蓮池さんの文章力が素晴らしいです。
    もともと書くことが好きだったらしいけれど、そのための努力は半端ないです。特に翻訳家デビューするまでの努力は頭が下がりました。
    拉致問題のことだけでなく、韓国や北朝鮮の人々の暮らしについても知ることが出来てよかったです。読み終わったあと、心がとても温かくなっていて、人に優しくしたいな〜と思いました。

  • 突然拉致され、24年間北朝鮮で暮らすことを余儀なくされた著者。この本では、その回想は控えめであるが、それだけに、初めて訪れたソウルとの対比が際立つ。

  • 大学講師になられてからの手記を読んで、文章の上手さが気になって読んだ。

  • 拉致被害者 蓮池薫さんの韓国旅行記 拉致関係の書籍かなと思いつつ読み始めたら、意外に楽しい韓国旅行記だった。ただ、はしばしに北朝鮮での思いが挿入されていることを除けば。とても読みやすくまた興味深い本なので、韓国に旅行する機会があれば、一回読んでいったほうがよいかも。
    しかし、あとがきに記された未だ北朝鮮に残る拉致被害者への思い。
    その思いはしっかり受け止めて、拉致問題は完全解決まで、決して風化させてはいけないと、再度思った。

  • ジェンキンスさんとは違う視点ですが
    言えないことがたくさんあるんだろうな~と。

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