いまなぜ青山二郎なのか (新潮文庫)

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  • Amazon.co.jp ・本 (195ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784101379050

感想・レビュー・書評

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  • 19/03/13。

  • 新書文庫

  • 文壇史としての価値がある。

  • 白洲正子が語る、ジィちゃん=青山二郎の思い出。主に小林秀雄との「高級な友情」とその顛末が語られている。あまりにほんとうが見えすぎるが故の天才の苦悩のようなものも軽快な文章で綴られ、高級な友情の悲喜交々が愉しく伝わってくる。何も成さなかったところにジィちゃんの天才があるといいった旨のことが書いてあり、僕の周囲の人に思いを馳せたり……。

  • 貫かれているのは、「青山学院」の「生徒」の目から見た師匠への愛情。
    白洲正子は、ひょっとすると若いころは師匠の感性、センスをひたすら、盲目的?ともいえるほど信奉していたのではないだろうか?と感じさせる。なんだかよい関係だったことは、よくわかった。
    ひょっとすると、事実を正確に伝えているのではないのかもしれないし、研究者ほど執拗ではないかもしれないが、自分の中で消化し、そうしたものだけを書いたもののように感じられた。昭和初期の風が感じられる良書だと思う。

  • 青山二郎 とは 不思議なヒトだ。
    本の装丁の仕事、骨董品の鑑賞、青山学院の校長など
    ホンモノを見抜く男であり、
    小林秀雄に 骨董品を教え 
    『あいつだけは天才だ』といわせた男。

    青山二郎は言う
    『俺は日本の文化を生きているのだ』という。

    白洲正子が もって行った原稿を 青山二郎に見てもらった。
    白洲正子は言う
    『「こんな説明は不必要だ。」といっては切られ
    「文章が冗漫だ。形容詞が多すぎる。」といっては削られ
    なかんずく、「これはあんたの一番言いたいこと」
    と消されたのが1番応えた。
    ジィちゃんの説で、自分の言いたいことを我慢すれば、
    読者は我慢した分だけわかってくれる。
    自分自身で考えたように思う。
    読者にとって、これ以上の楽しみはないではないか』

    ふーむ。
    そういうものだろう。
    言いたいことをいって、
    書き垂れ流している私には耳の痛い話である。

    白洲正子は言う
    青山二郎にとっては
    『思想というものも、目に見える一つのかたちであった。
    生活の隅々まで浸透していなければ、思想と認められない』

    青山二郎の日記の抜粋がある
    青山二郎は言う・・・
    『日本の詩人だの小説家ぐらい御都合な頭の働きをする人間はない。
    先づ第一に困ったことには
    彼らにはわからないことはないと言ふ自信だ。
    頭の押へ手のない独り息子が親父になったような奴らだ。』

    『中原と酒を飲むより中原とあって酒になった後で酒を飲みたい。』

    『観て他を言はず 曰ク 高い月謝を払っていれば也』

    『教育のおよびところは損得を限界とする。』

    『要求は無法 愛情は無償』

    『理とは理不尽の理 理外の理 無理の理 といふ字であるが』

    言葉が 芯をついている。
    白洲正子の見る 青山二郎は そびえたつ巨人のようだ。

  • 小林秀雄と中原中也の関係についてもちょこっと書いてある。

  • 男の友情とは何か。
    どうして決別してしまうのか。

    批評の神様といわれた小林秀雄と青山二郎という
    二人の美の求道者が
    どうして出会い、別れて行ったのか。
    筆を取るのは白洲正子。
    稀代の女性に男たちはどう映ったか。

    話は青山二郎との出会い、
    陶器への審美眼から語られる。
    大岡昇平、中原中也らの素顔を描きつつ、
    彼らと出会った女性に話は及び、
    ラストは青山と小林の決別へとエッセイは進む。
    美の追求、才能同士の葛藤、そして別れ。
    昭和という時代の情熱が伝わってくる。
    そこには戦後の文壇人たちの赤裸々な姿があり、
    きらりと光る言葉たちがある。

    青山二郎は陶器の目利きであり、
    陶器のことはまったくわからないが、
    その美意識には心を動かさせる。

    「美の発見」とは秀逸だ。

    「優れた画家が、美を描いた事はない。
    優れた詩人が、美を歌った事はない。
    美とは、それを観た者の発見である。創作である」

    小林秀雄の批評に通底する思いがここにある。
    こうした二人の美の発見者の別離には切なさを感じる。

  • 世の中にゃ 変わった人が いるもんだ

    小林秀雄
    「美は信用であるか。さうである」

    青山二郎
    「恋愛だってさうでせ。美人がそのまま人間の内容だったら世話はないのです。さかといって、人間はけして内容を先にして女に惚れるものではない。だから、さういふことは甚だ矛盾しているようですが、見た目に惚れる方が本当で、これは何とも致し方ないことです。してみると大概美人などというものは贋物だということになるが、そこがまたそれとこれとは全く別ものなのです。贋物の、例えば陶器があります。だまって騙されて買ったから悪いというのですが、それは騙された方が欲張っているからではないんでせうか。」

  • (2006.06.13読了)(拝借)
    白洲次郎が話題になっています。神さんの本棚をあさっていたら、この本がありました。著者が白洲正子なので、青山二郎と白洲次郎を混同してしまいました。
    青山二郎は、骨董の目利き、装丁家と言った人なのでしょうか?小林秀雄に骨董を教えただけではなく、色んな面で影響を与えたようです。
    白洲正子も青山二郎に骨董を教えてもらったようです。もらったあだ名は、韋駄天お正。白洲正子による青山二郎の思い出の記です。編集者が、白洲正子に十年お願いし続けて書いてもらった本ということです。天晴れな編集者です。依頼した編集者が一番読みたかった内容だったのかもしれません。

    ●天晴れな編集者の解説(190頁)
    人を見て法を説けというが、青山二郎は一人一人への対し方が異なる。骨董については白紙であった小林秀雄には、つききりで世話を焼き、白洲さんには、放っておいて勝手に物を買わせた。子供の時から白州さんは大名家の売り立てなどに連れて行かれ、おぼろげに骨董の何たるかを知っている。その先入観をなくし、裸の目で見ることを教えた。
    ●白州さんの眼(194頁)
    白州さんは、幼時から身につけたお能によって、男女を超えた世界が存在すると感得した感受性で、青山二郎という颱風の眼と、その周りに渦巻いた人間模様を適格に捉えることができた。美を呑みつくしたような生き方をした青山二郎。美はそれを観た者の発見であり、創作である、と看破した小林秀雄。
    ●青山二郎の添削(28頁)
    (白州さんの書いた雑誌掲載予定の原稿を青山二郎が見てくれた。)
    「こんな説明は不必要だ」といっては切られ、「文章が冗漫だ。形容詞が多すぎる」といっては削られ、なかんずく、「これはあんたの一番言いたいこと」と消されたのが一番身に応えた。自分のいいたいことを我慢すれば、読者は我慢した分だけ分かってくれる、自分自身で考えたように思う、読者にとって、これ以上の楽しみはないではないか、というのである。
    ●小林秀雄(39頁)
    二人(青山二郎と小林秀雄)の交際は対象の終わりごろからで、既に青山さんはいっぱしの眼利きであったが、小林さんは骨董には見向きもせず、毎日骨董屋についてきて別室で本を読んでいたことはよく知られている。それがある日ふとしたきっかけで李朝の壺を買って以来、「狐」がついてしまい、狐が落ちた後までも骨董あさりは好きだった。
    ●目玉だけになる(43頁)
    もちろん知識はあるに越した事はないが、ものを見るときは忘れなくてはいけない。すべてを捨ててかからねばならない。
    ●好きな陶器(47頁)
    「陶器に就いてこれまで書いたことがないのは、私の見た眼といふか、感じ方と言ふか、私の考へが一度も固定してゐたことがないからである。セトモノに飛付いて、それを手に入れて見ても借金が払へた頃には新鮮味がなくなってゐるから、一つのものを二年も三年も持ってゐたことはない。そんなのは本当に好きぢやないのだと、と人に言われる。」
    ●モオツァルト(69頁)
    その頃(1942年)彼(青山二郎)は音楽にこっており、ステレオが発明されるずっと以前に、高音と低音の蓄音機を部屋に置き、拡声器を何ヵ所かに据えて、終日聞きほれていたのは有名な話である。(ここで小林秀雄は、モオツァルトをきき感動し、四年後に「モオツァルト」を書いた。)
    ●中原中也(98頁)
    男同士の友情というものには、特に芸術家の場合は辛いものがあるように思う。中原中也の恋人を奪ったのも、ほんとうは小林さんが彼を愛していたからで、お佐規さんは偶然そこに居合わせたに過ぎまい。彼女に魅力がなかったらそれまでの話だが、あいにく好みが一致しているのが友達というものだ。それは陶器にたとえてみればすぐ解ることで、親友が持っているものは欲しくなるのが普通である。この事は同性愛とは何の関係もないもので、男が男に惚れるのは「精神」なのであり、精神だけでは成り立たないから相手の女が欲しくなる。

    著者 白洲 正子
    1910年 東京・永田町生まれ
    14歳で、米国留学
    1928年 帰国
    1929年 白洲次郎と結婚
    1943年 「お能」を処女出版
    1962年 「能面」で読売文学賞受賞
    1972年 「かくれ里」で読売文学賞受賞
    1998年 死去

    (「BOOK」データベースより)amazon
    「俺は日本の文化を生きているのだ」が口癖だった男。あまりにも純粋な眼で、本物を見抜いた男。永井龍男、河上徹太郎、大岡昇平といった錚々たる昭和の文士たちの精神的支柱として「青山学院」と呼ばれた男。あいつだけは天才だ、と小林秀雄が嘆じた男。そして、かの白洲正子を白洲正子たらしめた男…。その伝説的な男の末弟子、韋駄天お正が見届けた、美を呑み尽した男の生と死。

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著者プロフィール

1910(明治43)年、東京生れ。実家は薩摩出身の樺山伯爵家。学習院女子部初等科卒業後、渡米。ハートリッジ・スクールを卒業して帰国。翌1929年、白洲次郎と結婚。1964年『能面』で、1972年『かくれ里』で、読売文学賞を受賞。他に『お能の見方』『明恵上人』『近江山河抄』『十一面観音巡礼』『西行』『いまなぜ青山二郎なのか』『白洲正子自伝』など多数の著作がある。

「2018年 『たしなみについて』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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