両性具有の美 (新潮文庫)

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レビュー : 45
  • Amazon.co.jp ・本 (203ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784101379081

作品紹介・あらすじ

光源氏、西行、世阿弥、南方熊楠。歴史に名を残す天性の芸術家たちが結んだ「男女や主従を超えたところにある美しい愛のかたち」とは-。薩摩隼人の血を享け、女性でありながら男性性を併せ持ち、小林秀雄、青山二郎ら当代一流の男たちとの交流に生きた白洲正子。その性差を超越したまなざしが、日本文化を遡り、愛と芸術に身を捧げた「魂の先達」と交歓する、白洲エッセイの白眉。

感想・レビュー・書評

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  • 日本の古典文学の「源氏物語」や万葉集などに収められた和歌、能の大家である世阿弥、圧倒的な知識人であった南方熊楠などを縦横に語りながら、男色、衆道の中に「両性具有の美」を見出す。日本文化が絢爛と開花した時代は和歌や文学において性別が一枚ベールをかけたように曖昧模糊としている。能や歌舞伎などの舞台芸術は男が女を演じるけれども、改めて考えてみると何だか不思議な気がする。両性具有は現実を超越したところに立現れる。そこは幽玄の場所、神の領域なのだ。

  • 這本書一面倒地在講男性的兩性具有之美,到最後一章才提到龍女的變身男子。白洲說她寫這本書其實就只是因為學習能五十年才發現只有真正的男性才能走到能的巔峰,不管怎麼覺得嘔,女性怎麼努力天生就是無法達到。作者滔滔論及的男色文化史饒富興味,而如此地熟知這樣的情份,作者也是兩性具有的女豪。深掘這段歷史中被長期無視卻美麗的土壤,又敘述地如此自然與優美,就小品而言是部可讀性極高的作品。最後一句結語倒是令人起雞皮疙瘩「そりゃ命賭けじゃないからよ」,當代乍似對所謂的LGBT等等越來越寬容,不過究竟有多少人還能理解書中所描繪的其中肉體交融中,或者甚至就是只有精神的交融,所達到的精神性與高度呢。無論是眾道如此自然地像呼吸一樣的時代,或者是拚了命躲躲藏藏的時代,有高度而深刻的精神性,這些交融才會昇華。當代人透過媒體及網路的發達可以受到越來越多刺激,但是對於悲歡離合的感受力也越來越淺薄,欣見平等與寬容的花朵開滿世界,但也對眾道等被化約成單純的性取向,被去精神性感到惋惜。

  • 彼女の透徹した審美眼には毎回魅了されるが、今回もその例に漏れなかった。特に好きなのは前述した「菊花の契り」の箇所だけども、全編を通して彼女のお能への深い情愛と、失われた衆道という文化への愛惜の念を感じた。また今年の初めに東京国立科学博物館の南方熊楠展を観たばかりだったので、南方熊楠のくだりは大変興味深く、また面白かった。粘菌に人間の輪廻転生を重ね、美しき亡き兄弟への哀惜を歌った歌が心に響いた。白洲正子の筆でなければ描くことが叶わなかっただろうという筆致で綴られていて引き込まれた。

  •  ちょうど歌舞伎を鑑賞する機会に恵まれた時だったので興味深く読んだ。

     衆道と呼ばれた美少年礼賛の日本における歴史は、戦国時代を扱った書物から古くは平安王朝の頃の話まで枚挙に暇ない。本書も、ヴァージニア・ウルフの「オルランドー」からはじまり、菊花の契り、新羅花郎、稚児之草子、天狗と稚児等々、日本文化、芸能の分野のみならず、現代よりもっと日常的にあった同性愛の世界を著者ならではの審美観を持って改めて再評価している。特に終盤、著者の得意分野である「能楽」における稚児愛を描きだすと筆は冴えわたりとどまることを知らない。

     なにより著者の博学ぶりには舌を巻く。文中よく出てくるのが、「こまかいことは省くが」とか、説明を「ここらへんで止めておきたい」とするあたり、その背後、著者の脳裏の中にもはもっと莫大な知識が詰め込まれていることを容易に予見させる。
     あるいは「ついでのことにいっておくと」や、自身を「ずぶの素人」と断りながら「せめてそのアウトラインだけでも述べておかないと」と、丁寧に理解に資する補足や、その話題(そこは南方熊楠の粘菌の話だった)について概略を語ってくれる。または「私にはその方面の学問もなく、知識も至って浅薄であるから」と興味のある方へ原典を謙虚に紹介するが、それは著者は当然その原典に当たって内容を理解した上で語っているという証左だし、ゆるぎない自信が見て取れる。。
     なんだろう、随所に垣間見れる余裕、この圧倒的な情報量は? かつて松岡正剛の著作を読んだ時に感じたような”知の巨人”の存在がそこにある。
     そして脳内に蓄積された情報を、話題に応じて縦横無尽に繰り出し組合わせる様は、単なるデータベースでしかないコンピュータには出来ない人としての所業と思わざるを得ない。その情報の取捨選択、見せ方に白洲正子という人間が良く出ていると感じた。

     内容は、著者自身、衆道盛んな薩摩隼人の流れを受けた女性として、男性性を併せ持ち合わせていることを認識しながら展開される。世の男どもと丁々発止を繰り広げてきたという自負(?)と、性差を越えた両性具有な視点で、日本古来から近世、現代に至る多くの史実文献芸術を渉猟し尽くした上で俎上に上げるのは、光源氏、西行、世阿弥、南方熊楠、折口信夫、小林秀雄、青山二郎、etc.etc.
     端的に言うと”両性具有”というタイトルから想像するより、中味はもっと直截に”男色”というカテゴリの話だ。
    ”両性具有といのは、あくまでも精神的な理想像であって、プラトンのいう「アンドロギュノス」と呼ぶのが適しているのだろう”
     とはいうものの、「西行は自由に生きた人間である。男女の間に差別はなかったであろう」ということで西行の中に「両性は同居していた」とし、博愛のキリストをルオーという画家は「キリストを両性具有者の一人と見ていたことは間違いない」と断じるのは、いささか強引というか、古典、芸能、あるは武家や平安王朝の歴史の多くの局面にBL臭を嗅ぎ付けるのはいかがなものか? 昨今その手の話題が好きな女性を”腐女子”と呼んだりするのだそうだが、選ぶ題材が高尚ということで、かろうじて”腐”の誹りを免れている気がしないでもない。

     いや題材だけの話ではないな、やはり著者の視点は高いし、視野は広い。

     洋の東西を問わず両性具有の思想を語りながら、西洋の説明過多で長口舌の物語と日本の俳句の伝統の差を、培われた風土、伝統の差とさらりと交し、現在(いま)西欧に向かっている日本人の意識に対しても、「強いことは必ずしも強くはない。か弱く、はかないものには、それなりの辛棒強さと、物事に耐える力」があることを示唆し警鐘を鳴らす。
     お軽いBL小説とはわけが違う(って、BL関連は何も読んでませんが、恐らく違うでしょう)。

     とにかく話題が尽きない。本書の知識を一度に理解、習得するのは困難だ。折に触れ(例えば、実際にお能を観に行く前に)本書に立ち返って復習、再読するのが良さそうだ。それほど情報量は多く、著者ですら勢いを制御できない。
     ついに最後は、”「両性具有の美」というご大層な題名で書きはじめたが、読者も私もそのうち忘れてしまったのではないかと思う”と、
    「いつまで書いても終わらないのでこの辺りで一旦筆をおくことにする」
     と言って書き足りない思いを満々にたたえて筆をおくのには笑ってしまった。

     学び多い一冊。

  • 日本の芸術とBLについての根源的な回答がここに。

  • 男勝りだった筆者と私の感性の似てること似てること(笑)僭越ながら。

    両性具有といいつつも、男性の両性具有についての本。
    男でも女でもなく美しく人ならざるものへの畏敬は興味深いテーマ。

  • 最初から最後までタイトル通りなわけでは無く(著者自身も最後にそう書いてます)かなり自由。基本的に能の話。でも、面白い。完全に主観から書かれてるから逆にすっきりしてます。

  • タイトルは両性具有だけど、内容はほぼ男同士の同性愛の話で両性具有どこいっちゃったの(苦笑)(と、作者自身も終盤で書かれてましたが)厳密には両性具有的であることと同性愛は別物だと思う。

    両性具有の話は最初のオルランド(映画のほう)とセラフィタの話くらいで、しかも映画オルランドの主演女優に色気がないとディスられてました(笑)えー私はティルダ・スウィントンのあの硬質で無性的な感じが好きなんだけどなー(たまたま最近読んだ記事で「ハリウッドで最もセクシーではない女優ランキングの常連」と書かれててウケました)

    とはいえ白洲正子の視点は面白い。基本的には古典文学、芸能、歴史など、どこにでもBL臭をかぎつけるあたりは昨今の腐女子と変わらない気がするけど(ごめんなさい)、やはり博学だし、年齢的に同時代の方のエピソードなんかも説得力がある。さらに年代のせいか、とても上品なのにたまに直裁で「たまたま折口さんはホモだったために直接行動に~」などとあっけらかんと書かれているのには笑ってしまった(※折口信夫が弟子を襲った件)

    ジュネの小説にコクトーの描いた挿絵を見て西欧のホモは日本と違う!と驚かれているのなどは微笑ましかったです。男色が美少年愛でる系、女性的・中性的=両性具有的であることが美しいとされた伝統は確かに日本って独特な気がするけれどしかし日本でもガチの人はマッチョ系が好きでしょう(笑)

    世阿弥や能の話はちょっと専門知識がないと難しかったけど、「源氏物語」に腐女子フィルターかけて読んじゃうくだりとか、ご自身の先祖が薩摩出身なので幕末オタク的にあちらの話も面白かったし、稚児うんぬんの話だと大抵の本に出てくる(足穂や熊楠)醍醐寺の絵巻のこととか(地元なので)いろいろと興味深かったです。

  • 「オルランドー」、「菊花の契り」、「賤のおだまき」、「新羅花郎」、「稚児之草子」、「稚児のものがたり」、「天狗と稚児」 、「龍女成仏」など男色についてのエッセイ

  • 文章の間からはんなり漂う上品さ。
    それから「安珍清姫」の「清姫」が、娘ではなくて、中年の婦人ではないかという説には膝を打った。
    確かに。竜に変化するほどの執着心には、年季が入った粘着質的なものを感じるというか……。

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著者プロフィール

1910(明治43)年、東京生れ。実家は薩摩出身の樺山伯爵家。学習院女子部初等科卒業後、渡米。ハートリッジ・スクールを卒業して帰国。翌1929年、白洲次郎と結婚。1964年『能面』で、1972年『かくれ里』で、読売文学賞を受賞。他に『お能の見方』『明恵上人』『近江山河抄』『十一面観音巡礼』『西行』『いまなぜ青山二郎なのか』『白洲正子自伝』など多数の著作がある。

「2018年 『たしなみについて』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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