- Amazon.co.jp ・本 (368ページ)
- / ISBN・EAN: 9784101387116
作品紹介・あらすじ
2005年、大阪で若い姉妹が惨殺された。犯人の山地悠起夫はその5年前、実母を殺し、少年院で矯正教育を受けていた――。山地は裁判で「さっさと死刑にしてくれ」と主張。09年、一切の真相を語ることも、反省することもなく絞首刑となった。享年25。その短い人生でなぜ3人も殺めたのか。彼は化け物か、それとも……。緻密な取材で事件の深層と凶悪犯の素顔に迫る、衝撃のルポルタージュ。
感想・レビュー・書評
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10年程度前の本なので、専門分野についてはやや知識が古いと思います。杉山登志郎先生が『子ども虐待という第四の発達障害』でも記されている通り、虐待により発達障害様の症状を呈することはありますし、また本書内では愛着の問題についてもあまり触れられておりません。いまあらためてこの事件について考え直すとまた別の精神医学的分析が出来るのではないかと思います。
また、なぜ事件が起こってしまったのかという話とどう裁くべきかの話は峻別して論じた方が良かったです。この事件を引いて厳罰化の犯罪抑止効果について論じるのはあまり筋が良くないと思います。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
悲しすぎて、言葉が出てこない
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職場のエレベーターで一緒になった人から「物騒なものをお持ちですね」と言われ、何のことかと思ったら、袋が透けて本書のタイトルが見えていたのでした。(^^;
母親を金属バットで殴殺して少年院へ送致され、退院後に見ず知らずの姉妹を強姦して殺害したという、書いているだけで胸糞悪くなる事件の犯人は、アスペルガーだったとのこと。障害のある犯罪者を認知して支援することが必要なのではという思いから書かれた本のようですが、「一生懸命、希代の大悪党を演じていた気がする」という捜査官の言葉を読んだ辺りから気分が悪くなりました。
この殺人犯を理解しようとしているのはわかる。でも、障害の有無に関わらず、世の中の大半の人間は殺人なんて犯さない。『13階段』にもありましたが、殺意を抱くことと実際に殺すことは違います。彼を知る人がもっと親身になってやればよかったと言うのを聞いても、本当になんとかできたとは思えない。どこか皆、「上から」に感じてしまう。褒めることで更生を促すとか、そもそも褒めること自体「上から」なわけで。
障害者を理解する姿勢は大事だと思う。でも、事件がそこに起因していたかどうかは結局わからないし、そうだと考えられてしまったら、同じ障害を持つ人やその周囲の人はやりきれない気がします。いろいろと腑に落ちない。 -
ドキュメンタリーを読むのが好きです。野次馬根性なのかもしれませんが、知りたいと思うのです。どうしてそんな事件が起きたのか、関係者はその後どうなったのか。
わずか4ヶ月前に起きた大量殺人事件も、1ヶ月前に起きた小学生が未来を奪われた悲惨な交通事故も、発生直後の大量の報道と、その後しばらく垂れ流される論評が一段落すると、続報はぱたりと見かけなくなります。
マスコミや、日本人の「飽きっぽさ」を問題視する声もありますが、これはやむを得ないことでしょう。マスコミが発信できる情報の総量にも、個人が受け取ることができる情報の総量にも、限りはあります。新しい事件が発生し続けるのであれば、過去の事件に割く資源の量は少なくなります。
ですから、一度関心を持った事件のその後を知るには、ドキュメンタリーはありがたい存在です。私たちの手に届くまで時間はかかりますが、その分、事件や事故について、まとめて俯瞰的に読むことができます。
そういう意味ではこの本は、物足りません。
凄惨な事件(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E9%98%AA%E5%A7%89%E5%A6%B9%E6%AE%BA%E5%AE%B3%E4%BA%8B%E4%BB%B6)の犯人である山地悠紀夫の「一般の人と違った特性」を追い、「次の事件を防ぐ手掛かりはないだろうか、と問題提起したかった」のだそうですが、成功しているとは言いがたいと思います。
まず、聞き取りが全く足りません。
本人(は他のドキュメンタリーでも無理でしょうけれど)、両親(父はアル中で死に、母は本人に殺されています)はもちろん、「孤立が生んだ二つの殺人」のタイトルで分かるように山地が心を開いた相手はほぼ皆無だったようで、そもそも「犯人山地」を語れる人が存在しないようです。
聞き取りができた相手は弁護士や少年院で山地と面談を重ねた医師、そして「少年犯罪」や「アスペルガー症候群」について一般論でしか語れない「カウンセラー」や「精神科医」などの「識者」…ワイドショーのコメンテータと大差ない人たちだけです。(母親殺害事件を「あれ、この年にそんな事件あったっけ」と言ってしまう程度の人たちです)
さらに、再犯はどうすれば防げたのか、というテーマそのものが、加害者寄りです。死刑制度の是非や発達障害を持つ人の刑事責任能力の有無について語ることは注意深く避けられていますが、でも「再犯防止」を考えるということは、加害者の立場で考えると言うことです。
アスペルガー症候群の当事者など「相手への共感性が乏しく、反省を感じにくい子」の再犯を防ぐためのキーワードとして【反省なき更生】というキーワードが繰り返し出てきます。反省よりも再犯の防止が優先、という考え方は、耳ざわりがよく聞こえる人もいるかもしれませんが、でも本当に「反省はしていないが二度と殺人はしない」人がどれほど不気味かは、「神戸連続児童殺傷事件」の「酒鬼薔薇聖斗」が書いたとされる手記「絶歌」の
『大人になった今の僕が、もし十代の少年に「どうして人を殺してはいけないのですか?」と問われたら、ただこうとしか言えない。「どうしていけないのかは、わかりません。
でも、絶対に、絶対にしないでください。もしやったら、あなたが想像しているよりもずっと、あなた自身が苦しむことになるから。』
を読むと痛感します。
人を殺すことがタブーであると思っていない人は、その人が思っている「人を殺してはいけない理由」という歯止めが外れた瞬間、また人を殺しそうです。私は例え完全犯罪ができるとしても殺人はしないでしょう。でも、これを書いた人は、苦しまない――逮捕され、収監されないのであれば、また人を殺すかもしれません。そんな人を「許される限り長く刑務所に収容」して欲しいと思うのは当然で、これを「耳を疑う」と斬って捨てる人たちが書いている「ドキュメンタリー」はやはり偏っていると思うのです。
母親殺害事件について寛大な処遇を求める嘆願書に260人の署名が集まったことには触れ、姉妹の殺人事件に関して死刑を求める嘆願書に2万2796人の署名が集まったことには触れない程度には偏っています。
そして最後に、「アスペルガー症候群」に対する理解が足りないような気がします。「アスペルガー症候群」「広汎性発達障害」「人格障害」などの言葉が随所に出てきますが、一人歩きしているように思います。診断名はともかく、人の気持ちがわからない人、人間関係が築けない人は一定数いて、なんとか仕事をしながら日々生活しています。アスペルガーだから犯罪を犯しやすい、だけどアスペルガーの人はこうすれば再犯が防止できる、なんて、括らないで欲しい。
それにしても「死刑になって当然」という重大事件がどうして起きたのかを知ることは、やはり難しいことなのでしょうか。加害者の理解しがたい言い分がどこまで露悪趣味や強がりや言い訳でどこからが本音なのかは、やっぱり当事者にしかわからないのかもしれませんね。
【追記】
担当弁護士さんは、山地に宮部みゆきさんの「R.P.G.(http://booklog.jp/users/hanemitsuru/archives/1/408747349X)」を差し入れてたという記述があります。山地はこの本の真犯人にどんな感想を抱いたのでしょうか…。 -
人間という面で見ると、
精神障害、パーソナリティ障害、発達障害、
犯罪という面で見ると、
刑罰、反省と更生、再犯防止
どれもこれも、なんとなく違いをわかったつもりで
わからず漠然と同じ様に捉えていた。
考えさせられた。(きっとあとがきのように
忘れてしまうのだけど)
この本を読んで、違いが分かったわけではなく、
この事件で何かを学び、他者と自身との
違いをわかろうとし、お互いが生き易い、
生まれてよかったと思う
悲劇が繰り返されない世界を。 -
実際に起きた事件についての本は大抵そうだが、これもかなり重めの内容で人に勧めるのは難しい。
病気や事件について知る事が大事なのだが、知る、考える事で胸が締め付けられるような感覚に陥るときがあるので理解するのに少し勇気が必要か。
世間一般では事件の表面をなぞったような部分、知ったつもりなっている人たちの無知な偏見などが、本書のような事件を引き起こす原因になっている可能性を知ってほしいと思う。 -
被害者が加害者に転じていくのは、もしかすると流れのようなものになっているのではないだろうかと考えさせられる。
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世の中に起こっている全てのことは、他人事ではない。
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確かに生きづらい人がいる。うまく生きられない人がいる。
それが犯罪の言い訳にはならないが、なにか方法があったのでは?と思わずにはいられない。
医師に診断名を告知された人は安堵することが多いのが印象的。ただのバカだったわけじゃなく病気だと安心するのだろう。