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Amazon.co.jp ・本 (288ページ) / ISBN・EAN: 9784101392219
感想・レビュー・書評
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数多くの詩人を輩出し、イタリア帰属の夢と引換えに凋落の道を辿った辺境の都市トリエステ。その地に吹く北風が、かつてミラノでともに生きた夫ペッピーノや家族たちの賑やかな記憶を燃え立たせる――。
二つの世界。二重性。かつてはオーストリア領だったイタリアの東端の都市トリエステ。はじめはドイツ語で、つぎにイタリア語で教育を受けた詩人サバの町を訪れる「トリエステの坂道」からはじまり、亡夫の家族の話が多く書かれている。
義理の弟から、日本に住んでいる著者へ、半年に一度ぐらい手紙が届く、というのがあたたかい気持ちになった。ずっと家族だったんだな。
もう、なんと表現したらいいのかわからないけど、胸がいっぱいになった。
ナタリア・ギンズブルグの『ある家族の会話』との出会いについて、彼女との交流についても書かれている「ふるえる手」もよかった。
“もしかしたら、これは恣意的に挿入されたエピソードなんかではなくて、彼女の文体宣言に代わるものではないか、そう思いついたとき、ながいこと、こころにわだかまっていたもやもやが、すっとほどける感じだった。好きな作家の文体を、自分にもっとも近いところに引きよせておいてから、それに守られるようにして自分の文体を練りあげる。いまこう書いてみると、ずいぶん月並みで、あたりまえなことのようなのに、そのときの私にとってはこのうえない発見だった。”詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
哀しいほど、やさしくて、つよい文章。
うつくしい日本語。
亡き夫の家族と、イタリアという国と、須賀さんの敬愛している作家についてのエピソード。
文章の中で、夫や義母などとの日々を過ごす須賀さんと、実際に原稿を書く須賀さんが同一人物におもえなくて、すこし戸惑う。
どのエッセイも好き。
バラバラな内容なのに、読み終わったら、まとまりを感じるから不思議。
とくに好きなのは、最後の「ふるえる手」。
カラヴァッジョ「マッテオの召出し」に対する考察をいくつかの思い出とからめて書かれている。
p.224 そのとき、とつぜん、直線のヴィア・ジュリアと曲りくねった中世の道が、それぞれの光につつまれて、記憶のなかでゆらめいた。どちらもが、人間には必要だし、私たちは、たぶん、いつも両方を求めている。白い光をまともに受けた少年と、みにくい手の男との両方を見捨てられないように。
キリスト教、という宗教が、須賀さんの使命のようになっていたのだとして、わたしにはその部分を理解することはできないんだけど、キリスト教芸術を、その信者として感じることができるのは羨ましいとおもった。 -
体の深いところに凝縮された思い出が、静謐な名文で綴られていく.これを読むと,文章にこめられている悲しみを受け取ると同時に,よい文章を読む喜びを感じる.解説に収められた湯川豊氏の「ノート」も示唆に富んでいる.湯川氏も指摘しているように「雨のなかを走る男たち」はとりわけ名作だと思う.
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有名な方なのは知っているけど、まだ読んだことのなかった須賀敦子さん。イタリアに関する本を読み漁る者としては、避けて通れない作家さん。
イタリア人と結婚され、家族の一員になったからこそ書ける異文化体験が興味深い。
傘は高級品で、金持ちのステータス。
雨の日でも、庶民は上着の前を押さえて小走りでやり過ごす。という描写が面白かった。 -
イタリア人の家族の人となりがよく伝わってくる。
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これまで,とりとめなく須賀さんのエッセイを読んでいて,時系列のあちこちに空白地帯があったのだけど,これを読んである程度埋まったように感じた。
人間は,誰でもどこか欠けたところがあって,問題もあるし,難しい。でもだからこそ愛おしいし,忘がたい。欠けたところがあるのがいい,とも言わず,もっと良くなろう,とも言わず,ただ,日々を真摯に生きている人たちの人生を静かに見つめている。あえてものがたりを作らなくても、人の中に物語はあって、それを、事実を淡々と述べることで明らかにしていく。物語になっていく。そこに深いドラマを感じることができるのは,須賀さんの,ドラマを見つける力のせいなのかも知れない。
人生の数年をすごしたイタリアの土地と人と,その後も長く深く付き合える須賀さんの人間性にあらためて感じ入ってしまった。 -
須賀敦子の本は初めて読んだ。
外国語を話す人だからだろうか、普段は読まない年代の作家さんだからだろうか、一語一語なんというか日本語らしい。
・「電車道」の「天国語」。
母国語を忘れるという、日本では有り得ない事象と、そのことについてあっけらかんとした感じの当人達が印象に残った。
・「重い山仕事のあとみたいに」の「《つぎの》土地での変容」。 -
この人の本がどうしようもなく好きだ。いつか全著作をそろえようと思う。
裕福な環境に育ちながら、貧しさのもたらす甘美にもいた悲哀知っている人。
決して多くは語りすぎず、そして陳腐にもならず、様々な人間の生き方をつづっている。
人生ってなんなんだろうなぁ。 -
小さな草花がさりげなく散りばめられたような、飾りすぎないけれどもどこか軽やかさを感じるような自然な文体のエッセイでした。著者の繊細な感受性から描かれる様々な描写が余韻に残ります。
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はじめて感銘を受けた本。
エッセイなのか小説なのか分からない。
背景描写の書き方が綺麗
ヘンリーの最後の一葉と同じくらい、ずっと手元に置いておきたい本 -
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<過去を甦らせる行為>
記憶の堆積と共に、死した人々が甦り、その時の私も立ち現れる。
過去は決して消え去らない、過去は永遠であることを示して、感動を誘う。
その手法は、経験を沈殿させ結晶化させることで、過去を永遠化するというものだ。
その上で、人生の幸せも不幸も、つまり、経験の全てを、十二分に味わい尽くすことだ。
一人一人の人生は、幸せも不幸も綯い交ぜになって、哀しい色に彩られている。
その哀しみを通奏低音として、生きる者、生きた者のひたむきな姿を永遠として描き切るのだ。
人に薦められて入手したものの、なかなか取っ掛かりが掴めず、長年積読していたが、ようやく通読、須賀敦子の凄さを体験することが出来た。
<登場した時から大家であった>という評の通り、心に沁み渡る哀しくも優しい文章、詩的でしかも明晰な、素晴らしい文章に驚嘆した。
これはエッセイでも、小説でもない。
<過去を甦らせる>という巫女的行為としか言いようのないものだ。
若死にしたイタリア人の夫との、ミラノでの熱き時代を描いた「コルシア書店の仲間たち」。
皆んな向こうに行ってしまった筈なのに、今そこにいるような実在感と懐かしさを現出させる。
自分の青春時代の苦悩と焦燥を描いた「ヴェネチアの宿」。
須賀敦子を知るか知らないかで、読書の楽しみの厚みに差が生まれる。 -
初めての須賀敦子。回想エッセイととらえていたが、読み進めるうちに架空の小説のようにに思えてきた。それだけ話の筋立てが計算されているようであり、文章も練られてると感じる。大筋は事実の経験をもとにしているのだが、戦前に女性で海外留学するほど裕福な家庭に育ちながら、あえて貧困な家庭への結婚生活を選んだのか気になっていたが、巻末の解説で触れてくれている。2021.4.23
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イタリアでの生活を描いたエッセイ集。
イタリア人の男性と結婚し、先立たれてしまうという少し悲しい背景がある作者だが、主にその夫の親族について感じたことを語っている。温かみがあり、かつ冷静な観察眼が伺える。
異文化間の相違が様々なシーンで垣間見える。少し切なく、心温まる作品。 -
読書の何冊かに一冊は、須賀さんの本を挟むべきである。まあ、なかなか実現しないだろうけど、本気でそう思う。彼女の観察眼、正直で筋道立った思索、ものごとを捉える的確な言葉たち。魔法にかけられたような、美しい文章たち。文章そのものに感動するという体験は、なかなかできない。各章の最後の一文に、心震える。例えば「ふるえる手」の最後の一文はこんなふう。
「鍋つかみのかわりにした黒いセーターの袖のなかで、老いた彼女の手はどうしようもなくふるえていて、こぼれたコーヒーが、敷き皿にゆっくりとあふれていった。」
たまらん。 -
①文体★★★★☆
②読後余韻★★★★☆ -
トリエステの書店に行ってみたい
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胸に沁み入る文章。
正直なところ、エッセイというのがあまり私向きではないようで、好きな作品はそう多くないのだけど、今作は好きな作品に入るなぁ…。
折に触れて読み返したい。 -
初めて読む須賀敦子。
なぜもっと早くに読んでおかなかったのか。
くっきり、端正に描かれた水彩画で、遠い国の風景を見る。
と透徹した文体が、そう思わせる気がする。
結婚して十年もたたないうちに死んでしまった夫のペッピーノ。
戦後の混乱期に、若くして死んでしまった夫のきょうだいたち。
夫と三人の子どもに先立たれたその母。
そして一人残った弟アルドは、妻を迎え、子を持ち、家に新しい空気を運び込む。
こうした家族のあれこれが、この本に収められた短編のあちこちで、スケッチされる。
彼らとの、50年代のイタリアでの暮らしのディテールが、鮮明に伝わる。
ストーリーの起伏やら、キャラクターの設定やらで読ませる小説と対極にある作品。
ヤマもなく、落ちもなく、それでも読ませる文章なのだ。
こんな文章は、今、あるのだろうか。 -
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著者プロフィール
須賀敦子の作品
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