- Amazon.co.jp ・本 (456ページ)
- / ISBN・EAN: 9784101408163
感想・レビュー・書評
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島津義弘を主人公に文禄・慶長の役から関ヶ原の戦いにおける島津の敵全中央突破による戦場離脱による本領安堵を勝ち取るまでを描いた作品。小心者の家康、謀略家の本田正信、弟の武略に嫉妬する義久など人物の描き方が面白い。国を思う義弘の心を解らず兵を送らない義久に愚痴をこぼす部下に「やめよ。それ以上言うと讒言となる」と戒め、義弘の危機に遠く離れた上方まで独自に向かう兵達が数百に登るなど、上司はかくありたいと思った。
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島津義弘の朝鮮での戦いから、九州の抗争と内乱、そして関ヶ原のプロセスを主要人物の目で語られる。司馬遼太郎の関ヶ原の贋作と認めた作品のようであるが、上巻ではあまり感じなかった。
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とても面白かった。戦国末期、豊臣秀吉が朝鮮出兵の後に亡くなり、豊臣時代から徳川時代へと移りゆくとき、島津義弘の自国を生きながらえそうとする執念と行動力に、一緒に悩み、一緒に悶え、一緒に苦しむ。今だけを見るのではなく、そしてこの場所だけを見るのではなく、遠い未来を見て、もっと広い視点で今を捉え、行動することが大事。
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出てくる大名は島津以外皆こき下ろし。家康は臆病、三成は官僚主義で人気なく、福島正則・加藤清正は単細胞、小西行長は商人上がりで臆病、黒田長政・前田利長・毛利輝元・宇喜多秀家は2代目のぼんくら。唯一褒められているのは大谷吉継くらい。一方で大名の下の侍大将級は島左近、蒲生郷舎・明石掃部・後藤又兵衛など勇者ぞろいに描かれている。
200ページに渡り関が原の一日が描かれ、それはそれで迫力あるのだが、なにやら説教臭いところもあり、読み終えても感動というべきものは無かった
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4-10-140816-5 456p 2002・1・10 5刷
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この本は、司馬遼太郎さんの「関ヶ原」の盗作疑惑で発行停止された本らしいです。確かに、似てます。でも、悪意があるように思えませんでした。単に、司馬さんの作品をたくさん読んでいたので、似てしまっただけかと思われます。それに、主人公を三成におくか島津義弘におくかで、同じ史実を扱ってますしね。70代になってまで、文筆という新しい分野に乗り出した作者をいじめるのは、心ない所作だったのではないかと個人的には感じました。
内容的には悪くないはないけれど、世の中の説明の部分が多くて、義弘の部分が少なく感じたので、そこまで入り込めず、★3つにしました。
題名にもなっている「島津奔る」の部分は、下巻の最初に当たりますが、ちょっとジーンときました。関ヶ原の局面を目前に、少ない兵力しか持たず、窮地に陥った島津義弘を慕って、はるか遠い薩摩から京都を目指す武士たち。リーダーには何が必要なのかを教えてくれるようです。心温かく、信念を持つ強い男性はかっこいい。
家中を立て直すために、叔父の存在が欠かせないと信じ、自らが犠牲となり義弘を守り抜く甥の豊久の姿にも感じるものがありました。
義弘と、若くして隠居を余儀なくされた兄の義久の間の男の嫉妬を軸として描かれています。そんなもんなんかなーって感じでした。何が切ないって、それぞれが違う形で家中のために良いと信じて行っていることが、違うこと。
私もですが、池宮さん、官僚政治家がお嫌いなようです。何度もけなすシーンが出てきます。たとえば、「吏僚、という化物は、常人ではない。人外と思っていい。自分の処理・処断がどのような迷惑を生じ、時には生活破綻を来すような悲劇となっても、一切関知しようとせず、感情を動かすことをしない。彼らから見れば民間の者は無機物に等しく、おのれらが世を統べるのは至高の行為と、骨の髄までそう思っている。官と民とは生物的に異なると思い、民の求めで官の仕事が曲げられることは、神にもとる行為としか考えない。ゆえに彼らを人と思ってはいけない。彼らは民から見たら化物である」