早く昔になればいい (新潮文庫 く 20-3)

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  • 新潮社
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  • Amazon.co.jp ・本 (231ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784101456232

感想・レビュー・書評

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  • 出た!!久世光彦お得意の気狂い女を巡る話だ!!!
    どう転んでも人でなしだし、この世のものではない感覚だ…。

  • 生前、久世光彦さんを取材した時に、この本について触れたことがある。昭和10年代には、しーちゃんのような気の触れた子がたくさんいたらしい。昭和恐慌〜日中戦争へ向かう困窮した日本では親子ともに栄養価が足りず、健康体で生まれないこともザラだったのかもしれない。しかも子どもは、まともに教育すら受けられず、学校すら行けない。これが現実だったのだろう。

    この本を映画やドラマにしてみてはどうか?と久世さんに持ちかけたが、「本作はファンタジーだよ。ファンタジーだから良いのだ」と返された。確かにファンタジーだからこそ、しーちゃんは儚げで魅力的なのかもしれない。

    この時久世さんが話していた、忘れられない言葉。「僕が生まれたのは、昭和一桁の年。家の中にあった家具や調度品は、大正時代のものだ。歴史というものは生活の中にもあり、それを使って日々過ごしている。今現在にあるものだけで、我々は育まれていないんだよ」と。

    私はその日から、いっそう歴史が好きになった。

  • 終戦直後、北陸地方の町で14歳の主人公は同級生たちと、気が狂ってしまっている20歳すぎのしーちゃんを神社におびき出し凌辱する。誰とでも性的関係を持つ彼女はその後、父親が不明の子供を産むことになるが、大雨の日に小川で溺れかけているのを発見され、肺炎で亡くなる・・・。
    そこから40年後、初老を迎えた主人公はかつて過ごした町を再訪し、しーちゃんを凌辱した親友と再開するが、そこから不可思議な幻影が現れ、しーちゃんの死因が実は仕組まれたものであるということを知ることになる。

    筋立ては非常に陰惨なものでありながら、著者は自らの凌辱をどこか聖なるものとの交錯のように美しく描き、彼女との関係を再度持ちたいと願う様子は、読み手によって解釈が分かれるのは間違いない。それでも、一種のファンタジーとしての世界観の美しさは否定できない。

    しーちゃんの仕組まれた死因が明らかになるあたりは著者得意のミステリーの要素も盛り込まれており、巧みな文章が心地よい。

  • 2014/06/25

  • 白い肌に赤い銘仙の着物に臙脂の帯。しーちゃんは静かに狂っていた。しーちゃんを中心に語られる私の物語。せつなげでどこか謎めいてほんの少し耽美さを感じさせる内容に思わずため息。また私もしーちゃんとともに狂っていってしまっているようで、そこでまたため息が。狂っているしーちゃんはとても楽しそうで、狂ってしまうのもいいかもしれない。と、ふと思ってしまった。こんな愛らしく楽しそうな狂った少女に出逢ったら恋をしてしまうよなあ..。いや、むしろ狂っていたのは周りの人たちだったのかもしれない。

  • 狂っていたけれどみんなに好かれていたしーちゃん。好きだと言われれば誰にでも喜んで体を開いたしーちゃん。いつも赤い椿模様の銘仙を着ていたしーちゃん。川で溺れ、肺炎を起こして突然死んでしまったしーちゃんは、町の大きな家の娘だった。
    14歳だった私は、そんなしーちゃんが大好きで、55歳になって再びこの町を訪れた今、心に蘇るものはすべてしーちゃんに繋がる記憶だった。
    まるで、自分がこの町に戻ってくるのを待っていたかのように、いまは<昔>になろうとしていた。
    狂っているしーちゃんやしーちゃんを取り囲む人々、そして彼らが引き起こす出来事には、悲惨さや無惨さが溢れているのに、どこか静謐な美しさが秘められている。

  • 期待値が大きすぎたかも。
    自己中心的で言い訳地味た話が延々続くのに、ややうんざり。
    好きな人にはすみませんだが、イマイチ感じるものが無かった。

    ただしーちゃんには登場人物同様に陶酔できる程の魅力がある。
    しっとり艶やかで、けれど純粋な美しさ。

    終盤、主人公が自らのたましいの救いというか、人生の落とし所を探す様に現実と幻想を彷徨うような展開も印象的だ。

  • 気のふれた美しい女をみんなでいいようにレイプし、主人公の少年だった男が延々と身勝手に好きだったんだと自分に酔ったように言い訳し続ける話。彼女は地元を離れた彼にそっくりな子供を産んで、その後亡くなっていた。
    映像的で綺麗なんだけど、なんかねばっこいしつこい感じがする話。久世ファンというわけでもなく、ただ地下鉄の古本屋で50円で買った本。だから、名前が同じだけできっと違う人に違いないと思いたかったくらいなんか嫌悪感を感じた話。

  • 妖しく悲しい空気を作りだす文章は評価するけども
    自分の犯したことを長々と美化して言い訳している
    妄想全開の身勝手な人間の独白としか受け取れない展開に
    問題ありだと思う。
    それは私が、そーゆうことを冷静にみれないからなのだろう。

    しかし、自分の犯したことを引きずっているということは
    少なからずの罪の意識があり、そこから解放されたいと思う結果、
    好意があっての行為だったのだからと正当化して
    己の精神を保とうとしているのかもしれない。
    愛があれば凌辱ではないと。
    文章がいいとか悪いとか構成がいいとか悪いとか
    そんなの脇に置いておいて、あたしはこーゆう本が嫌いなんだ。
    そんだけ。

    ( ・_ゝ・)<これは恋ではない。欲情だ。

  • 100805(m 100909)

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著者プロフィール

久世光彦

一九三五(昭和十)年、東京生まれ。東京大学文学部美術史学科卒。TBSを経て、テレビ番組制作会社を設立、ドラマの演出を手がける。九三年『蝶とヒットラー』でドゥマゴ文学賞、九四年『一九三四年冬――乱歩』で山本周五郎賞、九七年『聖なる春』で芸術選奨文部大臣賞、二〇〇〇年『蕭々館日録』で泉鏡花賞を受賞。一九九八年紫綬褒章受章。他の著書に『早く昔になればいい』『卑弥呼』『謎の母』『曠吉の恋――昭和人情馬鹿物語』など多数。二〇〇六年(平成十八)三月、死去。

「2022年 『蕭々館日録 新装版』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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