- Amazon.co.jp ・本 (508ページ)
- / ISBN・EAN: 9784101457161
感想・レビュー・書評
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ドラマが始まるとのことで、読んでみた作品。
今まで本屋さんでも目に留まることがなかった。
「家族狩り」というタイトルならもっと目に留まったかもしれないが、それぞれのタイトルにあまりインパクトが感じられなかったからか?
しかし、読んでみたらとても読みやすい。
中高生でも自然に情景が頭に入ってくるような読みやすさではないかと思う。
5冊のボリュームもあって、しっかり登場人物像も頭に入り、話の展開も次々へと進む感じが良かった。
今まで天童さんの作品は一作も読んだことが無かったが、また別の作品を読んでみたいと思った。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
ようやく最終巻読了。
駒田は本当どうしようもないな。巣藤と游子は出会った当初のことを思えば意外なほど強く結ばれる。
油井は変わらず冬原親子に執着し続け、箍がはずれてしまう。繊細すぎるが故に暴走を止められない亜衣と、彼女を持て余す両親。ついに芹沢家は家族狩の標的候補に入ってしまうほどに崩壊寸前。
親を殺す子供がいる。子供を殺す親もいる。現実にもそんな事件は起きているし、家族があたたかいものだなんて言えないのかもしれない。
世界には貧しさや戦争などにより、もっと大きな問題が日々起きているのも事実。でも、だからと言って家庭という小さな世界で起きていることに無関心にはなれない。
白蟻が家を巣食うように、気づいた時にはそれは手遅れになっているかもしれないのだから。
でも犯人の目的や理論にも一理あるし、全く理解できないわけではないけれど、私は游子と同じ意見だなぁ。
最近読んだ遠藤周作さんの本から引用するけれど、
「自分がいつも正しい、正義漢だと思っている人というのも、知らず識らずに傲慢という罪を犯していると思います。なぜかというと、自分が正しいという気持ちは、かならず他人を裁こうとします。つまり、人を裁こうとする気持ちというのは、自分が裁く相手の心の悲しみとか寂しさということが、よくわかっていないことなのです」
「正しいことをやっていることで、すべてが許されたりしないのです。正しいことは絶対的なのではありません。愛は絶対である、という錯覚に捕らわれてはいけません。愛が絶対なのは神様だけであって、愛が人を傷つける場合もあるのです。社会正義がすべてではないのです。社会正義のために、たくさんの人が傷つく場合もあるのです」
フランシスコ・デ・ゴヤ『我が子を食らうサトゥルヌス』に加え、「儚い羊たちの祝宴」に登場したテオドール・ジェリコー『メデューズ号の筏』など絵画が効果的に紹介されるのもこの作品の妙な格調の高さにつながっている気がする。
天童さんという作家は「再生」「信仰」「愛」「家族」「救済」「死」など重めのテーマを扱うので、読むときはそれなりに気力が必要です。
長くなりましたが「家族」と聞いて、私が一片の曇りもなく「あたたかさ」や「きずな」「安らぎ」「信頼」など良いイメージを抱けるのは、両親が大切に築き上げてきてくれたこの「家族」のおかげなんだなぁと心の底から感謝しました。悲しいけど世の中には「家族」と聞いても暗いイメージしか持てない人もいるのだから。大切で大好きな家族がいることはけして当たり前のことではなくて、本当に恵まれたことなのだと思う。
お父さんお母さん、もう少し一緒に居させてね。私自身もう新しい家族を作り始めてもいい年頃だけど、あまりにもこの家族の居心地が良すぎるの。笑 -
“思い出し泣き”ができるくらい心に残る傑作。
そのわけは、文章がとても丁寧に、大切に書かれているから。
それが伝わってくるから。
こんなにも心に響いて、するりと中にまで入ってくる作品は初めてかもしれない。
「永遠の仔」では生きる意味を、
「悼む人」では死の受け止め方を、
そして「家族狩り」では・・・家族の愛し方を・・・
いつも天童作品を読了後に思うのは、受け入れてもらったという思いだ。
奇妙な言い回しだけど、“作品に自分を受け入れてもらった”感じになる。
人はそれぞれ。型にはめようとするのはつまらないことだな。
でも、それでもいいんだよと、どれだけ自分は寛容になれているのだろう。
何も知らないと、何も許す事ができなくて怒ってばかり。それは子供っぽい。
経験を積み、知る事で、慮り、許す事ができる様になる。自分はまだまだできない。 -
ちょっとだけおっかない作品ですが、
面白かったです -
家族狩りシリーズ最終巻。
他の巻の2倍の厚さに衝撃を受けたが、読み始めたら怒涛の連続で一気に読んだ。
この話、誰に感情移入するかでまったく別の感想になる。
一方的に悪いのはどちらと断じることがしにくいなぁ。
大野夫妻は悪かと聞かれても、彼らに(電話相談で)救われた人にとっては善だろう。
そして、何も知らずに実森少年の歪んだ怒りの解消の標的にされていた巣藤は、実森一家が「愛の儀式」で殺されたからこそ生きている。
ただ見方を変えると、自分の子供を手にかけなければと思うほど追い詰めた、息子を苦しめた奴らと、それを野放しにしたうえに逆ギレする厚顔な親達に対する間接的な復讐ではなかったのか?とも思える。
馬見原も真弓にとっては、よい父親ではなかったが、研治にとってはよい父親だったのだろう。
巣藤のところは…コメントに困る。自分達の子供に諦念と侮蔑の目でしかみられないって…。
衣食足りて礼節を知るじゃないけど、
人間は自尊心を持たねば中々幸せを感じることができないものなんだと思う。
勿論人によって価値観が違うから、大事にしている心の在り方は違うだろうけど。研治の場合それは間違いなく母と自分に酷いことをした男を「許す」事ではなく、「やっつけた」という自信の回復だったのだろう。
巣藤と氷崎がいい感じにまとまって(現在巣藤は無職なので祖父が大反対してるけど(笑))
芳沢亜衣も家庭は崩壊してしまったが、自分の足で歩き始めた。
馬見原家も代償は大きかったが、1つの決着が着いた。
綾女親子も新生活が上手く行き、元同僚にも慕われて、元夫は事故死で安心。
全員オールハッピー!という感じではなく、どこかに傷を抱えつつ、未来に進んでいる。
玲子の事が心残りだが、これが今後の氷崎達の課題だろう。(おそらくタイトルにもかかってる)
父親以外に心の拠り所が見つかるように見守る。
でも深入りしすぎてはいけない。
それらのジレンマを抱えつつ情熱をもって子供達と関わる彼らの道を優しい光が照らしますように。 -
題名が重く、なかなか手が伸びなかったが、読み始めたら5巻一気に読めた。大まかなストーリーはテレビドラマで知っていたが、原作はその何倍も内容が濃く、読み応えあり。家族のあり方、自分を取り巻く社会について、考えさせられるシリーズだった。
登場人物は家族に悩みを抱え、心を痛めている人ばかり。不器用で、格好良くなく、だからこそ親近感を覚えるし、共感できる。天童荒太はこの国の端っこにいる弱い人たちの痛み、どうにもならないもどかしさを表現するのがうまい。今でも、どこかしらで起きている紛争、大義の前で肉親を奪われたり、住むところを追われたりする一般市民、亡くなってもすぐに忘れ去られる人々…「悼む人」は、「家族狩り」で描かれたその部分がより強まって形になったものだと思う。
読んでいたときは、ちょうどISILの非情さがクローズアップされたとき。力づくでの収束は新たな遺恨を生むだけ。家族にしろ、国にしろ、人がそこに存在する限り。心のざわざわは収まらない。 -
完結。なかなかにヘビーで、これでもかこれでもかと投げられてくる問い掛けにグサグサとあちこちを刺された気がした。救いがあるのに誰も救われていないような気分にもなる。なんて複雑なのだろう。その中でも、一番の変化は俊介だったと思う。彼ははじめはどうしようもない青年として登場したが、これ以上はないだろうという位劇的に変化して行った。途中で受けた傷が関わっているにしろ、一番救われたのではないかという気がする。馬見原は変わらないけど、それがいい。人は心に傷を負うことでどのようにも変化する。それが原因として全てになって欲しくはないが、そこから変われる人に成長できる世界であって欲しいと願う。比喩として貧困や内戦にいる子供達と日本で生活している子供達とが数回取り上げられていたが、すごく響いた。比べるなんて、どんな事だって出来ないのだ。誰だって日本で今生活している子供達の方が恵まれていると思ってしまうだろう。それは感情としてわかるけど、そうじゃない。今、痛みを抱えている子供達をそういう尺度で、優越を測っていいわけじゃない。誰だって傷を負うし、誰だって悩んでいる。正解なんてあるかどうかすらわからない。だから自分が思った方向に突っ走って壁に激突してしまう人もいる。家族とはなんなのか…。もう一度考えて見てもいいような気がした。
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家族狩り全5部作の感想として…
読み応えがあってとても良い作品でした。
読み終えた時、三浦綾子さんの『氷点』を読み終えた時と同じ様な何とも言い難い、重くて丸い物がゴロゴロ心の中を占拠し続けていました。2013 1 -
重かった。読んでて辛い話過ぎた。
でもそんな話でこれだけ長い話なのに最後まで一気に読めたのは作者の文章のうまさだろうな。
各人物に感情移入できた。
タイトルはまだ遠い光とあるけど、最後に光が見えるだけでも救われた気分になる。