歴史をかえた誤訳 (新潮文庫)

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  • 新潮社 (2004年3月28日発売)
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Amazon.co.jp ・本 (304ページ) / ISBN・EAN: 9784101459219

みんなの感想まとめ

言葉と文化の深いつながりを探る本であり、特に通訳や翻訳の重要性を歴史的な視点から分析しています。専門用語の日本語訳に興味を持つ読者や、文化の違いがコミュニケーションに与える影響について考えたことがある...

感想・レビュー・書評

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  • ニュースの同時通訳や新聞等にある専門用語の日本語訳に興味や違和感を持ったことがある人にはオススメ。
    通訳・翻訳の違い、言葉だけでなく文化背景(諺・例え等)を如何に訳すか?言葉にならない「間」さえもが政治・国際関係を動かすものとなるなかで、その存在を消し影にさえならない通訳者たちの仕事を歴史的に分析している。
    ジョーン・バエズの件は、政治と音楽、プロとアマチュアの入り交ざった例として大変おもしろい。

  • 私は、特に第5章「文化はどこまで訳せるか」の内容に強く惹かれた。ある文化の中に存在する事柄をもう1つの文化の中に訳するという事はどこまで可能なのだろうか。「言語の通訳」についてしか考えた事のなかった私にとって、この「文化の通訳」という言葉は非常に衝撃的だった。通訳者達はその文化のギャップをどのように埋めてコミュニケーションを図るのか、彼らの奮闘ぶりに読者である私達の脳もストーミングさせられる、パワフルな内容。1つ1つの事例が詳しく取り上げられており、通訳に関する知識があまりない私のような人間にとっても面白く読みやすく書かれているのが嬉しい。通訳という仕事には興味がなくても、英語に何らかの形で興味を持っておられる方には是非一度読んで頂きたい。また、その1つ1つの事例に対する見解もしっかりポイントを突いていて、素晴らしい通訳論の1冊だと思う。

  • 「言葉は文化である。」この言葉をまさに実感できた本。
    どんなものをとっても、100パーセントの意味を持って訳すことはできないようです。an orange cat って、何色の猫だと思いますか?

  • もともとは『ことばが招く国際摩擦』

    というタイトルで発売されていた本の文庫版。

    もともとのタイトルの方が本の内容を正確に伝えているように思います。



    通訳者、翻訳者の話を聞いたり、本を読んだりすると、

    英語にしろエスペラントにしろ、国際語っていう考え方に潜んでいる

    本質的な問題点が見えてくるような気がする。


    大変勉強になりましたが、

    ひとつひとつの事例をもうちょっと踏み込んで書いて欲しいなぁ

    って思うところが多かったので、星4つです。

  • 著者TV放送で昔みてた。
    本書籍は
    タイトル
    表紙と帯び買い

    訳す
    日常的
    ジレンマ

  • ビブリオバトルチャンプ本('25.1 校内読書週間)

  • 誤訳の定義が難しいということに触れつつ、有名なポツダム宣言時の首相の「黙殺」という発言の英訳からはじまり、さまざまな日本語と外国語の通訳・翻訳時に起きた問題を取り上げて解説されている。

    ある言葉を直訳するか相手国の文化などを考慮して伝わるように変更して訳すかどうかで受け取り側の行動が変わるが、そのまま伝えても取引を失敗したから誤訳なのか、結果がよくても違う言葉で伝えたから誤訳なのか。

    もちろん訳者に外国語の知識がない、外国の文化を理解していないなどの問題がある場合もあるがどうしても訳を担当した者に非難が集まってしまうことが多い。

    また、本書ではわざわざ訳が難しい比喩表現などを使う原発言者に問題があるケースもあると指摘していてまさにその通りだと思う。外国が注視する発言をする場合に日本人でも理解しにくい微妙なニュアンスの違いを求めて言葉を選ばれても、訳者が意図通りに受け取れるかもわからないし、さらに訳語を受け取った人間が意図を理解することはかなり難解になってしまう。

    それゆえ、首相など国外とのやりとりが必須になる立場である人はより伝えるということを意識して発言をしていかなければならないのだろう。

    面白かったのは、英語力に定評のあった中曽根首相・宮沢首相の二者がこぞって英語で問題を起こしたということ。
    日本人の平均より英語が話せるからといって知ったかぶりをしたり、しっかり伝えるということへの意識が低くなってしまったりした結果なのだろう。

    こうした失敗の経験からも専門家としての通訳・翻訳の重要性が理解できる。
    以前より国外とやりとりする人も増え、AIも発達していることで訳者の重要性を軽視する人が多くなってしまう予感がするが、認識の改善や教育面の充実が行われることを祈る。

  • 主に政治の場で展開された会話で、ちょっとしたニュアンスの差(文化の差)からトラブルになった事例を紹介している。

    冒頭から第二次大戦での原爆投下に繋がったとされる、ポツダム宣言に対する日本政府の「黙殺」という言葉が話題に上る。発した側と受け取った側の真意は色々あるだろうが、異国間でのコミュニケーションの重要性が伝わってくる。

    通訳という仕事の優劣は、ネイティブか否かよりも結局のところ母国語の語彙力や理解力に左右されるという。特に文学作品などはそれが顕著に出る。

    自分自身たくさんの本を読んでいるが、翻訳ものはどうしても苦手だ。読書を始めてしばらく経ってから翻訳物が読みづらい理由が異国間での文化や言い回しの違いによるものだと気づいた。その事は本書でも、重要事項として多面的に語られている。

    同じ言語同士でも意思の疎通ができないことだってある。まずそこを理解することが必要だ。

  • 就業以来、社内通訳、社内翻訳、時に金銭的報酬を発生する中で通訳・翻訳業務をこなしてきた身としてはかなり興味深い本であった。

    内容としては必ずしも訳者の誤訳とは思えぬ例が多々掲載されている。冒頭にある例、ポツダム宣言を日本政府が様子を見つつつ後で判断するという意味で「静観する」と言いたかったところを国内向きに弱気ととられないように「黙殺する」と発表し、それを通訳者が「Ignore」と訳し、それを連合国側は「Reject」と判断し、原爆投下されることになったというのがある。Target audienceを狭くし過ぎたことによる、話者の言葉の選択ミスとしか思えず、これを誤訳扱いされたらたまらない。自分でも絶対Ignoreと訳す。

    一字一句全てを訳すことと文化的な背景を配慮した意訳をすることのどちらがよいかといった議論が昔から存在するというのも興味深い。後者の訳し方をすることが多かったが、稀に戦略的に前者のような訳も行ってきた。英語ができると言われた政治家の方が問題を起こしてきたという記載があるが、少し英語ができると思っている人達の通訳の方が、骨が折れたのを思い出す。そんなんでは誠意が伝わならい!とクレームをつけられ、結局”誠意”を伝えるために日本語の曖昧さ全開の英語としてロジックの通らない通訳をして、相手が??という顔をしていたのを思いだす。英語がある程度できるものの、日本語的なロジック、語順で英語で出力?して、結果的にあまり通じていない場に遭遇したことも思い出す。結局、文化的なことも配慮にいれた変換を行わないとダメなのだろう。

    機械翻訳の精度がどんどん増していく中、このトピックを考察する人は通訳・翻訳ではない場で活躍していくことになりそうだななんてことも思ってみたりした。

    P.12
    翻訳(translation)とは、文字に書かれた情報を異なった言語の文章に書き添える作業であり、通訳(interpretation)とは、口頭で表現されたメッセージを他の言語に変換し、口頭で発表するものである。翻訳で扱うのは静的な言語であり、通訳が取り組むのは一瞬のうちに消え去ってしまう動的な言語である。
    この違いは作業に要する時間に違いを生む。翻訳は、対象が静的な言語であるため、ある程度の時間をかけて仕事をすることが可能である。何回も見直し、わからない単語があれば調べることができるし、適当な訳語を思いつくまでじっくりと考えていられる。
    それに対し、一瞬のうちに消えてしまう言語を追いかける通訳は、その一瞬が勝負であり、迷っているひまも、訳語を吟味する余裕もない。

    P.16
    一般的には同時通訳こそが神業的にむずかしいこと、とされているが、じつはそうでもない。逐次通訳はたんにう内容を聞いて理解し分析するだけではく、メモを取る技術、そのメモを見て即座に内容を再生する術(記憶力とメモの撮り方の技術の両方が問われる)、人前で発表する能力等々が要求されるため、プロの通訳者では「通訳は逐次に始まって逐次に終わる」といわれるほどである。

    P.19
    研究者によっては、世の中に「誤訳」などというものは存在しない。これはすべからく”semantic transfer”と呼ぶべき性質のものである、と主張する人さえいた。ひとつの言語がから、もうひとつ別の言語に変換する際、どうしたって意味上の転移も行われるわけであるから、原文の翻訳文が完全に同じものになることはない、という考えである。その考えに従えば、従来はたんなる翻訳上のミスと考えられてきたもののうち、少なくともいくつかは純然たる間違いではなく、「誤訳」というよりは、「ミスコミュニケーション」「コミュニケーション・ギャップ」と表現した方が適切なのかもしれない。
    しかし、いくら「コミュニケーション・ギャップ」と表現を変えたところで、コミュニケーションの失敗であることには変わりない。意思疎通がうまくいかない、あるいはメッセージが正しく伝達されなかった、という結果であるならば、それを人呼んで「誤訳」というわけだろう。

    P.22
    「翻訳者は反逆者」(Traduttore, traditore)という格言がある。翻訳は所詮、翻訳である、原文を忠実に伝えることは不可能、という達観した見方である。

    P.46(佐藤首相が「善処します」と言ったところ、「I will take care of it」と翻訳、後日善処したものの、できませんでしたという結果となったことについて)
    日本研究で知られるチャルマーズ・ジョンソン(Charlmers Johnson)氏は、日本人が米国人と交渉すると同じ言葉を使ってもお互いに異なった意味に解釈し、話がずれてばかりいる(Japanese and Americans have been talking past each other...)とし、日本人の行動は計算ずくのだましなどではなく、異文化コミュニケーション・ギャップによる誤解だという見方をする。ジョンソン氏の特養に、たとえば政府の役割について、あるいは「市場」という言葉についてなどの基本概念が日米で根本的に異なるとするならば、佐藤・ニクソン会議の失敗は通訳うんうんより、むしろ文化人類学者エドワード・T・ホール(Edward T. Hall)氏のいう「沈黙のことば」(The Silent Language)の範疇に属する問題かもしれない。

    P.74
    中曽根・レーガン会議では、中曽根首相が「日米は太平洋をはさんだ運命共同体」と表現し、(中略)物議をかもしれた。(中略)この表現を英語で伝えるにあたっては、ひとつの熟語としてではなく、「価値観を共有し、運命をわかちある関係」という説明をした、と報道している。(中略)対日世論調査と政策研究で知られる「ポトマック・アソシエーツ」所長のウィリアム・ワッツ氏は「米国民にはわかりにくい言葉だ。別々の国であるかぎり、国益に差が出てくるのはあたりまえだ」と述べている。
    違いがあってあたりまえという感覚の国と、違いがないことをなんとか強調しないと友好関係が築けないと思っている国の違いであるから、「運命共同体」と言う表現が適切かどうか疑問である。

    P.82
    ヤイター通商代表が渡辺美智雄通産大臣と会議中に連発した”fair enough”という表現を、通訳者がいちいち「たいへん、公平です」と訳した、というのである。これはたしかに、誤訳の範疇に入るであろう。

    P.94(グレン・フクシマ氏の著書内における言及)
    日本側が時と場合によって逐次通訳と同時通訳を戦略的に使い分ける、という観察である。(中略)米国側が考えていることを十分に理解することが日本にとって必要な場合、日本政府は、英語から日本語へは逐次通訳を使う。
    逐次通訳は同時通訳より正確であり、かつ日本政府の交渉担当者である官僚は英語を理解できる人が多いので逐次通訳なら同じ内容を2回聞くことが可能になる。つまり一回は英語で聞き、2回目は日本語の訳を聞き正確を期すことができる。場合によっては、聞き返すことも可能であるし、内容によって日本側で急遽相談することもできる。ただし逐次通訳だと時間はかかるので日本語から英語への通訳は同時通訳にして時間を節約する。
    逆に、米国が何をいおうと問題ではなく、日本の考えを米国側にしっかり理解させたいという場合は、英語から日本語は同時通訳ですませ、日本語から英語への役を逐次通訳できっちりとやつ、という具合である。
    また、時と場合により、完了を通訳者として使う場合と、民間の通訳者を使う場合があり、これも戦略的な意味があるようだ、というのがフクシマ氏の見方である。外部からの民間の通訳者を使う場合も(中略)、日本側政治家の発言を通訳者がやや明確な英語にして通訳すると「先生の発言はそんなに明確なものではない」と同席した官僚が注意し、はるかにあいまいな表現に再通訳させ、結果として米国側には理解不能の発言になったりした、という。
    この場合、意思の疎通をはかるために存在しているはずの通訳者は、一方の当事者からは意思の疎通をはかることを求められていない、どころか、あまり明確に医師の疎通をはかってはならない、という奇妙な立場におかれていることになる。
    フクシア氏も指摘していることで、なかば公然と知られていることに、日本政府が民間の通訳者をあえて使う理由、というものがある。その理由とは、会議中の発言についてあとになって両国側で意見の不一致が生じた場合、通訳者が政府外の人間、つまり部外者であれば、その「誤解」を通訳者の「誤訳」基づくものとして説明しやすいというものである。

    P.158
    英語にOakという単語がある。オークの家具といえば、がっしりした上質の家具である。この「オーク」は日本語では「樫」と訳されている。しかし、この「樫」という木は固すぎて、家具に加工するのはむずかしいのだそうだ。日本ではとうていできない、と長いこと思われていて、英国などのオーク家具の本場から輸入されてきた。輸入ものだから値段は非常に高井。(中略)ところが、北海道にある「水楢」という木を見て、ヨーロッパ人が「これは良質のオークだ」といったとのこと。日本では雑木扱いの木である。そこで安い値段でヨーロッパに輸出され、かの地で立派な「オーク家具」に返信したと言う。(中略)誤訳がもとで、本来なら日本で安くできるはずの家具を、高い値段で輸入してきたことになるわけだ。(中略)いつ、誰が、なぜ「樫」という訳語をあてたのかは、不明である。

    P.190
    ドイツの神学者であり、哲学者のフリードリッヒ・シュライエルマッハー(Friderich Schleiermacher)は、一八一三年に行った公演で「翻訳の方法には二種類しかない」と語ったとされる「著者を読者の方にひっぱってくる役か、読者を著者の方にひっぱってくる訳か、読者を筆者の方にひっぱっていく訳かのどちらかしかない」というのである。(中略)前者は「自国語化」とでもいおうか。オリジナルの言語を訳出先言語の文化に合わせるという方法で、アングロサクソン文化ではつねに主流の理論であった。(中略)これに対し、後者は同一の古典派ロマン派から始まり、最近フランスで蘇った「外国語式」とでも呼ぶべき方法論で、言語的な差異、あるいは文化的な違いを生かして訳す、原文中心ともいえる思想である。違和感をむしろ大切にする考えともいえる。

    P,192
    文学者の林語堂は、原文に対する忠実さを「直訳・死訳・意訳・胡訳(でたらめ訳)」の四段階に分類した。死訳は直訳の過激派であり、目標言語の読者を無視している。胡訳は意訳の過激派であり、起点言語の作者の意図を無視しているか、理解していない。ゆえにこのふたつは、翻訳とは呼べない。

    P.208
    日本人の倫理観が日常生活に結びつき、欧米人の倫理観がキリスト教に根ざすものだとすれば、お互いが「倫理」といいながら、日本人と米国人は全く異なったことを考えていることになる。(中略)「日本の倫理」の内容には、宗教的な意味はなく、「清潔」「誇り」「正直」「信頼」「思いやり」といった価値観が「日本の倫理」といえそうだ。もっと素朴にいってしまうと、腐敗した金権政治の対極にあるのが、日本人のいう「倫理」であるのかもしれない。(中略)それでは西欧における「倫理」観はどうであろう。(中略)「プロテスタントの倫理」に含まれるものは、自らを律する"self-discipline"と勤労の”hard work"である。人間は誰であれ、神により、自らを律する力を与えられている。そして働くことは神の思し召しであり、どんな仕事であって真面目に働くことは聖なることとされる。

  • 著者は立教大学異文化コミュニケーション研究科創設者の鳥飼玖美子先生。1〜3章は歴史的事例から通訳における誤訳というものを考察、後半は翻訳における文化の違いの重要性に着目し、最後に通訳者の使命や通訳研究の必要性を提起している。

    ややセンセーショナルなタイトルがつけられているが、裏表紙にあるような誤訳の話は前半だけ。通訳論の本が書きたかったとあとがきに書かれているとおり、単なる誤訳論議の本ではなく、もっと客観的に、色々な話題が盛り込まれた通訳論への橋渡し的な一冊になっている。特に、通訳者や通訳者を目指している人は基礎知識として読んでおくとよいと思う。

    「通訳は言葉を訳すのか、メッセージを訳すのか」という議論があるらしい。メッセージだとしたら、日本語から英語への通訳は概念から言語という着物をはぎ取り洋服に着替えさせるような役割なのか、それは可能なのか、そもそも言語とは何か・・・。最後の章にあった問いかけが気になった。翻訳を仕事とする者としても、今後考えてみたい。

  • 背ラベル:801.7-ト

  • ページが増えそうな危惧を抱いて積読から引っぱり出した

  • 歴史において翻訳が必要となる場面は多々あるが、いわゆる「誤訳」はどうして起こるのか、、なぜそれは誤訳になってしまうのかというのがすごく端的にまとめられている。取り上げられている題材もわかりやすい説明がついているので少し日本史に抵抗がある人で英語に興味がある人は面白いと思う。文化的に背景を捉えながら英語を学ぶことの重要性を感じた。日本の英語教育ってどうなんだろうな〜と思わずにはいられなかった。

  • 読書録「歴史を変えた誤訳」2

    著者 鳥飼玖美子
    出版 新潮OH!文庫

    p132より引用
    “ 通訳者はふたつの異なった言語のかけ橋
    となるのが使命であり、四苦八苦ときには七
    転八倒さながらにオリジナルの発言を訳し、
    異文化、異言語の聞き手に可能なかぎり正確
    に理解してもらおう、と努力する。少なくと
    も、そのはずである。
     しかし、ときにそうならないことがある。
    状況によって、故意に違った内容に訳される、
    という信じられないことが、これまでも起き
    ている。”

    目次より抜粋引用
    “歴史をかえた言葉
     外交交渉の舞台裏
     ねじ曲げられた事実
     まさかの誤訳、瀬戸際の翻訳
     文化はどこまで訳せるか”

     通訳者である著者による、世界情勢に大き
    な影響を与える通訳の、失敗や苦労を記した
    一冊。他社刊行作「ことばが招く国際摩擦」
    改題・加筆文庫版。
     歴史上の誤訳による外交の変化から通訳の
    持つ役割についてまで、時折ユーモアを交え
    て書かれています。

     上記の引用は、事実が通訳によって捻じ曲
    がることについて書かれた章での一節。
    どれほど相手との関係をよくしようとしても、
    間に立つ人に関係悪化を画策されては、良く
    なりようがありませんね。本当に大切なこと
    は、直接やり取りできるようになることが大
    切そうです。
     日本語しか使えない自分としては、翻訳者
    や通訳者の存在は、有り難いばかりです。

    ーーーーー

  • 7月26日 ポツダム宣言記念日 にちなんで選書

  •  「黙殺」をignoreと訳して原爆投下、「善処します」がI'll do my best.でニクソンショック、「大きな航空母艦」がunsinkable aircraft carrier「不沈空母」と訳され強気の防衛構想発言に、など主に昭和の外交関係で起こった出来事を取り上げ、その経緯を追ったもの。それらを踏まえて、訳すという作業はどのような作業なのか、通訳者の役割とは、通訳者育成、そして言語の研究のために必要となる通訳研究の可能性について述べている。
     鳥飼先生の、英語教育関係の本はいくつか読んだが、もともとこの先生の専門の通訳に関する著作は初めて。が、正直あまり興味が持てずに終わってしまった。特に政治・外交・経済の話におれが弱いというのがあって、貿易摩擦だか円高だか、そういう背景に関する知識におれが欠けているので、ピンと来ない。防衛関係の話で、commandは「指揮」なのか「指図」なのか、vitally importantを「死活的に重要」と訳すとマズい、とか、その出てくる日本語のニュアンスをうまくぼかすためにあえてこう訳す、といった話で、こうなるともはや英語云々の話ではなく、面白くなかった。結局、もとの英語は一つでも訳し方次第で何とでもなる玉虫色のものだ、ということが確認できた。何か月か前に司法通訳の話をどこかの本で読んだ気がするが、いくら厳密さを求められて行っても、与えるニュアンスの違いや文化の違いまでを盛り込んで訳すことには自ずと限界があって、それを「誤訳」と呼ぶならほとんど誤訳、という話と共通して、なんか通訳という仕事に対する暗い感じ、というのを覚えてしまう。
     いくつかこの本で気になったところのメモ。まず上でも挙げた、佐藤栄作首相の「善処します」I'll do my best.問題で、「拒否の意を含んだ日本語だったのだが、英訳された段階でそのニュアンスは消えてしまい、ニクソン大統領に誤った期待を抱かせてしまった」(p.40)ので、当人たちにも責任があるが「その場の通訳者が少なくとも"I'll do what I can." "Let me see what I can do."程度の英語にしておけば、ニクソンはあれほど怒らないですんだ、と考えることもできる」(同)ということだ。本当にI'll do my best.と訳されたのかどうか自体が「真相は闇の中」(p.37)だそうだが、最近読んだ大修館の雑誌「英語教育」のQuestion Boxのコーナーでたしか"I'll do my best."は競争相手がいる時には「ベストを尽くす」の意味になり、いなければ本当はどうなるか分からないけどやるだけやってみる、という消極的なニュアンスを含む、みたいなことが書いてあったような気がして、とすると"I'll do my best."で必ずしも期待を抱かせる表現、とすることはできないのではないかと思った。そこにも書いてあった気がしたが、"I'll do my best, but I can't promise anything."みたいな言い方が良かったのか、と思う。あと、これも上で述べた「なんか通訳う仕事に対する暗い感じ」というのは、「なかば公然と知られていることに、日本政府が民間の通訳者をあえて使う理由、というものがある。その理由とは、会議中の右舷についてあとになって両国間で意見の不一致が生じた場合、通訳者が政府外の人間、つまり部外者であれば、その『誤解』を通訳者の『誤訳』に基づくものとして説明しやすいから、というもの」(p.96)があるらしく、なんて通訳者に失礼な話なんだろう、と思うが、そういうキレイゴトでは済まない世界なんだなあ、と思って、ほんとおれには無理だ、と思ってしまった。あと、通訳者があえて通訳しない、あえて誤訳することがある、という話で、それはまた恐ろしい話だと思う。昔、リチャード・ギアの出ている映画で中国で拘束されたアメリカ人を裁く法廷で、都合の悪い部分は通訳が途切れるとか、なんかそんな話があった気がするのを思い出した。「極端にいえば、通訳者がいくら心の中で『これは絶対に黒だ』と思っても発言者が『これは白です』といったら、『白』と訳さなければならない。『この方は白とおっしゃっていますが、本当は黒なのです』ということは通訳者として許されることではない。いわんや、すまして『これは黒です』と発言者がそういったかのように訳すのは、通訳でもなんでもない。」(p.264)というのは、なんかもう、笑ってしまった。あとorangeという色が必ずしも「オレンジ色」じゃない話は知っていたが、oakが「樫」じゃなくて「楢」という話(pp.158-9)は、全然知らなった。樫と楢は実は全然違う、という話も衝撃で「誤訳」と生活語彙の話は面白いと思った。(19/07/12)

  • 歴史

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  • 2018.03.19 朝活読書サロンにて紹介を受ける。

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著者プロフィール

立教大学大学院異文化コミュニケーション研究科教授(研究科委員長2002-2005、2008-2010)を経て立教大学特任教授、立教・異文化コミュニケーション学会(RICS)会長(2009-2011)。著書『通訳者と戦後日米外交』(みすず書房2007)(単著)Voices of the Invisible Presence: Diplomatic Interpreters in Post-World War II Japan(John Benjamins, 2009)(単著)『通訳者たちの見た戦後史――月面着陸から大学入試まで』(新潮社2021)(単著)。

「2021年 『異文化コミュニケーション学への招待【新装版】』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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