- Amazon.co.jp ・本 (299ページ)
- / ISBN・EAN: 9784101459219
作品紹介・あらすじ
原爆投下は、たった一語の誤訳が原因だった-。突き付けられたポツダム宣言に対し、熟慮の末に鈴木貫太郎首相が会見で発した「黙殺」という言葉。この日本語は、はたして何と英訳されたのか。ignore(無視する)、それともreject(拒否する)だったのか?佐藤・ニクソン会談での「善処します」や、中曽根「不沈空母」発言など。世界の歴史をかえてしまった誤訳の真相に迫る。
感想・レビュー・書評
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ニュースの同時通訳や新聞等にある専門用語の日本語訳に興味や違和感を持ったことがある人にはオススメ。
通訳・翻訳の違い、言葉だけでなく文化背景(諺・例え等)を如何に訳すか?言葉にならない「間」さえもが政治・国際関係を動かすものとなるなかで、その存在を消し影にさえならない通訳者たちの仕事を歴史的に分析している。
ジョーン・バエズの件は、政治と音楽、プロとアマチュアの入り交ざった例として大変おもしろい。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
私は、特に第5章「文化はどこまで訳せるか」の内容に強く惹かれた。ある文化の中に存在する事柄をもう1つの文化の中に訳するという事はどこまで可能なのだろうか。「言語の通訳」についてしか考えた事のなかった私にとって、この「文化の通訳」という言葉は非常に衝撃的だった。通訳者達はその文化のギャップをどのように埋めてコミュニケーションを図るのか、彼らの奮闘ぶりに読者である私達の脳もストーミングさせられる、パワフルな内容。1つ1つの事例が詳しく取り上げられており、通訳に関する知識があまりない私のような人間にとっても面白く読みやすく書かれているのが嬉しい。通訳という仕事には興味がなくても、英語に何らかの形で興味を持っておられる方には是非一度読んで頂きたい。また、その1つ1つの事例に対する見解もしっかりポイントを突いていて、素晴らしい通訳論の1冊だと思う。
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「言葉は文化である。」この言葉をまさに実感できた本。
どんなものをとっても、100パーセントの意味を持って訳すことはできないようです。an orange cat って、何色の猫だと思いますか? -
もともとは『ことばが招く国際摩擦』
というタイトルで発売されていた本の文庫版。
もともとのタイトルの方が本の内容を正確に伝えているように思います。
通訳者、翻訳者の話を聞いたり、本を読んだりすると、
英語にしろエスペラントにしろ、国際語っていう考え方に潜んでいる
本質的な問題点が見えてくるような気がする。
大変勉強になりましたが、
ひとつひとつの事例をもうちょっと踏み込んで書いて欲しいなぁ
って思うところが多かったので、星4つです。 -
誤訳の定義が難しいということに触れつつ、有名なポツダム宣言時の首相の「黙殺」という発言の英訳からはじまり、さまざまな日本語と外国語の通訳・翻訳時に起きた問題を取り上げて解説されている。
ある言葉を直訳するか相手国の文化などを考慮して伝わるように変更して訳すかどうかで受け取り側の行動が変わるが、そのまま伝えても取引を失敗したから誤訳なのか、結果がよくても違う言葉で伝えたから誤訳なのか。
もちろん訳者に外国語の知識がない、外国の文化を理解していないなどの問題がある場合もあるがどうしても訳を担当した者に非難が集まってしまうことが多い。
また、本書ではわざわざ訳が難しい比喩表現などを使う原発言者に問題があるケースもあると指摘していてまさにその通りだと思う。外国が注視する発言をする場合に日本人でも理解しにくい微妙なニュアンスの違いを求めて言葉を選ばれても、訳者が意図通りに受け取れるかもわからないし、さらに訳語を受け取った人間が意図を理解することはかなり難解になってしまう。
それゆえ、首相など国外とのやりとりが必須になる立場である人はより伝えるということを意識して発言をしていかなければならないのだろう。
面白かったのは、英語力に定評のあった中曽根首相・宮沢首相の二者がこぞって英語で問題を起こしたということ。
日本人の平均より英語が話せるからといって知ったかぶりをしたり、しっかり伝えるということへの意識が低くなってしまったりした結果なのだろう。
こうした失敗の経験からも専門家としての通訳・翻訳の重要性が理解できる。
以前より国外とやりとりする人も増え、AIも発達していることで訳者の重要性を軽視する人が多くなってしまう予感がするが、認識の改善や教育面の充実が行われることを祈る。 -
主に政治の場で展開された会話で、ちょっとしたニュアンスの差(文化の差)からトラブルになった事例を紹介している。
冒頭から第二次大戦での原爆投下に繋がったとされる、ポツダム宣言に対する日本政府の「黙殺」という言葉が話題に上る。発した側と受け取った側の真意は色々あるだろうが、異国間でのコミュニケーションの重要性が伝わってくる。
通訳という仕事の優劣は、ネイティブか否かよりも結局のところ母国語の語彙力や理解力に左右されるという。特に文学作品などはそれが顕著に出る。
自分自身たくさんの本を読んでいるが、翻訳ものはどうしても苦手だ。読書を始めてしばらく経ってから翻訳物が読みづらい理由が異国間での文化や言い回しの違いによるものだと気づいた。その事は本書でも、重要事項として多面的に語られている。
同じ言語同士でも意思の疎通ができないことだってある。まずそこを理解することが必要だ。 -
著者は立教大学異文化コミュニケーション研究科創設者の鳥飼玖美子先生。1〜3章は歴史的事例から通訳における誤訳というものを考察、後半は翻訳における文化の違いの重要性に着目し、最後に通訳者の使命や通訳研究の必要性を提起している。
ややセンセーショナルなタイトルがつけられているが、裏表紙にあるような誤訳の話は前半だけ。通訳論の本が書きたかったとあとがきに書かれているとおり、単なる誤訳論議の本ではなく、もっと客観的に、色々な話題が盛り込まれた通訳論への橋渡し的な一冊になっている。特に、通訳者や通訳者を目指している人は基礎知識として読んでおくとよいと思う。
「通訳は言葉を訳すのか、メッセージを訳すのか」という議論があるらしい。メッセージだとしたら、日本語から英語への通訳は概念から言語という着物をはぎ取り洋服に着替えさせるような役割なのか、それは可能なのか、そもそも言語とは何か・・・。最後の章にあった問いかけが気になった。翻訳を仕事とする者としても、今後考えてみたい。 -
背ラベル:801.7-ト
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ページが増えそうな危惧を抱いて積読から引っぱり出した