この世 この生―西行・良寛・明恵・道元 (新潮文庫)

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  • 新潮社
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  • Amazon.co.jp ・本 (206ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784101462110

作品紹介・あらすじ

花と月とへの憧憬、子供らとの無垢な戯れ、夢遊の至純、浄身の飽くなき実践。-大患を得て自らの死と対峙し続ける体験を持った一人の文学者が、敬愛する四人の先人の、隠者の系譜につらなる詩歌と思想とに深く分け入り、死生観を味読する。その時、未知の死と不可知の死後とが、今・ここにおける生と相結んで、現世浄土を求める地上一寸の声に結晶してゆく…。読売文学賞受賞。

感想・レビュー・書評

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  • 著者の『徒然草を読む』(講談社学術文庫)の続編というべき内容の本です。

    『徒然草を読む』では、後世をたのむことなく、死の差しせまりつつある今を生きようとする兼好の姿勢についての考察がおこなわれていました。本書では、西行、良寛、明恵、道元の四人の隠者の系譜をたどりつつ、死へ向けてさらに一歩を踏み出すことができるのかという課題に取り組んだものということができます。

    西行は、花月への憧れの果てに死を垣間見たと著者はいい、「ゆくへなく月に心のすみすみて果てはいかにかならむとすらむ」という歌は、身体から月へとあこがれ出る透明な浄福感に満ちていると主張しています。

    次に著者は、良寛の遊戯の境地の時間的・空間的感覚について考察をおこなっています。とくに「つきて見よひふみよいむなやここのとをとをと納めてまたはじまるを」という歌に着目して、「ひふみよいむな」と毬をつき、「ここのとを」と至って、また一から開始する円環的時間に、毬つきという遊戯における三昧の境地が示されていると論じられています。

    明恵と道元については、著者は彼らの信仰の立場にいたることはできないとしながらも、彼らの生き方を裾野から仰ぎ見るという論じ方がなされています。馬に足を上げさせようとする男のことばを聞いた明恵が、「阿字」と勘違いしたエピソードを引きつつ、明恵が生きたのは、「足」がなくて「阿字」のあるような「いま」だったと著者は述べています。また、道元の「有時」の思想に触れつつ、瞬時に生きて瞬時に死ぬ時間のありように、想像力を駆使してせまろうとしています。

  • 西行、良寛、道元の評論は類書の多い中で、著者のものが腑に落ちやすい。次は著者の作品で未読の『俗と無常』で兼好法師を。

  • 病と闘いながら、医師として、歌人として、作家として生きた三四二。
    控えめで、でもそれを表現していくことは恐れず、しっかりとした感じを受けていた。本書は、そんな彼の西行観、良寛観、明恵観、道元観を知ることができる。おちついて、しっかりとらえようとする著者の思いが伝わる。
    そんな良書である。

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