- Amazon.co.jp ・本 (430ページ)
- / ISBN・EAN: 9784101482231
作品紹介・あらすじ
「絶対音感」とは音楽家に必須の能力なのか?それは音楽に何をもたらすのか-一流音楽家、科学者ら200人以上に証言を求め、驚くべき事実を明らかにする。音楽の本質を探る、ベストセラーノンフィクションの文庫決定版。
感想・レビュー・書評
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時間かかったけど読了。色々なミュージシャンや音楽関係者への取材をベースに構成されたノンフィクション。特に、最後の五嶋みどり/五嶋龍ファミリーの物語が壮絶・圧巻。五嶋ファミリーのマンハッタンでの生活と、姉弟を中心とする家族の姿を克明に描写しているこの本は(このチャプターは)平成初期の日本文化の重要な記録だと思う。
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ノンフィクションの地道さ、堅実さ、らせん状に深まっていく真相。
こういう仕事をちゃんと待って、評価していくことが本当に大事だと思う。
当時、きっとすごく読まれたであろうけど、
最後まで読み切れなかった人もいるんじゃないだろうか。
ひとつの疑問やイメージから、丁寧に文献に当たり、当事者の声を聞いていく。
たどっていく道筋の中に、ぼんやりと「当たり前」と思っていたことに出くわしたり、
そのたびに、最初と同じようで違う場所から同じものを見る視点が加わったり。
絶対と相対、能力と修練、技術と表現力、環境や人間の成長の時期、
物理的な楽器というものを通じて生まれる誤差、
音を文字として読める力と、文字では読み切れない情感の範囲。
コンピューター(今ならAIか)の限界と、
人間の能力の、取捨選択における膨大さと何を選ぶかという早さの凄さ。
いろいろな要素が、調べる中で目の前に出てきて、
改めて、ここまで気付かなかった不思議に直面する。
ものを調べるってそういうことで、
行きつく先も、自分の予想なんてどんどん超えて止まらなくて。
この本1冊がここで終わっても、
まだまだ追及していくテーマ、新しい方法、視点は日々生まれていく。
でもこの地道に歩いていくしかない道にしびれを切らす人は多いだろう。
分からない人は「絶対音感」というお墨付きだけもらえれば
あとはすべて上手くいくと勝手に合点してもう次へ行く。
だますのなんて簡単だ。
学ぶ醍醐味、自分の頭のスペースが一気に開けていく快感、
自分で掴まなければ得られない充実感と実感、
その人にしかたどり着けない答え。
それを知ることで、自分がかかわらないいろいろなものに対しても、
すぐに答えが出ないことが分かるし、
一面からだけでは見えないことが分かるし。
判断を保留にしたまま余裕をもって考え、
出た結果を大切に大事にできると思うんだけどね。 -
自分も昔ピアノを習っていて、先生から絶対音感があると言われたが、けどそれが何だか良くわからないまま、結局音楽からはそのうち離れてしまった。
本書を通して、絶対音感があった方がいいのかは、様々なインタビューを通しても、必ずしも必須な能力だとは言われていない。
そして本作が、絶対音感から最終的に、音楽とは?という根源的な話になっていくのが興味深い。 -
原著は1998年刊行。
それからほぼ四半世紀経つ。
たしかに、脳科学も、知覚系の心理学、AIも(まだ「人工知能」という呼び方しかしなかったころだ)、執筆時とは状況が大きく変わっているに違いない。
また、終盤に出てくる五嶋龍少年は、今や世界で活躍するバイオリンのソリストとなったことを思うと、時の経過を感じさせられる。
でも、この本は、今読んでも十分面白い。
多面的に、丁寧に、この問題を調査してあるからだ。
私はたぶん20年近く前に一度読んでいるはずなのに、前読んだ時よりもっと面白く読めた。
本書は、「絶対音感」と呼ばれている能力が、実際にはいろいろな側面やレベルに分かれるものであることをまず確認する。
音を聞いて音名を答えられるラベリングの力だけでなく、音程を捉える力、和声を聞き取る力、音高の違いを聞き取る力…。
絶対音感を持つとされる人の中にもいろいろなありようがあり、さらに能力間ではトレードオフの関係にありそうなものもある。
こんなふうに、本書では冒頭で絶対音感が多面的な力を指すことが整理される。
そして、それが社会で様々な理解と思惑を生んでいくことに論が転じていく。
こうした状況を俯瞰した上で、本書はなぜ日本の音楽教育の中で絶対音感教育がかくも「絶対」視されたのかを解き明かす。
このくだりが、今回読んで一番新鮮だったところ。
そして、それは裏返せば前読んだ時まったく印象に残らなかったところでもあるのだ。
それから、何に驚いたかというと、固定ド唱法と移動ド唱法をめぐる教育界の対立。
さっき、小学校の学習指導要領というものをネットで見てみたが、現状は小学校低学年で階名唱(移動ド唱法)が教えられているようだったが、実際どうなのだろう?
国内の事情以外では、現代音楽が調性を破壊した結果、絶対音感を必要とする音楽の作り方になっているという指摘も面白かった。
そして、そういった曲を指揮するためにも、音楽家の中で最も絶対音感を求められるのは指揮者なのだともあった。
この本では指揮者たちへのインタビューも多く、指揮をしながら何を調整しているのかが少し窺い知れるところも貴重なところだと思う。 -
オリジナルは1998年刊。前々から評判は知っていたが、テーマへの興味がイマイチで読んでいなかった。このたび著者の新刊を読むにあたって予習的な気持ちで手にとった。最初のうちは「このテーマでどこまで書けるのか?」と思ったが、日本の音楽教育史、認知科学、現代のクラシック音楽の一断面まで、絶対音感をキーワードに話は広がっていく。著者がわりと表に表れてくる書きぶりだが、要所要所は抑制が効いて読みやすい。認知科学的なくだりなんか、感覚の相対性を強調するあたり一般のノンフィクションとしては先駆け的な気がする。
・固定ド唱法と移動ド唱法。専門教育は固定ドで、学校は移動ド。絶対音感があるなら前者しかないが、後者の方が相対音感だけだと馴染みやすいと。
・440ヘルツがA音というのが「一応」の基準とされているが、オケによって微妙に違う。高いほうが艶が出る、インフレピッチ。時代によっても違い、モーツァルトの頃は422だった。
・周波数比率が2対1のオクターヴや、3対2(完全5度)、4対3(完全4度)を心地よく感じるのは生得的な制約。哺乳類では同じらしい(→周波数が最小公倍数でキレイに重なるのがよい?)。その生得的な制約を分割して音階をつくる。→音階と音律の違いよく分からず
・オクターヴを均等に12分割した平均律。いまのピアノはたいていこれ。純正律と比べると3度や5度は少しにごって響くが、その濁りはどの音階でもバラつきがないため、無調の現代音楽などには適する。いまは純正律やピタゴラス音律よりも平均律が心地よく聞こえる学生が多い。日ごろ接する音楽の影響か。
<blockquote>自分の持つ絶対音感に違和感を感じた時点で、それが「わが家のA音=440ヘルツで調律されたピアノでついた平均律の絶対音感」という極私的なものだと、彼らは気づいたのだ。</blockquote>
・「a」「i」「a」と個別に発音したものをつなげても「aia」とは聞こえない。「aia」とつなげて発音したものを機械的に分割しても「a」も「i」も「a」も見つけられない。聴覚とは時間的な変化につよく依存した感覚である。 -
最相葉月さんが書かれていた、『風が強く吹いている』の解説になんとなく心ひかれて、この人の本も読んでみたいと思い、手にとった本。
絶対音感についての解説(日本での絶対音感教育の歴史とか、そもそも絶対音感とはなんぞやという話とか)も面白かったけど、音楽にまつわる豆知識(国によってピアノの基準音が440ヘルツだったり442ヘルツだったりバラバラなこととか、ヴァイオリニストはオーケストラの中で弾くときとソリストとして協奏曲を弾くときでは音程のとり方が変わってくることとか)にも、たくさん驚きとか感心させられることがあった。
音楽家と科学者、両方の綿密な取材から、音楽の奥深さと人間の能力の曖昧さのすごさがよく伝わってくる。
単行本が出されたのが1998年だけど、それから26年も経った今では、またさらに研究や技術の開発が進んで、分かるようになったこと、人間でなく機械ができるようになったことがあるんだろうな。 -
シリーズ名 新潮文庫
発行形態 文庫、電子書籍
判型 新潮文庫
ISBN 978-4-10-148223-1
C-CODE 0195
整理番号 さ-53-3
ジャンル 文学・評論、ノンフィクション、音楽理論・音楽論、音楽
定価 737円
電子書籍 価格 649円
https://www.shinchosha.co.jp/book/148223/
【簡易目次】
プロローグ 書き換えられた自伝
第1章 人間音叉
第2章 形見の和音
第3章 意志の刻印
第4章 幻想狂想曲
第5章 失われた音を求めて
第6章 絶対の崩壊と再生
第7章 涙は脳から出るのではない
第8章 心の扉
エピローグ バラライカの記憶 -
絶対音感という能力があることは、生活する上でそんなに楽じゃないんだ、ということがわかる本
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“「ドはドであって、ド以外の何ものでもない」
絶対音感を持つ多くの音楽家が移動ド唱で歌えず、相当な苦痛と矛盾を抱えたと証言している。”
ほんと、コレ。ドレミの歌を歌詞で歌うの、音が違うから、できない.... -
最相葉月(1963年~)氏は、関西学院大学法学部卒、広告会社、出版社、PR誌編集事務所勤務を経て、フリーのノンフィクションライター。本作品で小学館ノンフィクション大賞(1998年)、『星新一 一〇〇一話をつくった人』で講談社ノンフィクション賞(2007年)、大佛次郎賞、日本SF大賞等を受賞。
本書は、1998年に出版、2002年に小学館文庫で文庫化され(現在絶版)、2006年に新潮文庫で再版された。
内容は、ライターになってから「絶対音感」という言葉に初めて出会った著者が、その言葉に強く惹かれて、その「絶対音感」に関して、音楽家や科学者等200人にインタビューを行い、それについてまとめたものである。取材の対象となったのは、バイオリニストの五嶋みどり、五嶋龍(及び、みどりと龍の母の五嶋節)、千住真理子、指揮者の佐渡裕、大友直人、作曲家の三善晃、ミュージシャンの矢野顕子、ギタリストの渡辺香津美、等、錚々たる人々である。
前半では、絶対音感とは何か?、絶対音感の有無は先天的なものか後天的なものか?、日本の絶対音感に関わる音楽教育の歴史、絶対音感に関する脳科学的研究・分析等が記されており、それによれば、絶対音感とは、ある音を聞いた時に、その音が音名・階名で表現できる能力のこと(一方、相対音感とは、基準となる音を与えられた上で、ある音の高さを認識できる能力)であり、その能力は、幼少期に言語を習得するのと同じようなプロセスで、(後天的に)身に付けることが可能と考えられている。(もちろん例外もあろうが)
そして、その絶対音感を持つことが、一流の音楽家になるために不可欠(又は、圧倒的に有利)なのかについては、興味深いことに、少なからぬ音楽家が、「絶対音感は持っていたほうがいいのかどうか、よくわからない」、「絶対音感はあってもいいし、なくてもかまわない」と語っている。その理由は様々だ(と思われる)が、私が本書で初めて認識したのは、音階を作るための音程を数学的に規定した「音律」には、ピタゴラス音律、純正律、平均律等があり、それぞれにより微妙な音程(周波数)差があることと、更に驚いたのは、基準音が、国やオーケストラによって異なるということ(A音の周波数について、日本の主要オーケストラは442ヘルツ、ベルリン・フィルやウィーン・フィルは445~446ヘルツ、イギリスは440ヘルツ、アメリカは440~442ヘルツ)で、そのいずれについても、精緻な絶対音感を持っているほど(それを、即座に微修正する能力まであれば別だが)、違和感を覚えることになりかねないのだ。
更に、後半では、絶対音感というテーマから徐々に、そもそも音楽とは何なのか?、素晴らしい音楽がなぜ人々を感動させるのか?という問いに移行していくのだが、様々な材料は提示されるものの、解答が示されているわけではない。著者は、文化人類学者のレヴィ=ストロースが『神話論』に記した「音楽は人類究極の謎であり、音楽の謎が解き明かされれば人類進化の謎の多くも解かれる」という文章を引用して、その答えが示されるのは遠い将来のことだろうとしている。
絶対音感とは何かを解き明かしつつ、音楽とは何かという究極の問いを我々に投げかける、力作ノンフィクションである。
(2022年10月了)