日本仏教の可能性―現代思想としての冒険 (新潮文庫)

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  • 新潮社
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  • Amazon.co.jp ・本 (245ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784101489124

作品紹介・あらすじ

ハイテク化が進む中で、日常が複雑になっている。体温がなくなった世の中で、人々は健全に生きることが難しく、心の置き場を見つけることができない。かつて生活とともにあった仏教は、いま、私たちにどのように関わり、道を示すことができるのだろうか。葬式、禅、死者-。生活に根付く仏教的なキーワードを取り上げ、新時代における意義と可能性を探るスリリングな連続講義。

感想・レビュー・書評

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  •  人間が語りあって合意できる部分であれば、それは倫理で充分。しかし語りえないところも、また存在することも事実である。死者(=究極の他者)とその後の世界は語りえない。ただ想像できるだけだ。それを幻想だと言い捨てることもできるし、近代以降はそうしようとしてきた。しかし死後の世界はともかくとしても、死というものは厳然としてある。それがある以上、向き合わざるをえなくなる。仏教の可能性はそこにある。そして宗教の価値も。浄土宗は阿弥陀と極楽浄土で、禅宗は無語底で、その境地を捉えようとしてきた。その境地に入れというのではない。死に向き合うための素材としよう。いんちき宗教や、擬似スピリチュアルの言説にだまされないためにも。そういうことを語りたかった本である。

     ただし、「第3章神仏再考」は、出来がわるすぎ。何がいいたいか、さっぱり分からない。削除した方が、著者のためではないかと思う。
     日本の多神教が、必ずしも宗教の寛容性を示すものではないといい、例としてキリスト教の弾圧をあげる。これは多神教対キリスト教という宗教同士の対立ではなく、単純に政治問題だろう。また阿弥陀仏崇拝は一神教のようなものだとか。

     ただ、著者の気質として、こういうスタイルの本はあまり適さないようにも感じられる。あくまでも仏典に密着し、解説し、そこからこぼれてくる一言二言の社会への提言、そちらの方が、本書よりもかえって社会的な影響力を もつような気がしてならない。例えば、概説風なら『日本仏教史』、仏典解説なら『仏典を読む』が、その成功例である。
     社会への直接的な言及の多さではなく、仏典の奥深いところから湧き上がって来る社会に向けた智慧にこそ、著者が力を発揮する領分はあるのではないか。

  • あんまり好きになれない内容。というか嫌いだ。宗教を社会学的に説明したような内容で、世俗的な立ち位置から説明したかと思うと、宗教の本質論へと話が飛躍し、そうすることで世俗は忘れ去られているといったことを行き来しているように感じた。冷静に語りつつも、大東亜戦争や神道に対する解説はドライすぎるし、こと天皇の話になると興奮して否定的に解説しているように感じた。アンチ保守派みたいな雰囲気も漂っている部分が、この本の命題「日本仏教の可能性」を曇らせている気がする。

  • 現在の仏教の置かれている状況と取り組むべき課題について、著者が語った講演をまとめた本です。

    著者は、現代のアジアで大きな影響力をもっている「エンゲイジド・ブッディズム」や「人間仏教」の考えかたを紹介し、社会的な実践の領域において仏教がどのような貢献をなしうるのかという問題を提起しています。また、仏教学者たちに顧みられることなく、もっぱら民俗学的な観点からのみ論じられてきた「葬式仏教」のありかたをみなおし、われわれの宗教観についてあらためて考えなおすことの必要性を語っています。

    さらに著者は、近年になって盛んに研究がなされている近代日本の仏教に目を向けています。とくに清沢満之や田辺元といった思想家たちの仏教にかんする議論を参照しながら、倫理と宗教のあいだに存在している問題に目を向けようとしています。

    もっぱら問題提起に終始しており、著者自身の回答の方向性がまだ明確には見えていないようにも感じられました。

  • 文字通り、葬式仏教と揶揄され形骸化の感が否めない日本仏教がこの
    現代においてどう社会と関わり、どう道を示していけるかという
    可能性についての考察。「答え」が書いてあるわけではなく、読者にも
    その可能性を探る考察に参加することを求めている本だと思う。

    「他者」の一つの極限の姿としての「死者」という考え方だったり、
    合理的な考え方の人間の領域からの逸脱を引き受け、さらにそこから
    人間の領域に引き戻す働きの担い手としての宗教のあり方だったり、
    相互に補完し合いつつ日本の宗教的部分を担ってきた仏教と神道の
    複雑に絡み合った構造だったりと、実に示唆に富む内容であった。

  • とっても,示唆に富む一冊でした。

  • 自分の死と他人の死。自分の死の延長に死者はないだろうけど、他人の死の延長に死者はあって存在し続ける。「他者としての死者」を読んでそんなことを考えました。

  •  FBのお友達の推薦。

     休日に何気なく積ん読からとりあげて読んでみた。

     仏教は多神教で、一神教よりも寛容という俗説に対して、戦国時代のキリシタン迫害の例を
    あげて厳しく批判している。

     確かに、キリスト教も寛容をうたっているから、仏教だけが寛容というわけでもないんだろう。すべての宗教が他の宗教に対して寛容であるべき。

     その他、いい言葉あり。

    ①生きているときは死後のことなど考えずに、ひたすら生き、死んだときのことは死んだときのこと。(p221)

    ②他の人のことはわからないし、それどころか、自分自身の心の中でさえ本当は全部わかりきることはできないという謙虚さをもつべきです。(p191)

    ③世界中のすべての問題に対して人間は責任をとり得るだろうか。それは小さい個人ではとてもできない。そうなると、倫理、道徳では解決のつかない問題になってくる。そこで宗教への跳躍、飛躍するのだというのです。(p79)

     まあ、こんな感じで、休日にはふさわしい考えさせられる本です。

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著者プロフィール

国際日本文化研究センター名誉教授、総合研究大学院大学名誉教授、東京大学名誉教授

「2024年 『日本の近代思想を読みなおす3 美/藝術』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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