- Amazon.co.jp ・本 (157ページ)
- / ISBN・EAN: 9784101800462
作品紹介・あらすじ
殺人も、恋も、すべて空と呼べばいい。今や誰だって言葉を発信できるし、どんな人だって言葉を受信できる。そんな現代に「特別な私」はどこにいる? かわいい。死。切ない。愛。混沌から生まれた言語は、やがて心に突き刺さり、はじける感性が世界を塗り替える。昨日とは違う私を、明日からの新しい僕を、若き詩人が切り開く。萩尾望都ら21名の漫画家・イラストレーターと中原中也賞詩人が奏でる、至福のイラスト詩集。
感想・レビュー・書評
-
よくわからない。
自分の部屋で、声に出して、読んでみた。
…隣の部屋の人の、電話の声が聞こえる。
、、、もっと小さい声で読む。
わからない。けど、作者の感情に、触れたい。
言葉に出して、読むことで、最果タヒに、出会ったような、気持ちになりたい、と思った。
カバーのイラストが、とても素敵。
詩集に付けられているイラストが、どれもとても良かった。ゴージャス。
詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
詩全体の規則正しくないリズムが、かえって現実的で自然な心の中の動きのように感じられた。
きっと文章の意味を正確に追うよりも、書き手の心の中の動きを感じるという読み方の方が合っているのかもしれない。
今まで読んできた詩とは明らかに違っていて、このような形の詩もあるのだなと非常に驚いた。 -
最果タヒの詩とイラストレーター、漫画家の絵とのコラボレーション。
イラストとタヒの詩は相性が良い。
数年前、かなり精神的に追い詰められていた時に、東京都写真美術館のミュージアムショップでこの詩集をパラパラめくって、展覧会でみた写真よりも数倍心に突き刺さった。
ページをめくるたびにまばゆい光を見るようなそんな気がして、まるで心の救いのきっかけをつかんだ気がして、すぐにこの本を購入した。
その頃は最果タヒがこんなに有名だと思わなかったが、ビビっと痺れ直観として手に入れた、そういう意味では芸術作品を非言語的に感じているのに近いと思う。
久しぶりに読み返してみたが、あの時の痺れはなく、どちらかというと難解に感じる。
気持ちがささくれて何に触れても敏感に痛みを感じるような数年前の気分の時には、言葉への感じ方、むしろロジカルではない音楽のような言葉への反応感性が昂っていたのだと思う。
ある程度心に平安がある現在、あまり変わり映えのない日常を過ごしている鈍感な時は、アート的な感じ方は鈍ってしまうのかも知れない。詩を文章としてロジカルに読もうとしてしまう。
「夕日」、「死」という言葉が多いなと思う。
それは「朝」、「生」という希望の言葉の裏返しなのではないか。
青春における恐怖は、生の、自らの生命感と現実のなにものでもないことへのギャップから生まれるのではないか。
歳をとって、おじさんになると、自分自身のポテンシャルも枯れているのがわかるし、たかがしれて、後はしぼんでいくだけの状況に納得感が出てきてしまう。
なので青少年時代に感じたような恐怖感は感じない。
でもこの詩たちを読むと、なんだかあの頃のヒリヒリ感がよみがえる。
これらの詩に出てくる「死」という言葉は、言葉そのままの「死」としてフラットに転がっているように見える。
現実感がない、夢の中の「死」のように。
独特のリズムで、音楽のように言葉そのままとして転がり散らばるような。
何度も読むとその言葉の音の連なりが、いつの間にか頭をジンジンさせてくるような。
それでいて読むのがしんどい。
そんな詩です。
今は、これらの詩の中で唯一散文的に普通の文として読める『おめでとうさようなら』が一番しっくりきた。
少し引用
_____
未来が来ることはぼくがしぬこと。きみがしぬこと。かわいいあのこがしぬこと。おいぼれること。それをすてきだという世界は呪いで、ぼくらは過去や歴史に服の裾をひっぱられて、じわじわと舞台からひきずりおおろされ、それと同時に未来の輝かしい幕開けが始まるのだ。ぼくはそれでも、新しい命や、ちいさな子供、夢や科学や占いや音楽に、拍手をしなければいけないのだろうか。いや、くだものぐらいなら、与えてもいい。花束くらいならあげてもいい。それぐらいの祝福ならしてあげようと、種を砂漠に植えているけれど、それでは足りない、きみは冷たい、残酷だと、みなが言うからやはり絶滅してしまえ。
『おめでとうさようなら(抜粋)』
_____
先に期待がもてない、おじさんに向けてのエールのように、
ノーフューチャーとさけびながら、元気をくれるパンクロックのように
感じられるところが嬉しいのかも知れません。 -
最果タヒさん
僕には
あなたも あなたの作品も
ぜんぜん 「わからない」 よ
-
やきにくさん。こんにちは。
私もこの作品は確か読んだのですが、よくわからなかったので、レビューしませんでした。
やきにくさんのあまり...やきにくさん。こんにちは。
私もこの作品は確か読んだのですが、よくわからなかったので、レビューしませんでした。
やきにくさんのあまりにも正直な感想に思わず笑ってしまいました。
最果タヒさんの詩集、他の作品にはいいものがたくさんありますので、もしよかったら他の作品も読まれてみてください。
嫌いになっては欲しくないです。
よかったら、私のブクログの本棚に他の作品は全部載せていると思いますので、よかったら本棚検索してみてください。
おせっかいかもしれませんが…。2021/03/17 -
やきにくさん。
そうですね。
やきにくさんは、きらいとはおっしゃっていないですね。
はやとちりでした。
他の最果タヒさんの作品のやき...やきにくさん。
そうですね。
やきにくさんは、きらいとはおっしゃっていないですね。
はやとちりでした。
他の最果タヒさんの作品のやきにくさんの感想を楽しみにしています。2021/03/17
-
-
悔しい。というのが率直な感想です。
こんな風に世界を見て、感じて、表現するのを許されてる人が存在すること。
ページの上でたくさんの人を殺して、それが読者(とくにJKJD世代)に称賛される人が存在すること。
悔しいというか、羨ましいのかな。今後リリカルな大量殺人を謳った詩は皆「最果のn番煎じ」といわれるのでしょう。とんでもないことをしでかした人だと思います。 -
詩集。
別冊少年マガジンで連載されていたものらしい。
一つ一つの詩にイラストがついていて、それが素敵。
最果タヒの詩は初めて読むが、一つ一つの詩では意味が分からない。
単独で意味が分かって面白いのは「永遠」、「やあ!」、「みじめな人たちのこころ」あたり。
「みじめな人たちのこころ」はイラストが片山若子なのもいい。
他の詩は、一文一文は支離滅裂で意味不明なことが多い。
しかし、詩全体を見れば、書いた人の考えが何となく見えてくる。
詩集全体ともなれば、よりはっきりしてくる。
死生観・世界観に関するものが多い。
あとがきの通り、最果タヒに会ったような気がしてくる。
一番興味深いのはあとがきだ。
結構素敵なことが書かれている。
「きみの気持ちをだれかが全部共感できるなら、きみなんていなくていいってことだ」
このくらいにはっきり書かれている方が好み。 -
「感情は名をつけたら俗物になるんよ」
『君は先週なにを残した?
10年後その7日間を覚えているのかな、あさって、その7日間を覚えているのかな、昨日なにを食べた? どんな夢を見た? 君は先週なにを残した?』
『「発見してくれ」
赤い血なのは
そういう気持ちがあったから』
『「いまなにがあっても悲しくはない」
「死んだって」「消えたって」
「きみが消えたって」
「家が海にしずんでも」「はじめから宇宙が嘘で」「みんなが」
「生まれていなくたって」』
『命のありがたさを感じるためには、いつでも死が必要なんだね。』
『本気で好きなのは命だ。命があれば、きみたちはばかだろうが、ぶきようだろうが、悪趣味だろうが、同じように平均的に区別なく愛そう。そう約束してくれたのは地球だろ。そう約束されて、いやがったのが人類だろ。差別してくれよ、あいつなんかよりぼくはずっと優秀だって、あいつなんかよりずっとうたがうまいよって、そればかりを、叫んで、そのうち愛を得られない人と、得られる人ができたわけだ。ばかだね。』
『未来が来ることはぼくがしぬこと。きみがしぬこと。かわいいあのこがしぬこと。おいぼれること。』
『赤い糸で人がつながっているんだと信じていた頃、絡まるのがいやで空に浮いていたかった』
『よろこびは毛布に、彩りは洋服に、60億人の人口は本の中に。』
『それでもきみたちは自分が、純粋で素直で素朴で、幼さを忘れない、心のすんだ人間であると、思っている。天使だと名乗るきみを、ぼくは絵にかき、地獄絵図として売ろう。』 -
最果タヒさんはやわらかい言葉を意図的につかい難解な言葉を敢えてつかわない所、それが彼女の魅力ではないかなと思う。
昔、あれは何年前だったか、確か2012年の現代詩手帖のタヒさんの詩はごりごりの漢字だらけの詩だった。それが今ではこのように変わってるのだから、彼女は賢い人で戦略家なのかもしれない。なぜって、詩は単純に売れないから。それを大衆化させたタヒさんの作品は素晴らしいし、タヒさんを真似しようとすると痛い目にあうので危険な人だ、とも思う。
でも今作では私は彼女の詩よりも、あとがきのほうが感動した。すべての「作る人」は一度読んで欲しい。 -
毎度のことながら、詩集に挑戦しては、敗れてしまう。やはり詩という表現形式は、ワシには難しく、苦手だ。
著者の詩に、そうそうたる漫画家、イラストレーターの絵が付いている本作、その豪華さはすごいが、言葉を嚥み下すことができなかった。残念。
でも、何故詩が苦手かが少し分かって、ワシは自由すぎるものが苦手なんだな、ということ。言葉運び、句読点、展開。詩はわりかしルール無用でそれらを運用できる。それが苦手であることは、自分の一つの限界を感じることでもあった。