- Amazon.co.jp ・本 (246ページ)
- / ISBN・EAN: 9784102001035
作品紹介・あらすじ
ひたむきな自然児であるだけに傷つきやすい少年ハンスは、周囲の人々の期待にこたえようとひたすら勉強にうちこみ、神学校の入学試験に通った。だが、そこでの生活は少年の心を踏みにじる規則ずくめなものだった。少年らしい反抗に駆りたてられた彼は、学校を去って見習い工として出なおそうとする…。子どもの心と生活とを自らの文学のふるさととするヘッセの代表的自伝小説である。
感想・レビュー・書評
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多感で傷つきやすい少年、ハンスの短い青春。
ヘッセの自伝的小説らしいが、小説としてより自然の描写にそのすごさを感じた。これは川端康成の雪国にも感じたことで、現代人には内容はピンと来ない部分が多いが、逆に今はない自然豊かな空気により癒しを感じるのかもしれない。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
自然豊かな片田舎の少年ハンス。その天賦の才と勤勉さをもって、周囲の期待を一身に背負い、神学校へ入学する。
神学校でのハンスは、規律・学問という教育社会の車輪の下で苦悶する。詩人を望むヘルマンとの耽美的友情。彼の退学による孤立。ハンスは、精神的に疲弊していく。
田舎に戻り、機械工を目指す。労働への挫折感。見下していた同級生との葛藤。その中でも、製造という営みに人間らしさを見出しつつあった。
ハンスは、友人達との酒宴の帰路、溺死する。
若い頃読んだ時、ハンスは自殺の印象だったが、死因については、ふれられない。事故かもしれない。
再読してその理由は不要なのかと思う。
自伝的小説とのことだが、ハンスとヘルマン二人が、ヘッセを表現しているかと。ヘッセ自身は、神学校を退学し、詩人への道を模索するが、神学校という車輪の下に残された意識の破壊の表現と思えた。
ラストの場面は、印象的で、初読の後内容は忘れても、ミレーの「オフィーリア」に脳内変換されていたのだが、もう少し普通の川。
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あまりにも学校生活ががんじがらめで窮屈そうな息子を見ていて、少しでも彼を理解したいと思い、読んでみました。
率直に言うと、すんなり読める本ではなかったです。
感情を読み解くだけで理解できるものではなかった。
読んでる途中も、読み終わった後も、「うーーむ。これはどうやって読んでいけばいいのかわからない」というのが感想でした。(途中で挫折しそうになった)
しかし、巻末の解説を読み、一晩考えたら理解できました。
読む順番として正しいのかわからないけど、「解説→車輪の下」の順に読むと背景描写が理解できて、この小説の面白さがわかると思います。(ヘッセの人生をある程度理解している人はいきなり作品を読んでもいいと思う)
車輪の下はヘッセの幼少期を自伝的な小説に仕立て上げたという事で、ヘッセの幼少期を知っているか、が肝になります。
作中にはハンス(主人公)とハイルナー(神学校で出会う友達)が登場するのですが、この二人を合わせたものが幼少期のヘッセとなります。
(これが分からないと、本当につまらない小説なのです)
ハンスは勉学に励む人格、ハイルナーは詩をこよなく愛する人格であると。
これを解説で知って、実はこの小説はすごいのでは?と思いなおしました。(名作というだけある)
分身を別の人間で表現するってすごくないですか?
ハンスとハイルナーは別々の道を歩んでいきますが、それぞれの人生はヘッセの人生でもあるのです。
これ、表現の発明だと思うのですが、私だけでしょうか??
個人的には「車輪の下」よりもヘッセ自身の人生の方がぶっ飛んでて面白いと思いました。現実は小説より奇なり、とはこういうことを言うのでしょう。
ヘッセの他の作品も読んでみたくなりました。 -
悲しく苦しい少年の心理描写が繊細に緻密に書かれていて、心が痛みました。
愛溢れる子ども時代を送ることの大切さを実感しました。 -
最後の終わり方が切ない。
失意から復活し、新たな人生をスタートさせたと思ったのだが、、
過度な期待、それに応えられる自分。
自分がしたいこととしなければならないこと。
ハンス少年は苦しかっただろうなぁ。 -
「詩人になるか、でなければ、何にもなりたくない」と言ったヘルマン・ヘッセの、あまりにも有名な半自叙伝小説。詩的な情景描写がたくさんでてきた。
繊細で感受性豊かな少年・ハンスは、幼い頃から神童ともてはやされ、期待され、猛勉強の末にエリート神学校に合格するも、そこでの規則ずくめの寮生活にやがて心を病んでいく。
退学して落ちぶれていくさまに胸が痛んだ。こういう話だったなんて知らなかった。
ハイルナーとの危うさも感じられる友情や、年上のエンマへの恋心と性の芽生え。成長していくハンスにとって、自然豊かな地元にもどれたことはきっと良いことだったはずなのに。見習い工としてやり直そうと奮闘し、未来はきっとこれからまだまだ拓けていくはずだったのに。 -
ヘッセの自叙伝とも言われている本作。この作品が描かれた頃も、今も、学業をおさめる中で心が壊れていく子どもはやっぱりいるんだな。
神学校に入学する前の束の間の休暇にまで勉強させようとする周りの大人たち、その中で靴屋のフライクおじさんだけが、まともなことを言っている。
「おまえの年ごろにゃ、十分外に出て運動し、休養も十分しなくちゃいかん。なんのための休暇だい?」正にこれが正しい。
小学校にいた時に、1年生の入学後から夏休み明けに壊れてしまう子を何人も見てきた。幼稚園で英語や算数や平仮名カタカナ、とにかく詰め込んで勉強してきた子どもは、小学校に入学してから伸び悩み荒れる。新しく学ぶことに「感動」が無いからだ。ハンスが壊れていく様子を読み進めながら、フライクおじさんがハンスの父親だったら、結末が変わっていたかもしれないと思った。
魅力的な同性への淡い感情も、異性への思いも、みずみずしい青春を存分に味わったならば、ハンスはもっと生きられたのではないだろうか。
巻末の高橋健二さんの解説が秀逸。解説を読んでから本編を読むことをお勧めする。