知と愛 (新潮文庫)

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感想 : 82
  • Amazon.co.jp ・本 (495ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784102001103

感想・レビュー・書評

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  • 原題は『ナルチスとゴルトムント』。知と精神の世界に生きる師ナルチストと、愛と芸術の世界に生きるゴルトムントを描く。ゴルトムントは修道院に入って神に帰依するはずだったが、ナルチスの影響により、愛や芸術の世界に目覚め放浪の旅に出る。清く正しい世界を目指した者が愛欲に溺れ廃退していく姿に、正直戸惑いはあった。しかし、自らの意のままに強欲に生きる姿に不思議と羨望も感じる。人生とはなんなのか、人間の本来あるべき姿とはなんなのか、そのようなことをゴルトムントの姿に重ねながらじっくり味わえた作品である。

  • 自分にとってはこの本を読まずに死んでいたら後悔するような本.ホントは★★★★★★つけたい.ヘルマン・ヘッセは大好きでずいぶん読んだが,自分の中ではこれがベストの著作だと思う(シッダールタも良かったが)

  • レビューというのは自分から距離が離れていればこそ、気軽にホイホイ書けたのだ。ヘッセのレビューを書こうとすると、思い知らされる。

    苦しみを宿命づけられた生のなかで、人がその生と死を渡り仰せるだけの光ー平穏ー意味など、何かしらの確かさを見いだそうとする不断の努力。ヘッセという人の根底のテーマは一貫している。そして、そのような凄惨さの中に、美しく優しく人や世界が描かれる点も変わらない。

    「シッダールタ」や「荒野のおおかみ」の変奏として「知と愛」を捉えることが適切かは分からない。けれど「シッダールタ」では主人公シッダールタが1人でくぐり抜けた聖者の修行と俗人の生活という2つのアプローチを、ここではナルチスとゴルトムントという2人の主人公に分けている。そのことで得た成果は大きい。キャラクターはより一般的、具体的になって、2人が同時に生き、対話することが可能になった。追求の形はいわゆる宗教的な「求道」一つではないこと、異なる手段を選んだ他者から受けとるものがあること、そしてそこにこそ「愛」があること。。求道と恋愛のストーリーに垣根はなくなり、より複雑で生き生きした普遍性が生まれた。

    この「知」と「愛」の対話の構図は、多くの人にとって覚えのあるものなのではないかと思う。相手次第で時に自分はナルチスであり、またある時はゴルトムントであるような。

  • 神に奉仕する学者ナルチスと、美に奉仕する芸術家ゴルトムント。
    そんな二人の友情の物語で″知と愛″という邦題は見事。
    対照的な生涯を送った二人が、最後に芸術を通して互いを認め、精神世界と思想を語る姿に感動しました。
    清廉と官能が織り成す精神性の美しさに心が洗われるようで。
    哲学的な作品でまだ理解しきれてない部分もあるので、大人になったらまた読み返したい。

  • 高校生活が始まってから70冊めに読んだ、個人的には記念すべき、思い入れのある本です。2年に1回ほど読み返しますが、毎回「前に読んだときの自分は、全然理解できていなかったな」と思うのです。きっと2年後も読みます。
    たくさんの経験が豊かな創造性につながること(音楽家である自分には身につまされるものがあります)、それがどんな運命であろうと自分の使命に従う決意の実行の辛さと幸せ、官能と苦悩の不思議な紙一重…こんなに充実(この言葉を使うのには少々の違和感がありますが)したひとつの人生を覗き見るのは、もはやただの「読書」ではなく「経験」です。私はキリスト教には詳しくありませんが、宗教画のテーマの一つ「放蕩息子の帰還」はこういう意味か、と思ったりもします。彫刻をやってみたくもなります(笑)
    高橋健治氏の訳は賛否両論あるようですが、私はヘッセの文章の美しさや誠実な言葉づかいを最も忠実に再現しているように思えて好きです。
    ヘッセの長編なら、本書が一番のおすすめです。

  • フォロワーさんのお勧めで読みました。知に生きる人ナルチスと愛に生きる人ゴルトムントの物語。物語はゴルトムントの生涯を追う形で展開されてゆきます。数々の女性達との愛の戯れ、あてどもなくさすらう日々。移ろう季節の美しさを目の当たりにし、または飢えと寒さに喘ぎ、芸術家てして才を開花させ、得た名誉によって定住するかと思えば人里離れて荒野を、森を、独り彷徨う。彼は目と耳と肌で人の生き様と死に様をありありと体感した。規律を守り、秩序の中で暮らしてるナルチスには味わうことのできないような形で生と死の神秘をゴルトムンは知ったのだ。修道院を飛び出して放浪の最中にあってもゴルトムンの中には常にナルチスがいた。本作においてヘッセの書きたかった主題は最後の5章ではないかなと思いました。特に感動的だったのはナルチスがゴルトムントと彼の芸術によって自分が豊かになった、ナルチス自身がいかに自分は貧しかったかを悟る場面。ゴルトムントの存在によってナルチスは己が体験できない全てのものを得たのだと思います。その人自身が愛だったのだと。素晴らしい作品でした。

  • エロスとアガペーのプラトニックラブ。
    この友情はナルチスが戒律に縛られたカトリックの修道院院長であるから成り立ったようにも見える。何にせよ結局ナルチスはその名のギリシャ神話の通り、自分のものにできないものを愛する・叶わない恋という結末を迎えている。
    美とは二面性を備えたものであるという芸術論に共感。男であり女である、純潔であり官能である。対極な印象を合わせ持つ対象の神秘さに強く興味を惹かれる。美しい芸術は永遠である。
    精神に理想を描いているのならそれをアウトプットして実在させた方が満足を得られるような気がした。
    対極な友情、性、病気と死。いくらでもドロドロと汚くできる素材を扱いつつも胸が悪くなるような性描写に振り切ることもなく、きちんとコントロールして綺麗にまとめている文力に感心した。

    デミアンよりエピソードが豊富で退屈しなかった。
    ヘッセの一人の人間を二人に分割して描写する手法が好きだ。
    ナルチスの人生の方が興味深かったのでこっちの描写をもっと見たかった。
    キリスト教に明るくないので母性信仰という概念についてはちょっと理解に至らなかった。なぜ子供の種を持っている父親こそ生命の源とならないのだろう。

  • ヘッセの人生というのは、常に知性と感覚のせめぎ合いだったのだろう。この激しい二項対立を抱えて生き続けたと言ってもいい。知るとは何だ。目の前にあるこの美しい景色を感じるこの心はなんだ。彼は幼い時からそう思う心を非常に大事にしてきたに違いない。彼にとって学問は感覚抜きに行われる、純粋に抽象的なものであったのだろう。なぜ、感じられもしないそんなことをしなければならないのか。どこまでも素直な彼にとって、こんな理不尽なことはない。彼はそうして何もかも捨てて飛び出していくのであった。
    旅に生き、流れのなかに生き、とめどないひとの世でさすらうということは、別れが必然であり、定住はできない。ひとが好きなのに、ひとと別れねばならない。ずっと一緒にいられればいいのに、心がそれを望まない。そんなせめぎ合いの中、ゴルトムントは何を残せるのかと問い、ついに芸術というものを知る。しかし、その芸術さえも超え、ついに形而上の世界へ飛び出してしまうのだった。生きているということは、それ自体不思議で、魂は不滅なのだと彼は気付いたのだろう。そんな彼の生き様を抱えて、ナルチスは生きていかねばならないのだ。ナルチスの選んだ道はそういう生き方でしかないのだ。かくしてふたりは結局わかりあうことはなく、ゴルトムントはナルチスを置いてひとり旅立っていく。
    多分に『デミアン』や『シッダールタ』で培った精神分析や、諸行無常観が取り入れられている。ヘッセにとって、そうした考え方にどこかひかれるところや、新しい境地を見出したのは間違いないようだ。おそらく、二項対立という考え方をどうにかして乗り越えようとしていたに違いない。ずっと愛したい、けれど限りある命だからずっと一緒にはいられない。ここではないどこかへ行きたい、けれど安住の場所などなく、どこにもいられない。それならば、なぜ自分は今こうして生きているのか。それはすべてを生みだした母なる原型に帰るためなのだ。これこそ悟りであり、人間の目指すべきところではないか。彼はそう感じていた。
    いい意味でも悪い意味でも、ヘッセはいわゆる西洋的な信仰に裏打ちされて生きてきたゆえの発想なのだとは思う。しかし、知と愛はそれほどまでに対立するものなのか。「知る」ということと「感じる」ということはそれほどに違うのか。終盤ゴルトムントも触れており、ナルチスも気づいているが、心象のない思索というのはありえない。形式と内容というものはどうあがいてもそれ単一では存在しえない。形式のない内容、内容のない形式、そんなものはおおよそあり得ないのだ。
    二項対立という現象自体、そもそも、それを見出す第三者の存在なしにはありえない。二項対立を作りだすのは他でもない、この自分だ。内容と形式を分けているのは、他でもない内容と形式を併せ持ったこの自分でしかない。『シッダールタ』でみられたあの一体感というものが、この『知と愛』ではまったく感じられないのは、おそらく、この辺についての考察がヘッセ自身煮え切っていないからなのだと思う。母の姿を持たなくとも、ひとは愛だとか、死ということばを先に持ってしまっているのだ。その母という原型さえも、ことばの存在ありきでないといけないのだ。ほんとうに原型に帰るのなら、ことば自体を成り立たせている、ことば以前の存在を感じているはずではなかったのか。ゴルトムントはその生涯を終える際に、あのようなうわ言ではなく、ことばにならない叫びをあげるか、静かに何も語らず従容と消えていくべきではなかったのか。そう思わずにはいられない。

  • 知の追求者ナルチスと、芸術の道を進むゴルトムントの友情の物語です。物語は、ゴルトムント中心に語られますが、その心の中には常にナルチスがあります。
    昔読んだ時は、ゴルトムントに惹かれながら読みましたが、今回読み返してみたらナルチスの存在の大きさを感じました。

  • 2014.03.26読了。
    今年14冊目。

    デミアンからの知と愛だったので、理屈っぽいところはあるけど読みやすかった。

    ナルチスとゴルトムントの美しい友情の話。
    はじめ5章は教師と生徒という関係もあり友とお互い呼び合うことが少し不自然に感じたし、明らかにナルチスがゴルトムントを導く立場にあった。
    ゴルトムントはナルチスに刺激され、揺さぶられ、彼のようになれないと悟り、自分らしく生きるため放蕩の旅に出る。

    それが最後の5章で再会し、かつてナルチスがゴルトムントに与えたものは倍になって返ってくる。
    大人になったゴルトムントとナルチスは対等になり、それとともに与える立場にあったナルチスを刺激し、揺さぶる。

    私には最後の5章で彼らは本当の友となったように思えた。
    そして最後が1番好きな部分かも。


    それぞれの苦悩の中に私と同じ苦悩があり、共感できる部分があった。
    人は完成することがなく変化していくものだからこそ、確かなもの、変わらないもの、そして自分のあり方を探し求める。
    ナルチスは知として、規律を守り、規則的な生活を。
    ゴルトムントは愛として、感情のまま愛を求め、自由を求め、旅をする。

    ナルチスのように知識はあるけれど経験をしていないのも淋しい人生だと思う。本ばかり読んでる時期にたまに私も思うことがあるけれど笑
    本からの知識だけでなくたくさんのことに触れて、経験して、感情、感性を豊かに、感じることも大事にしていきたいなと。

    中10章のゴルトムントの旅は移り行く季節とともに美しい景色、自然の厳しさ、気ままな旅の楽しさ、苦しさ、不安、絶望、恐怖、怒り、出会った数々の女性たちとの愛、虚しさ、そして芸術、感動と本当にたくさんのことを経験し、感情豊かな生き方が描かれている。醜い部分もたくさんあるのに全てが美しく感じられた。
    行く先々で女の愛を摘み、官能に溺れる部分は意気込んで旅に出てこれか!と思ったけれど笑
    女たちとの経験もゴルトムントにとっては芸術という部分で無駄にはなっていないし、醜い部分があるからこそ彼の人生が美しく見えたのかもしれない。

    ゴルトムントの旅した人生はかなり極端だけれど、私も同じように人生を旅していく者として、もっともっとたくさんのことを経験して感じていきたいなと思う。

    また何年後かに読みたい。
    そのときは感じ方が変わってる気がする。

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