レベッカ 上 (新潮文庫 テ 4-1)

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  • Amazon.co.jp ・本 (341ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784102002018

感想・レビュー・書評

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  • (感想は下巻にて)

  • 新訳も出ているみたいですが、大久保氏は他のデュ・モーリア作品も数多く手掛けているし、旧訳でいいんじゃないですかね。少し古風な日本語の感じと物語の持つゴシックな雰囲気が絶妙にマッチしています。

    山田風太郎が小説の中で"デュ・モーリア女史"と言及するほどの愛読者だったとは知って、再び興味が湧いてきたのですが、なるほどさすがのストーリーテラーっぷりです。

  • 孤児だった21歳の「わたし」は、裕福だが俗物のヴァン・ホッパー夫人の付き人となっている。彼女に連れられてやってきたモンテカルロのホテルで「わたし」は、イギリスのマンダレーに邸宅を構える大金持ちのマクシミリアン・ド・ウィンター(マキシム)と知り合い、彼に恋をする。彼は1年ほど前に妻のレベッカを水難事故で亡くし、傷心旅行中の42歳。なぜか彼も「わたし」を気に入り、急なプロポーズにより二人は結婚する。「わたし」はマキシムの妻として、憧れのマンダレーにやって来るが…。

    『ジェーン・エア』を再読してたら、たまに細部で混同してしまう『レベッカ』も読みたくなり、久々に再読。お金持ちの中年男性に見初められた孤児の娘が、由緒正しいお屋敷に隠された前妻の存在(レベッカは死んでるけど)におびやかされるも、最後に屋敷は燃え落ち、ヒロインは夫と添い遂げる…という共通項のせいで、実際には全然違う筋書きなのに、ジェーン・エアとレベッカを混同してしまう(苦笑)実際にはシャーロット・ブロンテは1816年生まれ、ダフネ・デュ・モーリアは1907年生まれなので100年近い開きがあるのに、登場人物たちのいるイギリスの雰囲気は、あまり時代の差を感じない。

    さてジェーンの恋の相手ロチェスター氏は非イケメン設定だったけれど、こちらのマキシムは、年齢はヒロインとダブルスコアながら見た目からしてスマートな紳士。低劣なヴァン・ホッパー夫人に辟易していたこともあり、ヒロインはあっという間に彼に熱烈な恋心を抱く。それにしても、当時の働く女性の職業は、この手の小説だと「家庭教師」が定番だけれど、お金持ちのおばさまの話し相手みたいなお仕事まであるとは。あくまで使用人とは違うようだけど、実質ただの召使い。雇い主が良い人なら楽しそうだけど、ヴァン・ホッパー夫人は最悪。

    ともあれ、玉の輿に乗った「わたし」は、恋に夢中でそれ以外のことを考えていなかったけれど、大金持ちの奥様の立場は実は楽ではない。迷子になるほど広大な屋敷、上流階級の社交界でのおつきあい、しかもこういう環境に不慣れな上に社交家ではない内気な彼女にとっては、そういう生活は苦痛でしかない。そしてことあるごとに、来客からも、使用人からも、前妻レベッカと較べられる。レベッカは美しく華やかで社交的、一種のカリスマ性があり、誰もが彼女を褒めそやす。マキシムのおばあ様は、認知が始まっているせいもあり、「わたし」が挨拶に出向いても「レベッカはどこ!?」と騒ぐし、犬のジャスパーでさえも前の女主人を覚えている様子を見せる。

    とくにマンダレーの家政を取り仕切っているダンヴァーズ夫人は、レベッカの実家から嫁入りに付いて来たこともあり、レベッカを今も崇拝しており、「わたし」に対しては冷ややかな上から目線。「わたし」はすっかり萎縮し、卑屈になってしまう。さらに夫マキシムも、時折レベッカにまつわる思い出が蘇ると、自分の殻に閉じこもってしまう。彼の苦悩は、それほどまでに愛していたレベッカを失ったからだと当初は思われるが…。

    味方のいないマンダレーで、「わたし」が一番信頼しているのは、代理人のフランク・クローリー。不器用だが生真面目で、「わたし」をさりげなくサポートしてくれる。そしてマキシムの姉のビアトリスとその夫ガイルズ。この義姉は弟とは会うと喧嘩ばかりしているが、ややデリカシーに欠けるものの裏表のないざっくばらんな性格で、「わたし」に対して唯一好意的。あとは、マンダレーに「わたし」が来てから専属侍女として雇われたクラリスという娘は、前妻レベッカを知らないので気安い。

    さて、使用人の立場ながらねちねちと「わたし」をいびるダンヴァーズ夫人、本当に粘着質で気持ち悪い。さらにレベッカの従兄弟であるジャック・ファヴェルという男をマキシムの留守中に屋敷に引き入れたことをマキシムに咎められ、告げ口したのが「わたし」だと思い込んで、とんでもない嫌がらせをする。ある意味本書で最も有名な場面かもしれない、仮装舞踏会のエピソード。扮装が決まらず困っている「わたし」に、ダンヴァーズ夫人はバルコニーにあるご先祖の女性が描かれた絵画の扮装をすることを勧める。「わたし」は渡りに船とばかりこの言葉に従うが、もちろんこれは巧妙な罠。ウキウキとドレスを着て現れた「わたし」を見てマキシムは青ざめる。それはかつてレベッカがしたのとまったく同じ扮装だったのだ。

    上巻はひとまずここまで。仮装舞踏会というのが、いかにもお金持ちのお遊びっぽくて、当時ほんとにこんなことしてる人いたんだなーと感心。当たり前だけど、テレビもネットもない時代、お金持ちは暇つぶしのために色んなパーティーを開催。正真正銘のパリピだったんですね。しかし内向的な庶民の「わたし」は、パリピとの交際が苦痛。これはほんとに同情する。他にもジェスチャーゲームして遊んだ話なども出てきて、そういえばジェーン・エアでもコスプレして連想ゲームみたいなエピソードがあったし、現代人もテレビやユーチューブでやったりするようなことを、100年も200年も前の人がすでにやってたんだな、と不思議な気持ち(笑)

  • 友人にオススメしてもらいました。
    海外モノは独特な和訳に慣れない場合が多くて敬遠しがちでしたが、本書は古めかしい言い回しがかえって不審な雰囲気に似合っててよかったです。

    なんの前情報もなく読み始めたので、若く貧しい後妻が美しいお庭を眺めて過ごしたり、日に何度もお茶をするような優雅な日々にしだいに馴染み、最後はマンダレイを取り仕切るという、彼女の出世物語を描いているのかと思ってしまい、使用人とも次第に打ち解けられるのかなーなんて、お気楽な想像をしていました。
    が、なんだか不穏な空気が漂い始め、謎や疑惑が次第に色濃くなり・・・極めつけは上巻のラストシーン、前妻の化粧室での使用人頭と主人公の対話が恐ろしく、恐怖に駆られました。
    だって、死んだ人間の、洗っていない寝間着やブラシ・・・気持ち悪くてぞっとするでしょう。コレ、ホラーだったのね。

    白い小道や薔薇園など、自然の情景描写が美しければ美しいほどそれとは対照的に、館全体に張り巡らされた妖気が際立っていきます。
    名作といわれる格を感じる作品でした。
    下巻気になる、けどコワイ。

  • 2017年4月15日に紹介されました!

  • 感想は下巻にて。

  • 植物への回帰

  • 「レベッカ」は何度も読みたくなる作品です。
    主人公の「私」がか弱い少女から強い大人の女性になっていく姿。
    すでに亡き人となった前妻レベッカの存在感。
    細々と描いてある景色や日常。
    ダフネ・デュ・モーリアの作品は、古いけど、古いけど!!!
    面白い。
    こんなに、何度も読みたくなる作家にはなかなか巡り会えない。
    もっと再販されたらいいのに。

  • 2013.3.2読了。

    こ、こわ!主人公の繊細さが非常にリアルで近しく感じる。

  • 字も大きくて訳された文体も読みやすいのでサクサク読める。他の訳者さんのも読みたくなる。
    次はなんとなく表紙が似てるからロリータが読みたいきぶん

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