マノン・レスコー (新潮文庫)

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  • Amazon.co.jp ・本 (240ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784102006016

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  • 青年グリュウは美少女レスコーに一目ぼれをし駆け落ち。男たちの嫉妬に2人は追い詰められ、彼女自身も欲望に忠実だったことからアメリカ追放への一途を辿り、さらにその先にも破滅への道は続く。

    オペラやバレエ等で長く人々に愛されている作品なので読んでおきたく。「ファム・ファタール(男たちを破滅させる女)」を描いた初の文学作品とのこと。冒頭から一貫して男女の恋愛を描きながらも、互いを想う切なさや悲恋といった儚さは全く感じられません。
    愛する女性を追いかけ、振り回され、振りほどかれ、それでも追いかけ…グリュウは愚直なほどに彼女を求め愛します。対してレスコーは自他ともに認める美貌を持ち合わせていますが、享楽的で悪気なく人を欺き振り回す性格で、決して上品とは言えない口調や発言も口にします。そんな2人の恋愛を、これぞ愛だと親しみを感じるか、滑稽だと見るか…ほとんどの方は後者なのではないでしょうか。

    「恋とは盲目で、刹那的なものである」
    そんな結論に至りたくなるほど、最後のグリュウ帰省の場面は彼女を失った哀しみよりも自分らしさを取り戻した清々しさを感じてしまいます。

  • 再読。正式なタイトルは「騎士グリュウとマノン・レスコーの物語」著者が偶然出会ったグリュウから、マノンとの恋の顛末を語ってもらった体裁になっている。

    舞台は18世紀のフランス。学校を卒業し、実家へ帰るばかりになっていた18歳のグリュウは、偶然みかけた美少女マノンに一目で熱烈な恋心を抱く。マノンは不品行から修道院に入れられようとしているところだったため、初対面のその場でグリュウは彼女に駆け落ちを提案、友人チベルジュの警告も聞き入れず、まんまとマノンとパリへ逃避行。もともと裕福な貴族の息子であるグリュウは当面金銭に困ることなく二人は遊蕩を続けていたが、贅沢好きのマノンの浪費によりその資金も尽きかけたころ、マノンは裕福なパトロンB氏とと浮気、さらにそのパトロンはグリュウの父親に告げ口したため、グリュウは実家に連れ戻されマノンと引き離されてしまう。

    いったんは改心し、チベルジュと共に神学校に進んだグリュウだったが、思いがけずマノンと再会、途端にまた理性を失い再び駆け落ちしてしまう。しかしあっという間にまたお金が尽き、今度はマノンのゴロツキの兄レスコーに乗せられて賭博に手を出す。多少のたくわえができたものの、今度は従僕と女中に有り金全部持ち逃げされまた一文無しに。困窮した彼らは今度は兄レスコーの計略に乗り、マノンを愛人にしたがっている金持ち爺G.M.氏を騙して、まんまとお金だけ持ち逃げ=つまり詐欺を働くが、当然逆襲されついに逮捕され監獄送りに。グリュウは脱獄計画を練り、その過程でついに殺人まで犯してしまうも、マノンも脱獄させることに成功、再び二人は放蕩の生活を始め…。

    なんというか、恋愛(純愛)ものというよりは昼メロ的。グリュウとマノンは、放蕩&悪事→逮捕→脱獄or改心したふり→放蕩&悪事、という不毛なループを延々繰り返す。マノンは確かに小悪魔ではある。その美貌で男性を次々虜にし、若くてイケメンで貴族のグリュウをもちろん愛してはいるが、彼女にとって優先順位はまずお金。贅沢と浪費をやめられず、それができなければどんなにグリュウを愛していても別の男と平然と浮気をする。まあ簡単に言ってしまえばいわゆるビッチというやつなのだけど、まあでもなんというか、こういう女性はそこかしこにいるだろうなという感じ。

    個人的には、グリュウのほうがよっぽどサイコパスでヤバイ人間のように思った。もちろん理由はマノンへの恋ゆえとはいえ、平気で父親や友達を裏切り、犯罪や殺人を犯しておきながら、全く反省しないうえに自ら悲劇の主人公よろしく自己憐憫と弁解ばかり。純粋な青年が悪女にひっかかって堕落してしまった、というより、このグリュウの自己正当化、反省しない性格が事態を悪化させ自ら落ちていったとしか思えなかった。

    いちばんゾッとしたのは、最初の脱獄の際に兄レスコーからもらったピストルで親切だった神父さんを人質に取り、彼が助けを求めた門衛を撃ち殺してしまったとき。殺人を犯したグリュウが神父さんに言った言葉「それ、ごらんなさい、神父さん、あなたのせいですよ」、その後さらに、そのピストルをくれた兄レスコーと合流して言うには「きみが悪いんだよ、どうして弾丸なんかこめておいたのだ?」…これもうサイコパスですよね?何もかも人のせい。自分は悪くない。

    何度も改心したふりをして父親に助けてもらいながら、あくまで言いぐさは「かわいそうな僕」目線でしかなく、自分のせいで大勢の人に迷惑をかけたことは悪いと思っていない様子。父、友人チベルジュ、同じくのちに友人になるT氏などには、自分の悪事は隠して改心したふりをし、上手く取り繕ってお金を無心、金づるにするだけ。そのくせ自分が侮辱されることには敏感で、しっぺ返しをくらうとすぐ「復讐」を画策、自分のしてきたことは棚上げ「世界じゅうの者どもがぼくを迫害したり裏切ったりする」とのたまう。おい、それは自業自得って言うんだよ。

    グリュウがこのような人物であるため、どうにも恋愛ものとして読むことができず、サイコパス犯罪者のピカレスク小説(しかし痛快ではない)のように読んでしまった。最終的にまたしても詐欺を働き逮捕され貴族のグリュウは父親の力で釈放されるがマノンはアメリカに送られることになってしまう。グリュウはアメリカまでマノンに付き添い、新天地でようやく改心するも、またしてもマノンに言い寄る男が現れたせいでトラブルになり、逃亡中にあっけなくマノンは死んでしまう。

    若い頃読んだときには、ただの悲恋ものだと思って読んだ気がする。今は、恋した女のためなら犯罪も厭わない、元祖「白夜行」みたいな感じかな、という印象になった。

    • 淳水堂さん
      こんにちは。
      これたしか、冒頭でグリュウの友達が、久しぶりに再会したグリュウの体験談を聞くという形式でしたよね。
      グリュウは本編(グリュ...
      こんにちは。
      これたしか、冒頭でグリュウの友達が、久しぶりに再会したグリュウの体験談を聞くという形式でしたよね。
      グリュウは本編(グリュウにとっては過去の回想)ではあんなにマノンに夢中なのに、
      彼女が死んだのにもう立ち直り、まるで他人事のように話しているのか?というのがそもそもの疑問でした。yamaitsuさん流にいうとサイコパスというか、立ち直り早すぎ!というか。

      宝塚版見たことあります。
      宝塚だからもちろんグリュウ主役で格好いいんだが、バカップルみたいでむしろ笑えました(笑)
      2020/07/16
    • yamaitsuさん
      淳水堂さんこんにちは(^o^)
      そうですそうです、一応友人というか著者自身がアメリカに渡る直前のグリュウとマノンに会って興味を持ち、そのと...
      淳水堂さんこんにちは(^o^)
      そうですそうです、一応友人というか著者自身がアメリカに渡る直前のグリュウとマノンに会って興味を持ち、そのときは詳しく事情は聴かずにグリュウにお金だけあげて去るんですけど、数年後、マノンが死んでアメリカから戻ってきたグリュウに偶然再会して何があったのか語ってもらう感じです。

      もうほんとグリュウのサイコパスっぷりが怖いですよ(苦笑)マノンがビッチなことぐらい全然可愛いもんです(笑)

      宝塚で上演してるんですね!バカップル、実写にしたら確かにそんな感じかも(笑)
      2020/07/17
  • 18世紀フランスの小説家アベ・プレヴォー(1697-1763)の恋愛小説の古典、1731の作。あの人物像の中に、女も男も自分の姿や理想を垣間見続けてきたのか。所謂"femme fatale(運命の女・男を破滅させる女)"を描いた文学の先駆とされる。プッチーニのオペラでも知られる。



    主に騎士グリュウの一人称語りで展開される本作、世人一般の冷静さを欠き、誰のものとも知らぬ良識の頸木を断ち、恋人マノンなしの世俗的な幸福など一顧だにせず、恋の悦楽その純粋――極端に於いては実生活と両立し得るはずのない純粋、節制とは正反対の感情のアナーキー(ルカーチ)――に身を任せ、ときに絶望に堕ちときに改悛しそのまたすぐに恋の有頂天へ・・・。息苦しいまでの若さの疾走――内面を重苦しくさせ、その重さゆえに疾走せずにはおれなくさせるところの、あの若さ――、行き着く果ては愛の幻想で充溢した二人きりの(終にはグリュウ独りきりの)内的な自閉空間か。そこから血涙となって零れる呻吟が、破滅の予感とともに響いている。ロマン主義的な感性の萌芽と云えようか。

    「彼女はぼくを愛している。・・・。ぼくは全宇宙が崩壊するのを見ても、知らん顔をしていることだろう。なぜだって? 彼女以外のものなんてどうだっていいからだ」

    「しかし、おまえに必要な男は、金持ちで、幸福者でなければならない。・・・。ところが、このおれときたら、ご提供できるのは、愛ばかり、誠実ばかり。女どもは、おれの貧乏を軽蔑し、おれの一本気をなぶりものにする」

    「恋ゆえに、ぼくはあまりにも感じやすい、あまりにも情熱的な、あまりにも忠実な人間になりました。そして、おそらくは、美しい愛人の恋をむかえるために、あまりにも気前のいい人間になりました。ぼくの罪悪というのは、これなんです。」

    「しかし、私はどんなことをしても彼女と別れないと断言し、世界の果てまで連れていって、・・・、彼女を愛し、自分の不幸な運命を彼女のそれにしっかりと結びつけるつもりだ・・・」

    「愛しあう恋人同士にとっては、宇宙全体が祖国ではないだろうか? 彼らはお互いの心の中に、父を、母を、親戚を、友人を、富を、至福を見いださないだろうか?」



    それにしても、破滅させるほどの恋を騎士に抱かせている当のマノンの実体が茫として掴み所のない、というのは読みながらずっと訝しく感じられた。騎士グリュウの一本気な誠実さが、内面に空いた無限小の穴であるとするなら、娼婦マノンが己の享楽の為に不貞を犯しながらなおも失われずにいるかの如き無邪気さは、魂が抜けて浮遊する無限遠点のようだ。肌に熱ある人物像をどうしても思い描けない、宛ら自動人形の如し。そもそも、"femme fatale"という人物類型自体、女性という他者を前にして、それへの恐怖や欲望が綯い交ぜになって創り出された、男による幻想だ。女を眼差す男の視線を映し返している、鏡だ。作者もマノンを全体的な人物として描き切れなかったのではないだろうか。

    それでも、ヨーロッパを追われ、アメリカの地の果て、「彼女を愛し、自分の不幸な運命を彼女のそれにしっかりと結びつけ」た騎士に、

    「逃げちゃうのよ、いっしょに」

    と云う、終末近いマノンの言葉は、本作中、最も哀切で美しいと感じる。



    破滅に到らなければ恋は嘘だ、とロマンチストは云うかもしれない。しかし、現実は散文的な生活の裡にある。虚構の中でしか描き得ない、嘘としてしか語り得ない、真実もある。

  • まさに悪女ですね。美しすぎるってすごい。でもちょっと悲しい。いつの時代も一緒なのでしょうか。

  • 「宿命の女」、マノン・レスコー。
    マノンの言動よりも、グリューの甲斐性のなさにイライラ。
    自分で働いてお金を稼ぐことは考えずに、借金、賭博、詐欺。更には殺人までやってのける。もう凄まじい転落人生です。

  • この物語に欠かせないものとして激賞されるのは、マノンだろう。でも、私が泣かされたのは、主人公の友人、チベルジュだ。彼の主人公を大切にする気持ちには、参ってしまう。また、この物語はページの残量が極少になっても、まだ話が大きく展開していくため、最後まで目が離せない。デュマ・フィスの「椿姫」はこの物語をどう読み解いたのだろうか。

  • おもしろくはなかった

  • 「恋は財宝よりも富裕よりも強い。
    しかし、恋はそれらの力を借りる必要がある。」

    主人公の理性との葛藤が、相対する親友とキャラを分けて描かれている。
    個人的に終わり方にあまりスッキリはしなかったものの、ロマン主義文学の始まりと言われると納得できるように思いますね。

  • 騎士グリューの追い求める姿は、痛々しいが、なんかわかる気がします。最近、マノンに似た女性が割と身近にいて、驚きました。現実は小説より奇なりとはよく言ったものです。個人的にはタイムリーでした!

  • 舞台は18世紀前半のフランス。フランスの貴族文化が最も煌びやかだった時代でしょうか。青年貴公子デ・グリューが美少女マノン・レスコーにハートを射抜かれます。
    http://naokis.doorblog.jp/archives/Manon_Lescaut.html【世界の文学を読む】#6『マノン・レスコー』 : なおきのブログ



    2016.09.23 『悪女入門』
    2017.11.05 『文学入門』
    2017.12.27 世界の文学作品を読む(2018年に向けて)
    2018.10.04 読了

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