朗読者 (新潮文庫)

  • 新潮社
3.60
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本棚登録 : 3607
レビュー : 532
  • Amazon.co.jp ・本 (258ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784102007112

作品紹介・あらすじ

15歳のぼくは、母親といってもおかしくないほど年上の女性と恋に落ちた。「なにか朗読してよ、坊や!」-ハンナは、なぜかいつも本を朗読して聞かせて欲しいと求める。人知れず逢瀬を重ねる二人。だが、ハンナは突然失踪してしまう。彼女の隠していた秘密とは何か。二人の愛に、終わったはずの戦争が影を落していた。現代ドイツ文学の旗手による、世界中を感動させた大ベストセラー。

感想・レビュー・書評

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  •  ホロコーストに関連した小説ですが、ホロコーストに加担した者を一方的に断罪するような単純な作品ではありません。また、戦時の行為を特殊な状況下であったことを理由に安易に正当化しようとするものでもありません。いろんな理解の仕方があると思いますが、大きな不幸に不可抗力的に巻き込まれた人の悲劇、加害者の側に立ってしまった人が背負う罪の意識、人が人を裁くことなどできるのか、そもそも何のために人は人を裁かねばならないのかといったことをテーマとした作品といえば当たらずとも遠からずだと思います。

     第一部がかなりショッキングな内容なので嫌悪感を持つ人がいるかもしれません。しかし、主人公のミハエル・ベルクがハンナ・シュミッツの人生(あるいは心の問題)に深く関わっていく必然性を導き出すには、このような物語の設定が必要だったのでしょう。

     作者のベルンハルト・シュリンクは法学者だそうで、いかにもドイツ人の学者らしい明晰な言葉で、主人公の複雑な心の内面を細かく描いていきます。結末は悲劇的であり、決して心地よいお話でもありませんが、読み終えてから暫くするともう一度読み返して意味を確かめたくなるような本だと思います。

  • 「あなただったら何をしましたか?」
    「あなただったらどうしましたか?」
    ハンナのこの問いかけに正々堂々と答えられる人間はいるのでしょうか。わたしには無理です。わからない。わからないのです。けれど、そんなわたしには考える時間というものが残されています。時間を有するものの使命として、わたしは過去からのこの問いかけの答えを、意味を考えていかなければならないのです。

    15歳の少年と母親ほど年の離れたハンナとの恋愛から始まった物語。最初わたしには、ハンナが一生逃れることの出来ない影に捕まってしまうまでの、ほんのひとときの幸せのために、少年との恋愛にのめり込んでいったような気がしてたまりませんでした。それはまるで、人生の終焉が近づいているのを分かっていて、生き急いでいるかのように見えたのです。彼女にとって纏わりつく恐ろしいものを忘れられたのは、少年と愛し合っているときだけだったのかもしれません。そして『朗読』という形で、彼女は彼に愛以上の何かを求めていたように思えました。
    少年はハンナとの愛を心の奥底から信じていたのだろうけど、彼女は決して秘密を明かすことはありませんでした。その秘密が明かされないことによって、ハンナの運命は悲劇的な方向へ転がっていってしまうのだけれども。
    他人からすれば、そんなことくらいと思うようなことでも本人にとっては許し難いモノ、守り通したいモノ、譲れないモノというものがありますよね。いいじゃないか、その秘密を明かせば未来は少しは良い方向へ向かうのだからと説得されたとしても、決して首を縦に振らなかっただろうハンナのプライドと、とある施設の中でその秘密からやっと解放されたであろうハンナの行動。他人から見れば彼女は、ちっぽけなプライドの為に人生を棒に振ったのではないかなんて思ってしまうのだけれど、どちらが幸せだったのかは他人が決めるものではないのでしょう。

    結局のところ、わたしは彼女が歩んだ人生の傍観者でしかないということを思い知らされました。けれどもハンナとミヒャエルとの時の流れを追いながら戦争とは、教育とは、道徳とは、愛とは、いろんなことを考えることがわたしには出来るのです。そのことをわたしは忘れてはいけないのです。

  • 圧巻のドイツ文学。素晴らしいの一言。
    やるせない気持ちになる。

    何の予備知識もなく読みはじめ、前半の倒錯的な恋愛模様に困惑しつつも読み進めていくと……中盤以降、やられた。
    今まで第二次世界大戦のドイツやドイツ国民の心情について、知識としてはそれとなく知っていてまあナチス関連はけっこう敏感になっているらしいなあ程度に思っていた。でもナチス時代はともかく「その後」のドイツに焦点を当てられることってほとんどないので、全然、わかってなかった。彼ら特有の苦しみや罪責感や憤りを。

    ユダヤ人迫害、ホロコーストについても日本でもがっつり勉強させられるし、テレビでもけっこう特集組まれるし、映像や写真で何度も見たことあるし、私は『ライフイズビューティフル』とかを観て泣いたり憤ったりしたし……でも、特に戦争世代じゃない日本人にとっては「教科書に載っている歴史」という感覚で、実感をもってそういった歴史的事実に触れることは全然できない。それどころか小説中でも、主人公は親が戦争世代のドイツ人で私たちよりずっと距離が近いところにいるはずなのに、「書割的な空想」しかできない場面が描写されている。今は資料が充実してきたとはいえ、あの時代が遠ざかっていくほどに現実感のない空想しかできなくなっていくと思う。

    ドイツの戦争世代、その子ども世代は相当に特殊だと思う。歴史上彼らのように集団として一人の例外もなく罪を負わされることとなった国民はいただろうか? 直接酷い行いに手を染めていなくたって、「ナチスを支持したじゃないか」「止められなかったじゃないか」と。
    (日本も敗戦国で戦争責任云々についてはいろいろ議論が交わされているけれど、ドイツとは雰囲気が違うように感じられる)
    でも私はただ戦争世代を責めたり過去の残虐な行為を糾弾するだけじゃ思考停止だと思う。
    小説中のハンナの言葉、
    「あなただったらどうしましたか?」
    これを考えなくてはならない。正直、あの当時あの状況において「正しい」行動をとれる人は全人類の1%もいないんじゃないかと思う。
    そして難しいのは、だからといって罪が罪じゃなくなるわけではないということ。

    主人公がハンナを「理解したい」という気持ちだけではなく彼女を「裁きたい」という気持ちを持っていたこと、これは今まで読んだどのような物語にもなく新鮮だった。このあたりがドイツの戦争子ども世代(しかもインテリ)が抱く精神の特殊性なのだと思った。
    激しく葛藤し、何かをしようとして何もしないことを選んで、その末に辿り着いた彼女との心地良い距離が「朗読者」であったこと……涙を禁じ得ない。

  • 結末が衝撃的で動揺してしまった。でも、その後の主人公のセリフがとても印象的だった。
    「なんて悲しい物語なんだろう、とぼくはながいあいだ考えていた。いまでは、それを幸福な物語とみなしているわけではない、しかし、いまのぼくは、これが真実の物語なんだと思い、悲しいか幸福かなんてことにはまったく意味がないと考えている」
    本当に辛い経験をした者にとっては、こういう解釈はふさわしい。読んだ直後はどうも消化できなくてモヤモヤしたけれど、時間をおいてみたら、彼の気持ちがよくわかるというか、しっくりきた。

  • 辻村深月の「凍りのくじら」の別所あきらをはじめとして、最近読んだ本の中で登場人物たちがこれ見よがしに(笑)読んでいたのでどんなものかと思い読んでみました。
    翻訳物は苦手なのですが、多少つっかえながらも驚きの読みやすさ。時代も国も言語も違う話なのに、それを感じさせませんでした。訳が上手いんだろうなぁ。

    「朗読者」というタイトル。
    年の離れた恋人のために枕元で本を読んであげる男の子。
    ロマンチックな設定だなと思ったのですが、年上の彼女ハンナは何故彼に朗読を頼んだのか。その理由が明らかになった途端、ロマンチックなムードなど消し飛びました。
    最初のころ、主人公のミヒャエルは、自分の方が彼女にぞっこんで、捨てられたくないからしがみついていて、喧嘩しても譲るし、どちらかというと自分の方が弱い立場なのかもしれないみたいなことを考えていたように思います。

    P91
    「ぼくたちは共通の世界に生きているのではなくて、彼女が自分の世界の中で与えたいと思う場所をぼくに分けてくれているだけだった。ぼくはそれで満足しなければいけなかった。」

    ここなんかにその思いが書かれているような気がします。
    でも実際、文盲であるハンナはミヒャエルに頼ることでしか物語を楽しむことはできなかったし、自転車旅行に行って宿に泊まることもできなかったし、レストランでメニューを見ることもできなかった。
    ハンナにとって、ミヒャエルは自分の世界を広げてくれる、無くてはならない人だったに違いありません。
    ミヒャエルはハンナの存在を友達に隠していた。
    そのことを知ったハンナはミヒャエルの前から姿を消しますが、それは「昇級試験を受けることで文盲が暴露されるのが嫌だったから」という理由だけではもちろんないはず。
    文盲の年上の女と付き合うことで、ミヒャエルの評判に傷がつくとか、思ったのかなぁ……。
    そして、文盲とばれることで、憐みの目で見られるのが嫌だったのかも。ハンナにとって、ミヒャエルははじめて出会った、対等に付き合える相手だった。
    文盲とばれたくらいでミヒャエルが離れることはない。でも自分を見る目は変わるだろう。なにしろミヒャエルは学者の家に育ち、何不自由なく勉強している身だから。
    対等に愛し合っていた相手に憐れまれること、それが嫌だったのかもしれない。
    そう考えると、出所してからミヒャエルと一緒に過ごせることが解っていながらハンナが命を絶ったのも「憐れまれたくない」という同じ理由だったのかもしれないと見当がつくような……。

    著者のベルンハルト・シュリンクは、ミヒャエルと同じように法律を学んでいるそうで、作中にあった「法律とは~」みたいな部分にはいちいち頷きました。

    P107
    「法律とは何だろう? 法律書に載っていることが法なのか、それとも社会で実際に行われ、遵守されていることが法なのか? それとも、本に載っていようといまいと、すべて正しいことが行われる場合に実施され遵守されていることが法なのか?」

    私は大学の4年間、法学部で法律を学びましたが、高校生の時抱いたこの引用箇所と同じような疑問には、明確な答えが出ないままです。
    正しいことが何なのか解らないから、こうやっていくつもの物語が生まれるんでしょうね。

  • 大学の教授に紹介してもらって読み始めた。

    教授に教えてもらった時から、あらすじをざっと聞いていたが、ナチスとは、ユダヤ人への犯罪とはということを考えさせる作品であった。
    過去最大の犯罪とも言われるナチスによるユダヤ人への犯罪は、だれが悪いとか悪くないとかをすべて飲み込んでしまうようなテーマであると思う。しかし、きっと戦後は一つ一つを本書内のように裁いていってたのであろう。
    本書内の人間関係のような事実もあったかもしれない。それくらいナチスは近くにあったのだろうし、国民に根付いた話題であるのだと感じた。

    ドイツの歴史についてかじった私も、一度めくり始めたら手が止まらなくなるほど興味を持って読み進められた。
    作品を紹介してくれた教授に感謝したい。

  • 先祖から背負わされた罪を、どう精算していくか。ままなりませんなあ。

  • 感想を記すのは非常に難しい。

    この小説を購入したのはもう数年前になるが、第1章を読み切る前に挫折してそのままになっていた。
    それは、翻訳の文体が少し苦手だったのと、15歳の少年と36歳の成熟した女性が関係を持つシーンが受け付けなかったからだ。

    しかし、新潮クレストブックスの中でも名作と名高い本作。年齢差がある男女の純愛、なんて陳腐なテーマ以上の何かがあるんだろうと信じて頑張って読んだ。

    最初に読み終わったときは、この小説に込められたテーマの重さと考えるべきことの複雑さに呆然とした。
    もう一度読んでみてようやくつかめるものがあったと思う。

    テーマは2つある。
    ①ミヒャエルがハンナに抱く執着
    ②愛した人が犯した罪との対峙

    ①については、この小説の構成そのままである。
    純真な少年が恋したうんと年上の女性。
    「手ほどき」を受けた15歳の少年が、その女性に執着するのは想像に難くない。
    彼は彼女のことが好きで好きでたまらないが、その関係の後ろめたさから友人にハンナのことを明かすことはしない。
    そしてハンナは突然姿を消す…ミヒャエルは自分が彼女にとった態度がそれを引き起こしたと思い込み、彼女を失った苦しみや後悔から心を閉ざす。

    ハンナに執着はしているが、会うのは怖い。
    ハンナに会うとあの夏以降かぶっている仮面がはがされてしまうからだろうか。
    ハンナがミヒャエルの元を去った理由も、彼が考えていたような甘い理由ではなく、ハンナが彼女自身の秘密を守るためであったことに彼は傷つく。
    「彼女が拘置所にいれば、ぼくの世界、ぼくの生活の外にいてくれることになるからだった。」(p.115)

    裁判の判決にかかわるハンナの重要な秘密を知ったときも、父に相談しては「行動すべきかどうか分からなくって、行動しなくちゃいけないんだと思うと憂鬱だったんだ」とこぼし、裁判長に会いに行くが何も話せずに踵を返す。

    結局、ハンナには接触しないまま判決が下る。
    しかし、ハンナの服役から8年立った頃から、16歳の夏を思い出すかのように、朗読のテープを送り始める。
    ハンナと接触するのは怖くてたまらないが、それでも、彼女に寄り添わざるを得なかったのだろう。

    上記のように、この作品の一つの側面として、初恋を忘れられなかった男の半生がある。
    が、それだけではない。もう一つ、重要なテーマが、②愛した人が犯した罪との対峙 である。

    ハンナはナチ政権下で強制収容所の看守として働いていた。
    戦後世代のミヒャエルにとって、両親、そしてハンナはナチズムの当事者である。
    両親はじめ周囲の大人たちがあの第三帝国下で生きていたことは、彼らへの信頼や愛情と、あの恐ろしい罪に関わっていたことへの軽蔑の、アンビバレントな感情を引き起こすものだったのだろう。
    「どの世代も親の期待から自分を解放しなければならないわけだが、ぼくたちの場合その親たちは、第三帝国において、あるいは遅くともその崩壊後において、誤った行動をとったということをで片付けられてしまっていた。
    「両親の愛に対しても、責任を持たなければいけないのかもしれない」


    強烈に愛した女性が、大量殺戮に関わっていたという事実。
    ミヒャエルはハンナの行動を理解するため、かつての強制収容所まで出かけるもやはり理解できない。
    「ぼくはハンナの犯罪を理解すると同時に裁きたいと思った。しかし、その犯罪は恐ろしすぎた。」

    ハンナの犯罪を理解し裁きたいと同時に、ミヒャエルはそんな「犯罪者」を愛した自分に罪悪感を感じる。
    自分は彼女を裁く権利があるのか、責める権利があるのか。
    結論は出ないまま、彼はテープを送り続けることになる。

    戦後世代、さらにインテリ法学徒のミヒャエルにとって、ハンナは裁くべき存在だった。その一方で、彼女が好きで好きでたまらなかったのも事実。
    自分が彼女とどうかかわるべきか、彼女をどう想えばいいのか葛藤に葛藤を重ねた結果、ミヒャエルは朗読を選んだ。彼女との壁を壊さないまま、彼女に寄り添うことを選んだのだ。

  • 何度も読み返したくなる、とても好きな本。すごくきれいな小説だなと思う。ミヒャエルやハンナの思い、自尊心、こだわりが、鮮明にかつ赤裸々に描かれている。

    15歳のミヒャエルと30代半ばのハンナとの恋から物語は始まる。毎日のようにミヒャエルはハンナの家に行き、朗読をしてセックスをする。しかしある日突然、ハンナはいなくなる。
    2人の再会は、ミヒャエルが大学の授業で傍聴した裁判所だった。それはナチス時代にユダヤ人の強制収容所で看守を務めていた女性たちを裁く裁判であり、その被告としてハンナはいた。
    裁判ではハンナは非常に正直にふるまった。しかし1度だけはっきりと嘘をつく。ある報告書を誰が執筆したのか、ということが問題になった時だ。裁判官が筆跡鑑定をしようとしたところ、ハンナが自分が書いたと嘘をつくのだ。ハンナは文盲だった。書けるわけがなかった。しかし文盲だからこそ、それがバレてしまうことを最も恐れたからこそ、ハンナは嘘をついた。
    ミヒャエルはハンナが文盲だということに気づいていた。だから苦悩する。文盲だということを裁判官に伝えるべきか、伝えないべきか。ハンナを説得して文盲だと告白させるべきか、そうしないべきか。。。

    ”そうだ、彼女はそれを(量刑を軽くし早く自由になる事--引用者)求めて闘っていた。しかし、勝利するために文盲を暴露するという代償を払うことまでは望んでいなかった。彼女は、軽を何年分か短くするために、ぼくが彼女の自己演出を暴いてしまうことも望まないだろう。自分でもそうした取引をすることができたのに、彼女はやらなかった。つまり、やりたくないわけだ。自己演出を守ることに、刑務所何年分もの価値があるわけだ。でも、その演出はほんとうにそれほど重要なのだろうか?こんなふうに彼女を束縛し、麻痺させ、自己発展を妨げている偽りの自己演出から得るものがあるのだろうか?これほどのエネルギーを費やして嘘をつき続けるくらいなら、とっくの昔に読み書きを学ぶこともできたのに”pp159

    ”君は裁判官に、何がどうなっているかを言うかい?考えてごらんよ、彼はホモで、その犯行はホモでは行い得ないのに、ホモであることを恥じている。左利きやホモを恥じるべきかどうかという話じゃないんだ。考えてごらん、被告が恥ずかしがっているということが問題なんだ”pp160

    ミヒャエルは結局、裁判官に何も言わなかった。そしてハンナは無期懲役になる。数年間、ミヒャエルはハンナと何も接触しない。しかし数年後、ミヒャエルは、物語の朗読を吹き込んだテープをハンナに郵送する。何もメッセージは送らず、ただ朗読だけを送り続ける。
    するとある日、ハンナから短い、一言だけの手紙が届いた。ハンナは、ミヒャエルからの朗読テープを使って、字の練習をした。朗読テープと実際の本の文字とを照らし合わせながら練習したのだ。
    そして、ハンナがついに仮釈放になるとの手紙がミヒャエルに届き、ミヒャエルはハンナに会いに行く。そして、釈放後の家の準備をして、釈放の前日もハンナに会いに行く。しかし、釈放の日の朝、ハンナは自殺する。

    なぜ、ハンナは自殺したのだろうか。ミヒャエルにとってハンナはどんな存在だったのか。ハンナにとってミヒャエルとは。読みながら、そして読んだ後、いろんな疑問がわく小説だ。
    何より、ミヒャエルとハンナがそれぞれとても魅力的な人物として描かれている。
    ハンナは文盲であり、その一方で知識欲が非常に旺盛であり、誇り高くかつ非常に誠実で人望のある人物だ。ミヒャエルは、様々な葛藤の中を生きている。ハンナへの思いも複雑で、対立する思いが同居してもいる。著者のシュリンクは、そんなミヒャエルの悩みや葛藤を赤裸々に描き出す。それは、思春期における恋愛の悩みであり、あるいはナチス時代の戦犯を裁かなければならないという時代の風潮とハンナへの愛情との葛藤であり、ハンナの文盲を公開すべきかどうかという苦悩であったりする。
    僕は、これは人間の誇りについての話だと思った。文盲を隠して生きていくこと、これがハンナの人生を貫く一つの大きな原理だった。それは確かに歪んでいる。文字の練習をすればよかったじゃないか。そういうのは簡単だ。しかし、文字の練習をするということは、文字が書けない自分と向き合わざるを得なくなるということでもある。ミヒャエルはそんなハンナの強い自尊心に直面し当惑したのだ。しかしそんな中、ミヒャエルが送った朗読テープを使って、ハンナは文字の練習を始める。これはとてもすごいことだ。本のなかのミヒャエルと一緒に僕は興奮した。ハンナの強さに、勇気に、感動した。
    ハンナは、しかし自殺をする。いや、「だから」自殺をしたのだろうか?なぜ彼女は自殺をしたのだろうか?いまだによくわからない。
    また読みたい。

  • これを恋愛小説というのだろうか。もちろん、恋愛小説であるという側面もある。けれど、猛烈にもやもやする。
    それは、二人の「愛」の始まりがあまりに唐突だったからか、(日本的な価値観で言ったら)男女逆なら犯罪じゃないか…などとつい無粋なことを思ってしまったからか、「ぼく」が真っ直ぐなだけではなく弱いからか、家族や戦争や自由と尊厳など愛以外の視点が多すぎるからか、はたまたハンナの最後の「決断」をどう捉えたらいいのかわからなかったからか。
    この猛烈なもやもやの決定的な理由は、そのどれでもあって、どれでもないような気もする。

    この物語ははたして純愛なのだろうか。「ぼく」は、思春期の少年特有の真っ直ぐさで確かにハンナを愛していたけれど、ハンナのどこに惹かれたのかは、性的なこと以外は具体的に書かれてはいないし、ハンナもこの「坊や」のどこに惹かれたのか、全くわからない。
    それでもあえて考えるなら、二人が惹かれあったのは「タイミング」ゆえなのではないかと思う。子どもから大人の男へと成長する過程にあったミヒャエルと、孤独なハンナ。二人の出逢い自体が運命だったのだろうか。

    二人の関係は、確かにずっと続いていくものではなかったと思う。
    それでもやはり「ぼく」にもハンナにも、他の選択があったのではないかと思ってしまう。最後の一文が、余計にやり切れなさを感じさせる。

    この作品は、見る視点によって感じることが変わるだろうと思う。
    例えば、恋愛以外の要素では、中盤の自由と尊厳に関する「ぼく」と父との問答が、とても印象に残っている。
    幸福と、自由と尊厳は別である―。
    もう少したったら、違う視点でまた読み返してみたい。

    レビュー全文
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