白痴 (下巻) (新潮文庫)

制作 : 木村 浩 
  • 新潮社 (2004年4月発売)
3.74
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  • レビュー :81
  • Amazon.co.jp ・本 (684ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784102010044

白痴 (下巻) (新潮文庫)の感想・レビュー・書評

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  • ドストエフスキーが作家としての到達点としてそれほどまでに描きたかった「無条件に美しい人間」は、現代、特に日本ではごく普通にいそうな正直者の人間像でしかないような気がしてしまった。それではこの小説、ムイシュキン公爵という登場人物の意義とは何かと言ったら、ドストエフスキーの小説に共通して登場する「ロシア的な」人々、すなわち狂気と隣り合わせの激情的な人々の中に、公爵のような人間を放り込んだところにあるのではないか。第4編冒頭の《ありふれた人たち》に関する作者の考察は、そのあたりを裏付けているとも言え印象的だった。

  • えらく時間がかかった。
    読書の時間をあまりとれていないのが一番の理由だが、ちょっと重いのだ。
    しかし残り100頁ぐらいからはすいすいと進んだな。
    ドストエフスキーはいつも最後にかけての物語の構築がうまいのだ。非常に引き込まれる。今回もまさしくそれだった。


    最近数年続いて年に一冊は読んでいるドストエフスキーシリーズ。
    今年は『白痴』にしてみた。
    誰かが究極の恋愛小説だと言っていたのを聞いたことがあったのだが、まさか、と考えていた。だってあまりにもドストエフスキーらしからぬからだ。
    しかし読み終わった今ではそれに間違いはなかったと思える。
    ほんと。それも極上の悲恋物だ。加えて恋愛のメインとなる二人だけに焦点をあてた物語としていないところが、さすがのドストエフスキーと言ったところだろう。思想と苦悩と絶妙な心理描写、そして強烈なキャラ設定。
    やはりさすがのドストエフスキー、素晴らしいかなドストエフスキー。もう一個ぐらい言ってみたいのだが思いつかんドストエフスキー。
    はてさてこの年でこの人をこんな賞賛するようになるとはおもわなんだ。



    物語の主人公は類い稀なるピュアな気質の持ち主であるムイシュキン公爵。
    すれていなくて、人を疑うことがない彼は誰に対しても無邪気で心優しい対応を示す。
    それを馬鹿だと揶揄する者も少なくないが、彼は多くの人に染み入るような存在で愛されもする。
    彼はとある病気での長期療養をスイスで行っていたのだが、ロシアに戻ってくる。物語のきっかけはその帰りの列車の中でまずロゴージンに出会うところから始まる。
    ロゴージンは父親の遺産によって莫大な財産を得た金持ちの息子で欲深く、強引で野生味の溢れる男。
    この二人、車中でとっても気の合う仲となるのが、その二人の間に出てくるのがナスターシャ・フィリポヴナという女性。
    このナスターシャは鋭利な美貌をした非常に美しい女性なのだが、ドストエフスキーの十八番とも言える、激しい気性の持ち主。彼女のその激しさは過去に端を発するのだが、それが今までの十八番の気性の荒い女性達とは少し違う”重さ”を持つ。彼女は己の過去の汚れに苦悩し、己の存在を肯定できず愛にも人生にも忠実に従うことができないのだ。
    二人の男は彼女のそう言った部分をも愛しながら、それに大きく振り回される。
    そこにまたムイシュキンの遠縁にあたるエパンチン将軍夫人のご令嬢でこれまた絶世の美女である:アグラーヤも登場するのだが、この四人と周囲を巻き込んで物語はさらに混迷してゆく。


    流れはざっとこんな感じ。
    見所はナスターシャだろうな。
    彼女の行動は今までのドストエフスキー作品からは想像も付かないような、昼ドラ的な展開を与える。
    やっぱり劇的なのだが、度合いがすごい。そしてそれがいい。
    こういったものまで書くのか、と言う驚きもあった。ドストエフスキーはロシア的な思想の混迷にまみれる怒れる大家というイメージがあったから。
    いや、ドラマチックな部分に惑わされたが、根本的な人間の苦悩を鮮やかに描く、と言う意味では他の作品とかわらぬ共通する部分があるのだろう。
    ナスターシャの持つあぁいった劇的な屈折も、過去を知った上で読み解けば非常にいじらしく、そして悲しくもある。
    要するに今回は主題が愛なのでちょっと驚いたのだろう。

    作中一番よかったのは最後に3人が横たわるシーン。
    『罪と罰』のあの老婆の殺害のシーンといい、ドストエフスキーは要の所での描写が卓越している。今まではくどくど思想的なことを登場人物に言わせていたのに、なんで?と思うこと多々。
    正直、もうちょっと掘ってから書こうかと思っていたのだが、どうも恋愛の部分の印象が私の中では強すぎて思想的な部分の印象が薄いのであがくのはやめた。


    時代や国の差、もしくは翻訳を挟んで多少、公爵のピュア具合がわからない所も見受けられるが、読んだ後には、まるで現代のドラマのような色あせない演出と描写がされていたなと驚く一冊。
    他の作品よりは入りやすいドスト作品なのでは、と個人的には思う。

  • 150年前のロシアの上流階級の人たちが、どんな風に語らい、どんなことに美徳を感じ、どんなことを野卑と感じるのか、2000年代の平凡な日本のサラリーマンには理解しづらかったです。でも、それ自体が『白痴』という小説の狙いなのではないか、という思いにいたりました。それがどういう意味かちょっと説明します。

    この物語の主人公、ムイシュキン公爵はスイスの精神療養所で育った世間知らずの純粋無垢な人なのです。ドストエフスキーは彼をして『無条件に美しい人』たらしめんとし、この小説を書きました。物語の中で、いろんな登場人物が彼の事を『バカ』と言います。でも、現代に生きる私の価値観からすると、彼が『バカ』である要素がなかなか読み取れないのです。バカどころか、歴史にも精通しているし、死に対して目を見張るような洞察を披露する場面もある。そんな彼がなぜ『バカ』と呼ばれるのか・・?どうやらその原因は『空気の読めなさ』にあるらしい。そんな時にそんな態度をとるものではない。こんな関係の人にこんな言葉を使ってはいけない、という暗黙のルール、それが療養所で育った彼には分からないのです。だから上流階級の会話に入った途端、彼がバカになってしまうのです。しかし、それは読者にも言える事なのです。これを読んでいるあなた(というか私だけか?)は公爵がなぜバカなのか分からない、そのことが何よりあなたがバカである証拠となります。なぜ婦人や娘達が公爵を笑っているのか分からない。なぜ笑われているの分からないその事によって、この場の空気から一歩遅れる。読者の立場は公爵の置かれた立場と重なり、ロシア的因習に生きる彼らからバカと呼ばれる『白痴』状態を追体験できる訳です。

    私からすると、公爵よりも、その他の登場人物の方がよっぽどの「バカ」なのです。
    会話の途中でいきなり『もうたくさん!もうたくさんよ!』とヒステリーに叫ぶリザヴェータ婦人の方が空気が読めないと感じるし、いきなり自分が書いた手紙を夜会の途中で1時間も読み上げるイポリートも変人だ。自分の道徳観で数々の人間に迷惑をかけるナスターシャも、それを甘んじて受け入れていたロゴージンも、「嫌い嫌い」と言い続けていたのにいつの間に公爵に恋していたアグラーヤも、騙そうとしていた相手に全てをさらけ出して謝る事が癖になっているレドベージェフも、みんなみんな空気の読めない変人ばかりでした。

    むしろ、公爵ほど素の人間もいないんじゃないか。確かに素直で純粋な面が強く押し出されているけれども、嫉妬もするし、嘲笑もする、言い訳もするし、嘘もつく、友達の女を取ろうとするし、愛してくれている人を目の前で裏切ったりもする普通の気の弱い青年でした。ドストエフスキーはこの小説で『無条件に美しい人間』を描く事ができたのでしょうか??僕にはその策略は失敗したと思います。エゴイストと粗暴さの権化として書かれたロゴージンもそこまで分からない奴ではない。嫉妬と虚栄心の強い、普通の男でした。
    『無条件に美しい人』と言われると『カラマーゾフの兄弟』のアリョーシャの方がふさわしい。
    『エゴと粗暴の権化』と言われるとドミートリィの方がそれに近い。
    ドストエフスキーが『白痴』で目指したのは、『無条件に美しい人』を描く事ではなく、どこにでもいる平凡な人間が『白痴』と呼ばれ破滅していく、そのことだったのではないか、と感じました。

    もの凄く大勢の登場人物が出ますが、読み終えてみると誰もが愛おしい。粗暴で野卑で自己中心的で、それでいて優しいから、誰もが傷ついていく。おそらく『白痴』なのは公爵だけではなく、ナスターシャであり、ロゴージンであり、アグラーヤであり、読者自身なのでしょう。あまりに普通すぎる彼らが繰りなす支離滅裂な行動に、『白痴』で『美しい』彼らの自己中心的な行動に、誰もがどこか共鳴してしまうから、この小説は時間や空間を超えて、世界的な普遍性を持っているのです。

    • ryceさん
      はじめまして。

      たった今、『白痴』読み終えたばかりです。
      ryosuke0032さんがおっしゃるように、私もムイシュキン公爵が“白痴”であるということに疑問を抱いていました。
      こちらのレビューを拝見し、少しすっきりしました。
      2013/03/23
  • ラストが衝撃的です!まさかこう終わろうとは・・・
    たくさんの人の期待や未来が、結末にむかって崩れていく様がなんとも言えぬ切なさです
    江川卓さんの『謎とき『白痴』』とあわせて読むのがオススメ!

  • ドストエフスキーの「無条件に美しい人間」を作る試みである本作品はどのような結末を迎えたのだろうか?

    だれもが公爵の心の美しさに惹かれるが、結局は彼を憎む、疎むようになる。終局でのリザヴェーダ夫人のように、一歩離れたところからでないと付き合えないものということ?
    純粋無垢な人間はこの社会では生きられず、結局白痴でいるしかないということ?
    それとも我々の醜さを浮き彫りにするのが試みだった?

    ドストエフスキー作品を多く読んできましたが、この作品は苦手なようです。

    ただ以下のあとがきの文章が、読解の手助けになると思います。

    あまりに深読みする読者が、この言葉(白痴のこと)を「無垢の人」といったニュアンスで受け取ることのないよう注意しておく。作者は「無条件に美しい人間」を周囲の人びとに「白痴」と呼ばせることによって読者に挑戦しているわけである。われわれはいったいいかなる人物を「白痴」の名で呼んでいるのか、と。

    もちろん私は深読みしていました・・・

  • 背表紙にネタバレ載せるんじゃねぇッ・・・!!!

  • 公爵とロゴージンが密かに送った通夜のシーン良かった。

  • ロシア文学全集版(日本ブック・ストア出版)を読了。

    ナスターシャが好き。“好きだからこそ”受け入れられないジレンマ、その代わりに公爵の願いを叶えようとする健気さ。美も教養も財産すら持ってても、自分を何か惨めなものとして見てる。
    「とんでもない女だ!気違いだ!」って公爵すら言ってたりするけど、過去が彼女をこうしたんだろうなあ、と思うとやるせない。むしろ規範に囚われすぎて自分が許せなくなってるように見えた。最初から最後まで自暴自棄。切ない。

    公爵には、「同情で結婚とかやめたげて」って言いたくなった。心むしろ抉られそう…。なんだろう、正直って人を傷付けるよね、みたいな。
    この人には純粋すぎて社会と馴染まないんだろーなあっていうのを感じる。
    下心のない賞賛を惜しみ無く与えるところとか、人の立場を慮る優しさは人の心にダイレクトに響く。でも、世間的に見ると利己心が無さすぎるように見えてバカ呼ばわりされるんだろーな…。あと常にストレートであまりにも“ありのまま”すぎるのかも。装うってことがないよね。純度100%。

    うーん、文量半端なかったけど好きな話。

  • ドストエフスキーの著作は、様々なジャンルに跨る作品が多いが、本作は恋愛要素が大きいという印象が強い。同時に友情を取り扱った作品であるとも言える。強調したいのはいずれも、歪んだ恋愛、歪んだ友情という、国語の授業で取り扱われることは無い、リアルな人間の心情が描かれていることである。

    にしても、全1400ページは流石に長すぎる…。ラスト50ページからの物語が急速に動き出したぞ!感は素晴らしい。

  • 五大長編の中で一番好きだったため、再読。登場人物の長い一人語りや章始めのなかなか本編に入らない感じが、冗長だと思っていたが、むしろ好きになった。一方、敵になったり味方になったりする登場人物の思惑や、掴めない女心にやきもきさせられるのは初読にはかなわないかなぁ。にしても、主人公がやらかすシーンはいたすぎて直視できない(初読時は恥ずかしすぎて読み飛ばした)ほど迫真の描写。
    余談だが、心の美しい人をテーマにして書かれたらしいが、いざという時に病気になってしまう展開に納得がいかなかったりする…私の読み込みがたりないだけかもしれないが。

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