貧しき人びと (新潮文庫)

  • 新潮社 (1969年6月24日発売)
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Amazon.co.jp ・本 (304ページ) / ISBN・EAN: 9784102010068

みんなの感想まとめ

人間の尊厳と貧困が織りなす切実な物語が展開されるこの作品は、登場人物たちの心の葛藤を巧みに描写しています。ドストエフスキーの処女作でありながら、その完成度は高く、ユーモアとペーソスが絶妙に交錯していま...

感想・レビュー・書評

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  • トルストイと全く違う、ユーモアとペーソスの両方溢れ出るドストエフスキー節は、出世作から健在だ。ただ後期の五大長編小説と比べると、勢いは若干弱めかもしれない。

    往復書簡で表面上は読みやすいが、手紙の真意を深く読み取ろうと思うと、意外に厳しい読書を強いられる。再読が必要な作品だと思った。

    この作品は当時まだ作家でなかったドストエフスキーが『背水の陣』で書いた起死回生の一作。
    そのせいもあってか、終盤が迫ると鬼気迫る勢いが徐々に出てきて、ページを繰る手が止まらなくなる。

    コンパクトに纏まっているが、この切迫感はこれがまさにドストエフスキーの作品であることを証明している。

  • ドストエフスキーのデビュー作で、年配の小役人であるマカール・ジェーヴシキンと、向かいに住む若い女のワルワーラ・ドブロショーロワによって交わされる往復書簡のみで構成された小説である。ゴーゴリの『外套』よりも、当然のことながら登場人物の心が如実につらつらと描かれ、親身になって読まずにはいられなかった。
    二人の生活は作品名にもある通り、とても貧しく、うらぶれたものである。互いは相手に対して尊敬の念を抱き、従順で、愛を捧げている。この二人の関係が何がきっかけで始まったのかは具体的に語られず、我々は見ず知らずの人間が書いた山積みになった書簡を拾ったような気持ちで、書簡を通しての想像の域を出ることができない。それでも彼らの心情や状況の吐露や過去の回顧を伝える親密かつ内密な遣り取りを見ていると敬虔な気持ちが壮絶すぎるが故に、不毛にぶつかり合い空回りしていることから、只ならぬ凄惨を乗り越えて育まれた絆がみてとれる。貧乏であることの悩みが、必ずしもお金ではないということを綺麗事なしに知ることができたという点で、私のこの作品への想いは究極に価値のあるものになった。金がないことから生じる貧しさより、他人から損なわされる名誉を重要視しているこの老人の気持ちは、金がないという状況以上に、このペテルブルクという当時の町の冷淡さや残酷さが感じ取られ、社会の恐ろしさに改めて詰め寄られた恐怖を覚える。他人が介入することへの恐怖、噂や嘲笑に耐えることが一番苦難を強いられる。何故なら、人間には貧富や権力の有無に於いて差はあれど、人間としての矜持は等しく平等に保持しているからである。特に当時の男の場合は労働故にそれにも拍車をかける。それによりこの老人も、女への愛情を形あるものにするために施しをするのかもしれない。例え女がそれを拒もうが、社会において迫害されまいと足掻く姿がこの施しにも現れているのかもしれない。こう考えると、会いに行きたくとも容易く行けぬ老人の心理も理解できる。p197の「私を破滅させるのはお金ではなくて、こうした月夜の気苦労なんですよ」という言葉は印象的である。これが女には理解されていない。
    一方で、女の方は社会からの是認よりも、愛や幸福を求めている。これは愛していた故郷を離れざるを得ず、振り回された挙句愛する家族を失ったトラウマからであろう。また、恐らく前住んでいた陰険なアンナ・フョードロヴナの影響で、施されることに対しての嫌悪や不安を抱えているため、男の施しを喜べない節がある。そのため、心から愛するマカール・ジェーヴシキンが無理をして贈り物をする姿に耐えることができなかった。この齟齬が最終的にあのような結末を招いたのであろう。貧乏であるということは結果このようになってしまうという悲哀が訴えられているように感じた。それでも後半、あれほど噛み合わなかったお互いが噛み合って文通を行い、不条理へと進んでいく時間の中で、互いに助けを記述する様は狂おしいほど熾烈に感じた。お互いが熟知と未熟の間に取り残されているかのようであった。お互いがお互いに関して気持ちがわかっていないのがどうしてももどかしく感じるが、仕様がないとしか言えない。綺麗事で片付けられない境遇の彼らにしか分からない事であろう。男は社会を見、女は愛を見る。初めから求めるものに決定的な違いがあったのであるから。

    表現の中で感嘆したのは、p96〜97の、息子ポクロフスキーを失った父親が嘆き悲しむ描写で、そのシーンの風景の色彩、老人の表情、酷くも走り去っていく棺桶を乗せた馬車の音、ポケットからこぼれ落ちる本、濁った水溜りの飛沫、それを見るワルワーラの感情、どれもが写実的に惨憺を表して、圧巻の極みであった。また、p 226〜228を読むと、「貧しき人々」というのは彼らのような困窮者だけでなく、人間全体であり、貧乏人も金持ちも自分のことしか考えられない心貧しいものなのかもしれないという気がして、ペテルブルク全体の心の貧しさを表しているとも感じたが、これは想像力が間違って肥大しているだけかもしれない。

  •  処女作でこのクオリティっていうのが戦慄もの…。カラマゾフとも地下室の手記とも違う方向性だけど、完成度が高くてさすがだな…。

     彼が描き出す人物像ってどうしてこうも鮮明で心に響くんだろう。純粋で繊細な人間が、お互いを思って嘘をつき、我が身を犠牲にし、慰め合い、励まし合う。でも、お金や社会的立場の面で制約が多すぎて、互いを助けるには限界があって、歯がゆい思いをしながら見ていることしかできない。

     権力、家柄、病気、繊細さ、出会った人、いろんな要素が降り積もってどうにもできない不幸の中にいる2人。絶望の最中でも、神がいつか自分を救済してくれることをひたすら信じて耐えているのが切なかった。自分の日常生活ではこのような逃れられない不幸とは縁遠いようにも感じられるけど、程度の差こそあれ格差は常にあるものだし、努力ではどうすることもできない、逃れられない運命ってあるよな、と思う。

     貧困に限って考えれば、ただ怠けているわけじゃない人はきちんと救済される必要があるけど、公的に狡賢く生活している人間との線引きをするっているのは難しいから、必要なところに必要な分供給するって難しいよな。返ってくる見込みのないお金を、貸したりあげたりするっていう行為に抵抗を覚えていたけど、ジェーヴシキンのように救われる人間もいるんだっていうのが鮮烈な印象として残った。ジェーヴシキンのような人がいたら厭わずに手を差し伸べることのできる人間でありたい。

     貧困は人間の尊厳を危うくしてしまう。貧困に陥っていると、どんなに美しい心を持っている人でも、お金に固執しなければならないし、精神の安定を失うり、他人からの侮辱が正当なことであるかのように感じられてしまう。周囲の人間も、知らずして人を見下している。

     生きていくために、互いを救うために、結局最後は離れることを選ぶのだけど、それはきっとお金よりも2人の心を引き裂くことで、悲しくて仕方ない結末だった。愛情と心の充足との引き換えに生活を得る。それしか道が残されていない。最後の手紙、渡せなかったのかな…。

     

  • 錦繍につづき、書簡体小説が読みたくて選びました。
    ドストエフスキーの罪と罰が好きで、とても期待して読みましたが処女作ということでかなり若い時の作品のためか、ドストエフスキーのじわじわとくる面白さがなかなかやって来ず少し退屈に感じてしまいました。でもなんとなく記憶に残るものだと思います。
    書簡体にしては手紙と手紙のやり取りにつながりがあまり感じられず、噛み合っていないことに「なぜ?」が生まれます。大切なことを書いているはずなのにそれについて一言も触れられていない返事だったり、大切な相手に向かってとにかくずっと卑屈な言葉を吐いていたり。
    この何月何日の手紙はもしかしたら「出していない」のかもしれないと思い込むことにしました。だって全く噛み合っていない。
    そして、ずっとお金に困っていてそれが結局「卑屈」になる原因なのだと感じました。それはドストエフスキーの他の作品にもあるものですね。
    そう振り返っているうちに不思議とまた他の作品も読みたくなってきました。とすると、退屈だと思っていた作品のはずなのに、結果的に読者を惹きつけるドストエフスキーならではのなにかがあるのかもしれないですね。

  • 貧しい暮らしをしている人たちが主の物語。
    お金に生活が左右され、明日を生きることもままならない人達が出てくる。最後の方はとても緊迫した。
    やっぱドストエフスキー面白い。

  • 貧乏なおっさんと貧乏な若い女の子がお手紙を出し合うお話。
    現代の日本の価値観を通して読むと、どうしてもおっさんが気持ち悪かった。汚くてメンヘラで卑屈なおっさんって、、、
    憎めなくていい人ってのは伝わってくるけど。
    個人的には貧乏で冴えないけど、若くて賢い男の子のが感情移入出来た。ラノベの読みすぎかな。

    アンナ・フョードロヴナに対しても特にスカッとするオチはなく、おっさんが悲しんで終わり。これで終わり?って最後だった。
    いわゆる名作古典作品って感じの終わり方。

    自分の教養の無さ故だとは思うけど、期待した程じゃなかった。

    ポクロスキー父の子を思う描写は、なんか妙に生々しく好きだった


  • 他レビューにもあったが、この作品がペリー来航よりも前というのがびっくりする。
    ロシアの貧困。どんよりとした救いようのない作品。
    母が大学時代に線引きしている箇所が興味深い(家の本棚からこっそり持ち出したので)一番最後に、1983.3.3とメモがあった。

  • 読みやすさに感動した(罪と罰の後だったので…)

  • 新潮文庫『貧しき人びと』43年前に購入と記載あり、数か所色鉛筆で線など引いていた。「貧しさは罪ではない」という箇所、当時何を思って印を付けたのか不明だ。とにかく文章が読みやすくスラスラ読み進めることができる。大満足。

    小説は説明より描写と言うが『貧しき人々』に登場する小役人が凄まじい。靴底が抜け落ちて足は泥だらけ、役所ではヘマをやらかし詰問中にたった一つの上着のボタンが転げ落ちる。その心情たるや計り知れない。このまま地べたを這いずり、のた打ち回って終わるかに見せかけての~完璧ではないにしろ救われた。

  • 読んできたドストエフスキー作品の中ではいちばん読みやすかった。ラストの感情的な表現がとても良かった。

  • 手紙の往復という体裁が意外に読みやすい文豪の入門編。大仰な言葉の畳み掛けに一種のリズムと迫力を感じたものの、これを読んで高い文学的評価を与えられる読解力は自分には無かった。

  • 大作を読む前の準備体操として。
    貧困に監視に相互依存と。
    狭い世界でしか生きられなかった滑稽で陰鬱な人たちがそこには居た。

  • ドストエフスキーの名を知らしめた作品で、往復書簡形式で話が展開される。マカール・ジェーヴシキンとワーレンカの二人のやり取りを読んでいき、序盤は明るい雰囲気だが、後半に進むにつれて暗めで、深刻さが増していく。

  • 中年の役人マカール・ジェーブシキンと病弱な薄幸の娘ワルワーラ・ドブロショーロワとのやりとりを往復書簡の形式で表した小説。ジェーブシキンは自分の生活を顧みずワルワーラに援助をしている。どちらも貧困に苦しんでおり、励ましながら手紙のやりとりが続くのだが…。

    -------

    ・マカール・ジェーブシキン、すごく気持ち悪いなと思う。一方的に恋して貢ぐ危ないおじさんという感じ。ていうか手紙の内容がワーレンカと比べてけっこう自分勝手のことしか書いていないんだよな

    ・途中、ワーレンカは相手をいい友人とだけ思っているのに、自分の貧困も顧みず、贈り物をしてくる粘着おじのマカールをワーレンカが呆れ始めているようにも見えてくる。当時の価値観ではどうなのかわからないが、下着とか贈るなよ。

    ・家庭教師に出させてやればよかったのに…おっさんのわがままでせっかくの話を見送ってしまった

    ・困窮しているマカール・ジェーブシキンにさらに金を借りさせるところ、実はワーレンカはこいつを金を持ってくる人間としかやはり見ていないのではないかという気もする。後半で仕立て屋とか宝石屋にマカールをパシらせているのも面白いが。

    ・閣下はなんて素晴らしい人なのか

    ・最後はワーレンカが金持ちおじさんと結婚? して、貢ぎに貢いだ、貧乏おじさんだけが残される。ワーレンカのいた家に移り住むの気持ち悪いよな。でも、残された物品の描写は悲壮感があり良い。

    ・結局、ブイコフって良いやつなのか悪いやつなのか、どちらなのか。どちらということもないのか

  • この作品は中編小説ということでドストエフスキーの五大長編と比べると手頃で手に取りやすい作品であるのですが、ドストエフスキーの入門としていきなりこれを読むと理解するのはなかなか難しいかもしれません。 ある程度の前知識が必要とされますが、逆に言えばそれさえあればドストエフスキーの貧しい人や虐げられた人への優しさ、愛情がこの作品では感じられます。 ドストエフスキーの原点とも言える作品です。

  • 往復書簡 形式。

    最後のマカールのすがる思いが切実で胸に迫ってきた

  • ドストエフスキーの処女作。
    処女作でこれか…やっぱりすごいなぁ。
    あまり難しいことは書かれてないし手紙の形式なので読みやすさもある。

    ジェーヴシキンはドストエフスキーがはじめて創造した「美しい人間」なようだけど、たしかに自分がボロボロになってもワルワーラに資金援助をしようとするところはなぜここまで…というほどだった。
    でも、自分の側にいてほしいという気持ちが強いあたり完全なる自己犠牲ではなくて、ワルワーラを支えることによって唯一無二の人になりたいという欲もあったんだろうなと思う。
    ジェーヴシキンにとっては自分が惨めな思いをしてそれが辛いし耐えられないという気持ちもあったとしても、ワルワーラが側にいてくれることがなによりも幸せだったんだろうなあ。

    ワルワーラは、だいぶ資金援助してもらったわりに結構手厳しいこというなぁと思うときもあった。
    最後は結婚して遠くへ行ってしまったけど、あの選択自体は責められないかなって。
    あのままジェーヴシキンといても共倒れしてただろうし、長い目でみれば結婚したほうがお互いのためになったのかなとは思う。
    ブイコフ氏はパワハラモラハラが凄そうな感じがしてるから、精神面で幸せになるのは難しそうなかんじはしたけど、少なくとも金銭面では今よりは助かるんだろうし。
    昔は今と違って遠くへ行ってしまったらそんなに簡単にやりとりしたり会えたりはできないしすごく辛い選択だったんだろうとはおもうけど。

    それにしても『白夜』でもそうだったけど、悲惨な女性に一生懸命尽くした男性が最後置いていかれる話がドストエフスキーは好きなんだろうか…?

  • ドストエフスキーは「カラマーゾフの兄弟」に続いて2作目。
    訳は木村浩さんのもの。

    貧困に陥った人間にありがちな振る舞い、思考回路が的確に描写されている。
    なので、暮らし向きが良いとは言えない生活を送っている私としては、
    身につまされる思いだった。

    金がない人間ほど心の美しさを謳うが、
    結局は金がなければ何も解決しないのだ。

    ちなみに、
    マカールとワーレンカの恋の話だと、本の裏表紙に書かれてますが、
    恋の話ではないと思います。
    マカールが作中で、みなしごのワーレンカの父親がわりをつとめているのだと、
    自分で手紙にそう書いているので。

  • 下級官僚マカール・ジェーヴシキンと若い娘ワーレンカ、二人の手紙の往還で構成された、所謂書簡体小説。手紙を通してペテルブルクの下町に生きる人びとの貧しさ、愚かさが描かれる( 一般的には庶民の善良さと評されるかも知れぬが、私には愚かさに思われた )。時代は19世紀後半頃か。
    ドストエフスキーのデビュー作と言われ、発表当時激賞されたという。だが、私はそこまでの傑作とは思えなかった。どうも腑に落ちない部分が多いためである。
    一つはマカールが頭もはげ上がった中年のオヤジで、ワーレンカは二十歳前の娘、そんな男女の純愛にしっくり来なかったからだ。読みながら( 書簡体小説のためもあり )まるで「 足長おじさん 」だなと思うことしばしばであった。
    二つめは、終盤のワーレンカの結婚のくだり。ワーレンカは突然求婚してきた黄金持ちの男のもとに嫁ぐことを決意するのだが、以降の展開がしっくりしなかった。マカールおじさんは悲嘆に暮れて悲恋のうちに物語は幕を閉じるのか…と思いきや、そんな雰囲気にさせてくれない。ワーレンカは急遽の婚礼準備に大忙しとなるのだが、新郎の男はそれをほったらかし。困ったワーレンカは婚礼衣装の仕立て屋への刺繍の意匠の伝言などを、マカールおやじに命じて奔走させる。アッシー扱いだ。このくだりで純情乙女だったワーレンカが急に我儘放題のイヤな女に変じた印象。純情悲恋に傾きかけた感じが損なわれる。これらの点で作品構成の技術が巧くないように思われた。

  • 中年の役人と病気がちな少女が文通するという、今日日ではなかなかエキセントリックな話。それほど貧しくないというところがポイント。

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