貧しき人びと (新潮文庫)

  • 新潮社
3.48
  • (61)
  • (101)
  • (222)
  • (25)
  • (1)
本棚登録 : 1434
感想 : 117
本ページはアフィリエイトプログラムによる収益を得ています
  • Amazon.co.jp ・本 (260ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784102010068

作品紹介・あらすじ

世間から侮蔑の目で見られている小心で善良な小役人マカール・ジェーヴシキンと薄幸の乙女ワーレンカの不幸な恋の物語。往復書簡という体裁をとったこの小説は、ドストエフスキーの処女作であり、都会の吹きだまりに住む人々の孤独と屈辱を訴え、彼らの人間的自負と社会的卑屈さの心理的葛藤を描いて、「写実的ヒューマニズム」の傑作と絶賛され、文豪の名を一時に高めた作品である。

感想・レビュー・書評

並び替え
表示形式
表示件数
絞り込み
  • ドストエフスキーのデビュー作で、年配の小役人であるマカール・ジェーヴシキンと、向かいに住む若い女のワルワーラ・ドブロショーロワによって交わされる往復書簡のみで構成された小説である。ゴーゴリの『外套』よりも、当然のことながら登場人物の心が如実につらつらと描かれ、親身になって読まずにはいられなかった。
    二人の生活は作品名にもある通り、とても貧しく、うらぶれたものである。互いは相手に対して尊敬の念を抱き、従順で、愛を捧げている。この二人の関係が何がきっかけで始まったのかは具体的に語られず、我々は見ず知らずの人間が書いた山積みになった書簡を拾ったような気持ちで、書簡を通しての想像の域を出ることができない。それでも彼らの心情や状況の吐露や過去の回顧を伝える親密かつ内密な遣り取りを見ていると敬虔な気持ちが壮絶すぎるが故に、不毛にぶつかり合い空回りしていることから、只ならぬ凄惨を乗り越えて育まれた絆がみてとれる。貧乏であることの悩みが、必ずしもお金ではないということを綺麗事なしに知ることができたという点で、私のこの作品への想いは究極に価値のあるものになった。金がないことから生じる貧しさより、他人から損なわされる名誉を重要視しているこの老人の気持ちは、金がないという状況以上に、このペテルブルクという当時の町の冷淡さや残酷さが感じ取られ、社会の恐ろしさに改めて詰め寄られた恐怖を覚える。他人が介入することへの恐怖、噂や嘲笑に耐えることが一番苦難を強いられる。何故なら、人間には貧富や権力の有無に於いて差はあれど、人間としての矜持は等しく平等に保持しているからである。特に当時の男の場合は労働故にそれにも拍車をかける。それによりこの老人も、女への愛情を形あるものにするために施しをするのかもしれない。例え女がそれを拒もうが、社会において迫害されまいと足掻く姿がこの施しにも現れているのかもしれない。こう考えると、会いに行きたくとも容易く行けぬ老人の心理も理解できる。p197の「私を破滅させるのはお金ではなくて、こうした月夜の気苦労なんですよ」という言葉は印象的である。これが女には理解されていない。
    一方で、女の方は社会からの是認よりも、愛や幸福を求めている。これは愛していた故郷を離れざるを得ず、振り回された挙句愛する家族を失ったトラウマからであろう。また、恐らく前住んでいた陰険なアンナ・フョードロヴナの影響で、施されることに対しての嫌悪や不安を抱えているため、男の施しを喜べない節がある。そのため、心から愛するマカール・ジェーヴシキンが無理をして贈り物をする姿に耐えることができなかった。この齟齬が最終的にあのような結末を招いたのであろう。貧乏であるということは結果このようになってしまうという悲哀が訴えられているように感じた。それでも後半、あれほど噛み合わなかったお互いが噛み合って文通を行い、不条理へと進んでいく時間の中で、互いに助けを記述する様は狂おしいほど熾烈に感じた。お互いが熟知と未熟の間に取り残されているかのようであった。お互いがお互いに関して気持ちがわかっていないのがどうしてももどかしく感じるが、仕様がないとしか言えない。綺麗事で片付けられない境遇の彼らにしか分からない事であろう。男は社会を見、女は愛を見る。初めから求めるものに決定的な違いがあったのであるから。

    表現の中で感嘆したのは、p96〜97の、息子ポクロフスキーを失った父親が嘆き悲しむ描写で、そのシーンの風景の色彩、老人の表情、酷くも走り去っていく棺桶を乗せた馬車の音、ポケットからこぼれ落ちる本、濁った水溜りの飛沫、それを見るワルワーラの感情、どれもが写実的に惨憺を表して、圧巻の極みであった。また、p 226〜228を読むと、「貧しき人々」というのは彼らのような困窮者だけでなく、人間全体であり、貧乏人も金持ちも自分のことしか考えられない心貧しいものなのかもしれないという気がして、ペテルブルク全体の心の貧しさを表しているとも感じたが、これは想像力が間違って肥大しているだけかもしれない。

  •  処女作でこのクオリティっていうのが戦慄もの…。カラマゾフとも地下室の手記とも違う方向性だけど、完成度が高くてさすがだな…。

     彼が描き出す人物像ってどうしてこうも鮮明で心に響くんだろう。純粋で繊細な人間が、お互いを思って嘘をつき、我が身を犠牲にし、慰め合い、励まし合う。でも、お金や社会的立場の面で制約が多すぎて、互いを助けるには限界があって、歯がゆい思いをしながら見ていることしかできない。

     権力、家柄、病気、繊細さ、出会った人、いろんな要素が降り積もってどうにもできない不幸の中にいる2人。絶望の最中でも、神がいつか自分を救済してくれることをひたすら信じて耐えているのが切なかった。自分の日常生活ではこのような逃れられない不幸とは縁遠いようにも感じられるけど、程度の差こそあれ格差は常にあるものだし、努力ではどうすることもできない、逃れられない運命ってあるよな、と思う。

     貧困に限って考えれば、ただ怠けているわけじゃない人はきちんと救済される必要があるけど、公的に狡賢く生活している人間との線引きをするっているのは難しいから、必要なところに必要な分供給するって難しいよな。返ってくる見込みのないお金を、貸したりあげたりするっていう行為に抵抗を覚えていたけど、ジェーヴシキンのように救われる人間もいるんだっていうのが鮮烈な印象として残った。ジェーヴシキンのような人がいたら厭わずに手を差し伸べることのできる人間でありたい。

     貧困は人間の尊厳を危うくしてしまう。貧困に陥っていると、どんなに美しい心を持っている人でも、お金に固執しなければならないし、精神の安定を失うり、他人からの侮辱が正当なことであるかのように感じられてしまう。周囲の人間も、知らずして人を見下している。

     生きていくために、互いを救うために、結局最後は離れることを選ぶのだけど、それはきっとお金よりも2人の心を引き裂くことで、悲しくて仕方ない結末だった。愛情と心の充足との引き換えに生活を得る。それしか道が残されていない。最後の手紙、渡せなかったのかな…。

     

  • 他レビューにもあったが、この作品がペリー来航よりも前というのがびっくりする。
    ロシアの貧困。どんよりとした救いようのない作品。
    母が大学時代に線引きしている箇所が興味深い(家の本棚からこっそり持ち出したので)一番最後に、1983.3.3とメモがあった。

  • 大学入学して間もなくのときにロシア文学にふれて、とても驚いたことは登場人物の名前が場合によって変化することで、本書を読了するのにかなり時間を要した。また、往復書簡という体裁の小説もあまり読んでこなかったので、それが織り成す物語はとても新鮮に感じた。本書における主人公と呼ぶべき「マカール・ジェーヴシキンさま」と、「ワルワーラさん」の心理を描いたようなドラマが往復書簡という体裁で描かれており、加えてそれが前述のように、彼らが置かれている社会や生活を生々しく再現している。とても考えさせられる一冊だった。

  • ドストエフスキーの処女作。
    処女作でこれか…やっぱりすごいなぁ。
    あまり難しいことは書かれてないし手紙の形式なので読みやすさもある。

    ジェーヴシキンはドストエフスキーがはじめて創造した「美しい人間」なようだけど、たしかに自分がボロボロになってもワルワーラに資金援助をしようとするところはなぜここまで…というほどだった。
    でも、自分の側にいてほしいという気持ちが強いあたり完全なる自己犠牲ではなくて、ワルワーラを支えることによって唯一無二の人になりたいという欲もあったんだろうなと思う。
    ジェーヴシキンにとっては自分が惨めな思いをしてそれが辛いし耐えられないという気持ちもあったとしても、ワルワーラが側にいてくれることがなによりも幸せだったんだろうなあ。

    ワルワーラは、だいぶ資金援助してもらったわりに結構手厳しいこというなぁと思うときもあった。
    最後は結婚して遠くへ行ってしまったけど、あの選択自体は責められないかなって。
    あのままジェーヴシキンといても共倒れしてただろうし、長い目でみれば結婚したほうがお互いのためになったのかなとは思う。
    ブイコフ氏はパワハラモラハラが凄そうな感じがしてるから、精神面で幸せになるのは難しそうなかんじはしたけど、少なくとも金銭面では今よりは助かるんだろうし。
    昔は今と違って遠くへ行ってしまったらそんなに簡単にやりとりしたり会えたりはできないしすごく辛い選択だったんだろうとはおもうけど。

    それにしても『白夜』でもそうだったけど、悲惨な女性に一生懸命尽くした男性が最後置いていかれる話がドストエフスキーは好きなんだろうか…?

  • ドストエフスキーは「カラマーゾフの兄弟」に続いて2作目。
    訳は木村浩さんのもの。

    貧困に陥った人間にありがちな振る舞い、思考回路が的確に描写されている。
    なので、暮らし向きが良いとは言えない生活を送っている私としては、
    身につまされる思いだった。

    金がない人間ほど心の美しさを謳うが、
    結局は金がなければ何も解決しないのだ。

    ちなみに、
    マカールとワーレンカの恋の話だと、本の裏表紙に書かれてますが、
    恋の話ではないと思います。
    マカールが作中で、みなしごのワーレンカの父親がわりをつとめているのだと、
    自分で手紙にそう書いているので。

  • 下級官僚マカール・ジェーヴシキンと若い娘ワーレンカ、二人の手紙の往還で構成された、所謂書簡体小説。手紙を通してペテルブルクの下町に生きる人びとの貧しさ、愚かさが描かれる( 一般的には庶民の善良さと評されるかも知れぬが、私には愚かさに思われた )。時代は19世紀後半頃か。
    ドストエフスキーのデビュー作と言われ、発表当時激賞されたという。だが、私はそこまでの傑作とは思えなかった。どうも腑に落ちない部分が多いためである。
    一つはマカールが頭もはげ上がった中年のオヤジで、ワーレンカは二十歳前の娘、そんな男女の純愛にしっくり来なかったからだ。読みながら( 書簡体小説のためもあり )まるで「 足長おじさん 」だなと思うことしばしばであった。
    二つめは、終盤のワーレンカの結婚のくだり。ワーレンカは突然求婚してきた黄金持ちの男のもとに嫁ぐことを決意するのだが、以降の展開がしっくりしなかった。マカールおじさんは悲嘆に暮れて悲恋のうちに物語は幕を閉じるのか…と思いきや、そんな雰囲気にさせてくれない。ワーレンカは急遽の婚礼準備に大忙しとなるのだが、新郎の男はそれをほったらかし。困ったワーレンカは婚礼衣装の仕立て屋への刺繍の意匠の伝言などを、マカールおやじに命じて奔走させる。アッシー扱いだ。このくだりで純情乙女だったワーレンカが急に我儘放題のイヤな女に変じた印象。純情悲恋に傾きかけた感じが損なわれる。これらの点で作品構成の技術が巧くないように思われた。

  • 中年の役人と病気がちな少女が文通するという、今日日ではなかなかエキセントリックな話。それほど貧しくないというところがポイント。

  • 処女作にしてこの内容は、さすが世界の大文豪だと思った。
    マカール・ジェーブシキンとワルワーラの貧しい暮らしぶりが痛いほどに伝わってくる。
    「たとえどんな寒い日でも、わたしなら外套も着ず、靴もはかないで歩いても、平気です。わたしはなんでも我慢し、辛抱します。わたしは平ちゃらです。どうせわたしは平凡でつまらない人間ですから。でも、世間の人はなんというでしょう?…靴というものは、わたしの名誉と体面を保つために必要なものであって、穴だらけの靴をはいていれば、そのどちらも失ってしまうわけです」
    毎日パンを買うだけのほんの少しのお金があればこの2人なら必ず幸せになれるのに…と思うと、彼らの境遇にいたたまれない思いがする。
    互いを思いやる気持ちがとても美しい。
    他のドストエフスキー作品に比べてかなり読みやすいと思う。

  • 「文学――それは絵である。つまり、一種の絵であり鏡である。情熱の表現であり、きわめて鋭い批評であり、道徳に対する教訓であり、同時にまた人生の記録である。」



    ドストエフスキーの処女作。

    貧しい環境にいる人々の生活と苦悩を描き出す。
    荒削りの印象はあるが、人間の喪失と再生を、書簡形式の老人と少女のやり取りを通して描写するあたりは、さすがドストエフスキーと言ったところなのかもしれない。

    この作品のテーマは、「貧しさに生きる人々の深い闇と差し込む一筋の光」だと感じた。

    環境による不平等を持つ老人と少女。
    しかし、やりとりを読んでいると、どこか読み手にイライラさせる要素があることに気づく。

    それはどこから来るのか。

    彼らだって自分の選択で、病気や低い役職、他人からの執拗な嫌がらせを受けているわけではない。

    それでも生きていく、。一人ではなくお互い支え合って生きていく二人。
    一人では生きてはいけない、そう思う老人と少女の申し訳なさ、後ろめたさが読者のイライラの原因ではないだろうか。
    それは彼ら二人の虚栄心、というよりは、人間としての尊厳の確保という意味合いが強いだろう。

    「貧しさと恥は似ている」



    余談だが、p85の老人が息子の死に直面した時の描写が半端ない。
    これがドストエフスキーかと身震いした。

全117件中 1 - 10件を表示

著者プロフィール

(Fyodor Mikhaylovich Dostoevskiy)1821年モスクワ生まれ。19世紀ロシアを代表する作家。主な長篇に『カラマーゾフの兄弟』『罪と罰』『悪霊』『未成年』があり、『白痴』とともに5大小説とされる。ほかに『地下室の手記』『死の家の記録』など。

「2010年 『白痴 3』 で使われていた紹介文から引用しています。」

ドストエフスキーの作品

  • 話題の本に出会えて、蔵書管理を手軽にできる!ブクログのアプリ AppStoreからダウンロード GooglePlayで手に入れよう
ツイートする
×