貧しき人びと (新潮文庫)

制作 : 木村 浩 
  • 新潮社
3.45
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本棚登録 : 993
レビュー : 95
  • Amazon.co.jp ・本 (260ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784102010068

作品紹介・あらすじ

世間から侮蔑の目で見られている小心で善良な小役人マカール・ジェーヴシキンと薄幸の乙女ワーレンカの不幸な恋の物語。往復書簡という体裁をとったこの小説は、ドストエフスキーの処女作であり、都会の吹きだまりに住む人々の孤独と屈辱を訴え、彼らの人間的自負と社会的卑屈さの心理的葛藤を描いて、「写実的ヒューマニズム」の傑作と絶賛され、文豪の名を一時に高めた作品である。

感想・レビュー・書評

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  • 他レビューにもあったが、この作品がペリー来航よりも前というのがびっくりする。
    ロシアの貧困。どんよりとした救いようのない作品。
    母が大学時代に線引きしている箇所が興味深い(家の本棚からこっそり持ち出したので)一番最後に、1983.3.3とメモがあった。

  • 僕の住んでいるボロアパート、の向かいの部屋には女子大生が!ワーレンカみたいなもんです。

  • 読みやすさに感動した(罪と罰の後だったので…)

  • 口に糊をして暮らす下級役人マカール・ジェーヴシキンが、父娘ほどの年齢の差がある薄幸の少女ワルワーラに対し一途に純愛を傾ける。…なけなしの給料をはたいて買ったお菓子を添えた手紙で。
    病気がちで友達がひとりもいず、保護者のアンナ・フョードルヴナの追手に怯えるワルワーラは、ほとんど奇行めいたマカール・ジェーヴシキンの言動に戸惑いつつも頼りに思っている。…そして感謝の手紙を返信する。
    ふたりの間で交わされるこれら往復書簡の体裁でこの物語は進んでいく。

    マカール・ジェーヴシキンの身辺はますます困窮を極める。…靴は崩壊寸前…服のボタンは半分無い…大家の女将から罵詈雑言…高利貸しからはカモとみなされもしない…。
    ワルワーラも病気と貧困で進退窮まる。…顔は青白くやせ細り…働こうにも体力がない…ついに、いけ好かない遠方の地主から求婚されそれに応じざるを得なくなる…。
    マカール・ジェーヴシキンからの怨嗟の手紙を最後に二人は今生の別れとなる。

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    一部、手紙以外にもワルワーラの手記が載せてあって、そこに貧乏学生ポクロフスキーのエピソードが出てくるのだが、ぼくはこの作品の中でそこが一番好きだ。有為の学生ポクロフスキーが結核で夭逝する。その父(『罪と罰』のマルメラードフや『カラマーゾフ』のスネギリョフみたいなの)が、ポクロフスキーの遺体を載せた霊きゅう車のあとを走って追いかける。その外套のポケットにはポクロフスキーが大切にしていた学術書が形見として詰め込まれているのだが、それが轍のぬかるみにボトボト落ちる。父はそれを立ち止まっては拾いあげ、泣きながらまた霊きゅう車の後を追う…。

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    往復書簡による物語といえば、宮本輝『錦繡』を思い出した。『錦繡』では、かつて愛し合っていた男女が偶然ロープウェイの中でつかのまの再会をはたす。あとは二人による往復書簡が交わされやがて文通にもピリオドが打たれるのだが、あのロープウェイ以来二度と永久にこの二人は会うことはない。この作品はけだし傑作だ。

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    貧困の実態、そしてそれを実際に体験した者(特に子ども)でないとわからないその時の心情を描かせたら宮本輝の右に出るものはいないとぼくは思っている。そこに描かれた貧困は本物だ。だから宮本輝は確かにそれを経験しているはずだ。宮本輝の作家としての原点もきっとその貧困体験にあるとぼくは考えている。

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    ドストエフスキーの原点もやはり、この貧困体験ではないだろうか。『貧しき人びと』はドストエフスキーの処女作だが、ここに書かれるマカール・ジェーヴシキンやポクロフスキーの父は、別の作品でもマルメラードフ、スネギリョフなどに転生して次々と現れることとなる。彼らはみな、薄給で、最愛の人が重い病に罹っていて、着ているものはボロボロで、世渡りが下手で、感情が不安定で、満ち足りた者からは叱りとばされてばかりいる。そしてなけなしの金をなぜか役に立たないようなことに雲散霧消、ますます二進も三進もいかなくなる。
    ”金がない”という現実。”何もできない”という焦燥。”愛するものを守れない”という無力感。”明日はそれがもっとひどくなる”という絶望…。この体験は個人にとってあまりに激烈であり、これを重ねていると、ある日胸の一番深いところがパックリと裂かれる。その後もし、生活が安定することがあったとしても、いったん開いたこの傷口だけは何故か決してふさがることがないのだ。
    逆に多くの作家にとってそれは創作の力の源ともなりえるのだが…。

  • 2018年9月27日に紹介されました!

  • 今まで読んだドストエフスキーの作品の中で一番読みやすかったです。
    親しい友人という設定でしたが、ジェーヴシキンとワーレンカは完全にお互いを愛し合い、信頼し合っているけど、日常の様々な不幸や遣り切れない思いを手紙で報告し合い、慰め合い、励まし合い、でもそれがとても悲しい風向きへ向かう度に胸がキュッとなります。
    とても切ないやり取りです。

  • 滑稽なほどに悲しい。こんな現実は(少なくともブクログにアクセスできるような我々には)ほど遠いもの。
    テンポのよさもあり、さっとよめる快作。

  • 2016.9.30
    ドストエフスキーの処女作らしい。なんというか、読んでいて悲しくなる小説である。貧しきものは貧しきものの心の中に絶望を照らす光を見る、それは苦しみを共有することによる慰めであり、苦しみを共有できることによる相互への愛である。しかし愛で心は慰めることはできても飯を食うことはできないのであって、現実的な問題に直面した時は、自分の心を救ってくれた恩人を助けることはできず見殺しにするほかなく、もしくは見殺しにされるほかはない。これは辛い。運命に見放され、自分は何でこんな人生を生きなければいけないのか、そもそも生きる必要なんてあるのか、自分に価値なんてあるのか、そういう、運命や社会に虐げられた人間が、そんな自分を理解してくれる人間に出会った時、もしくは自分の苦しみゆえに相手の苦しみがわかり、それに共感することで感謝される時、生きていてよかったと、自分にも価値があるのだと、この出会いのための苦しみだったのかと、そう思えるのではないだろうか。しかしその心の友が現実という名の怪物に喰い殺されようとする時、自分は何もできない、自分もまた怪物に虐げられるだけの弱い存在だからである。この無力。こんなに辛いことはない。しかしなぜ、虐げられるものは心が善良なのだろうか。痛みを知るゆえに人の痛みにも敏感になるからだろうか。いや、苦しみを知る人間は善良である、とは言えないか。貧しいものは善良である、とは言えないだろう。貧しく、周りから舐められ軽蔑される小役人と、両親を失い孤児となった病気がちの娘との、プラトニックな恋愛物語であり、また苦しみと貧しさと痛みを共有する二人の友情物語である。なんか改めて思ったけど、ドルトエフスキーの小説は〇〇小説と一概に言えない多様な側面を持つ小説が多い印象だけど、それは我々の小説のジャンル分けという狭い認識に無理やりあてはめるからそうなのであって、彼はそれらを組み合わせようとか考えたのではなく、ただただ人間を、人間のリアルを、生活を、真実を、心を、苦しみを、人生を描こうとしたのかもしれない。部分に還元できない、全体としての有機的な、ダイナミックな人間の人生を描こうとしたのかもしれない。

  • 結末の悲劇ぶり、圧倒的悲哀が見事。女性の立場と老人の立場が交錯する中で、喜びと社会的貧しさが描かれ、あまりに呆気ない終わりを迎える。

  • ドストエフスキーなのに読みやすい。
    なんでああいう人生になってしまうのか…
    ポクロフスキーの話のあたり、ロシアの人たちと情景と空気が浮かんでくる。手紙から浮かんでくることに感動した。
    ロシアものが読みたくて読んだが、やはり日本にはない描写、人々の感覚? 面白い。

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著者プロフィール

ロシアの小説家、思想家。トルストイやチェーホフとともに19世紀後半のロシア文学を代表する文豪。

「2008年 『罪と罰 下』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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