賭博者 (新潮文庫)

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  • Amazon.co.jp ・本 (317ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784102010082

感想・レビュー・書評

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  • ギャンブルの描写が、ギャンブルを知っているからこそ書けるというものでした。主人公が後半に大勝負するところも含めて、ギャンブルにはいろいろな面があり、いろいろな局面をつくり、いろいろと作用することがよく描かれていると思った。そして、その魔性についても。このギャンブルの描写はちょうど良い距離感なんでしょうね。もっと深く、微に入り細を穿って描けそうな気もするのだけれど、そうなると個人的すぎて、ギャンブルとしてはひとつの断片的性格が強くなりそう。『賭博者』の極端なギャンブルの例たちが合わさって、ひとつの全体性みたいなものが感じられるようになっている。ギャンブルそのものについては、そう。ぼくもね、けっこう競馬とパチンコではあるけれどぐぐっとギャンブルに両足を突っ込んだことのあるひとだから、その点でこういう『賭博者』を書く作者(ドストエフスキー)のギャンブルについての知識というか、どれだけわかっているのかを値踏みするように読もうとしてしまうところがあります。さてさて、賭博の成功体験をもつ主人公はどうなってくのか。重要な脇役からの辛辣な「見抜き」で締めくくられています。そうなんです、ギャンブルにハマるとはそういうことなんです…。

  • 後半のアレクセイがポリーナのためにルーレットに挑み、大金をメイクし続ける描写はまるで自分自身が賭博場にいるかのような興奮を覚えた。ルーレットに勝っても人生そのものの賭けにはおよそ負け続ける状態。それでも何かを信じて、明日もまた賭博場に行ってしまう。哀しき人間の性。

  • 中盤、車椅子で富豪の老婦人アントニーダ・ワシーリエヴナ・タラセーヴィチワが登場してから、ようやく面白くなる。(第九章(99頁))
    舞台はドイツ「ルーレテンブルグ」の地。「ルーレットの町」の意で、どうやら架空の街らしい。カジノの街である。
    老婦人は到着してすぐカジノに突入、あっという間に巨額の勝ちを得る。その額1万2千フローリン。フランにすると2万4千Fらしい。(現在の貨幣価値でどのくらいなのかよくわからず、もどかしい。)彼女は、ルーレット体験は初めてらしく、無茶な賭け方をする。だが、所謂ビギナーズラックなのか、倍々で賭け金を増やし、金貨や紙幣を山のように増やす。賭け金が35倍になる「ゼロ」の目を連発するのだ。
    老婦人は、その翌日も午前中からカジノに向かう。そして、彼女の遺産を望みの綱としている将軍(破産寸前の債務者)は、老婦人が財産を失いはしないか、大いに肝を冷やすのだった。

    ここで、自身の数少ないカジノ体験を思いだした。返還前のマカオ、「リスボアホテル」のカジノで「大小」に挑戦したのだ。(いうまでもなく、「深夜特急」を読んだ影響である。)ホールには、十数もの台があり、それぞれを親がマネージメントしている。
    そこで、奇妙なリズムが発生していたのだ。あるとき急に「大」または「小」の目が連続して出始め、20回近くもそれが続く。
    それまで、客が離れて閑散としていたその台に、ほどなく客がふたたび集まり始め、興奮の度合いが高まってゆく。もちろん、そこに集う人数も増え、その台の掛け金はどんどん積みあがってゆく。「大」の目の連続はもうさすがに終わるはず、次こそ、数学的な確率では「小」以外にありえない。そう考える多くの客は「逆ばり」に賭け、それが熱気と興奮を高めていくのだ。「大」の連続が20回に近づくに従い、その、ありえない連続が崩壊する確率は目前に思われる。当然「小」の目に賭ける者も、額もピークに達する。
    しかし、信じられないことに、そこでまた「大」の目が出現。一同が積み上げた多額の賭け金は失われ、親がそれをごっそりと確保する。
    台の閑散から、興奮の高まりへ。賭博者が散集する様を見ていて、私は確信した。これは、親が「目」を操作している。つまり、親によるイカサマである。 

    老婦人が、ルーレットのゼロの目を2回も3回も連続して得た状況も、親による操作だったに相違ない。
    巨額の元手をもつビギナーは、初日に儲けさせられ、賭けの魔力で虜にする。はまらせる。
    そして、次の日、カジノは、そのカモに対して本性を露にするのだ。

    老婦人の興奮と顛末を読んでいて、そんな「マカオ」の一夜を思いだしたのだった。
    ちなみに、その夜の僕は、1万円ほどすった。20代の青年時代、ひとり旅であった。

    ちなみに、この老婦人の登場までは、この小説はなんとも退屈である。
    主人公アレクセイ・イワ-ノヴィチ(将軍の家庭教師)は、狂躁的で、意図不明の奇行を行う。「悪霊」のピョートル・ヴェルホーベンスキー(ニヒルなスタヴローギンにつきまとう多弁な男)を連想想起した。
    後に、アレクセイの奇行は、彼が求愛している女性ポリーナが、彼を振り回しているためとわかってくる。
    後半、ポリーナ自身の狂躁的な性格が明らかとなってくるのだ。そして、不思議なことに、アレクセイ自身は冷静さを取り戻してゆくように見える。
    老婦人の無茶な賭けに際し、自制を求める役回りとなる、そのためもある。

    そして…。
    以下、ネタばれ。* * * * 

    大勝の翌日。
    案の定、老婦人は、カジノで大損する。
    前日の勝ちを全て失い、さらにロシアの財産の一部を失うほどの、破産寸前の大敗を喫する。

    一方、アレクセイは、ある夜、来訪したポリーナを前に、瞬時の霊感に打たれる。
    「自分は勝つ」という霊感じみた確信である。
    そして、20フリードリッヒドルを元手にカジノに繰り出し、20万フランも大勝する。

    …という次第で、
    老婦人が登場してからの展開は、熱気と興奮の度合いが増し、なかなか読ませる。面白いのであった。

    以下、印象的な一節あり。メモ記録しておきたい。

    (赤が、十回も出たあとなら、みなはすぐに赤をやめてしまう)
    しかし、そんな時には年期を積んだ賭博者なら、だれ一人、赤の反対の黒にも賭けないものである。年期を積んだ賭博者は、この『偶然の気まぐれ』が何を意味するか、承知しているからだ。
    たとえば、赤が十六回出れば、十七回目の当たりは必ず黒に出る、という気がしそうなものだ。
    新米たちは群れをなしてそこにとびつき、賭け金を二倍、三倍とふやして、手ひどく負けるのである。
     しかしわたしは、一種異様な気まぐれによって、赤が七回つづけて出たことを見てとると、ことさら赤にこだわった。
    (十四章/197p)


    一方で、以下のような〝恐怖〟も描かれていて、鮮烈な印象を残す。
    (アレクセイは、持ち金の全額総額をすべて赤に賭ける)
    突然われに返った!/恐怖が寒さとなって背筋を走りぬけ、手足にふるえがきた。わたしは、今負けることがわたしにとって何を意味するかを、恐怖とともに感じ、一瞬にして意識した! この賭けにわたしの全生命がかかっていた!  (十四章/193p)

  • 狂気がすごい

  • ルーレンテンベルグなる観光地でルーレットに取り憑かれた人間模様。
    賭博にハマった人たちの行動と心理描写のリアリズムが凄い。結局のところ大勝しても大敗しても破滅的な末路に陥るのは勉強になる。特にお祖母さんの顛末はテンプレート的ですらある。
    魅惑のポリーナの描写が生々しいと思ったところ解説によるとモデルは不倫相手。更にドストエフスキー自身もギャンブル狂という実体験によるリアリティと納得。
    ラストも印象的な賭博小説の逸品。

  • 最終章となる第17章がとても印象的だ。
    マドマアゼル・ブランシェとのパリでの浪費生活を終えたアレクセイは、ルーレット賭博のためにルーレテンブルク、ホンブルクと流れ着き、各地で手痛く敗北する。
    やがてホンブルクで再開したアストリーから、かつて恋い焦がれていたポリーナの真の気持ちを告げられる。その内容は、あれだけつれなかったポリーナが、実はアレクセイを愛していたというものであった。これを機にアレクセイは再起を志す。しかし、既にアレクセイの生活から賭博は切り離し難く、再起のための手段と称して再び賭博に手を出そうとする…。最早、彼にとって賭博を打つことは経済的再生の手段ではなく、刺激を得る為の目的となったようだ。
    私は小心者であるから、博打ごとはとても苦手だ。お金が増えるのは有難いが、無為に失くすかもしれないと思うと興奮よりも恐怖が先立ってしまう。そのような自分には、この賭博者で描かれているアレクセイやワシーリエブナお祖母ちゃんの心境について理解仕切ることは難しいだろう。分かるといえば、失ったものを取り戻すために更に失うおそれのある行動をしてしまう心理は分かるかもしれない。
    月並みな感想だが、博打は怖そうだから極力避けようと強く思った、というところです。

    この本のもう一つ印象深いところは、自分自身の価値観に照らすと、登場人物のほぼ全員が嫌な奴ばかりで、イライラさせられるのに、途中で読むのを放棄したいとはならないところかな。それだけ惹きつけるものがある。
    人柄としてはアストリーが一番マシだが、ポリーナに対する対応は英国流の騎士道精神に隠した下心がありそうで嫌だし、他人の破滅をそっと眺めて楽しんでいるようにも感じてしまう。
    最大のイライラ人物はブランシェでしょう。次点で賭博場にいたポーランド人たち。
    やたらとこの本はフランス人とポーランド人、そしてロシア人に厳しい。どんな作者も一定の批判精神を持って作品を書く場合、自国民には当然に厳しくなるかも知れないが…。
    ところで、この本は初版が1861年に出版されたそうです。そうするとクリミア戦争でフランスがトルコ側についた恨みや、ロシアがポーランド王国を支配していたことからくるポーランド人への蔑視なんかがあったのかもしれないですね。また、罪と罰で悪し様に扱われたユダヤ人ですが、端役ではあるものの、この本ではちょいと良い人として現れるのも不思議な感じです。ネットで調べる限りではドストエフスキーさんは、晩年、ユダヤ人嫌いだったようです。これを書いていた当時はまだそこまで嫌いではなかったのでしょうか。

  • 長らく積んでた「賭博者」やっと読みました。ドストエフスキーにしては短い物語で登場人物達の関係もそれほど混み入ったものではなく、読みやすい部類です。でも描かれる物語はドストエフスキー特有の圧倒的な熱量を有しており、凄まじい。人々の金銭欲と愛憎の渦、賭博場の熱狂……人間の持つ欲を剥き出しに描写する。賭博台で賭けているのは金銭だけではない。己の地位、誇り、未来、命すらも賭す。伸るか反るか、勝つか負けるか、正しく賭博場は人生遊戯。気性の激しいアントニーダが好きなキャラでした。

  • お祖母ちゃんが登場してからの展開のジェットコースター感たるや。僕は頭に血が上りやすいタイプなので、ドストのほかの作品を読んでも登場人物に共感することが多いのだが、この本はまさに賭け事にハマった自分のシミュレーションに他ならないなと感じた。パチンコにだけは手を出すまい。自らの誠実な気持ちのすべてを、賭博室へ向かうための言い訳にすり替えてしまう描写がリアルで恐ろしい。

  • 【印象】
    射倖心に取り憑かれている人間たち。
    他人の死も恋愛事情もギャンブルでしかない。

    【類別】
    小説。頁278の記述によれば本作は「中編」。

    【構成】
    大きく分ければみっつの段階で語られます。複雑さなく時点構成されており、全体の分量もさほど多くないため、さっくりと読める作品でしょう。

    【表現】
    地の文は一人称視点。
    文体は平易。
    惹かれた台詞表現は頁87「せいぜいご自愛のほどを祈りあげますよ」。

  • ヤバイ。愛も金も人生をかけてルーレットにかける主人公の感情に完全に惹きつけられた。"ロシア人特有の病的性格を浮き彫りきする"と本の広告にあるが、この一発に全てをかける気持ちは誰もが持ってるんじゃないか??

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著者プロフィール

(Fyodor Mikhaylovich Dostoevskiy)1821年モスクワ生まれ。19世紀ロシアを代表する作家。主な長篇に『カラマーゾフの兄弟』『罪と罰』『悪霊』『未成年』があり、『白痴』とともに5大小説とされる。ほかに『地下室の手記』『死の家の記録』など。

「2010年 『白痴 3』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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