地下室の手記 (新潮文庫)

制作 : 江川 卓 
  • 新潮社
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本棚登録 : 2911
レビュー : 272
  • Amazon.co.jp ・本 (216ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784102010099

感想・レビュー・書評

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  • ドストエフスキーの処女作『貧しき人々』から後期の5大傑作長編『罪と罰』『白痴』『悪霊』『未成年』『カラマーゾフの兄弟』への転換点となるのが本書。

    うだつの上がらない自意識過剰な中年の小役人が世間に悪態をつき続ける文体の本書。
    第一部はひたすら世間を呪っているばかりで非常に読むのが苦痛だったが、第二部の主人公の回想パートになり、同窓生と会うというところになってからは主人公の他人との関わりが感じられ、まあ、共感はできないものの分かりやすく読み進めることができた。当時のドストエフスキーの心情を推し量ることができた作品だった。

    本書が執筆されたのが1864年、日本で言えば慶応元年(明治維新の4年前)、新撰組の近藤勇、沖田総司らが池田屋に踏み込んで長州藩らの尊王攘夷派の志士達を切り倒していた幕末の荒れた時代だ。

    この時代に活躍した日本の作家を調べてみたら河竹黙阿弥(かわたけもくあみ・1816年~1893年・江戸時代幕末から明治にかけて活躍した歌舞伎狂言作者)が出てきたが、名前くらいは日本史で習ったことあって知っているが、当然、その作品は見たことも読んだこともない。

    この時代の文学が今も変わらず読み継がれていることについて、ドストエフスキーやトルストイの偉大さを再認識するとともに、文学のすばらしさを改めて感じたひとときだった。

  • 正直、初めの100ページはまさにチラシの裏と呼べる内容で、ただただひたすらに自意識過剰の引きこもりの独白が続く。
    しかし、その山を乗り越えた後に現れる外部との接触後の展開が素晴らしい。
    学生時代にクラスから浮いていた人物が、誘われてもいない同窓会に突如出席したらどうなるのか??
    ネットの世界で良く見かける、◯◯したったwwwを、100年以上前に描いていた恐ろしい作品。
    Facebookなんて絶対やらないという気分にさせてくれること請け合いである。

  • 「好きと公言できない本」というのが本書に対する一言の感想です。内容はだいぶ違うけれど、好きなツボ的に太宰の本に似てるからでしょうか。個人的には大好物です。
    「この箇所ちょっと共感する」なんて不注意にも言ってしまえばたちまちドン引かれること請け合いです。注意してください。ごく親しい友人だけに、ニヤニヤしながらお勧めしたい本です。
    以下、少々ネタバレを含みます。

    本書は、元役所勤めで現在無職の40の主人公が、地下室に閉じこもって長年ぐるぐる思い巡らせていた自意識を思いのままに書き殴った手記です。ここまでの紹介だと、まだ敷居の高い感じがするでしょうか。しかし、実際内容が終始イタイイタイです。特にイタイイタイ箇所をご覧に入れたいと思います。

    主人公は学生時代に周りを見下していたため、周りからも毛嫌いされていました。だから卒業後はほとんどの学生と絶交状態にあったのですが、その中でも道を歩いていたら挨拶するぐらいの関係にある友人は2、3人いました。ある日孤独に耐えられなくなった主人公は、その中の1人を訪ねていきました。そこには他の学校仲間2人も集まり、街を離れる友達の送別会の話し合いをしていました。出し抜けに現れた主人公は「え、おまえかよ……」みたいな塩対応をされたことで、怒り狂います。みんながお祝い金を出し合ってる中、勢いで自分も金を出すと言ってしまい、家に帰ってから猛烈に後悔しました。お金を持っていなかったのです。でもプライドが高く、退くに退かれません。やむなく上司に借金してパーティに出席します。そこでも自分が貧乏なことを暗に皮肉られ、激怒した主人公は、みんなが自分を無視してワインを飲むのを尻目に、独りその場から離れることにしました。向こうが申し訳なくなって話しかけてくれるまで、意地でも話さないことに決めたのです。ただ、じっと座ってるのでは格好がつかないので、部屋の一画を足音高く響かせて歩き、彼らになど相手にされなくても平気だと装いながら、声をかけてもらうのを待つことにしました。しかし、彼らの目の前を歩いているというのに、ガン無視され続けます。「ああ、俺がどんなに知的に発達した人間かを、思い知らせてやれたらなあ!」頻繁に方向を変えるせいで、目が回ってきながらも、やせ我慢から歩みを止めませんでした。実に3時間、彼らのうちの1人が話しかけてくれるまで、主人公は暖炉とテーブルの間を行ったり来たりし続けたのでした。

    いかがでしたでしょうか。少しでも本書の敷居の低さを感じていただけたら幸いです。
    最後に、私が本書を単なる滑稽本に貶めて面白がっているわけではないということをご承知おきください。

  • 〈地下室の男のださすぎる言動一覧〉
    ・24歳なのに他人の殴り合いを見て羨ましくなり、よし、殴り合ってみよう!と思う
    ・しかし、2mの大男を前にあえなく退散(無念の涙)
    ・その日からそいつを付け回し、決闘を申し込む妄想をする
    ・肩をぶつけてやろうと画策するも、目の前にすると道を譲ってしまう
    ・ついに肩をぶつけた!(しかし相手は気にも留めず)
    ・学生時代友だちなぞいなかったのに、同級生の壮行会に無理やり参加
    ・謎の自意識爆発スピーチ披露
    ・飲み食いしたくせに「金なんてないですね!」(清々しい)
    ・翌朝酒のせいにする弁解の手紙をしたためる
    ・娼婦に説教(自分より弱い存在だから?)
    ・下男への給料を出し渋りして自尊心を満たす
    ・救いを求めてきた娼婦に卑屈すぎる謎理論を展開

     痛い。痛すぎる。ページを1枚めくっただけで言ってることがかわったり、人を遠ざけるくせに求めたり。卑屈で軸がぶれぶれで、身近にいたらとにかく面倒臭そう。

     でも自意識や自尊心は誰の心にもあるもの(であろう)で、ここまで極端でないにせよ誰の心にもネクラーソフはいるのかも。

  •  大きすぎる自尊心、強すぎる自意識。自分の思想を人に聞いてもらって認めてもらいたくて仕方なくて、でもそんな自分の卑しさにも気づいていてでも止められなくて…を繰り返す主人公のことを誰が他人事と笑えるんだろう。もう見るからにイタいんだけど、ほとんどの人はそういった面が表出しないよう無意識のうちに細心の注意を払って社会生活を送っているだけで、その差は紙一重なのでは?と思った。

  • ドストエフスキーの後期の傑作群を予感させる思想的展開がみられる重要な中編。19世紀ロシアの知的で過敏な自意識を持った男が現実生活や他者となじめずに孤独に生きる様を描く。とても現代的な作品。

  •  40歳の男は地下室で鬱々と手記を書く、過去の事を段落もなく、思いを垂れ流すように書いていく。
     彼は、大柄な将校に、体を持ち上げて脇に置かれたことを恨み、その将校を主役にした暴露小説を書く。彼が決闘を受ける人間ならばと、2年後に果し状を書くが投函はしない。道をすれ違う時に、なぜ自分が避けるのかと悩み、肩がぶつかれば対等になれると信じて、幾度も怖じ気づきながら、給料を前借りして買った服を着てぶつかり優越感を感じる。1章では、彼とは1年半戦争状態で最後は自分の勝利に終わったと書いてある。
     馭者は叩けるし、風俗嬢には9Pに渡って説教をできるが、昔の旧友たちには強く発しても言葉に詰まり、殴ろうと思うが理由をつけて回避する。 矮小で偏執的で、妄想で勝って自尊心を保つ。
     1800年代のロシアに詳しくないが、この本は現代に置き換えても理解できるだろう。学もなく金もなく大した仕事にもつけず、部屋でマンガを読んで、たまに女を買いに行く生活。同窓会に参加したら嘲笑され、意味もなくレストランを歩いても見向きもされない。酔っ払って風俗に行って、嬢に説教する。妄想は肥大して、自己弁護を繰り返す。時が経ち何となく自伝小説でも書いてみるが、恥ずかしい。
     ドストエフスキーは地下室の男のイメージに何を入れ込んだのか。金もなく格好良くもない男が持つ感情を極大にして書いているだけなのか。今の私には全てを理解するのは難しい。

  • 地下室に引きこもる男のどうしようもない手記の体の小説。自分のどうしようもなさを開き直りまくり、そのどうしようもなさの実践としてほんとうにどうしようもない思い出話をつづる。その思い出がまた同級生と仲良くもなかったくせに同窓会に行って誰にも相手にされず腹いせに風俗嬢に説教するというあいたたたたな…
    まあとにかく最初から最後まであいたたたたである。自分のあいたたた具合は自分が一番よくわかってるんだけどでも悪人にはなりたくないからそのあいたたたがどれだけ「だって仕方ないじゃん」なのかを語る。語りつくせないけど語る。
    もおお主人公の胸ぐら掴んでぶちのめしたくなってくる。もおおこのやろう。しかし私はこの小説が大好きだ。主人公があまりに自分に近すぎて、この小説の否定は自己否定になってしまうのだ。だからどうがんばっても大好きの度合いが揺るがない。
    恥ずかしい…うううどんなに恥ずかしくても私は地下室の手記が大好きなんだ…すなわち自分のことが大好きなんだ……
    あああ私にも親戚の莫大な遺産が転がり込んでこないかなああそしたら自分の不甲斐なさをひたすらノートにしたためながらひっそりこっそり暮らすのによお
    いや、結局ひっそりこっそり暮らすことなんて不可能なんだろうな…地下室の人もたぶんそのうちほとぼりが冷めた頃にまた同窓会に行って同じ過ちを繰り返すんだ…

  • 『罪と罰』よりも早く書かれたので、この書き方もいくばくか不自然だけれど、あらすじ・形式は、『罪と罰』の、随筆バージョンとして良さそうだ。

    ドストエフスキーは、物語もさることながら、本人が魅力的に崩れた人だ。ある人から聞いた話の受け売りだが、ロシヤ語の性数格の一致すらままならない(トルストイのロシヤ語は、その芸術性の半分も分からないですが読みやすい)。そして何と言っても倒錯した概念の割り込みが極めて多い。

    私は音楽ばかりやってきたから、ふとこういう音楽が無かったものかと記憶の中を捜して回ってみたが、それはおそらく論理的に存在しえないだろうという話に落ち着いた。音楽には論理関係を表す道具がないからだ。音楽には理論があっても論理がない。例えば、音符に not とか because とかを言わせることができるだろうか。ある動機が変化を受けたとき、その変化について「矛盾」という位置付けはまずなされず、基本的には「変奏」と見做される。変奏は、種々の理論で説明がつけられる(むろん、その理論は論理「的」なだけであるが)。

    文学は論理の表現がいとも容易に「できる」、専用の単語がその道具となるからだーソシュールなどを持ち出されては困るけれど。そういうわけで、解釈以前のテクストのレベルにおいて、音楽が持ち合わせない危ない魅力を持ち合わせているということに気づかされた。新鮮な体験だった。

  • とても他人事とは思えない内容だった。
    この「地下室の住人」の惨めな虚栄心や友人から受ける屈辱感というものが凄くリアルで、19世紀に描かれたものと思うと驚かずにはいられない気持ちになる。

    また、解説の方も面白く、ここで言及されたシェストフなる思想家の本も読みたくなった。

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著者プロフィール

ロシアの小説家、思想家。トルストイやチェーホフとともに19世紀後半のロシア文学を代表する文豪。

「2008年 『罪と罰 下』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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