- Amazon.co.jp ・本 (615ページ)
- / ISBN・EAN: 9784102010112
作品紹介・あらすじ
19世紀中期、価値観の変動が激しく、無神論が横行する混乱期のロシア社会の中で、アリョーシャの精神的支柱となっていたゾシマ長老が死去する。その直後、遺産相続と、共通の愛人グルーシェニカをめぐる父フョードルと長兄ドミートリイとの醜悪な争いのうちに、謎のフョードル殺害事件が発生し、ドミートリイは、父親殺しの嫌疑で尋問され、容疑者として連行される。
感想・レビュー・書評
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上巻に引き続き、全般的にギャグ多め。
亡きゾシマ長老の腐臭に対して、大はしゃぎする高僧たち。
まるで中学生。
老人の嫉妬が怖すぎる。
ホフラコワ夫人とミーチャのやりとりは、完全にコント。
ホフラコワ夫人って、ギャグ要員として作られたんだよね?
明らかにそうだよね?
なごむわ。
ミーチャはつくづくバカなのだが、彼を愛おしく思う自分に驚きだ。
初読では彼の軽薄さと無鉄砲さに、ただただイラついていたのに。
グルーシェニカはあの若さですでにその境地に到っていると思うと、これまでの苦労が偲ばれる。
それにしても、いったい誰だ?
おバカに罪を着せて、罰を逃れようとしているのは。
グルーシェニカとアリョーシャの姉弟の契りはよかった。
置いてきぼりのラキーチンも含めて。 -
中巻を読了!帯にあるように「3日で中下巻」とはいかなかったが、上巻よりは勝手がわかってだいぶ読みやすくはなっている。やはり最初とっつきにくいのは、誰が主人公でどういう話なのかが見えない、ということのように思う。それがこの小説の深さでもあると思うが、とりあえずの読み方としては、まず感情移入する人はアリョーシャにしておくのが無難で、ドミートリはいわゆる"豪快な体育会系"、イワンは頭の切れそうな陰キャ、フョードルはしょうもない父親で殺される人、くらいのつもりで読めばいいのではないですかね。
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「兄弟たちよ、愛は教師である。だが、それを獲得するすべを知らなければいけない。なぜなら、愛を獲得するのはむずかしく、永年の努力を重ね、長い期間をへたのち、高い値を払って手に入れるものだからだ。必要なのは、偶然のものだけを瞬間的に愛することではなく、永続的に愛することなのである。偶発的に愛するのならば、だれにでもできる。悪人でも愛するだろう。」
聖人だと周りから思われている人であっても、過去に大きな罪や過ちを犯していることもあるし、善良でないと思われている人であっても、とても純真で高邁な一面をもっていることもあり、人を簡単に白黒判断することはできないし、人は多面的であることに改めて気づかされました。
中巻では、ゾシマ長老の青年時代のお話が好きです。 -
大審問官編がおもしろい。信仰とはなんだったのかというところを真正面からぶつかっている。初めにあったはずの大きなテーゼがどんどん陳腐化して変容してしまって。そこに始祖が戻ってきたら異端として排除されてしまうという皮肉。これは進行に限らず、あることだなー。権現様以来の祖法ゆえというのは、まったくそうでなかったように、思考停止を引き起こしてしまう。
ゾシマ僧の若かりし日の経験の中の、罪の告白のところも雷に打たれたような気持がした。あーなるほどなーと。人は法によって罰せられるのではなく、良心のほむらによって焼き尽くされるのだと思う。
ただ、まどろっこしい。会話が冗長なのよね。。。なかなか先に進まない。
これ全編読まなくてもいいんじゃないかとすら思えてくる。ストーリーに本質があるのではなくて、傍論に本質がある気がする。 -
ゾシマ長老の記録はまたぜひゆっくり読み返すとしても、何だって自ら破滅に向かうのだ、ドストエフスキーの登場人物は!
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『カラマーゾフの兄弟』(中編)ドストエフスキー
深淵に脚を踏み入れ2/3まで読み進んだ。
ゾシマ長老が亡くなってからの前半と、ドミートリイが父親殺し(してないって言ってる)をして、最愛の(というか狂愛している)グルーシェニカに愛を表現しまくってる最中に警察に殺人罪で連行さえるまでの一巻。
上巻はロシア文学表現に慣れなくてなかなか進まなかったけど、中巻はテンションに慣れて一気に読めたしめっちゃ面白かった。
グルーシェニカがガチで悪女(そして悪女であるに相応しい美人)すぎて老人は殺されるし、周りの人も血を流すし、息子は正気を失って完全にアカン人になっちゃってる。
たまたま今日読み終わって、愛をテーマに作品集めたルーブル展にもいって、この前エーリッヒフロムの「愛すること」も読み終わって、なんかやたら愛について考える最近。
愛は目に見えないので、みんなが共通認識していると思っている愛はきっと少しずつか、あるいは完全に違ったものを指しているかもしれないってホラーすぎる。いつの時代も、1500年代の絵画も1800年代の小説も、愛をテーマにしたなんかに取り掛かるにはこれだけまわりくどく、象徴的で、婉曲的で、帰納的にしか表現できない複雑な概念。
カラマーゾフの兄弟のどこかで、「神を直接描写することはできない。神でないことを挙げ続けることでしか神を表現することはできない」って言ってて、似てるなって思った。
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『葱』という寓話が出てきた。内容は『蜘蛛の糸』と同じであり、悪事の後の救いの無さは万国共通だと感じた。
長男ミーチャにフォーカスした〈中〉はドタバタ続きで読んで面白い。ただ、登場人物が一気に増えるので混乱する。
情熱と楽観は持ち合わせてはいけないのだと感じる。
グルージェニカは何故手のひら返しでミーチャの元に行ったのかは謎。 -
ようやく話が進み始めて、上巻よりはすらすら読めました(^^;)
下巻も楽しみです