カラマーゾフの兄弟 下 (新潮文庫)

  • 新潮社 (1978年7月24日発売)
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Amazon.co.jp ・本 (688ページ) / ISBN・EAN: 9784102010129

みんなの感想まとめ

人間の本質や道徳、愛の意味を深く掘り下げた物語が展開され、登場人物たちの複雑な関係性が描かれています。特にアリョーシャの成長や彼の周囲の少年たちとの絆は、現代の子どもたちの人間関係にも通じるものがあり...

感想・レビュー・書評

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  • 人類史上最高文学と称される「カラマーゾフの兄弟」

    高野史緒さんの「カラマーゾフの妹」を先日読み、原作であるこちらももう一度読もうと思い飛ばしながら読んでいった。

    実際にしっかりと読破したのは時間を持て余していた3年位前のコロナ禍の時。俗に言われる「カラマーゾフを読んだ側の人間」に40歳を越えてやっとなれた。
    中学生の時、20才頃、2度挫折した経験がある。読みにくいし言葉が分かりにくく物語は長いし正直つまらなかった。そもそもカトリック、プロテスタント、ロシア正教会等のキリスト教の知識が多少ないとあまり理解できない作品で、知識が未熟だった時分では到底読んだ側にはいけなかった。

    この作品が人類史上最高文学と定義付けされているのがなんといっても「大審問官」のパート。
    この「大審問官」のパートが無ければただの古典文学、ただの物語になってしまうだろう。
    無神論者のイワンが何故神に疑問を抱くのか?神童のような聖人の弟アリョーシャにその真意を自作の物語にのせて話すという場面。その物語とは秩序を守るために人を火炙りの刑にしている異端審問官がキリスト本人に人間の本質を提示し信教への疑心と疑念を紛議するという物語。
    幾つもの人間の性質的な問いと哲学をキリストに投げ掛けている。
    自分もこの場面が「レ・ミゼラブル」のジャメールの投身自殺の場面と並び私史上最高文学の場面だと感じている。

    内容は人間とは不完全な(完全にはできていない)生き物、なのに何故キリストは人間に自由を与えたのか?という問い。自由だけでは人は生きていけない。人間は弱く卑しく作られているため自由に耐えられる性質を持っていない。
    さすれば自由の中では何かに支配されなければいけない。慈愛の精神だけでは人々は生活できない、だから食料(パン)を与え神秘を募り(奇跡)権力で秩序を守る(権威)。それが人間に必要なのだと語気を強める。
    富と食を分配し威光を魅せ権力で治安を維持するという共産理論をキリストにぶつけるという話。

    このイワンの語るキリストと異端審問官の物語はキリスト教という神に対しての矛盾と共産社会主義国家ロシアの深い信念が見えてくる。

    このイワンの物語の内容が凄く理解できてしまう。
    信仰心を主とする理想主義だけでは人は生きていけないと強く感じさせられてしまう。また同様に科学を主とする共産主義という思想論だけでも人は生きていけないとも思う。

    日本でも民主主義という民主政体をとっているものの、ある一定の人々の結束により組織化し、その特定の人が民意を支配する為に法を形成し統治しているのではないだろうかとも思えてしまう。
    自由を謳えばそれは自由ではないと証明している様に感じ、世の中は基本的に自由という不自由さで埋め尽くされているのかもしれない。

    イワンが突き詰めすぎて精神崩壊していくのもよく分かる。
    自由という物は本来人間にとって平等で然るべしと思われるが、どうしても不平等さが際立っている様に感じる。人によって価値観の水準の優劣が見え隠れするからだ。
    結局人間はやはり不完全な生き物で実体のない定義のない自由というものに苦しめられ、しかしそれでもその中でも自由を求めてしまうものなのだと実感してしまう。
    自由っていったいなんなのだろう?深すぎてよくわからなくなる。

    「カラマーゾフの兄弟」長い物語で親子間の軋轢、金と権力、女性の奪い合い、信仰論と無神論、殺人事件、ミステリー等が詰め込まれた作品なのだが、物語の中盤の「大審問官」は人間の愚かさ、弱さ、醜さの問いが詰まっている最高傑作。

    またいずれ読むであろうがその時はまた新たな気付きがあるかもしれないし、気付きたいとも思っている。




  • とうとう下巻である

    注)軽くネタバレ有


    これまたアクの強いコーリャ少年の新登場
    自尊心が強く、知性はあるものの突拍子もないふるまいをしたりと、度の過ぎたブラックユーモアを好む傾向にある
    またことさらクールにみせたり、マウント取りに行ったり、知ったかぶりしたり、大人をからかったり馬鹿にしたりさえする
    …と、まぁハッキリ言えば子供らしさを欠いたかわいくないガキだ

    元二等大尉(以前カラマーゾフ長男ミーチャが大衆の面前で、腹を立て引き回すなどの暴行を加えた)のスネギリョフの息子のイリューシャ君
    上巻でのイリューシャ君は父のスネギリョフの「仇をとるんだぁ!」と一人で悔し涙をこらえて頑張っていた少年だ
    コーリャ少年との関係は、イリューシャ君はどうもコーリャ少年にとても憧れているようだ
    が、コーリャ少年は持ち前の嫌らしさでイリューシャ君を教育という名の「シカト」みたいな態度を取ったり、複雑奇怪な行動をとり、とうとう父親を「ヘチマ」とからかわれたイリューシャ君がキレてしまいアリョー少年にペンナイフで脚を刺してしまうのだった
    そしてイシューシャ君は結核で残念ながらもう先は長くない

    そして一筋縄でいかないコーリャ少年はカラマーゾフ三男の好青年アリョーシャのみを慕っているみたいだ(みんな大好きアリョーシャ君)
    というわけでアリョーシャはイリューシャ君のお見舞いにコーリャ少年らと一緒に行くのであった
    (またこの厄介な少年に対してアリョーシャが大人で善良な立派な態度をみせるのだ 決して卑屈にならず遣り込めるわけでもなく上手に少年の心を導こうとする)

    ここはイリューシャ君の悲しい死と絶望を通して、コーリャ少年の成長、父スネギリョフら人間臭さがガッツリ描写されている
    コーリャ少年は子供らしさを少し取り戻せた
    そしてアリョーシャは少年たちに別れを告げ、イリューシャ君が葬られる石のそばで少年らにお互いのこととこの日のこと、イリューシャ君のことを忘れずにいよう…と熱く語る
    そうアリョーシャは彼らのためだけではなく、自分の悪い部分を牽制するために、この純粋な皆の気持ちを忘れないでいたいと切望するのであった

    一方、上中巻でアリョーシャと両想い(うーんまだ正式な恋人なのか微妙な関係なので…)の足の不自由で小悪魔的な少女リーザ
    彼女はかなり情緒不安定だが、なかなか頭の良い少女だ
    個人的にリーザは好きだが、アリョーシャがなぜリーザを気に入っているのかはちょっとよくわからない
    ここでのリーザは病的な負のエネルギーが炸裂する
    家に火をつけたい欲求やみんながどれだけ貧乏でもアイスクリームは誰にもあげない意地の悪さ(笑)
    悪事の限りをつくしたい!人間は犯罪が好きなのよ!
    そう言ったかと思うと、アリョーシャに救いを求め、自殺してしまいそう!と訴えるリーザ
    そんなリーザに理解を寄せるアリョーシャ
    そしてリーザの悪魔の夢の話を聞き、自分も同じ夢を見るという
    アリョーシャの中にも負のエネルギーがあるのだ
    だからアリョーシャはリーザに惹かれるのか…

    いよいよ父親殺しの長男ミーチャの公判

    われわれはみなすべての人にたいして罪がある
    俺はみんなの代わりに行くんだ
    と流刑囚の覚悟とその中でも喜びを見出せる
    そして神を愛している…
    とずいぶん立派になったミーチャである

    とする一方、次男のイワンがミーチャに脱走を進めている
    ミーチャの弱い心はすでに脱走に傾いている(というか大好きなグルーシェニカと離れたくないから心は決まっている)
    イワンはミーチャが父親を殺したと思っている…とミーチャは思っている
    しかしアリョーシャはまったくそう思っていないのを聞いて、ミーチャは救いを見出す
    一方アリョーシャはそんな兄ミーチャの想像以上の深い不幸な心を知り、心が激しく痛むのだ

    ここでとうとうイワンが精神が崩壊する
    真実に近いところを把握しているアリョーシャはイワンを全く責めないどころか、同情さえしているのだが、イワンには伝わらない
    イワンはアリョーシャの勘繰りに対し(怯え…なんじゃないかなぁ)、絶交だと言い放つ
    歪んだ心とある種二重人格の精神から徐々に自らを追い詰め気が病んでいくイワン
    ミーチャの脱走も、複雑な罪滅ぼし的な感情が焚きつけた計画だ
    そして父親殺しの真犯人を知ったイワンはとうとう気が狂ってしまう(理由を書くと完全ネタバレのため伏せるにする)
    この真犯人を知る場面からイワンが気がおかしくなってしまう描写はなかなかのサスペンスである
    追い詰められていく様子とイワンの心の乱れがじっとり広がってなかなか不気味に仕上がっている
    昔の「ジキルとハイド」のようなモノクロサイレント映画を見ているようで、かなりの見せ場だ

    さて、フョードルおとんの私生児スメルジャコフ
    そう忘れてはならない!ある意味彼もカラマーゾフの兄弟なのだ
    その役目を充分感じる存在感だ
    彼のイワンに対する歪んだ好意とカラマーゾフ家に対する憎しみの複雑な感情
    そしてスメルジャコフはイワンがプライドが高く、名誉もお金も女も大好きで、平和に満ち足りた生活をし、誰に頭を下げたくない…
    誰よりも大旦那様(フョードルおとん)にそっくりだと言い放つ
    スメルジャコフの本心がはっきり表れるのはここくらいだ
    彼の心の奥底は我々の想像を越える暗闇と憎しみが広がっている
    自身の不遇な出生や世間に対する激しい憎しみが見え隠れし、カラマーゾフの血の「暗」の部分をガッツリ持っている

    そしていよいよミーチャに最後の審判が下される

    うーん
    下巻の後半残念ながら法廷での検事と弁護人の証言や尋問、弁論などのやり取りが多く、カラマーゾフの面々の登場がちと少ない
    そこが物足りなかった
    しかしながら相変わらず一人一人の個性あふれるキャラクター達の多様な人間性と、単純に善悪などで計り知れない人の心の微妙さを見事に描いている
    個人的にドストの好きなところだ

    そして残念ながら
    未完…(それなりに完結してるようにも感じるが…)である
    もっとも気になるのはアリョーシャ!
    ところどころカラマーゾフの血を窺わせる描写があった
    どうもこのままいくとアリョーシャはテロリストになる…⁉︎なーんて解説もあったりして私達を脅かす
    だってみんなアリョーシャのことを大好きなんだもの(他のメンツが疲労感を覚えるほどアクが強かったので、アリョーシャに何度癒されたことか…)
    でもアリョーシャ自身も、自分はカラマーゾフの血が流れている!と口にしているからなぁ…

    他にも
    アリョーシャとリーザとの行方は(うまくいななさそう)
    イワンは回復するのか(しなさそう)
    ミーチャは脱出できるのか(ちょっとどうでもいい ごめん)
    あれほど描かれたコーリャ少年が引き続き出てこないはずもない…(出てくるだろうなぁ)

    と妄想するしかないんだけど…
    ちょっと悶々としてしまう

    というわけでかなりの大作であるが、思ったよりも読みやすかった
    ただ理解の足りない部分も多いので、いつか再読が必要であろう
    そして、読み応えあり過ぎて最後には消化不良になった(汗)

    数年前まさかドストエフスキーを読むことができるなんて思っていなかったのでそういう意味では満足度は高い
    ドストエフスキー作品がなぜ素晴らしいのか、自分なりに少し理解できた気がする
    (まだまだすこしだ…)

  • 本書(下巻)は、第4部・エピローグ

    冒頭は少年たちの物語(コーリャという少年が、やたらアリョーシャをリスペクト)少年の話は、現代の子どもたちの人間関係にもちょっと通じるところがあり、感情移入してしまいました。メインの父親殺しとは違う、味わいがあります。子供の純粋な心が書かれているところ、良いです。

    1番の読みどころは、父親殺しの謎解きとなる、アリョーシャの兄イワンとスメルジャコフのやりとりでした。息を呑むような展開。

    ドミートリイ(ミーチャ)の父親殺し裁判は、大変混乱を極め・・・
    最後は、少年たちの物語で未来への希望を抱かせる終わり方でした。

    今まで、人間が追い詰められたときの、ぎりぎりの精神状態が描かれていたので、幸せすぎる終わり方にちょっと違和感。

    後書きを読むと、この『カラマーゾフの兄弟』は第一部で、第二部が書かれる予定であって未完の作品ということが分かりました。何となく、納得。

    第一部であったとはいえ、読了できて大満足でしす。昔も今も、女性とお金の問題は大変なことになりますね。読み取りはまだまだ浅いとは思いますが、山頂にようやく辿り着けたときの達成感で、久しぶりに自分を褒めたい気持ちになりました。ずっと、自分にはこの小説、最後までいけないと思っていたので。ミステリーの要素あり、男女感、お金の問題あり、透明感感じる少年の物語あり、裁判の場面では検察側と弁護側の論理を読者に考えさせる要素あり、何層にもわたる重厚感ハンパない小説。ドストエフスキー、カッコいいです。

    • koba-bookさん
      くにちゃんさま、完読おめでとうございます〜。やっぱり、名作かどうかというより、「面白い!」ですよね!
      重厚ではありますが、ミステリーでエンタ...
      くにちゃんさま、完読おめでとうございます〜。やっぱり、名作かどうかというより、「面白い!」ですよね!
      重厚ではありますが、ミステリーでエンタメですよね〜。
      くにちゃんさんの感想、長男奔走のあたりが「ルパン三世のテーマが流れる」とか、愉しい感想、楽しませてもらいました!ありがとうございます。
       40代で2度目読みしたんですが、10年後くらい、60代にやったら3度目読みしたいと思っている小説です!
       このあたりの19世紀の小説たちは、一部は本当にエンタメです。「ボヴァリー夫人」なんかもすごいです!
      2025/08/15
    • くにちゃんさん
      コメント、ありがとうございます^_^
      2度読みですか?すご〜いです
      読み応えがある小説なんだろうなぁとずっと思っていましたが、こんなに面白い...
      コメント、ありがとうございます^_^
      2度読みですか?すご〜いです
      読み応えがある小説なんだろうなぁとずっと思っていましたが、こんなに面白いとは思いませんでした!ドストエフスキーって天才的ですよね
      長男は、なんだか1番人間味あるような気がして、応援したくなっちゃったんですよ
      テーマ曲でもつけてあげたいと(笑)
      2025/08/15
  • エピローグのアリョーシャの神っぷりに、前回は単純に感嘆したのだが、今回は怖さに震えた。

    「これからの人生にとって、何かすばらしい思い出、特に子供のころや、親の家にいるころに作られたすばらしい思い出以上に、尊く、力強く、健全で、価値のあるものは何一つないのです。
    君たちはこれからいろいろな教育を受けるでしょうが、少年時代から忘れずに大切にしてきた、美しい神聖な思い出こそ、おそらく最良の教育にほかならないのです。
    そういう思い出をたくさん集めて人生を作りあげるなら、その人はその後一生、救われるでしょう。
    そして、たった一つしかすばらしい思い出が心に残らなかったとしても、それがいつの日か僕たちを救ってくれるのです。…
    もしかすると、まさにその一つの思い出が大きな悪からその人を引きとめてくれて、『そうだ、僕はあのころ、善良で、勇敢で、正直だった』と思い直すかもしれません」

    おそらく「親になる」というプレッシャーからだろうけれど、とにかく ゾッとした。
    男の子と判明したので、尚更。
    コーリャみたいな子になったら、どーすりゃいいの?(気が早すぎ)
    いや、コーリャも可愛いんだけどさ、ハタから見るぶんには。
    一緒に暮らすとなると話は別だ。
    はあ…

    このアリョーシャの青年時代の話を、ぜひとも読んでみたかった。
    今度は彼が、大きな悪の前に立つことになるはずだったのだろう。
    そのとき彼がどうするのか、どう思うのか、まわりには誰がいるのか、見てみたかった。

    そして今回、アリョーシャ以上にわたしがフォーカスしたのはカーチャだった。
    カーチャとミーチャの関係性は、そこらへんの現代恋愛小説の男女なんかより、よっぽど多面的で複雑で奥深くて面白い。
    愛と憎しみ、嫉妬、軽蔑、プライド、事件、裁判なんかが錯綜したら、キャパオーバーで物語が破綻しそうなものだけれど。
    カーチャがミーチャの胸に飛び込むシーンには、感動までした。
    最後の最後にやっと二人のなまの会話が見れて、それだけでも感無量なのに、演技だろうと抱き合ってまでくれるとは。
    『カラマーゾフ』でいちばん生命力に溢れているのは実はカーチャなのではないかと思うくらい、とにかく今回は彼女に意識が向いた。
    前回は気にも とめなかったので、最後のシーンなどまるで忘れていたというのに。

    今度は、子供が中学生くらいになったら読む。

    以上

  • 中編はこちら。
    https://booklog.jp/users/junsuido/archives/1/4102010114#comment

    【ロシア人名を覚えるための自己流三原則】
    ①個人名(洗礼名)+父称+名字
     フョードルお父ちゃんの息子たちの父称は、フョードルの息子という意味の「フョードロウィチ」
    ②愛称や名前の縮小がある。
     アレクセイ⇒アリョーシャ、リョーシェンカ、など。
    ③名前も名字も、男性名と女性名がある。
     男性名だとアレクサンダー、女性名だとアレクサンドラになる。
     母がスメルジャーシチャヤなので(呼名だけど)、息子はスメルジャコフになる。

    一人の人間に対していろいろな呼びかけが出てきますが、お互いの立場や親しさにより変わります。
     ●愛称によりお互いの立場や親しさが分かるようです:
     アレクセイ⇒アリョーシャ(一般的な愛称)、リョーシェチカ(ミーチャお兄ちゃんが呼んでいたので、目下を可愛がる?)、アリョーシカ(卑称的な愛称らしい)、アリョーシェチカ(グルーシェニカちゃんが呼ぶので甘ったれたニュアンス?)
     ●名前+父称は畏まった呼び方⇒カテリーナ・イワーノヴナ(彼女は名字が不明です)
     ●名字は一般的な呼び方⇒カラマーゾフ

    【物語】
    ※※※ネタバレしています※※※
    下巻は、中巻でミーチャお兄ちゃんがフュードルお父ちゃん殺人容疑者として逮捕されてから2ヶ月後。
    アリョーシャくんは、ミーチャお兄ちゃんといざこざを起こしたチェルノマーゾフ家を訪れ、今は生死を彷徨っているイリューシャ少年を見舞い、学校友達を呼び寄せている。

    アリョーシャくんのお使いアリさんっぷりは相変わらずのようで(笑)、少年たちを取りまとめたり、ミーチャお兄ちゃんを巡るカテリーナさん及びグルーシェニカちゃんの間を行き来したり、モスクワから戻ってきたイワンお兄ちゃんの様子を心配したりしている。
    そういえば、イワンお兄ちゃんは最近悪魔氏とお話しているらしい。イワンお兄ちゃんは悪魔氏に自分自身が考えたくないこと、認めないことを指摘されて錯乱している。さらにミーチャお兄ちゃんの面会や、カテリーナさんへの愛慕に悩んだり、真犯人かもしれないスメルジャコフくんを問い詰めたりしているから、心身支離滅裂になりつつある。
    アリョーシャくんは言う。「イワンお兄ちゃんは自分が殺人事件が起きるかもしれないと思いつつ立ち去ったことで、自分自身を責めているんでしょう?でも、殺したのはイワンお兄ちゃんじゃないよ。違うんだ。ぼくはイワンお兄ちゃんにそれを言うために神様から遣わされたんだ、ぼくはこの言葉をぼくの一生をかけて言うよ、いいね?犯人はお兄ちゃんじゃない」

    …、…、いかん、読者の私がグッと来た。人には、誰かがそう伝えてあげるべき言葉がある。それを伝えることでその人が救われるということを理解している誰かがいる。自分のすべてを込めて相手に伝える、そこにはまさに”神”の存在があるのだろう。

    しかしイワンお兄ちゃんはアリョーシャくんの「何かあったら、まず僕のことを思い出して」というその想いを拒絶してしまう。
    頭が良いはずのイワンお兄ちゃんはいまではスメルジャコフくんと悪魔氏とに翻弄されてしまっている。スメルジャコフくんも病床にあるんだけど、イワンお兄ちゃんに「自分が旦那様を殺しましたよう」って言って言うんだ。
    …ちょっとまて、さらっと殺人告白したよね?!
    …という読者の思いとは裏腹に、なんの証拠もないし、むしろイワンお兄ちゃんが翻弄されちゃってるし、挙げ句にスメルジャコフくんは首吊り自殺をしてしまいました。

    そして物語は裁判へ。
    次々呼ばれる証人たち、そして証人たちの言葉を総括する検事イッポリートと弁護士フェチュコーウィチ。終盤は彼らの大演説。法廷は大盛りあがり、読者も大盛りあがり。
    自分のすべてを暴かれ、自分が人々に何をして来たのかを見せつけられたミーチャお兄ちゃんは最後に言う。
    「父の血に関しては、僕は無実です。僕は放埒ですが善を愛しています。僕は今日の裁判でいままで知らなかったことを理解しました。もしも慈悲をかけてくださったらもっと立派な人間になります。でもたとえ有罪になっても自分の復讐心を消して神に祈ります。でもどうか、寛大なご処置を…!」


    【人物紹介】
    ※※※ネタバレしています※※※
    人間関係が混乱してきたというか、「え?あなたたち繋がってたの?」という感じになってきた(笑)ので、整理整頓を兼ねて。
    ❐フョードル・パーヴロヴィチ・カラマーゾフ
     カラマーゾフのお父ちゃん。スコトプリゴーニエフスク市(家畜を追い込む町、という意味)の俗物的な田舎地主。中巻で何者かに撲殺され、下巻ではミーチャお兄ちゃんが犯人として裁判にかけられる。

    ❐ドミートリイ・フョードロウィチ・カラマーゾフ(愛称ミーチャ)
     フョードルお父ちゃんの長男。
    下巻後半は、ミーチャお兄ちゃんの裁判。
    もともとのミーチャお兄ちゃんの性格と評判からしてこの裁判はかなり不利。しかもミーチャお兄ちゃんは伊達男のような新調した装束で現れ、証言者たちに対しても余計な野次を飛ばす飛ばす。
    そんなミーチャお兄ちゃんは強盗殺人を否定している。「おれはフョードル親父をブッ殺してやりたいとは言ったが、やってはいない。ましてや金のためにはやらない。おれはたしかにカテリーナの金でグルーシェニカと散財した卑劣漢だが、泥棒じゃねえ」ということ。
    しかしこの事件で自分自身の言動を公表され、本人も覚えていないような話を蒸し返され、勝手に心理を推し量られ、それは子供時代にまで遡り、そしてまだやっていないのにこれからやるかもしれないことまで決めつけられる。そして証言者たち、裁判の傍聴人たちが自分をどのように思っていて、そして自分は彼らにどんなことをしてきたのかを思い知った。
    ドラマチックな裁判の割には、下った判決はすべての罪状に対して「有罪」。ミーチャお兄ちゃんは父殺しで泥棒で二股かけて人のお金を使い込む男と評価されたのだ。死刑がないので、求刑はシベリアの炭鉱で20年の労働。
    ミーチャお兄ちゃんは純粋で正直で直情型で世間の本当の厳しさを知らなくて誇り高い。彼のような人がシベリアの炭鉱でただの強盗や詐欺師たちと一緒にいられるのだろうか?

    ❐イワン・フョードロウィチ・カラマーゾフ(愛称ワーネチカ。あまり呼ばれないけど)
     フョードルお父ちゃんの次男。頭脳派…だが考えすぎで錯乱状態。
    実はミーチャお兄ちゃんのことを軽蔑していて、ミーチャお兄ちゃんを知る人物で、フョードルお父ちゃん殺人犯人だと最初から信じたのは彼だけだったらしい。
    それでもイワンお兄ちゃんはこの殺人には自分自身に罪があると思っていた。
    スメルジャコフくんを問い詰め、殺人を告白させた!と思ったのだが、悩みは増すばかり。
    ミーチャお兄ちゃんの元婚約者カテリーナさんとは実は相思相愛なのだが素直に受け取れない。
    脳がパンクして悪魔氏とおしゃべりするようになり、本来は信頼しているアリョーシャくんのことさえ避けている。
    そして罪悪感のあまりにミーチャお兄ちゃんをアメリカに脱出させる計画をたてるのだ。
    裁判に出てきてスメルジャコフと自分の罪とを語るのだが、あまりにも支離滅裂だったためにむしろミーチャお兄ちゃんの破滅の道を作ることになる。
    このイワンお兄ちゃんの脱走計画は、カテリーナさんとアリョーシャくんに引き継がれ、ミーチャお兄ちゃんの唯一の希望となって残るのだ。
    スメルジャコフによると「大旦那様に一番性格が似ているのはイワン様」ということ。

    ❐アレクセイ・フョードロウィチ・カラマーゾフ(愛称アリョーシャ)
     フョードルお父ちゃんの三男。
    フョードルお父ちゃんを殺した犯人をスメルジャコフだと確信している。
    もともと人々から共感を得ていたので、裁判でも彼の言葉はミーチャお兄ちゃんを有利にさせるかと思えた。
    裁判の後でも、ミーチャお兄ちゃんの心身を救おうとしたり、人々の間を繋ごうとしたりしている。
    アリョーシャくんはミーチャお兄ちゃんに伝える。「ミーチャお兄ちゃんはフョードルお父さんを殺していないのだから、十字架は必要ないし、心構えもできていないでしょう?ミーチャお兄ちゃんは苦しみにより新たな人間を生み出したんだ。この先どこに行こうと、その人間のことを覚えていればそれでいいんだよ。どこにいっても、それはミーチャお兄ちゃんの復活の助けになるよ」
    アリョーシャくんの言葉と気持ちは真っすぐで迷いがない。優しいがか弱くはなく、人々から信頼されるのは、彼がしっかり自分を持っているからだろう。

    ❐スメルジャコフ
     フョードルお父ちゃんの召使いだったが、実は私生児だと言われている。
    裁判ではスメルジャコフ論が論じられる。
    検事は、癲癇持ちで知能薄弱で臆病なのだがカラマーゾフ一家のでたらめな生活や、彼らの哲学神学に振り回された小心者だという。
    弁護士は、自分もカラマーゾフなのに召使いという立場を恨み、こんな立場にさせたロシアの農奴制度を恨み、疑い深く野心的で、社会に対してもカラマーゾフに対しても復讐心を持っているという。
     
    ❐悪魔氏
     最近イワンお兄ちゃんを訪ねてくるらしい。
    イワンお兄ちゃんは悩む。あいつは俺自身の嫌な面を具現化したかのようだ。あいつは俺が生み出した幻だ。だがそうだとすると俺は狡猾で卑劣なやつなのだろう。それならあいつが本当に存在していたならいいのに。「神がいなければ宇宙最強は人間だろ。だが神がいなければどうやって人間は善人になるんだい?どうやって人間同士を愛するんだい?ああ神の世界は素晴らしいねえ。わたしだって神を信じたくなるよ。だがわたしが神を信じたら神がなくなってしまうだろう?(※悪魔だから)」なんていうからますます混乱してしまう。
    アリョーシャくんは、悪魔の言葉は悪魔のものであってイワンお兄ちゃんのものではないよ、と告げるが、混乱したイワンお兄ちゃんには届かない。

    ❐カテリーナ・イワーノヴナ・ヴェルホフツェワ(愛称カーチャ)
     ミーチャお兄ちゃんの元婚約者。
    ミーチャお兄ちゃんがグルーシェニカちゃんを選んだので捨てられた立場なのだが、ミーチャお兄ちゃん裁判では自分が好奇の目に晒されることも厭わず無実を勝ち取るために証言台に立った。だが、イワンお兄ちゃんの狂乱を見たカテリーナさんは最初の証言を翻してミーチャお兄ちゃんを「親殺しの無頼漢」と糾弾する二度目の証言を行う。
    ミーチャお兄ちゃんの有罪を決定させたのは、このカテリーナさんの二度目の証言のためだった。
    裁判の後、まわりの評判も気にせずイワンお兄ちゃんを保護して看病するのはカテリーナさんだった。
    ミーチャお兄ちゃんのたっての願いで面会に行く。二人はまるで愛が続くかのような素振りを見せ、そして別れる。互いの心には互いが傷跡のように残り続ける。「愛は終わったわ」と宣言するが、だがその終わったことが、起きたということが、大切なのだ。彼らはどんな形であっても、互いを一生愛し続けるという言葉を交わし合い、別れる。(←居合わせたアリョーシャくんが、こういう場面に慣れていなくてどぎまぎする様子がちょっとかわいいのだが)

    ❐グルーシェニカ(本名アグラフェーナ・アレクサンドロヴナ・スヴェトロワ)
    なんだかんだあったけれど、ミーチャお兄ちゃんに愛を誓った。その直後にミーチャお兄ちゃんは逮捕されてしまった。だから付きそうと誓った。
    ミーチャお兄ちゃんの逮捕でグルーシェニカちゃんは強く美しくなった。だが同時にミーチャお兄ちゃんの敵に対しての攻撃性も激しくなった。

    ❐ラキーチン
     私は彼をアリョーシャの友人で神学生だと認識していたのだが、アリョーシャくんは彼とは別に親しくないと言っていた。私が上巻で読み間違えたか。
    下巻では、カラマーゾフ事件を利用して出世を目論んだり、上流階級未亡人に取り入ろうとしたり(※両方失敗した、良かった)、なんかゴシップ記者のようになっている。
    あっちこっちに顔出しなんでも知っていて弁も立つ。裁判の証人として立ったときにはロシアの市民制度や農奴制度についての熱弁を振るい各種喝采。
    …しかし、証言にあたり馬鹿にしていたグルーシェニカちゃんとは実は親族関係で、いままでも散々お金をたかっていたことがバレて笑い者に。

    ❐チェルノマーゾフ一家
    ・父ニコライ・チェルノマーゾフ 
    カラマーゾフ兄弟上巻で、ミーチャお兄ちゃんと一悶着があった元二等中尉。ヘチマに似た男と評される。人に馬鹿にされる人生だったため自ら道化師として振る舞っている。下巻では愛する息子のイリューシャが結核で死にかけていて、ニコライ父ちゃんは狂乱に陥っているのだ。
    ・母アリーナ・ペトローヴナ
    ・娘ワルワーラ・ニコラーエヴナ、ニーノチカ・二コラーエヴナ
    ・息子イリューシャ
     13歳。結核をこじらせて死の床にある事がわかった。
    イリューシャ少年は身体だけでなく精神も苦しんでいた。父親の騒動、同級生なかでも尊敬するコーリャ少年との確執、さらにはスメルジャコフに唆されて野良犬に対して酷いイタズラをしてしまったこと。(←スメルジャコフ!ここにもちょっかい出してたのか!)
    アリョーシャくんは、彼の学校友達を家に呼び寄せ、裁判の合間に最期まで彼に付き添い、友人たちにも彼を忘れないようにというのだった。

    ❐コーリャ(本名ニコライ・イワノフ・クラソートキン)
     役人の息子。
    下巻は13歳のコーリャ少年がアリョーシャくんと知り合うところから始まる。
    コーリャ少年は、チェルノマーゾフ家のイリューシャ少年の学校友達で、かなり大人びているというかこまっしゃくれているというか(笑)
    アリョーシャくんはコーリャ少年のことを「素晴らしい天性を持っているのに、変な考えで歪められているのが悲しい。物事を素直にみたり、自分のためでなく相手のためを考えられればもっと良くなるのに」と言う。そんなふうに自分を一人前扱いするアリョーシャくんを尊敬するようになる。
    なおコーリャ少年に変な考えを吹き込んだのはラキーチンのようだ。あんたここにもちょっかい出してたのか!

    ❐ホフラコワ夫人、娘リーザ(フランス風だとリーズ)
     上巻で、リーザちゃんは衝動に駆られてアリョーシャくんと可愛らしい婚約をしたんだが、どうやら衝動にかられてリーザちゃんから破談にしたらしい。でもアリョーシャくんはそんなリーザちゃんを気にして訪ねてきている。
    最近はイワンお兄ちゃんもリーザちゃんを訪ねてきているらしいが、支離滅裂さの影響を受けてしまっていて、自己破滅的な心境に陥っている。ちょっと心配だ。

    ❐フェチュコーウィチ
     ミーチャお兄ちゃんの遣り手弁護士。
    ❐イッポリート
     ミーチャお兄ちゃん裁判の検事。
    下巻終盤では、彼らの最終弁論が熱い!
    裁判は感動的な人間愛でなく、正義をロシアに轟かせようというイッポリート検事と、
    われわれはこの地上にしばらくの間しかいないのだから、良からぬことをではなく良い言葉を語り善い行いをしよう、というフェチュコーウィチ弁護士。

    ❐わたし
     「カラマーゾフの兄弟」の語り手。ミーチャお兄ちゃん裁判を傍聴していたらしい。結局あなたは何者だったんだ。

    【人間の二面性】
    下巻では人々の二面性が垣間見られる。
    裁判で顕になるのは、ミーチャお兄ちゃんの無邪気で高邁な性質と、下劣で卑怯な性質とを併せ持ったその複雑な精神。それはまさにカラマーゾフ的といわれるものだ。
    カテリーナさんは、自分の恥になることでも毅然として証言してミーチャお兄ちゃんを救おうとするのも彼女であり、しかしそのミーチャお兄ちゃんを「親殺しの卑劣漢」と糾弾するのも彼女だった。カテリーナさんは、生涯の最後の叫びとして言うような告白を魂をかけて叫ぶことのできる女性だったのだ。
    イワンお兄ちゃんは神を信じているのか、本当に信じられないのか。
    スメルジャコフは臆病な精神薄弱者なのか、深い恨みと野心でカラマーゾフと通してロシア社会とを破滅させたいと思っているのか。

    【アリョーシャくんの演説】
    下巻ラストは、亡くなったイリューシャ少年の葬儀の後に、アリョーシャくんから少年たちへの演説。
    イリューシャ少年のことを覚えていよう、彼の愛情、そして自分たちが彼の周りに集まったことを。
    自分たちが愛情を持ったことを思い出せば、その上に人生が作られるなら、この先何が起ころうと、大いなる悪から守ってくれるかもしれません。
    そして僕たちを善良な感情で結び付けてくれたイリューシャ少年のことを忘れないでいましょう。

    【続きは?】
    「カラマーゾフの兄弟」は二年間かけて完成させたという。
    …えーー、読みとるほうがもっと長く掛かるよ(笑)
    そして1860年代を舞台にしたここまでの話は第一部であり、本当はこの後1880年代を舞台にした第二部が書かれるはずだった。しかしドストエフスキー他界により叶わなかった。そのためドストエフスキーにとってこの段階での「カラマーゾフの兄弟」は未完となる。
    確かに、主人公と言われるアリョーシャくんがあまり主体ではないので(アリョーシャくんは、登場人物たちを繋げるような役割な気がする)、第二部で行動を起こし、この第一部はその行動の根拠となる話だったのだろうかとも思う。
    ミーチャお兄ちゃん脱走計画はどうなったのか?イワンお兄ちゃんは正気になったのか、ううん両方希望は薄いな(-_-;)
    最後の最後でアリョーシャくんを慕うコーリャたち少年がやたらに持論を述べていたので、彼らとアリョーシャくんはまた出てくるんだろう。
    もしかしたら、語り手とアリョーシャくんが直接会話するようなこともあったのかな。
    あとがきの解説によると、アリョーシャくんがグレてしまうようですが、この一部でゾシマ長老やアリョーシャくん自身の言葉を忘れなければ、真っ直ぐな途に戻れるのだと思うのだけれど。

    • hei5さん
      私は戦前の翻訳、訳者の名前は忘れましたが、図書館で借りる以外では一番のエコノミーコースで読了しました。
      いつか再読の機会を見つけたいと思って...
      私は戦前の翻訳、訳者の名前は忘れましたが、図書館で借りる以外では一番のエコノミーコースで読了しました。
      いつか再読の機会を見つけたいと思っておりますが、
      時が来たら、あなた様のあらすじ書きはとても役立ちそうです。
      2024/01/02
    • 淳水堂さん
      hei5さん

      フョードル父ちゃんになりたいとは、まさにカラマーゾフとしての生き方、「カラマーゾフ万歳!」ですね!
      レビューお役にたて...
      hei5さん

      フョードル父ちゃんになりたいとは、まさにカラマーゾフとしての生き方、「カラマーゾフ万歳!」ですね!
      レビューお役にたてるなら嬉しいです(^^)
      2024/01/02
  • 泣けました。

  • 現代の小説で語られる問題提起の原型がここに全て大集結してるな、という感じがする、とんでもない小説だった。

    昨日の夜、読み終わった直後は、気持ちを全くまとめられる気がしなくて、一晩寝かせた(笑)
    一日経った今、感想を綴りたい!!

    まずびっくりなのは、こんだけ長いのにここまでは実は第1部だったようで、本当は第2部に続く予定だったけど、ドストエフスキーさんはその前に亡くなられてしまったとか。

    でも、もうこの1部で物語として完璧だと思う。本当に。

    人間社会のテーマって他にある?って思うほど、全てがここに詰まってるという気がする。

    いろんな世界の流れを感じているドストエフスキーさん、プーチンをも予言してるかのようで、怖かった。(今のロシアを見てドストエフスキーさんは何を思うのかな…)

    人間から神を奪い自由を与えると、神以外にひれ伏すことができる対象を探すのが人間。でもそれはものすごく困難だから、自由を与えられた人間は結局全く自由になれていない。では何が正解?

    というようなことを書かれていて、

    何なの?この人間の根本?なんでこれをこんなに面白く書けるの?やっぱり本当にすごいんだ…やっぱりすごいんだ…19世紀にこれを書いてたんだ。朝井リョウさんの『イン・ザ・メガチャーチ』に、この部分が繋がる。

    しかもエンタメやサスペンス要素になりがちな殺人とか、犯人探しってところをも、ドストエフスキーさんは思想小説にする!!人の死を、殺人を、人間の暴力的な部分を、彼はエンタメとして「消費」してもらうように読者へ提供しません!!!なのに?だから?面白い。とんでもなく。

    私は、もうドストエフスキーさんにひれ伏したい。ひれ伏す対象(=神)は彼に決定でも良いのでは(笑)「ドストエフスキーさんにひれ伏したい」はパワーワードだと古典専門の某インスタアカウントの方にも言ってもらえたので!!(笑)

    無神論者の落とし穴、信仰深い人の落とし穴。
    どっちの人の立場からも、『ポリフォニー』という技法を使って、登場人物それぞれのイデオロギーや意識を書きまくるんです!!とにかく書きまくるんですよ!!!長いんです!!長いんです!!

    でもそれが私はたまらなく好きだった!!沢山の思想が私に覆い被さってくる感じ。様々な方向から延々と覆い被さってくる。重いんです。押し倒されるんです。何なら押しつぶされそうになる。でもそれが快感に繋がるんです。理解したい、受け止めたい、読み続けたいという中毒症状が出るんです。(変態と呼んで)

    こんな読書体験、死ぬまでに出来て良かった。

    そして最後に!多分ドストエフスキーさんが、子供という存在を何よりも尊重していて、「子供にはなんの罪もない」ということをはっきりと書かれているんだけど、それが信心深い登場人物(ゾシマ)の独白にも、無神論者の登場人物(イワン)の独白にもはっきりと現れるところが、印象的だった。そして最後の弁護人のところ。子供はどのようにして育つのか?親とは何か?父親とは何か?これをグサグサ刺すように書くんです。

    私の価値観を変えた川上未映子さんの『夏物語』にも繋がるものがあって、この「子供という存在をどう捉えるか」というとこに、私は今回の『カラマーゾフの兄弟』でも一番感銘を受け、ここがこれからの私の価値観に一番影響を与えるであろう箇所だった。

    全部読んだ。読み切った。バンザイ。
    そしてまたいつか読み返す。

  • やっと読み終えることができました。
    もう、読了至福の満腹感でみたされています。
    上中下と長い時間かけて読んでいたので、ページ数が少なくなってくると、だんだん寂しくなり…カラマーゾフ三兄弟に、もう会えなくなるという気持ちにさえなりました。(再読すればいいのだけど)

    下巻のクライマックスは長男ミーチャの父親殺しの嫌疑による裁判。
    検事のイッポリートと弁護人のフェチュコーウィチの論告対決が、ストーリー内の聴衆とともに私も左右されてしまったり、拍手を送ってしまいそうになったりと、すっかり傍聴気分でした。

    判決は、あぁ、やっぱりそうなってしまったかの結果だったけど、それでもミーチャは愛するグルーシェニカとの今後への想いがエピローグで語られていて、カラマーゾフ的情熱には参りました。

    しばらくは良い意味でドストは読めそうにありません。
    来年になったら別の作品にチャレンジしたいです。
    (本日は平成27年12月15日)

  • ついに読んだ。
    実に2週間ほどかかって、やっとこさ読了いたしました。疲れた~。

    昨年2013年の目標として、『月に1作品、文豪といわれるような人が書いた古典文学を読もう』と思い立ち、はや一年。
    太宰治の「人間失格」から始まって、奇数月は日本の偶数月は海外の作品を手に取ってきました。
    最後の12月は絶対ドストエフスキーにしようと、「カラマーゾフの兄弟」にしようと心に決めていたのです。

    それにしても長いし難しいし、本編より周辺の話ばかりで、上巻は結構つらかったです。
    正直字面追ってるだけで頭に入ってこなかった。
    中巻に入って、ようやくお父さんが殺されるという事件が起きて、そこからは面白かったです。
    いちいち長くて、本筋に関係ないところを削ったら、もっと分かりやすくて読みやすい本になるんだけど、その関係ないところこそが、「カラマーゾフ」が文学史に燦然と輝く作品であるところなのかな、という気はしました。
    宗教観とかはよく分かんない部分も多かったけど、下巻のはじめと終わりの子どもたちの話はよかった。
    本筋のところも、現代みたいに科学捜査ができない分、心理的な分析や想像がスリリングでした。
    それぞれ、冷徹な心や侮蔑な態度や、それでいて良心の呵責やら脆いところがあって、翻弄されますね。

    ラストは唐突なんだけど、どうやら続きがあったみたい。
    けっきょくアリョーシャが本作の主人公ってとこが、強引な感じになっちゃうもんね。

    それにしても、とりあえず読んだということだけで、私は満足です。
    これからもたまにはこういう文学作品読んでいきたい。

  • 「カラマーゾフの兄弟を読破した側人間になりたい」というだけの極めて不純な動機で読み始めた本作だったがその初期衝動だけでこれだけの大著を読み通せるわけがない。単に面白かったから読んだ、それだけのこと。
    不死がなければ善行もない、ゾシマ長老の説法、大審問官、フョードルとドミートリィの確執、スメルジャコフとイワンの不思議な絆、フョードルの死をめぐるミステリー、ドミートリィとカテリーナ、グルーシェニカの三角関係、少年たちとアリョーシャの掛け合い、法廷での危機迫る証言、検事と弁護士の白熱の舌戦。これら全てが単独のテーマとして10本の小説が書かれていてもおかしくはない。まさに総合小説。
    キリスト教のあり方をテーマとして扱っている点が現代を生きる日本人には馴染みにくいとされがちだがそんなことは全くないと感じた。同じ宗教を信仰していない分、切実さが少し異なるだけでドストエフスキーのメッセージはひしひしと伝わってくる。信仰の対象を持っていようといまいと罪を携えて神の前に立つ人間の心中がどうあるかをこの小説を読むことで追体験できる。
    エピローグのアリョーシャが子供たちにかけた言葉には思わず涙がこぼれた。少年時代から大切に保たれた神聖な思い出をたくさん集めて人生を作り上げればその人は救われる。今この瞬間の素晴らしい出来事がずっと続くことなんてあり得ない。でも、大切に取っておいた思い出のひとつひとつが優しく、同時に強く燃える炎となってその人の心を温めてくれる。

    結論。世の中には二種類の人間がいる。『カラマーゾフの兄弟』を読破したことのある人と、読破したことのない人だ。

  •  読んでる途中から忙しくなって結局かなり時間がかかってしまった。長編だからか登場人物に感情移入しすぎて、途中から読んでて辛くて、何度も溜息をつきながら読んでた。でも、いろんな要素が詰まってるし、内容も引き込まれるし、本当に読んでよかった本。第二部があったら、また全然違うメッセージ性があったんだろうな。
     
     イワンが「信仰はない、愛なんて分からない、全ては許されるんだ、合理性を求めるべきだ」って思ってたはずなのに、絶望の中で愛に背けず、愛故に自らを破滅させた部分が刺さった。大審問官を聞いたアリョーシャが「兄さんもその老人と一緒なんでしょ?」って言ってたこととか、イワンがアリョーシャに「どうしたら身近なものを愛せるか分からないんだ」って言ってたこととか思い出した。そんなこと言ってても、最後には愛とか良心とか神とか強く持ってるのがイワンなんだなぁと。
     イワンの愛は、自らが罪を背負おうとしすぎてて、罪の所在の真実からは遠ざかってるなと思うけど。カテリーナの愛も、真実とは遠い効果を生み出すものだった。愛による行動が、真実を遠ざけることが往々にしてあるものだなと思った。人間は絶望の淵で本当の愛に気づくことが多いし、絶望的な状況であるが故に決定的な影響を及ぼしてしまうのだなと。

     イッポリートの真相解説は、中巻で読者が、ミーチャが犯人だと仮定したときに考えるであろうこととかなり近いと思う。それを、既に読者が真実を知っている状況で、しかもミーチャの運命を決める裁判の場面で、検察側の主張として並べ立てるのは、「お前らだって前はこう考えていたんだろう?」って言ってるみたい。

     裁判の件を読んで、人の内面を全て理解するなんて不可能だし、それをはき違えて、何かを狂わせることが多々あると、強く思った。裁判という場では、堂々と他人の行動や言動の内面的理由を並べ立てることが、正当化される。第三者は、推測でしかないのに、あたかも真実であるかのように話す。それを当然の権利としている。推測が合理的に思える話であればあるほど、間違っていた時にタチが悪い。心理学は両刃の刀っていうのに共感した。真実であったとしても、人の内面を第三者がまくし立てることを正当化するなんて、裁判にかけられてる人間を侮辱しているように私には思えるけど。真実が無罪であるなら尚更。冤罪を免れるには仕方ないとはいえ、そもそも罪がないのに何故引っ掻き回されなきゃいけないんだ、っていう。
     「なぜ我々は自分の想像通りに仮定し、仮定した通りに想像しなければならないのか。」っていう言葉も印象的。先入観に左右されるものだよな。
     あとこの裁判みたいに、なんの根拠も見つからなくて訳が分からなくなったら、信じたい方を信じるだけで根拠も正義もありはしないなと思う。

     ミーチャの「人は誰しも罪を持っている。」の件も結構共感できる。不条理を生む社会の仕組みを黙認せざるを得なかったり、抗議しようにも無力さを抱えていたり。だから不条理を被る人に対して罪がある。常に意識してたら精神的に辛いだけだと思うけど、何事に対しても謙虚さを持とうっていう精神は大事だよなと思った。

     何を考えても結局、根本で信仰にぶちあたる。この本では神を信じない=信念がないとみなしている気がしたけど、この本で本当に大事にしている信仰の根幹と無宗教の人々が各々で持つ信念は同じだと思う。何を考えるにしてもその人がもつ信念とか、人はどう信念を持つべきかっていう議論になる気がしちゃう。永遠の議題。

     カラマーゾフ的というのが崇高な心と卑劣な心の両極を顕著に持ち合わせているということなら、多くの人間に当てはまるものだよな、と思う。

     最後の場面でのアリョーシャと子供達の会話に、メッセージ性を感じるなぁ。あれで締めくくるなんて、予想とは全然違かった。ドストエフスキーの温かい部分が感じられる終わり方だなぁと思う。

  • 個人的には中が一番読み応えがあったかな
    下は途中から始まる裁判の長い演説が少し冗長な気がしました
    これが第一部で本当は第二部が続きはずだったというからとても続きが気になります
    特にアリョーシャの行方
    これまでは三兄弟の中で一番登場回数が多いながらも脇役的存在に回っていたからか、カラマーゾフの血らしさを感じることはほとんどなかった

  • 中巻の後半からおもしろさが増してきたので、下巻を一気に読み終えてしまった。カラマーゾフの兄弟は本当に名作だ。久しぶりにこういったいい本を読んだ。
    カラマーゾフ家の、金の亡者で道化者の父親フョードルや愛に愚直な長男ドミートリイや頭脳明晰で思想家の次男や善良な修道僧の三男アリョーシャという設定が絶妙によかった。父親と長男がキチガイじみた行為をしているところを、無神論者のイワンと信仰心あふれるアリョーシャが冷静な視点で見ている風なんだけど、そこは神を信じている者と信じていない者による視点の相違もまたおもしろい。それにしてもアリョーシャを見ていると、イワンのようにどれだけ頭脳明晰であろうとも真実のみを語る善良さとは何て素晴らしいんだと思う。この本を見ると、人間てアリョーシャのようになるべきだなと思い、自分を省みてしまう。ただアリョーシャの善良さというものは、信仰心に起因しているので、やはり宗教というのは非常に重要な概念なんだとも思った。宗教でいうと神は存在するかというように、この小説は要所要所で宗教についてのシーンが出てくるけど、基本的にイエズス会を冷笑している節があって、ロシア正教とイエズス会ってそんな違うんだということもわからない日本人な自分を見ると、宗教についてもっと学んだ方がよいと思った。
    キチガイの父親や長男や冷静な次男も全員アリョーシャを好きだし信頼しているところを見ると、すべては善良さによって得られたものだと思う。
    ストーリー的には、この下巻は裁判でのやり取りがメインになっているのだけれど、検事の発言内容は読んでいてイラっとした。逆にドミートリイを弁護する側の弁護士の発言は裁判所に来ていた聴衆者と同様自分も感嘆するところがあった。あと証人喚問で発言したカテリーナにもイラっとしたというか、カテリーナの恋愛脳が見ていてムカつく(笑)最初の発言と、イワンをかばうために急に出た発言の内容の真逆さが本当に呆れてしまった。グルーシェニカの方がよっぽどいい女なのに、カテリーナに売女よばわりまでされてかわいそう(笑)裁判の判決が結局望んでいたものではなかったけど、ストーリーとしてはおもしろいから正直どちらでもよかった。
    とりあえずスメルジャコフって本当悪い奴だね(笑)
    下巻の最初が、上巻でいじめられていた子供といじめていた子供がアリョーシャを介して仲直りしている話から入って、途中でこの話いるのかと思ったけど、最後のアリョーシャと子供たちのシーンが非常に重要で、確実に必要だったなと思った。というかこういった殺人事件が起きて、裁判が行われ、判決が下された後で、子供たちとアリョーシャで自分たちも将来悪い大人になるかもしれない、ただ善良だった頃の思い出が将来悪い行いを躊躇させる手段になりえるというような会話が非常に感動した。アリョーシャは本当に素晴らしい人格者だし、このストーリーに欠かせない存在だ。ただ、こういった善良さから現代人は非常に乖離している気がして、なんてくだらない価値観や争いに毒されているんだろうと少し感傷に浸った。また、この本を読む上で自分はなんておっさんなんだろうと思った。こういった本は、若い時こそ読むべきだと思う。34歳のおっさんより

  • 約2ヵ月半かけて、全作部読み終わった。長かった。また数年後に読もう。きっとその時は、さらに理解して気づけることもあると思うから。とにかく今は、世界の傑作と言われている作品を、全て読み終えた自分を褒めてあげようと思う。

  • 言葉は偉大だ。発する事で他者に想いを述べられる。逆に発しない事で魂の矜持を誇示できる。貴方にだけは届く。それだけを信じて苛烈な運命に立ち向かい、狂い、絶叫し、胸を張る誇り高き人生達が、私の胸を掻きむしった。強く生きようと誓った。

  • 『罪と罰』を挫折したので、この『カラマーゾフの兄弟』を読み終えて、自分の成長を感じ、嬉しかった。自信、体力、集中力がついたと思う。ドフトエフスキー節がおもしろかった。一回ではなかなか理解出来ないので、再読したい。また『罪と罰』にも再チャレンジしたい。

  • 以前読んだのが結構前なので再読。フォローしている方のレビューを見て、久しぶりに読みたくなった。

    舞台は帝政ロシアで、成り上がりの貴族である父フョードルと、三人の息子の物語。一応主人公は三男のアリョーシャということになっている。

    あらためて読んでみて、不死、神の存在、美、情欲、愛、堕落、善と悪など、重いテーマをガッチリと組み込んだ、卓越した小説だと感じた。それらを物語るための舞台として、ロシア正教会修道院というとっても厳かな、神や愛を語るにはもってこいの場所が素晴らしい。加えて、修道院で奇跡を体現する偉大な長老の存在や、貴族で道化の親父フョードルに、放蕩無頼な長兄ドミートリィ、冷徹な哲学家の次兄イワン、そして純粋無垢な修道僧の末弟アリョーシャ、という人物の書き分けがとても巧みで、それらがあってこそテーマが光るのだと感じた。彼ら以外にもスメルジャコフ、グリゴーリィ、カテリーナ、グルシェーニカやら名脇役たちもスポットライトを浴びて輝いている。

    彼らの性格や哲学の違いが、ドストエフスキーの圧倒されるような、人物の対話を生み出している。この「対話」が深いし、重い。それに対話は往々にして主人公アリョーシャを介して行われるのだが、このアリョーシャという人物が対話の聴き手、つまり受け皿としては、少しの偏見もなく、純朴で、物語を動かす潤滑油として大変優秀な存在になっている。話の面白さはピカイチで、キャラ立ちも筋書きもとてもしっかりしているといるうえ、細事にわたる、それでいて怒涛のような描写は息をつく暇もないくらいで、何度読んでもその熱量に圧倒される。

    初めて読んだときは中巻のゾシマ長老のところで大号泣した記憶がある。その後何度か読んだがなんともなかったのが不思議なところだ。小説を読んで号泣したのは後にも先にもこの一度きりで、自分の変なスポットにうまく刺さったんだろうなと思う。

    上巻はカラマーゾフ家の歴史の説明から始まり、修道院や実家などでの場面で、各人物の紹介がなされる。カラマーゾフ家は少々複雑で、ここでは詳しくは説明しないが、すべて一癖あるキャラクターばかりで、読むたびに違う発見がある。今回読んで気に入ったのは上巻の長兄ドミートリィの魂の告白シーン。詩や事件によせて、恋愛にまつわる自らの置かれた窮地を弟アリョーシャに説明し、同時に心情を吐露するのだが、これがとても面白く、激しく、抒情的で心を打つ。ドミートリィは作中では無頼漢、卑劣漢のように描かれる。だがただ単に理性より行動の人で、結果として激情にかられて過ちを犯し、責め苦を負い、自らをも蔑むわけだが、彼の告白と洞察は、ピントがずれているときもあるものの、大変野性味・知性味溢れるものだと思う。あとは上巻では、イワンの大審問官も見どころだ。

    下巻は検事と弁護士の論告が見物だが、弁護士のフェチュコーウィチが父親殺しを聴衆の感情に訴えて打破しようとするところが(素晴らしいが)少々残念だ。僕としてはイワンにもっと活躍してほしいところであるが、彼が頑張ったらドミートリ―の運命が変わってしまうかもしれないし、ドミートリ―のモデルになった人もやはり彼と同じ運命になったというから、物語の落とし所としては丁度いいのだろうか。

    読んでて思ったのはこれドミートリィが主人公じゃないのかというくらい彼に紙片が割かれているなってこと。彼は父親殺しの嫌疑をかけられるわけで、その言動を逐一追わなくてはならないから当然かもしれないが。あらためてイワンやアリョーシャをもっと深く掘り下げるような第二部があればと思ってしまう。とくにイワンの成分が少なすぎる。短いがパンチは効いている、だけどもっと読みたいと思う。

    ドストエフスキーはアリョーシャが活動家になる続編を書くために、この導入ともいえる第一部を書いたというが、彼が亡くなって続編が日の目を見なかったことが悔やまれる。でもドストエフスキーは実はカラマーゾフしか読んだことがないので、まだまだ楽しみがあると思って、これから彼の他の小説を読んでいきたい。

    それにしてもどうやってこれだけ複雑に入り組んだ、完成度の高い小説が書けたんだろう。ドストエフスキーは神がかり行者ならぬ、神がかり作家としか思えない。

  • おもしろい。奇人変人オンパレードだけど、カテリーナが比較的理解出来るか。登場人物はとにかくみんなよく喋る。イワンと弁護士の弁論は圧巻。結末は意外といえば意外だった。もし逆の結末だったら、文学的評価は違ったのだろうか?
    続編が読みたかった。

  • とうとう往年の名作を読み終えた満足感がある。
    いろんなテーマが複雑に絡み合っていて、核となるところを掴みかねるが、、

    1 信仰の形。神はほんとにいるのか? 答えについては示されていないという理解

    2 愛憎の形。男女の愛憎、家族間の愛憎はかなり複雑に絡み合っている。愛の裏返しが憎しみであることをドラマチックに描いているため、登場人物の態度がコロコロ変わる

    3 罪と罰について。ドミートリイは父親殺しにおいては無実ではあるが、基本的にはどうしようもない奴であり、結果それが彼を冤罪の裁きに導く。真実がレンズで捻じ曲げられる怖さも付け加える

    4 アリョーシャという男。周りが狂ったやつばかりなのに1人まともであり、皆から信頼されている。これは修道院での教育が大きく影響している描写がある。そのため、神はいないとしてもその教えの中で良い人間性が形成されるという、神の不在に対するひとつのアンサーとして機能している。

    非常に多層的なテーマを、父親殺しの犯人探しというキャッチーなストーリーで見せていて文学作品として評価されるのは納得の内容。ただ長いし、もってまわった言い回しが多いし、読了してどこが面白いかまで言及するにはかなりスキルが必要! 正直お腹いっぱいでロシア文学は暫く読みたくないなってのが正直な感想。読書体験としては非常に有意義でした。

  • 100/10
    パンを選ぶか?愛を選ぶか?神を選ぶか?
    人間の本質、愛、憎しみ、信仰、無神論、正義、理性。様々な神や人間への問いかけが、この物語に交差している。登場人物それぞれが、思想も違えば、愛した方も違う、生き方ももちろん違う。そんな多様な人間劇が「カラマーゾフの兄弟」内で行われる。有象無象の映画をこれまで数えきれないほど観てきたが、これほど多くのテーマを均等に際立たせ、尚且つ一つ一つの物語として、魅せているフィクション作品は他にない。例えば「大審問官」では、自由を与えられた人間は、それを抱えきれず苦しみ、結局は誰かに支配されることを望む、そんな絶望的な真理が語られる。私はその言葉に抗うことができなかった。今もその思想は、胸の内で静かに、しかし確かに蠢いている。他にも印象的だった場面のひとつに、「ゾシマ長老の過去編」がある。そこには、神への愛、赦しの深さ、そして人間への限りない信頼といったテーマが、言葉ではなく生き様として語られている。特に私が心を打たれた一節は次のような場面だ。「それじゃわたしたちは、召使をソファに座らせて、お茶を運んでやらなきゃいけないんですか?」わたしは答えた。「せめてたまには、そうしたって罰は当たらないでしょうに」みんなは大笑いした。この言葉に私は深い感動を覚えた。そこにはロシアに残る身分制度や奴隷的な慣習への静かな批判が込められているようにも感じられる。ゾシマは、決して高らかに正義を叫ぶことはしない。ただ、日常の中でほんの少し視点を変え、「たまには席を譲る」という小さな愛の行為を通じて、人間の尊厳を回復させようとしているのだ。この一節は、兄弟愛や友愛の延長として、すべての人間に対する深い敬意を示している。読んでいて、思わずドストエフスキーという作家の胸に飛び込みたくなるような、そんな衝動を覚えた。そして、最後の「裁判編」。この章には、それまでの全ての出来事が一点に収束し、爆発するような迫力があった。まさに「正義 対 正義」。どちらも譲ることのできない信念を抱え、検事と弁護士がぶつかり合うその応酬は、永遠に終わらない議論のようでもあり、私は読者であるはずなのに、いつしか傍聴席に座っているような気持ちになった。そして気がつけば、被告席のミーチャの姿に強い共感と、どうしようもないほどの同情を抱いていた。彼が本当に犯人かどうか、という問題よりも、彼の苦しみ、彼の叫び、その生きざまに、私たちは何度も揺さぶられる。だが、私たち読者は本当の犯人を知っている。だからこそ、この裁判はどこまでも虚しく、そして悲しい。事実ではなく、言葉と印象、感情と偏見が人を裁いてゆくこの構図に、私は息苦しさを覚えずにはいられなかった。ラストに訪れるアリョーシャのスピーチで、私は初めてフィクション作品に涙した。これまでの愚劣な行いや偽りが渦巻く物語の中で、アリョーシャはなおも純粋で、汚れなき神を信じる子供たちに向けてこう語りかけた。「わたしたちは、憎しみを持ってはならない。どんなことでも忘れてはならない。あの時感じたことを、あの時見たものを、ずっと覚えていよう。いずれまた、思い出す時が来る。だから、生きていこう。」そしてこうも言った。「人生を恐れてはならない。何かしら正しいことをすれば、きっと人生は楽しくなる。」、この物語が、私に訴えかけるのは、まさにこの部分だと思う。神が存在しようが、しないだろうが、人間の矛盾も、愚かさも、愛がなくても、救済の可能性もすべてを飲み込みながら、それでもなお、一歩づつでもいいから、あゆみ続けるアリョーシャは本当に美しい。
    ”生きていこうじゃないか、人生なにが起きようとも、どうだっていい。ただ、人を愛しつづけ、死をも愛そう。”人として生きるってもんは、まさにこうじゃないか?
    自分は在り来りかもだけど、愛を選ぶ。多分ね笑

    • cuoreさん
      すばらしすぎる感想で、読みながらうんうん頷いてしまいました笑笑
      ゾシマ長老の過去編とってもいいですよね〜!長老のお兄さんの話と謎の訪問者の話...
      すばらしすぎる感想で、読みながらうんうん頷いてしまいました笑笑
      ゾシマ長老の過去編とってもいいですよね〜!長老のお兄さんの話と謎の訪問者の話が特に好きでした。
      従者にもたまにはお茶を入れてあげる、というささやかな優しさこそが全てだと思いました。その優しさはイワンの大審問官の論理すら打ち砕くような普遍的で、絶対ではないけれど確かにある何かなんでしょうね〜
      裁判編はもう最高にカタルシスを感じますね…!!いろんな思惑や苦しみが交錯して、ミーチャが熱弁する頃には私も涙が出ました笑
      とにかく、カラマーゾフ万歳!この一言に尽きますね!
      アリョーシャと子供たちの冒険はこれから先もまだまだ続くでしょうから、続編がないのが本当に惜しいです…
      2025/07/24
    • 蚊さん
      コメント本当にありがとうございます!!!
      僕自身も、面白い作品だとは思っていませんでした笑、確かに続編がないのは惜しくてたまりませんが、それ...
      コメント本当にありがとうございます!!!
      僕自身も、面白い作品だとは思っていませんでした笑、確かに続編がないのは惜しくてたまりませんが、それでもいいと思うんですよね。未完がより神の不在を際立たせる気がして。読者に委ねられた問がずっと頭から離れません、そんな作品って本当に数少ないですよね!
      2025/07/25
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