罪と罰〈下〉 (新潮文庫)

制作 : 工藤 精一郎 
  • 新潮社
3.86
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  • (38)
  • (10)
本棚登録 : 4986
レビュー : 322
  • Amazon.co.jp ・本 (601ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784102010228

作品紹介・あらすじ

不安と恐怖に駆られ、良心の呵責に耐えきれぬラスコーリニコフは、偶然知り合った娼婦ソーニャの自己犠牲に徹した生き方に打たれ、ついに自らを法の手にゆだねる。-ロシヤ思想史にインテリゲンチャの出現が特筆された1860年代、急激な価値転換が行われる中での青年層の思想の昏迷を予言し、強烈な人間回復への願望を訴えたヒューマニズムの書として不滅の価値に輝く作品である。

感想・レビュー・書評

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  • 下巻。
    上巻にもメモした登場人物一覧。
    まずはロシア名を覚える三原則、ただし自己流(笑)。
     ①個人名+父称+苗字
     ②愛称や名前の縮小がある。ロジオン→ロージャ
     ③名前も苗字も、男性名と女性名がある。

    主人公一家。
     兄「ロジオン・ロマーヌイチ(ロマーンの息子)・ラスコーリニコフ(男性姓)」愛称ロージャ
     妹「アヴドーチヤ・ロマーノヴナ(ロマーンの娘)・ラスコーリニコワ(女性姓)」、愛称ドゥーニャ
     母「プリーヘヤ・アレクサンドロブナ(アレクサンダーの娘)・ラスコーリニコワ(女性姓)」

    お互いの立場や年齢、関係性や親しさにより呼びかけが変わります。
     ロジオン・ロマーヌイチ→きちんとした呼びかけ
     ロージャ→愛称。親しい呼びかけ。
     ラスコーリニコフ→客観的な呼び方?作者は本文でこの名で書くことが多い。

    他の登場人物。
    マラメードフ一家
     セミョーン・ザハールイチ・マルメラードフ⇒飲んだくれ
     カテリーナ・イワーノヴナ・マルメラードワ⇒マルメラードフの妻。
     ソフィヤ・セミョーノヴナ・マルメラードワ (ソーニャ、ソーネチカ)⇒マルメラードフの娘。

    被害者姉妹
     アリョーナ・イワーノヴナ⇒高利貸しの老婆。
     リザヴェータ・イワーノヴナ⇒アリョーナの異母妹。

    警察関係
     ポルフィーリー・ペトローヴィチ⇒予審判事。この名前表記は、名前と父称だけで、苗字は不明ですね。

    友人知人など
     ドミートリィ・プロコーフィチ・ウラズミーヒン(通称ラズミーヒン)⇒ラスコーリニコフの大学時代の友人。

     アルカージイ・イワーノヴィチ・スヴィドリガイロフ⇒ドゥーニャが家庭教師として務めていた家の主人。私は彼の名前が憶えづらく、「ビーフストロガノフさん」と密かに呼んでいる(笑)

     ピョートル・ペトローヴィチ・ルージン⇒ドゥーニャの婚約者。

    では後半も張り切って行ってみよ~~。


    上巻終盤で”謎の町人”としてラスコーリニコフの前に現れたのは、ドゥーニャが以前雇われていた屋敷の主人のスヴィドリガイロフ。
    彼はソーニャへ言い寄っていたが、自分の妻が死んだことによりラスコーリニコフ兄妹に近づいてくる。
    ソーニャの隣の部屋を借り、ラスコーリニコフ一家や、ソーニャの家族の状況を探り、ラスコーリニコフが高利貸し姉妹を殺したことを察し、自分が助けになるように思わせぶりなことを仄めかし…
    このビーフストロガノフさん…じゃなくてスヴィドリガイロフの目的がよく分からん行動は読んでいてなかなか楽しかった。
    格好つけてるが構ってほしいというか、鷹揚な振りしているがそのためには案外細々と動く人物ですね。
    スヴィドリガイロフ も自身の理論でぐいぐい進み、それを証明したがっていますが、ラスコーリニコフの周りにいたような家族や友達や支えの存在はいなく、誰もスヴィドリガイロフに「是」という人はいませんでした。
    こう思うとラスコーリニコフは本当に周りの人物に恵まれている。

    さて、ラスコーリニコフは、自分自身の理論を証明しようと殺人を実行したものの、彷徨っては倒れて自分の犯罪を仄めかす真似までしている。
    「自分がナポレオンだということを証明しようとしたが、これほど悩むということで自分はナポレオンでないということを証明してしまった」ということで。

    そのままの心理状況でポルフィーリー・ペトローヴィチとの心理合戦第2回戦へ突入。
    ポルフィーリー・ペトローヴィチは、ラスコーリニコフの発表された論文から考え方やら性質を読み取り、「たとえば何の証拠もないが、ある事件の犯人だと確信している人物がいるとします。彼の周りには網を張って、彼から警察に来させるように仕向けるのですよ」とかなんとか言って、ラスコーリニコフを牽制します。

    この後、ドゥーニャの婚約者ルージンがドゥーニャを手中に取り戻すためにソーニャとラスコーリニコフを陥れようとしたり、
    ソーニャの義母であるマルメラードワ夫人が苦労と貧困と病とで錯乱して子供たちを巻き込み往来で大騒ぎを起こして亡くなったり、
    ドゥーニャとラズミーヒンとが近づいたり…人間関係が動いています。

    心乱れたラスコーリニコフは、母のプリーヘヤ・アレクサンドロブナと妹のドゥーニャに別れを告げ、友人ラズミーヒンに殺人を仄めかし、ソーニャには殺人を告白し、そしてそれをスヴィドリガイロフに立ち聞きされ…。

    ソーニャは、家族のために娼婦になっていますが元々の性格は奥ゆかしく神様と家族に対して従順、ただただ人間の良心と神様への信仰を支えに生きています。
    ラスコーリニコフの殺人告白を聞いたソーニャは答えます。
    「あなたが汚した大地に接吻を。そして私は人殺しですと人々に告白してください、そうすれば神様がまたあなたに生命授けてくださいます」

    そしてラスコーリニコフとポルフィーリー・ペトローヴィチとの心理戦第3回戦。
    ボルフィーリー・ペトローヴィチは、ラスコーリニコフに自首を勧め、それとももし自殺するならその場合は…ということを示唆します。

    …大したもんだなあ、ボルフィーリー・ペトローヴィチ。普段もこんな捜査しているんだろうか。「ポルフィーリー・ペトローヴィチ予審判事の事件簿」とかいう短編集でもあったら読んでみたいわ。

    そうしてついに、ラスコーリニコフは警察へ行きます。
    「あれはぼくがあのとき官吏未亡人の老婆(※高利貸しのアリョーナ・イワーノヴナ)と妹のリザヴェータを斧で殺して、盗んだのです」

    ラスコーリニコフを疑っていたのはポルフィーリー・ペトローヴィチだけだったため、ラスコーリニコフのシベリア流罪は8年で済むことに(本来は20年くらいっぽい)。

    エピローグでは流刑先のシベリアに舞台が移ります。
    ソーニャはラスコーリニコフに着いてシベリアへ行き、ラスコーリニコフの母は亡くなり、妹のドゥーニャはラズミーヒンと結婚しラスコーリニコフを支えようとします。
    しかしラスコーリニコフはまだ心の平安を見出せません。
    なぜ自殺せず自首したのだろう、8年の刑期を終えた後新しい人生など送れるのか…
    しかしあることがきっかけで、ラスコーリニコフの心に神への愛、贖罪、そしてソーニャへの愛が見出され…ついに心の平安を見出したところで物語は終わります。


    総括
    難しいかと思っていたり、粗筋が有名すぎて読んでいなかったのですが、読んでみたら一気に進みました。
    殺人を犯した後の混沌たる心の動き、ポルフィーリー・ペトローヴィチとの心理戦、そして神への愛。
    キリスト教社会の小説を読むと、「神様が見ている、赦しを与えてくださるのは神様」「自分の良心に問う」、そしてロマンスとは別の神の愛があり、「受けなければならない苦しみ」があります。
    その分被害者個人への赦しや謝罪はほとんどないですね…。ラスコーリニコフや周りの人物も、斧で叩き殺された高利貸し姉妹個人の事はほぼ誰も触れず…
    キリスト教は「人間同士が横の糸で繋がっているとしたら、神様とは縦の糸で繋がっている。横の糸は引っ張られたりして自分が動いてしまうが、縦の糸は自分を引っ張ってくれて揺るがない」としたら、
    殺人であっても赦しを与えてくれるのは縦糸の神様ということになるのでしょうけれど。

    個人的に胸に迫ったのは、マルメラードワ夫人の死に至る狂乱の様相。
    もとは明るい人だったのが、貧困と苦労によりヒステリックで妄想が膨らみあたり構わず喧嘩を吹っ掛ける人物に。夫が死に子供たちを巻き込んだ錯乱を起こしてそのまま死去。自分自身が母親である私には、この狂乱を自分が起こさないと言い切る自信が全くないorz

    • hotaruさん
      淳水堂さん、こんにちは。
      色々な角度から作品について触れた、とても興味深いレビューで、長編小説苦手な私でも、まだ読んだことない「罪と罰」是非...
      淳水堂さん、こんにちは。
      色々な角度から作品について触れた、とても興味深いレビューで、長編小説苦手な私でも、まだ読んだことない「罪と罰」是非とも読んでみたくなりました。

      ありがとうございます。
      2018/10/31
    • 淳水堂さん
      hotaruさんコメントありがとうございます!
      私もhotaruさんのレビュー楽しく読んでいます!

      自分の年齢があがり、難しいと思っ...
      hotaruさんコメントありがとうございます!
      私もhotaruさんのレビュー楽しく読んでいます!

      自分の年齢があがり、難しいと思っていた小説も、身近に感じられるようになってかたと思います。
      スヴィドリガイロフは「構ってちゃんだあ〜w」、ポルフィーリー・ペトローヴィチは「事件簿読みたい」、マルメラードワ夫人には「自宅での私も同じようなものかもorz」などなど、いるいるこんな人たち、みたいな。

      だまだ「ちゃんと読んだことないから死ぬまでに読まなきゃリスト」に載っている本が沢山あるので楽しく進めていかねばです。
      2018/11/01
  • 下巻に突入。妹ドゥーニャの婚約者ルージンが気に入らなかったラスコ、母妹ラズミーヒン立ち合いのもとルージンと全面対決、完全撃破!うだうだラスコのわりに珍しく良い仕事をしたけれど、当然ルージンの逆恨みを買ってしまう。そんなことも露知らず今度はソーニャに会いにいくラスコ。さっきまでルージンのクズっぷりを批難していたわりに、ここでは無自覚にラスコもクズっぷりを発揮。自分の頭がだいぶおかしいことを棚上げして、自分を苦境から救ってくれる神の奇跡を信じているソーニャを冷笑し「ばかな女だ!狂信者だ!」扱い。いやラスコきみのほうがだいぶんきちがいじみた言動してるよ……気づいて!

    思うに、ラスコは貧しい人々に親切ではあるが(ソーニャ父マメの葬儀代のためにポンと全財産あげちゃってるし)これって一種のマウンティングのようにも思える。だいたい自分だって大概貧乏で家賃も学費も滞納しているのに他人に自分で稼いだわけでもないお金を施そうなんていうのは自己犠牲でもなんでもなくて、自分より「より不幸」「より貧しい」人たちより自分が上でありたいだけ、つまり一種の見下し行為なわけで、やっぱりこれってソーニャに対してマウント取りたいだけなんじゃないか(少なくとも深層心理で)と思ってしまう。

    ドゥーニャに振られたルージン45才の女性観も大概クズではあったが(若くて美人で知性もあり上品な女性と結婚して世間に羨まれ自慢したい、ただそんな女性が自分に従順でいてくれるためには彼女は貧乏であることが必須という考え)自分より弱い立場の相手に恩を売ってマウント取ることでしか恋愛を成立させられないという意味では、ラスコも大概同類ではなかろうか。もちろん、ソーニャがやがてそのラスコの高慢を打ち砕くというのが、この物語のキモになるわけですが。

    ラスコは人間を凡人と非凡人(英雄)に分類し、凡人は非凡人に何をされても文句言えない(非凡人のすることは許される)という考えを、老婆を殺すことで実行したわけですが、そのわりに「新世界の神となる」もとい「自分は非凡人で英雄だ!」という自負はないんですよね。内心そう思ってるか知らないけど少なくとも表面的には。だから軸がブレるというか、自分のしたことの罪悪感なり、バレることの恐怖感なりに右往左往して興奮して血が上り実際に体調まで悪くなり熱出したり倒れたり突然激昂したりして手におえない迷惑キャラになっている。

    読者としては、じゃあなんでわざわざ手間暇かけて利害関係のない相手を殺したんだと突っ込まざるを得ないし、ラスコもまた凡人であるなら同じく凡人である老婆がどんなに強欲因業ババアであっても殺害する権利などないわけで、そもそも被害者は「金貸し」という合理的手段で稼ぎそして彼女にお金を借りなければ生活できなかった人々にとっては一時しのぎにせよ老婆がいないともっと困ったわけで、無職でニートのラスコと金貸しとはいえ経済活動に参加している老婆のどちらが社会的に不要な存在かといえば実はこれラスコのほうじゃなかろうか。結局やっぱりここでもラスコは、他人を食い物にしてるババアより無職でニートの自分のほうがマシというマウントを取りたかっただけなんじゃないのか。

    下巻も中盤になってラスコがソーニャに自分の罪を告白するときに、ラスコの本音(?)が明かされる。ナポレオン(非凡人)にはシラミ(凡人)を殺す権利があることを証明するために殺してみたら、なんとあろうことか自分はナポレオンではなくシラミのほうの同類だった!と殺ってから気づいてしまった、と。基本的にラスコが後悔している理由はこれで、金貸しの老婆のみならず偶然その場に居合わせただけの罪のない老婆の義妹リザヴェータまでついでに殺してしまったことを反省している様子はない。その点ではラスコはシラミ以下でしょう。先の話になりますがのちラスコは自首して刑務所に入りますが、これもあくまでポルフィーリー(※以下勝手にポル)に対して負けを認めただけで、心を入れ替え改悛するというのとはまた別問題。

    さてそんな新世界のシラミだったラスコが出来そこないの夜神月だとしたら、彼を追いつめるポルは太ったL。ペンキ屋ミコライが突然の自白をしたため、ラスコを疑うポルの推理は一度は覆されたかと思えたが、ポルはあくまで真犯人がラスコであることを見抜いている。このペンキ屋について、ポルが「分離派教徒(ラスコーリニキ)」と言っているのも興味深い。ラスコが真犯人だと知っているぞという匂わせのために使っただけかもしれないが、ラスコーリニコフの名前の語源はこれであり、作中でポルいわく分離派教徒は「苦難を受ける」「苦難を受けなければならぬ」というこだわりがある連中らしいので、まさにラスコにピッタリ。

    一方ソーニャは、父親の葬儀の場で、ラスコを恨むルージンに窃盗の罪を着せられそうになり、あげく継母カテリーナが大暴れで法事は台無し、傷心で帰宅したところへラスコが追いかけてきて殺人を告白、そこへ今度はまたカテリーナが発狂して子供たちと町を練り歩いていると知らせが来て急いで帰ったらカテリーナまで喀血死去。このカテリーナ・イワーノヴナ、かなり強烈なキャラクターなんですが『読まない』では彼女のシーンだけラテンアメリカ文学みたいだと言われていたのも納得。なんというか鬱々と内面に閉じこもるラスコはいかにもロシア的なキャラクターだけど、カテリーナは解放しちゃってるんですよね、自分の激情を。そして発狂してても彼女は圧倒的に正しい。

    そして彼らがすったもんだしている間、ドゥーニャの元セクハラ雇用主だったスヴィドリガイロフ(※以下『読まない』に倣いスベ)は今度はラスコのストーカーとなり謎の暗躍をしている。『読まない』ではカテリーナのラテンアメリカ文学味に対し彼にまつわるシーンが幻想文学ぽいと言われていましたが、こちらも納得。彼が殺したのではないかと疑われている妻の幽霊が屋敷に出てきてトランプしたとか、過去にも少女を凌辱しただの下僕を自殺に追い込んだだの怪しい噂が満載、終盤悪夢にうなされるシーンの幻覚など、彼の周囲だけ英国ゴシック小説みたいだ。

    そしてこの人物は実はラスコとは表裏一体のキャラクターであり、ネガとポジの関係を形成する。スベの気前の良さ(ソーニャの姉弟を孤児院に持参金つきで入れてやったり)は、ラスコと共通。ただラスコと違って彼はお金を持っている、とはいえそのお金は妻のもので元々は賭事で借金つくりまくるような人間性。ラスコの倍生きている(ラスコ23才、スベ50才)からやや柔軟で世渡り上手だけれど、本質的にラスコと同類と思われる。ラスコはソーニャに救われるが、スベはドゥーニャに拒絶され、ラスコの選択肢のひとつであった自殺を本人が回避した結果、それはスベが担うべき運命となる。

    ドゥーニャとスベの対決場面はこの長い小説の中で唯一といっていいアクションシーンでクライマックス。ラスコに「歴戦の色事師」と呼ばれたスベにはなんというか一種の悪の魅力があり、最低の悪党ながらどこか憎めないものがあった(だから女性にモテたんだな、そしてラスコは童貞認定・笑)。ちなみに彼がドゥーニャに話すラスコ評が的確すぎるので以下引用。

    「つまり特に彼を惹きつけたのは、多くの天才たちはちっぽけな悪には見向きもしないで、平気で踏みこえて行ったという事実ですよ。彼は、自分を天才だと思った、らしい、――少なくともある期間は、そう信じていた。彼は、理論を書くことはできたが、ためらわずに踏みこえることは、できない、つまり天才ではない、という考えのためにひどく苦しんだ。いまでも苦しんでいる。まあ、これは自負心の強い青年にしてみれば、堪えられない屈辱ですよ、特に現代は……」(387頁)

    ソーニャがラスコに朗読して聞かせる福音書の「ラザロの復活」は、ご存知イエス・キリストが死んだラザロを生き返らせる場面。ラスコはソーニャに告白したときに「ぼくは婆さんじゃなく、自分を殺したんだよ!」と言っていたことを鑑みると、エピローグでようやく、すでに死者であったラスコがソーニャの愛により復活、本当の生を生きはじめるという意味に取れる。ソーニャ自身もまた娼婦となったときに自己を殺しており、復活の奇跡を待ち望んでいたわけで(ラスコは当初それを冷笑したけど)トルストイとかぶらなければこの本のタイトルは『復活』だったかも。なんて。

    最後に解説を読むとドストエフスキー自身が結構なダメンズで、結婚してるのに浮気、離婚、恋愛遍歴を繰り返した上に、賭事が好きで前借りした原稿料もあっというまに全部スッてしまい女性に泣きつくなどしていたようで、そう思うとラスコもマメもスベも全員ドストの分身のように思えて来ます。余談ですが『罪と罰』が出版されたのは1866年、連載は1865年で日本は幕末。『読まない』でも吉田篤弘さんが唐突に「日本では前年に池田屋事件が…」とおっしゃってましたが、池田屋で沖田総司が喀血してる頃、ロシアでは『罪と罰』の構想が練られていたかと思うとギャップがありすぎていっそシュールかも。 ちなみにドストエフスキーは1821年生まれ、幕末の有名人だとかなり年長組の部類で、勝海舟が1823年、西郷隆盛が1828年生まれ(※すごくどうでもいい情報)

    あと最後にもうひとつだけどうでもいい話をしておくと、ラスコのことを夜神月ぽいとイメージしていたせいで(実際には違ったけど)私の脳内キャスティングはずっと藤原竜也でした。急に激昂したり、ひとりごとを言いながらウロウロしたり、感情の起伏が烈しいあたりピッタリだと思う(笑)三浦しをんさんは、スベ=ヴィゴ推しだったけど、私はむしろショーン・ビーンを推したい。アラゴルンよりボロミア。日本版はじゃあ浅野忠信でいっか。ソーニャは満島ひかりがいいな・・・等と脳内でいろいろ楽しめるのも『罪と罰』の魅力!(と無理やりまとめる)とにかく思っていたよりずっと面白かった。読んでよかった!

  • 下巻は上巻に比べて読むスピードが上がりました。個人名に慣れてきたのと、やっぱり面白かったからですね。
    ラスコーリニコフの罪と苦悩ですが、普通被害者への贖罪と思うんですが、最後までそういう意識ないですね。それに触れたのもドゥーニャだけだったような。その辺ちょっと違うのかな、と。あくまでも彼は自身が描いていた理想とそれに添えない自分への苦悩だったように思いました。苦しんでいるのは分かる、でもちょっと違うやろ、みたいな。
    スヴィドゥリガイロフが結構印象に残りましたねぇ。女好きの、ドゥーニャに最後にしようとしたことなど、いかにもクズなんですけど、あの最期を見ると彼なりに苦しんでいたのかな。思うところは違っても、ラスコーリニコフと似た人間だったのかもしれません。
    長い話でしたけど読みやすいです。でも西洋の小説では避けられない信仰、神、これがどうも苦手です。

  •  多数の利益のための、犠牲は仕方ないという論理の下、罪を犯したラスコーリニコフ。しかしその後、彼は罪の意識で苦しみ自身が罪を犯しつつも、妹の結婚相手の正体を見抜き、妹の結婚を阻止しようとしたり、母のことを気遣ったり、酒屋で少し話しただけの男の家族に親切にしたりと、家族やそれ以外の人間にも正義心を発揮します。

     なんで、そんなことになったかというと、自分はラスコーリニコフは、人としてのバランスを取ろうとしていたのかな、と思います。

     善と悪の狭間を歩き続けるラスコーリニコフの描写は、読んでいて息が詰まるようです。「何が正しいんだ!」という彼の叫びをずっと聞き続けているかのような、そんな気すらしてきます。

     しかし、だからこそ、ラスト数ページの物語の明るさには驚きました。正直、こんな気分で読み終えられるとは思ってもいなかったのでうれしい誤算。

     ラスコーリニコフの、多数の利益のための流血は仕方ない、という論理は普通の人間には当てはまらないものなのだと思います。頭でどんなにそう思っていても、身体がそれを拒否する、それが人間としての本能であると思います。

     ラスコーリニコフがそうした考えを持った背景には、ナポレオンなど、そうした行動を厭わなかった偉人の存在がありました。特別な才能と力を持った彼等なら、それをしてもかまわない。そしてその真理にたどり着いた自分も英雄なのだ、と。
     
     でも、この本を読み終えてから、そうした英雄たちの思考に思いを巡らすと、自分は普通の人間でよかった、と思えてくるのが不思議です。そして、それはラスコーリニコフも同じだったのではないでしょうか。

     読むのは、やっぱり大変でしたが、先に書いたように読後感は悪くなかったので、何というか、高い山を踏破した、という充実感も覚えた読書でした。

  • どう読むべきか?何かヒントは無いか?
    インターネットで調べながら非常に遅いペースで読み進めていった。

    私にしてはこの作品を読み終わるまで、非常に長い時間を要した。
    1ページを読み終わっても、もう一度読み返してみたり。

    ポルフィーリィとラスコリーニコフの3度の論駁の場面は再読必至かなぁと思う。
    下巻を読んでいる傍から、上巻の最後の二人のやり取りをもう一度読まなくてはという気持ちになる。

    下巻は上巻に比べて、話が進んでいく為読み易い。
    カテゴリー的には純文学に属すると思うのだが、
    読み物として十分に楽しめる作品だった。

  • ずっと読みたいと思っていた罪と罰 が夏のうちに読めてよかった。
    読みづらいのかと思いきや、登場人物の名称が色々変わるのが大変なのはあるけど、話的には読みやすかったです。

    登場人物ひとりひとりのキャラクターが強くて、色んな人間が出てくるところが面白かったです。

    罪を犯し罰を受けその先人はどう変わるのかラスコリーニコフの続きも知りたいです。

  • 一気に読んだ。事件からはのめり込む一方だった。
    どうこれが終わるのだろう、という気持ちでドキドキしながら読み進めた。
    ラスコーリニコフとスヴィドリガイロフ、二人の生き方、そして顛末を是非しっかり見て欲しい。顛末ではそのシンプルさから何かを考えさせられるだろう。

  • ひとつの罪悪は数百の善行によって覆されるとか、選ばれた自由人にとって法律は機能しないといったようなことはたぶん語り尽くされていると思うので、私はスヴィドリガイロフの存在について感想を書きたいと思う。

    彼はラスコーリニコフの妹に片思いをした過去があり、その後妻に死なれている。(ドゥーニャから毒殺を示唆されているけれど、本編中にはっきりした答は出ない)徹底したニヒリストで、情欲を愛している。その彼が、それも多額の金を持っている彼が、気に入った人間に金を配り、最期にピストル自殺を遂げる。これって、芸術家の理想的な死に様では!? と思わずにはいられなかった。それを考えると、第三部の終わりから第四部の始まりにかけて、大物らしく登場した彼には、どうしてもドストエフスキーの影がちらつく。「私がドストエフスキーだ」と現われたように見える。ラスコーリニコフも、ルージンでさえも、ドストエフスキーの作品の登場人物は多少ドストエフスキー的な要素を持っているものだけれど、スヴィドリガイロフほどドストエフスキー的な人物は、この小説内に登場しない。

    ラスコーリニコフの悪夢から目覚めるようなこの物語は、とても美しいものだ。完成度でいうと、未完で終わった『カラマーゾフの兄弟』などより余程高い。ドストエフスキーは、カフカのような自分の文章から物語を紡いでいくタイプではなくて、ある程度固まったプロットの中に、ガリガリと多方面の思想を押し込んでいくというかたちの創作をしているから、小説が完成しているかどうかはとても重要になってくる。

    情念の塊のようなこの小説を影で支えてくれるのは、ラスコーリニコフの親友ラズミーヒンの存在だ。けして揺るがない、徹底した善人の彼の存在が、この小説にどれだけの安心感を与えてくれているだろう。

    この小説は、倒叙式のミステリーのような体裁をもっているので、次のページへ、次のページへ、とどんどんめくっていかざるを得ず、あまり落ち着いた読書というものができなかった。ドストエフスキーの意図した通りの読み方かもしれないけれど、もうちょっとじっくり味わいたかったという感覚もないではない。

  • ロシアの長編文学は食わず嫌いで来てしまっていましたが、急に読みたくなって、読みました。
    そうしたら、これはサスペンス要素も織り込まれており、けっこう技巧的な感じもして、想像以上に読みやすくて驚き。どんどん続きを読みたいと、久しぶりに思わされた小説でした。
    それから、読む前はもっと安直に題名をとらえて、『罪と、(罪にまつわる良心の呵責という)罰』の話、みたいなイメージを持っていたのですが、発想が単純すぎでした。実際には、ロシア社会の沼のような深みにおける、思想と愛の苦しい内的せめぎあいの話という印象です。個々の登場人物が、宗教画みたいに、人間が背負う何らかの観念を象徴しているかのような形で描かれますが、誰か一人取り上げて色々考えてみても尽きないほどにそれぞれも複雑で、本当に重厚でした。

  • 「社会的に罪とされることを犯したところで何一つ反省せず罪悪感も感じない奴が最強だ!」と常日頃から思っていた青年が人殺しして結局罪悪感に苦しむおはなし。語弊あるかな。
    すごかった!
    ラスコーリニコフが主人公ではあるんだけど、脇役たちの性質も細かく描写されあんなクズやこんなクズに共感してしまった…
    ルージンの小物っぷりが最低に最高だった!退場があっさりしすぎてて残念だけどあの人間としての小ささには地下室を感じた…「貧しい上に無実の罪を着せられた少女に手を貸すなんて人道的に素晴らしいことをしたはずなのになんでみんな褒めてくれないの??」っていうルージンの疑問は痛いくらいわかるけどそれは疑問に思ってはいけないのだよ…思ったが最後「小さい人間」というレッテルを貼られるのだよ…
    それからスヴィドリガイロフの最期も美しかった…これまた最低に汚くて悲しくて美しかった…純潔さに憧れていたい自分と汚れに憧れざるを得ない自分が互いについて怒りをおぼえる地獄…
    というわけでクソ陣営(ひでえ)が相当に心に刺さったわけですが、もちろん善人陣営もつらくてきつくてよかったです。ラズーミヒンもドゥーニャも良い奴…
    もちろん最もつらくてきついのはソーニャ。カチェリーナの死ぬ間際なんてもうマルメラードフの所業をだらだら読んでた頃の方がましだったと思えるほど不幸に次ぐ不幸だった…まじで読むのをやめたくなるくらい精神力を削られたんだよカチェリーナの奇行。ソーニャが一体何をしたっていうんだ!!!
    ほんと家庭は不幸の極みだし無実の罪を着せられそうになるし唯一頼れると思った人は自分の大事な人を殺してたしソーニャが何をしたっていうんだ!!!
    しかしソーニャは全てを許すのであった…なーん…もう…ソーニャ様…
    ラスコーリニコフが全然出てこない感想文になっちゃったよ

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著者プロフィール

ロシアの小説家、思想家。トルストイやチェーホフとともに19世紀後半のロシア文学を代表する文豪。

「2008年 『罪と罰 下』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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