女の一生 (新潮文庫)

  • 新潮社
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本棚登録 : 836
レビュー : 77
  • Amazon.co.jp ・本 (397ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784102014011

感想・レビュー・書評

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  • 小学生のころ、私は活字中毒だった。

    とにかく、本であればなんでも読みたくて・・・母が借りてきていた、女の一生を読み、見つかって怒られた。

    小学生が読む本じゃないと。

    大学になってから、再度読んで思った。

    小学生が読む本じゃなかった。

    すでに2回読んでいるのだけれど、図書館で目に留まった。年をとってから読んだらまた違うのかな?と。

    で、3回目読むと・・・

    なんとおぼえていたのと結末が違っていたΣ( ̄□ ̄||)

    もっと救いのない、暗い話のイメージだったけれど、そうでもないなーという感想。

    恵まれた環境にいながら、自らどんどん不幸にしたいく女。

    自分で道を切り開くことをまったくしなかった女。

    ささやかな幸せを感じることができなかった女。

    世の中の不幸のほとんどはこうやってできているのかもしれない。

    そして・・・
    確かに、小学生の読む内容ではない。
    でも、小学生の時、この本のエロさにはまったく気づいてなかったなーーー

  • この著作を端的に表すなら、独身の人が周りの人からなんで結婚しないの?って聞かれてうざいなと思ったら「結婚したって『女の一生』みたいになるだけだから。」と答えてもいいくらいの、暗い作品。最後のオチだって、一応絶望エンドではないけれども、いい方向に向かうのかこれ…?と疑問に思わざるを得ないような終わり方だ。
    最初の段階で、両親(特に父親)に純粋純潔に育てられて修道院を出たお嬢様、という描写でもう悪い予感しか無いと思ったが事実そのとおりに。
    だが皮肉にも、主人公の状況がひたすら暗いほうに転がっていくに従って話の内容としては面白くなっていくと個人的には思う。この当時では女の人生なんて生まれた家と配偶者次第なんだろうけど、現代であればいくら容姿に恵まれてもちゃんと自分の頭で考えて行動しないと痛い目に遭う、というような結果になっているからか。

  • 年末に「メアリーの総て」を観て、19世紀の女について考えたくなり手に取った。

    1883年の小説。邦訳のタイトル通り、女の一生について。
    広がる未来に胸を膨らませ、いつか出会う恋や結婚相手に夢を抱き、希望でいっぱいだった少女が、願った通りの恋に落ちて、あっという間に結婚してしまう。恋愛のさなかは良かったけれど、はじめてのセックスはゾッとするもので、結婚してみたら夫はケチな浮気者。広がっていたはずの未来が気がついたら閉じてしまっている。途方もない閉塞感。家庭という小さな箱の中で、出口はなくて、夫との仲は冷え切り、塞いでいく気分や狭苦しい生活から目を逸らすように子育てに熱狂して、過保護すぎる母親になり、息子からは散々お金を無心された挙句特に顧みられることもない。
    そういう、女の一生を描く物語。神経症が大流行するのも無理はない、社会が「女」に与えてきた生活。死ぬまで続く「家庭」という名の牢獄の中の日々。19世紀のフランスではなくても、様々な時代に、様々な場所で、様々な形や程度で繰り返されてきた、女の一生。それが克明に描かれている。

    あらすじだけ言えばひどくつまらない、気が滅入る小説に思えるかもしれないけれど、全くそんなことはなかった。物事をあるがままに見ること、それを生々しく余すところなく書くこと、自然主義とはこんなにもすごいものだったのか、と心底感嘆してしまった。
    正直に言って、モーパッサンは男性だし、時代も古いし、偏見を感じて嫌な気分になるんじゃないかなと思っていた。でも間違ってた。そんなものはなかった。卓越した洞察力、鋭い知性、優れた表現力、そういうものの力を、久しぶりに信じそうになった。人間は自分の立場からしか物事を見ることは出来ず、どんな知性であれその限定性から逃れることはできないとわたしは思っているんだけど、想像力の力を信じそうになってしまった。
    これほどまでに、書けてしまうものなのか。モーパッサンはどうしてこんなことができたんだろう。19世紀の、白人の男で、どうしてこんな風に女の一生を描くことができたんだろう。すごい。皮肉めいた表現の秀逸さも含め、あまりに素晴らしい。

  • 何か問題に出会ったとき、泣いたり悲しんだり、頼ったりするのではなく、ちゃんと逃げずに問題に立ち向かわなければダメだ。そうじゃなきゃ、惨めな事態に陥っても、何も解決しっこないのだ。ジャンヌは、夢みがちで、感情の振り幅が広く、純粋な女性だ。母性愛を深く持っていて、美点はある。ジュリアンとくっついてしまって、あいつがどーしょもないのは不運としか言いようがない。でも、子供の育て方はどうにも良くない。スポイルしている。台無しにしてしまっている。一方、ロザリは、最低な主に手込めにされ、妊娠し、あげく追い出されたにも関わらず、人情深く、優しく、賢く、器がでかい。ジャンヌが、屋敷の家具を売ったお金3600フランを息子にそっくり送ろうとしたのを見破り、咎め、でも600フランは送ることを許す場面は、とても大きくて暖かい人間性がわかるような気がする。最後も、法的なあれこれを全て片付けて、孫を抱いて戻ってきてくれる。ロザリのような女性にはなれないけど、友達になりたい。最後の終わりかたは、少し暖かくて、赤ちゃんの温もりを感じれるところがいい。モーパッサンすごい。

  • 名著と言われてるものがこんな昼ドラみたいな話しでいいの?と思った。
    でもやっぱりただのドロドロした恋愛物語なわけじゃない。
    育つ環境も時代も違うけど、現実味があって、どんな女性にも共感できる部分があるのではないだろうか。
    夫にしても子供にしても、盲目にならずに冷静に考えるのが大切だな、と思った。

  • 最初のあたりは、主人公ジャーヌの少女的な表現の連発にちょっと読むのが大変でしたが、
    そこを越えるとわかりやすい描写でするすると読むことができました。

    全体の3/4くらいまでは、主人公ジャーヌに対して気の毒に思いながらも、
    「全てに対して受身だから、どんどん悲惨な状況になっていってしまっている。幸い資産家の娘なのだし、あまりにも最悪なジュリアンには見切りをつけて、次の幸せを探すべきでは?」と、行動を起こさないジャーヌに対しての怒りもありました。

    でもよく考えてみると、この時代、離婚などは有り得ないことで、
    そもそもそれを考えのひとつに入れられるようには教育されていなかったのだろうと気づき、深く考えさせられました。
    誰もが自分で考え、努力すれば道を切り開くことができる世界になれば良いと、心から思いました。

    結末に関して言えば、孫と一緒に生活できるようになり、本当に良かったです…。

  • 思っていたよりは読みやすかった。
    良妻賢母がよしとされる時代の女性の人生について、非常にリアルに感じることができた。
    「夫に恵まれなかった」という考え方はイスラムの物語でも見かけたことがあるけれど、そんなことを理由に自分の人生を振り回されたくないよね。
    フェミニズムの議論の題材にも使えそう。
    読んでそのまま、ではなく誰かと議論したくなる作品。

  • 山田風太郎

  • 思いっきり暗い。人間の欲と利己性の波にさらわれてどん底まで突き落とされる女の一生。大好き。

  • (01)
    ある女性の半生が14章に分けて描かれる。同時にレ・プープルと呼ばれるノルマンディー地方の家の物語(*02)でもあり、一人娘の彼女のために男爵が用意した屋敷がその半生を包み込み、放り出す。
    母、父、夫、子や叔母(*03)といった親族のほかにも、使用人や夫の愛人、友人、司祭、犬や馬といった人物や動物も登場するが、それほど多くはない。視点はいつも女主人公ジャンヌのまわりにあるが、いっとき、彼女のまわりを離れることがある。近隣に住むフールヴィル伯爵は、ジャンヌの夫ジュリヤンと自分の妻が不貞を働いている現場をのぞき、怒りに任せた蛮勇を奮う場面である。第10章のこの場面までの時の流れはややゆったりとしているが、ここから最終章までの4章で一気に20年以上が進んでいく。
    人生は、ほぼ全ての人間が経験しているように、一様に進むわけではない。急速に進むとともに普通は単調な時が過ごされていく。その単調さは、愚鈍な感性や惰性とともにあり、人は滅多な事では驚かなくなる。ジャンヌの愚かな魯鈍もこの終盤の4章に顕著に現れ、人生は皮肉にも停滞し、時は急速に進んでいく。

    (02)
    もちろん家だけではない。家の周囲にはポプラ並木、漁村、海があり、ジャンヌたちによって散歩された風景があり、貴族ではない漁民や農民がそこにはいて、風景と化している。
    ジャンヌには、この家と風景を出なければならない事態が終盤に発生する。そして、わずかな時間だけその家に戻ることが許される。その時、家の諸々の家具や傷が記憶とともに蘇る。家や風景に流れる時間は、その保存状態さえよければ、遅くとどまり、人間のように変化せずに残される。この時間差にジャンヌは襲われるわけであるが、序盤にこの家と風景が輝いてみえたのは、ジャンヌの前途の栄光を幸福を暗示していたわけではない。家や風景は、人間が惨めであっても輝いている。特に風景には、特有の時間があり、近代的な一個の人生のような雑多な記憶に左右されず、使用人や漁民や農民によっても共有され、育まれ、あまり変わらずにいつもそこにある。リアリズムや自然主義が、人生と対位的に風景を用いるのはそのためでもあり、ロマンスが宿るのもそのためである。

    (03)
    使用人ロザリも爽快な存在であり、この小説にいつも風穴を開けてくれるが、このリゾン叔母の奥ゆかしさと存在感の薄さは何を表現しているのであろうか。
    彼女は、今にも家や風景に溶け込んでしまいそうな透明感があり、存在しているようでしていない。幽霊的でもあり、その処女性は、村や貴族の淫女性へ対抗する地点に据えられている。かといって、ロマンの女性でもあったジャンヌに目指される地点になることもない。
    後任の司祭のエキセントリックな振る舞いや呪詛や復讐と潔癖もこの風景にあって異様であるが、リゾン叔母はそこまで活性しておらず、ほぼ死にながら生きているという状態にある。彼女もいずれこの場景からすっと退場してしまうが、その存在や時間の薄さは明滅的でもあり、超近代的あるいは古代的でもある。本作にかすかに現れている彼女の人生にも注視したい。

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著者プロフィール

フランス人。1850〜93年。母の友人フローベールにすすめられ文筆に転向。最初の成功作『脂肪の塊』(1880)で一躍新聞小説の寵児となる。短編約三○○、長編数作を書く。長編に『女の一生』(1883)『ベラミ』(1885)。短編小説『幻覚』や『恐怖』は戦慄させるほどの正確さで狂気や恐怖を描写し、この狂気の兆候が1892年発病となり、精神病院でなくなる。

「2004年 『モーパッサン残酷短編集』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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