- Amazon.co.jp ・本 (173ページ)
- / ISBN・EAN: 9784102018057
感想・レビュー・書評
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ツルゲーネフの後半生の作品は憂鬱な気分にさせるものが多いです。そのきっかけとなった時期がまさにこの頃であると言われています。 ここから「あきらめなければ」という諦念がツルゲーネフを強く覆っていくことになります。 この辺りも激情家ドストエフスキーとの大きな違いを感じさせられます。 ツルゲーネフは時代を俯瞰し、達観した賢者のごとく静かな憂鬱に身を任せます。 こうした違いが文学の上にも明らかに出てくるのだなと思いながら私はこの作品を読んだのでありました。
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「日本人にも響くロシア文学の古典」
所蔵情報
https://keiai-media.opac.jp/opac/Holding_list?rgtn=B20506 -
ツルゲーネフ
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ツルゲーネフ中期の作品。
『初恋』の内容を何となく知っているだけで他の作品は全く知らなかった。今でも残っているだけあって『片恋』『ファウスト』どちらとも中々に楽しく読めた。 -
「片恋」
「[]『明日まで待とう。』と私は考えました。『明日こそ俺は幸福になるのだ…』明日こそ俺は幸福になる!しかし、幸福には明日という日はないのです。昨日という日もありません。幸福は過去のことも考えなければ、未来も考えません。幸福には現在、と云っても今日ではなく、ただ目前の瞬間があるばかりなのです。」(ツルゲーネフ「片恋」より)
「ファウスト」
「ところで僕は自分の老いてゆくのに、どうして気がついたと思う?ほかでもない、こういう訳だ。僕はいま自分自身に対して、自分の楽しい感覚を誇張して見せ、わびしい気持ちを押しのけようと努力しているが、若い時には全然それと正反対なことをしたものだ。よく自分の憂愁を掌中の玉の如く愛でいつくしんで、楽しい感じの爆発を自分で気兼ねしたものだっけ…」
「自分自身のことを空想するなんて、自分の幸福を空想するなんて、つまらないじゃありませんか、という意味だったんですの。自分の幸福など考えることはいりませんわ。そんなものはやって来やしません−そんなもの追い求めたって、つまらないじゃありませんか!それは健康と同じようなもので、自分で気が付かないでいる時は、つまりそれがあるっていう証拠なんですわ。」
「僕は一つの確信を掴んだのだ。生活は冗談でもなければ、慰みでもない。またそれは享楽でさえもない…生活は苦しい労働なのだ。欲望の拒否、不断の拒否、これこそ人生の秘められたる意味であり、その謎を解くべき鍵である[]誰でも若い時には、人間は自由なほど有難い、自由であればあるほど、それだけ発展することが出来る、とこんな風に考えがちなものである。若い時には、そういう考え方も許されるが、峻厳な真実の顔が、ついに自分を真面(まとも)に見つめるようになった時、偽りの観念で自ら慰めるのは恥ずべきことだ。」(ツルゲーネフ「ファウスト」より) -
どこかでやっていたような恋愛話。しかしロシアの純愛ものにしては、あまりキリストっぽさを感じさせない。ディープラブについて淡泊に書いた作者の勝ち。
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ツルゲーネフの「はつ恋」を読んだときは、この作家のことをあまり好きになれなかったのだけれど、今回の本を読んでがらっと変わった。明瞭で、けれどもなにかが切り落とされたかのような不安感、どちらもとても面白く、一気に読めた。
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情景の描写が凄いです。目の前に光景が浮かぶようです。
片恋・ファウスト共に「運命の恋」の物語です。激しく訪れて、夢のように去っていく恋情をテーマにかかれています。忘れられない恋をしたことのある人は、感情移入できるかもしれません。「この人のことが好きだ!」と思った時の幸福感と、その幸福感・高揚感と交互に訪れる不安・絶望感が、まさに恋している時のあの情緒不安定な様のまま描かれています。
それでいてしつこくくどくないのは、主人公の悟った心情もあるのでそうが、作家さんの素晴らしさだと思います。
記憶から消えない「運命の人」にめぐり逢ったことのある人も、今恋にひたむきな人も、恋はとりあえず放置している人も、一度は読んでも絶対に損はしない本だと思います。 -
片恋は初恋に通じるものがある物語でした。ファウストはちょっとテイストが違う感じ。片恋の方が好きです。ゲーテのファウストを知らないので物語としてちょっともったいない読み方をしてしまった気がします。
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表題の短編二編。
恋愛小説。