ガリヴァ旅行記 (新潮文庫 ス-3-1 新潮文庫)

  • 新潮社 (1951年8月1日発売)
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Amazon.co.jp ・本 (432ページ) / ISBN・EAN: 9784102021019

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  • 18世紀アイルランドの作家ジョナサン・スウィフト(1667-1745)による風刺小説、初版1726年。デフォー『ロビンソン・クルーソー』(1719年)の流れをくむ空想旅行記であり、今日のSF(空想科学小説)の源流のひとつであるといえる。異世界との邂逅を契機として、同時代英国の政治、社会、文化を批判し、ついには人間そのものに対する深い絶望が語られるにいたる。そこでスウィフトは、人間観の更新を試みようとしていたのではないかと思う。

     第一篇 リリパット(小人国)渡航記
     第二篇 ブロブディンナグ(大人国)渡航記 
     第三篇 ラピュタ、バルニバービ、グラブダブドリッブ、ラグナグおよび日本渡航記
     第四篇 フウイヌム国渡航記



    人間は、自分が属する身体や文化共同体を介した経験を通して、世界に対して適切なスケールを用いて座標軸を設定しさらにそれに基づいて座標空間を構築していく。そして、その座標空間の内部にさまざまな事象を位置づけることによって、森羅万象に意味を付与していく。この点で、人間諸個人には否応なく自己中心主義の傾向が備わってしまうのであり、さらに類としての「人間」という観念が意識されるようになって以降は、そうした個人的な自己中心主義はより類的な人間中心主義へと拡大強化されてしまうだろう(尤も、この類としての「人間」という観念が、生物学上の種としての人類を全て平等に包含しているとは限らないが)。

    本書には、人間界の代表たるガリヴァが、さまざまな異世界と接触するなかで、人間が自己を自己以外から区別し自己自身を世界の中に位置づける上で基本となる尺度(大/小)や二項対立(理性/獣性)を揺さぶられ、自分がその対比のどちらに属するのだったか、自分の本来の位置がどこであるのだったか、そうした分別を見失ってしまうという描写がいくつかある。そこでは異世界との邂逅をとおして人間中心主義が揺さぶられ相対化されているのであり、人間の無根拠で無自覚な傲りに対して反省を促しているように感じられた。

    「大小は要するに比較の問題だと哲学者は言うが、まことにもってそのとおり。運命という奴は、あるいは何処かでリリパット人に、さらに彼らよりも小さい、ちょうど彼らが我輩に対してそうだったと同じような、小っぽけな人間を発見させるという、そんな悪戯をしないとも限らない。と同時に、この膨大な種族〔ブロブディンナグ人〕といえども、あるいはどこかわれわれのまだ知らない世界の果てで、同じようにてんで問題にもならないという超巨大の怪物に出くわさないとはだれが保証できよう。」(p104-105)

    「そこでいよいよ我輩も、実は船を造るのはみんな我輩同様の動物だ、しかもわが国ばかりではない、現に我輩の旅行したどこの国でも、それを支配する唯一の理性的動物というのは常にわれわれなのである。この国へ来てみて非常に驚いたことは、フウイヌムがまるで理性的動物のごとく行動していることだった、それはちょうど貴方や貴方のお友達が、いわゆるヤフーと呼んでいられる人間に、理性らしいものを見つけて仰天しておられるのと同じことである。」(p310-311)



    人間は理性と野蛮(獣性)を二分し、自分たちは理性で以て自らの内なる野蛮を制圧しようと努めてきたという物語によって自己理解しがちであるが、実はそれは自己欺瞞であって、実際のところは理性と野蛮は密かに結託し、かつてはただ剥き出しの野蛮であっただけのものが、現代では、口数の多い理性のもっともらしいお喋りによって粉飾され、いかにも文明的に洗練された行儀作法に則って、しかしかつて以上に暴力的に、遂行されているのではないか。単純に野蛮であるだけのフウイヌム国のヤフーよりも、理性によって自らは野蛮から区別されると嘯きながらその裏では理性が野蛮を強化してしまっている文明国の人間のほうが、より深刻に悪辣だ。スウィフトの徹底した人間批判は、現代にも届いている。

    「だがそれにしても、いやしくも理性的動物をもって任じているものに、かような恐るべき極悪の所業が可能だとすれば、理性の堕落は、あるいは獣性よりもかえって恐ろしいのではないかということを、彼は惧れたのだ。だからして彼は、われわれはむしろ理性の代わりに、なにか生来の悪を助長するような特質だけをもっているものに相違ない、〔略〕、と独り思いこんでしまったらしかった。」(p324)

    「だがそれによると、其方どもは、どういう風の吹廻しか、偶然にも爪の垢ほどの理性を与えられた一種の動物であるらしい。ところが其方どもは、ただ生来の背徳を助長するばかりか、自然が与えてもいない、さらに新しい悪徳まで学ぶために、それをただ悪用するばかりである。せっかく自然の与えてくれたなけなしの能力は、これを捨てて顧みず、もとからの欠陥を、ますます増大することだけは天晴れな腕前だ、そして一生わざわざ骨を折っては、欠点を殖やす工夫発明を凝らしているようなものである。」(p341)

    「我輩は、自分の家族、友人、同胞、あるいは人類一般といったものを反省してみると、どうもその形態からみても、性質からみても、まぎれもなくヤフーに相違ないように思えるのである。ただほんの少しばかり開けていて、言葉を話す能力を持っているとはいうものの、理性はかえって悪徳を助長、倍加することに悪用されるだけで、その点では、自然が与えただけの悪徳を、ただそのままでもっているこの国のヤフーどもの方が、まだましなくらいであった。」(p371)

  • 幼少期に児童文学で読んだ記憶ではこびとのいるリリパッド小国のみ紹介されていた気がして、他の巨人の国やラピュタやヤフーの世界観は初めての体験。これを児童文学にまで落とし込んだ方も物凄いと思うけれど、完訳版を読むと大人であればあるほど強烈な風刺描写に、こんな物語だったの?と驚かされると思う。
    当時のイギリスの人間や風潮や文化が批判的に表現されていて、世界史を勉強した当時の自分が“当時のイギリス人って野蛮であまり好きになれないな”と感じていたそのものを著者と共感できる部分が多く感じた。

  • ガリバーと言えば巨人を連想される方も多いでしょう。第1章のリリパット、いわゆる小人の国のお話です。

    ただ、スウィフトの作品の本質は人間社会への痛烈な批判にこそあります。しかし、小人の国(第1章)や巨人の国(第2章)が注目され、ガリバーの単なる冒険譚として見なされがちであることは、スウィフトにとってはなんとも皮肉なことです。

    まずは第3章。「空飛ぶ島・ラピュタ」のお話から。ラピュタは島国バルニバービの領空域を自在に移動することができる飛島です。

    ラピュタの民は誰もが科学者であり、常に科学について沈思黙考しています。そのために心はいつも上の空。ときどき、正気に戻るために頭を叩く「叩き役」なる者を連れています。

    ラピュタの科学は優れていながら、それが実用に活かされることはなく、「学問のための学問」に過ぎませんでした。スウィフトは「科学は人類に貢献すべきもの」と考えていたため、人類に貢献しないラピュタ人のような科学知識は、まったく無用の学問と見なしました。

    また、地上のバルニバービは豊かな国でしたが、空に浮かぶラピュタ国に常に搾取される存在でした。そのため、バルニバービの住民には生気がなく、街は荒れ果てています。

    仮に、バルニバービで反乱が起きれば、ラピュタの国王は島を反乱の起こっている場所の上空に移動させ、太陽や雨を遮り、その地域の農業を破滅させ、飢餓と病を与えます。酷いときには、ラピュタを島ごと下降させ、街を力任せに押し潰して鎮圧させます。

    ラピュタを後にしたガリバーは、グラブダブドリッブという小島を旅し、魔法使いの種族と遭遇します。

    彼らは降霊術を心得ており、ガリバーは歴史上の偉人を呼び出しました。その結果、彼らがいかに堕落した不快な人物であったかを知ることになります。スウィフトはここで、幾世代間もの人間性の堕落がいかに根強いものであるかを、示そうとしています。

    高貴な時代からの退化という形で人類の進歩を示すことにより、現在の人類は堕落しています。しかし、かつてはその堕落も甚だしくはなく、まだ救いようがあったことを伝えようとしているのです。

    次にラグナグという島にたどり着いたガリバーは、この島国に不死の人間がいることを聞かされます。ガリバーは自分も不死であったなら、いかに輝かしい人生を送ることができるだろうと夢想します。しかし、彼らは不死であるものの、不老ではありません。そのため、老衰から逃れることはできず、80歳を過ぎると法的に死者として扱われ、以後、永遠に老いさらばえたままで、世間から厄介者扱いされるのです。悲惨な境涯を知らされたガリバーは、むしろ
    死とは人間に与えられた救済なのだと考えるようになりました。

    そして最終章のフウイヌム国(馬の国)。フウイヌムは、平和で非常に合理的な社会を持つ、高貴かつ知的な馬の種族です。この国では、戦争や疫病や大きな悲嘆を持つことはありません。

    そしてこの国には、フウイヌムを悩ませている、ヤフーと呼ばれる生物が住んでいます。ヤフーは、人類を否定的に歪曲した野蛮な種族であり、ヤフーの中には退化した人間性が存在しています。

    ヤフーは酩酊性のある植物の根によるアルコール中毒に似た症状を持っていて、絶えず争い、輝く石をむやみに求めています。ガリバーはヤフーの行動に、特に理由もないのに同種族で争いあう習性と戦争を引き起こす醜さとは、まるで人間そっくりだという発見をします。

    そしてガリバーは、自分は人間ではなく、ヤフーであり、また自分の住む世界にいる人間たちもヤフーであると信じるようになります。以来、ガリバーは(自分は俗世間に塗れた故郷には戻りたくない。自分はフウイヌムでありたい)と切望し、己がいかにフウイヌムによって啓蒙されたかを語るのです。

    しかし、ガリバーは故国に帰ることになります。それでもガリバーは、自分の「人間性」から遠ざかろうと考え、最後は半ば、厭人的になります。これは、ガリバーという虚構の世界に仮託した、スウィフト自身の姿でもありました。

    スウィフトは『ガリバー旅行記』をとおして、人間の醜さや愚かさを徹底的に暴こうとしました。この作品が書かれたのは、今からおよそ300年前ですが、それでも今なお、この『ガリバー旅行記』が読み継がれているのは、偏に「人間にある普遍的な人間の心の不純さ」を鋭く指摘しているところにあります。この負の普遍性に気付いたスウィフトの眼差しは、現代に生きる僕たちにまで、鋭く射抜かれていると言えるでしょう。

  • ラピュタは数学者の風刺らしい。
    日本も少しだけ出てきます。

  • イメージと違ってゴリゴリの風刺小説だった。
    スウィフトの時代から300年経った今でも人間が理性的な種族なんてはたから見たら言えるわけないよなあと感じた。

  • 再読。いやはや、これを児童文学に置換した人ってすごいな。見事のほどの風刺文学。イギリス風のシニカルな視線が痛いぐらいである。

  • 子供向けの童話的なものと思い込んでいたけど、辛辣な文学だった!ただ、面白かった!

  • 読んで良かった。ぐわぁああ。っていうのが感想。だから、読んで良かった。

  • 第三章、第四章がおもしろい。
    風刺、厭人などで形容される作者だが、
    それを旅行記という形のファンタジーに消化して
    純粋に物語として数百年たっても楽しませてくれるから流石。

    第三章の不死の幻想に対する諦念の流れも
    うまく舞台設定を作ってその辛さが伝わるようになっている。
    また各国へたどり着くと必ず言語の習得経緯の描写がなされる。
    随所で細かいリアルな設定を丁寧に施しているのに
    冗長にならないように描いているから読みやすかった。

    最後の国に出てくる醜穢な生き物ヤフーの描写からは
    スウィフトが本当に人間が嫌いなのが伝わった。
    それでもそのヤフーがいまのyahooの語源であり、
    また家畜人ヤプーズを通して、
    大好きなバンドヤプーズの語源にもなったことを思うと
    本当読者に愛される良い創作をしたと思う。

  • いろんな不思議な国へ行く話。

    「少年少女世界文学全集」にて。
    なにやら当時の社会風刺の描写もあるらしいけど記憶にない。

  • (1997.09.02読了)(1979.11.18購入)
    内容紹介 amazon
    船員ガリヴァの漂流記に仮託して、当時のイギリス社会の事件や風俗を批判しながら、人間性一般への痛烈な諷刺を展開させた傑作。

    ☆関連図書(既読)
    「宝島」スティーブンソン著・坂井晴彦訳、福音館書店、1976.10.20
    「ドン・キホーテ」セルバンテス著、岩波少年文庫、1987.11.18
    「西遊記(上)」呉承恩著、岩波少年文庫、1955.02.20

  • 主人公が第一章から第四章まで、それぞれ小人国、大人国、ラピュタ、フウイヌムの国を巡る話。

    旅行記として、小人や巨人や空飛ぶ島などが登場し、それらの国での一風変わった生活も面白かったが、それよりも主人公にとって全くの異国で、人間の悪徳に貶められそうになったり、ことさら人間の悪い部分が強調されているのが印象的だった。

    特に第四章ではフウイヌムという美徳のみを備えた生き物が登場し、それらと共に生活することによって主人公が人間への嫌悪感を強めていく様は強烈だった。

    最後の解説には、作者は「この本は人を怒らせるために書いたのである」という旨の事を手紙に書いているとある。
    一方で、作者は主人公ガリヴァに、この本によってほんの少しでも人間の悪弊が改善されることを期待するという旨の事を言わせている。ただ改善される様子は依然見られず失望している様子が書かれているので、作者は人間の悪徳は改善の余地のないものと考えていたのだろうか。

  • フウイヌムが一番面白かった

  • 物語としては有名だけど、ちゃんと読んでみるとただの冒険小説じゃないし難しい言葉もいっぱいでてきてびっくり。
    当時のイギリスは愛国心が強いのかなあと思います。

  • もうビックリ。ガリヴァは4回も航海に出ている。有名な、小国(リリパット)に行くのが第1編。大人国(ブロブディンナグ)に行くのが2。雲の上の国(ラピュタ)が3。馬が最高権威である国(フライヌム)が4.後半になるほど、ガリヴァの人間に対する嫌悪感があらわになってくる。時代背景もふまえて読み込みたい1冊。

  • 読んだことのない人でも、第一篇と第二篇のストーリーを知っている人は多いはずです。
    映画化もしましたし。

    もちろん前半の二篇も面白いですが、それ以上にこの作品の特長は、右肩上がりに増していく「風刺」です。

    ストーリーとしても、とにかく奇想!
    そのスケールの大きさと細かな描写は圧巻です。

  • この作品の主人公は冒険狂であることは疑いないが、
    前半、中盤、後半と、少しずつ人間として変質しつつある様に感じた。

    特に後半においては、人間の匂いを毛嫌いするほどに、
    祖国に帰ることすら願わないほどに変質していった様に思う。

    人間であったり、その人間が織り成す社会や政治や環境に強く嫌悪を催す様になったあたりで少しこの人間はおかしくなってきている兆候が見てとれた。

  • こういうのは好き

  • 老若男女問わず、愛読されている作品です。

    ファンタジー要素が強い冒険譚ですが、
    各篇の風刺に著者の思いがこめられています。

    その風刺を感じ取るのは難しく思う。ラピュタはよくわからなかった・・・。

    第四篇「フウイヌム」は人間の醜さ、目指すべき人間像をあらわしていて個人的に好きだ。

  • 324夜

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著者プロフィール

ジョナサン・スウィフト(Jonathan Swift)(1667 - 1745)
アイルランド生まれの英国十八世紀を代表する作家。『控えめな提案』『書物合戦』『桶物語』などの作品がある。

「2021年 『ガリヴァー旅行記』 で使われていた紹介文から引用しています。」

ジョナサン・スウィフトの作品

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