トニオ・クレーゲル ヴェニスに死す (新潮文庫)

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感想 : 82
  • Amazon.co.jp ・本 (259ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784102022016

作品紹介・あらすじ

精神と肉体、芸術と生活の相対立する二つの力の間を彷徨しつつ、そのどちらにも完全に屈服することなく創作活動を続けていた初期のマンの代表作2編。憂鬱で思索型の一面と、優美で感性的な一面をもつ青年を主人公に、孤立ゆえの苦悩とそれに耐えつつ芸術性をたよりに生をささえてゆく姿を描いた『トニオ・クレーゲル』、死に魅惑されて没落する初老の芸術家の悲劇『ヴェニスに死す』。

感想・レビュー・書評

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  • 厳めしい文学者、貴族の称号を持つグスタフ・アシェンバハはある日の散歩途中、突然旅への誘いに見舞われた。理性的な彼は芸術に倦んで、疲れたからだ。はたして、内面の旅でもあり、ヴェニスへ導かれる旅の始まりだった。

    映画「ヴェニスに死す」を私は先に観た。よくわからなかった。

    その後、ヴェニス、すなわちヴェネツアを訪れたことがある。まるまる2日間、街を、路地をさ迷いサン・マルコ広場でゆっくりとし、リド島にも渡った。

    行ったと行かないではかくも認識がちがうものものなのか。当然だが文学「ヴェニスに死す」は描こうとしているころのものが、ヴェネツアの風物と深いかかわりを持っている。

    行った人はわかるだろう、水に浮かんでいるまぼろしのような古い建物、丸い屋根。あの運河の臭気、ゴンドラのまがまがしさ。100年経っても変らないその姿。

    「ヴェニスに死す」だから、最後は死ぬのだが何ゆえにか?文学の香ただようミステリーと言ったら失礼だろうか。芸術もミステリアス。

    ギリシャの時代から極めてきた美の究極はどこにあるのか。感性は理性をも覆うのか。若さに老いは脆いのだろうか。

  • ヴィスコンティ映画で広く知られている小説。
    今回のコロナウイルス禍において、カミュの『ペスト』が再評価されていますが、私が思い出したのは、この本でした。

    ヴェニスにコレラが蔓延し始めますが、観光客の足が遠のくことを恐れた街はかん口令を敷き、ひたすら隠蔽します。
    それでもまことしやかに、コレラの危険がささやかれるようになり、少しずつ人が減り、街に消毒液が巻かれるようになっていくヴェニス。
    美しい保養地が、次第に死都の様相を見せていく不気味さが描かれています。

    久しぶりに再読してみると、これまでずっと規律に沿って厳格に生きてきたドイツ人作家アシェンバハが、ヴェニスの海岸で出会った少年タージオの美しさに魅せられ、生命の輝きに惹かれていくていく様子が丹念に描かれています。

    雲が立ち込めた薄暗い場所から明るくまぶしい場所へ。
    観念的な世界から美しさの世界へ。
    理性を捨て直感を選ぶ考え方へ。

    ヴェニスという風光明媚な観光地と、そこで見た蠱惑的な美少年。
    その二つに魅入られた老作家は、死をもってしてもその刹那、輝く幸せの中にいたのだろうと、改めて思われる内容となっています。

    独特な内容で、読む人にとっては、耽美的と思われるかもしれません。
    この老作家の行動は、実際にはかなり変質者のそれなのですが、格調高い文章効果か、犯罪的要素は特に感じられません。
    主人公はただ少年を「完璧な美」として眺める喜びに浸っているだけなので、むしろ純粋な賛美に思えます。

    最初に読んだ十代の時には、同収録の『トーニオ・クレーゲル』の方が刺さりました。
    自分には持ちえない、持って生まれた美しさと華やかさを持った人々への劣等感と憧れが詰まった作品で、同じコンプレックスを持ったことがある人は、傷口をえぐられるような痛みを感じることでしょう。
    それでも私は十代でこの本に出合えて心が軽くなったので、ほかの悩める青少年たちにも勧めたいです。

    ノーベル文学賞受賞者で、『ブッデンブローク家の人々』『魔の山』など読み応えのある大作を世に残した作家、トーマス・マン。
    この本は薄いので、彼の作品を何か読んでみたいときに、程よい長さです。

    表紙絵の美しさ。

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  • 表題二篇が収録された本作。『ヴェニスに死す』が読みたくて手に取りました。
    初老の芸術家アシェンバハは旅行先のヴェネツィアに滞在していたところ、同じホテルにポーランド人家族が居るのに気付く。その家族のなかに美少年タージオ(タジュ)を見つけ、一目で心を奪われてしまう。アシェンバハは遠目から海辺で姉たちと遊ぶ少年をじっくりと眺める時間が至福となり、次第に少年の後ろを付けたり、視界に入ることに喜びを感じるようになる。

    アシェンバハの行動は傍から見れば変態的です。自分の子どもほどの年齢の少年に熱を上げ、自らを滅ぼす道へ突き進んでいきます。
    ではアシェンバハにとって少年に出会ったことは破滅の始まりだったのかと聞かれるとそうには思えません。アシェンバハは少年に“完璧な美”を見出すことになりました。それは芸術家にとっては本望であり、不思議と純愛に映ります。
    陶酔、耽美。そんな妖しげな世界観に引き込まれる作品でした。

  • 読み切った!やったあ!という気持ちが強い。

    どちらも芸術家を主人公とした話で、その精神性がフォーカスされている。自分を俯瞰する視線から絶対に逃れられないことについての嘆きはよくわかる。そういう人が芸術家なりえるということも。「ヴェニスに死す」はここから脱しようという老年の男の話である。芸術家というか、何かを創ることにその心を捧げている人というのはめちゃくちゃ人間な気がすると思った。
    どちらの小説も純粋な読み手(創るということをしない人)が読んだら、どんなふうに思うのだろうか。

  • とても良い本 特にトニオ・クレーゲルは学生にすすめたい

  • コロナ騒動でカミュ「ペスト」を読み、さて次はと本棚から取り出した。
    「ペスト」よりもどちらかというと「ヴェニスに死す」や「ゾンビ」や「ノスフェラトゥ」など頽廃に惹かれるタチなのだ。
    そもそもヴィスコンティ「ヴェニスに死す」は生涯ベストに入る。
    (ちなみにヴィスコンティはカミュ「異邦人」も監督している。最近の読書をこっそり架橋していたのだ。さらにドストエフスキー「白夜」も入れて文豪映画化シリーズに入れておきたい)
    それで読んでみて。

    「ヴェニスに死す」
    びっくりするくらい原作に忠実な映像化だったのだ。
    というか小説を読むと映像が鮮烈に甦る。
    違うのはアシェンバハの職業くらいか。
    思うだに奇蹟の采配と執念が完成させた映画なのだろう。
    ところで小説は映画と違い人物の内面に比重を置くが、本作の語り手は結構アシェンバハから距離を置いている。
    とはいえ映像と重ねることでより立体的に迫ってきて、今回小説を読んで一番の収穫だったのは、
    アシェンバハがはっきりと「疫病との共犯意識」を持っていたと書かれていることだ。「理性を越えた甘美な希望」とも。
    老境迫る壮年が「あちらがわ」に行くきっかけはタジュウだが、その背中を押したのはコレラだったのだ。

    「トニオ・クレーゲル」
    は事前知識を特に入れず、流れで読んでみた。
    が、まったく他人事とは思えないし、既視感たっぷり。
    まずは絵柄。小説にこういうのはなんだが、はっきり萩尾望都先生の絵で浮かんだ。
    そして既視感はヘッセ「車輪の下」からも。単純に似ているのだ。
    少し離れるが宮沢賢治「銀河鉄道の夜」のジョバンニのカムパネルラに対する憧れも連想(ここまで行くと脱線だがのび太と出木杉をジョバンニとカムパネルラに重ねることもできそうだ)。
    極私的には宝塚「激情ーホセとカルメン」(1999年の姿月あさと、花總まりを中心とした宙組による初演時)も連想。
    要は生真面目な人物が劇的な恋に死ぬ話に、一言では言い尽くせない感情を抱いてしまう。
    表面的には「激情」に比されるのは「ヴェニスに死す」なんだろう。「あちら側へ行く」話だから。
    そして「トニオ・クレーゲル」は「芸術家」ー「市民」という対立軸を作った上で、「市民的気質を保つ芸術家」に落ち着こうという結論だから、ちょい違う。宮崎駿ふうに言えば「生きねば」に落ち着くのだ。
    が、もはやここまで来たら死ぬも生きるも恋も鈍感もどちらも同じでどちらでもよいような地点に行きつくのではないか。
    おそらくこの「遠くへきてしまった感じ」は萩尾望都先生も皆川博子先生も同意してくれるのではないか。
    終盤に「あの男女」が再登場するが、「ただの似たカップル」という説もあるらしい、が、もう当人でも空似でもどうでもいいところに、トニオは来ているのだと思う。
    選民思想インテリ向けに書かれている部分は確かにあるだろう。
    が、決して凡人にも無縁ではない、というか思春期を一度でも体験した者には全然他人事ではないことが、書かれている。
    構成も描写も多少退屈で迂遠なところはあるが、なんでもソナタ形式なのだとか。
    この堅牢な構成には、再度注目しつつ読み返してみたいところ。
    三島由紀夫や北杜夫など連想の幅も広がった。いずれ「魔の山」にも挑戦すべきだ。

  • トニオ•クレーゲルは、進路に悩む青年すべてに読んで欲しい佳作だ。

  • 一応小説であり分野としては教養小説に属する内容だけれど
    時代に即し
    近代化を迎えて宗教に頼らずいかに文章描かれたお話で芸術を表現するか
    日本でいえば
    明治時代に大衆娯楽読み物から離れて小説を確立したころのようすに
    似通ったころを感じさせる作品
    純文学とか言われると文章実験の高等かはともかく高踏なそれという印象だが
    このころの小説は純をつけずとも濁らず文学の味わいである

  • 表題のとおり2作品を収録。
    どちらの作品も共通しているのは、主人公は文芸家(詩人・作家)で、叶わぬ恋をしており、叶うところまでいかないところに美や陶酔を感じている。と、これだけ書くとなんだか進展がなさそうな感じがするが、実際進展がない。ストーリーとしてはあまりメリハリがないが、その一瞬一瞬の詩的表現が耽美的でどちらかといえばそこを楽しむ話だと思う。
    進展のない話だが、ここで下手に主人公がアクションを起こして失敗して・・・なんて展開になると逆に野暮な気もする。
    『ヴェニスに死す』では美少年をストーキングしたり、かなりアウトに近い行動もあるが、ギリシャ神話すらも持ち出して表現する己の恋心情の圧倒的詩的表現によりなんだかそのあたりぼんやりグレーにまでぼやかしている効果もあると思う。名声を得た作家からラストへの変化は本人にとっては本望なのだろうが、どことなく哀愁誘うのはなぜだろう。

  • 大作「魔の山」の前に、トーマス・マンの雰囲気をつかもうと思って読んだ。「ヴェニスに死す」は別の訳で読んだので割愛。「トニオ・クレーゲル」は魔の山を読む前に読むには丁度いい小説だと思う。多少、観念的で暗中模索気味な読書になるが、読み通せば感じるものはある。傷口が拡がるような感覚じは読み通して良かったと思えるものだし、再読しがいのある作品だと思う。三島的感性というよりも芸術や青春に対する憧れや愛着といったものを見つめている。途中少し集中が切れそうになったが読み終えてよかった。読み通す価値のある小説だと思う。

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著者プロフィール

【著者】トーマス・マン(Thomas Mann)1875年6月6日北ドイツのリューベクに生まれる。1894年ミュンヒェンに移り、1933年まで定住。1929年にはノーベル文学賞を授けられる。1933年国外講演旅行に出たまま帰国せず、スイスのチューリヒに居を構える。1936年亡命を宣言するとともに国籍を剥奪されたマンは38年アメリカに移る。戦後はふたたびヨーロッパ旅行を試みたが、1952年ふたたびチューリヒ近郊に定住、55年8月12日同地の病院で死去する。

「2016年 『トーマス・マン日記 1918-1921』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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