魔の山 下 (新潮文庫 マ 1-3)

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感想 : 39
  • Amazon.co.jp ・本 (806ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784102022030

感想・レビュー・書評

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  • くっそムカつくしイライラする展開ばっかりなんだけど文学作品として最高峰のレベルに位置しているのはわかる。不条理をありありと描いた小説。

  • ドイツ教養小説。
    ドイツにはそんなジャンルがあるのかと尻込みしてしまう。

    職場が変わって1年。
    『文章の改行は文節ごとに。単語の途中など、意味上の切れ目でない場所で改行するのは美しくない』という社内のルールに、どうも馴染めない。任意の場所で改行して良いなんて学校では習わないはずなのに。
    そんな時、上巻322-323頁を開いて唸った。1度も改行のない見開き。これだ、これだよ。

    いつか読んだネットの記事で、保守と革新の分岐点についての解説があった。
    曰く、人類の進歩の可能性をどう評価するか、にあると言う。
    人類は過ちを犯すし堕落もしてしまう。従って過去の教訓を活かして再発防止を積み重ねるしかない。特定個人に依存するのは危険であると考え、過去から学ぶ、あるいは(堕落する前の)過去に戻ろうとすると、保守的になる。
    いや、人類は進歩することができるし、これまでにない新たな価値や枠組みを構築できる。過去にはなかった何かを提げた特別な誰かが現れる日が来る。進歩を信じて新しいものを求めると、革新的になる。
    確か、そんな話。

    俗世から離れて療養に専念するする環境で、直子とレイコさんにも出会うんじゃないか思っていたら、順番はその逆。ワタナベが阿美寮に持っていくのが魔の山だった。
    なんだってそんな本を、とレイコさんは言う。そりゃ言うよな、無事には出られぬ天国地獄。

    (物語を終えるのに)まさか7年とはかかるまい、とまえがきで筆者が言い、3週間で旅は終わると主人公が繰り返し言う。結局主人公は7年滞在し、筆者は物語を終えるのに12年を費やした。
    最初の数日がたっぷり時間をかけて描写される。
    変化に富む毎日とは、その時はあっという間に過ぎていくように感じるかもしれないが、振り返れば長く感じる。一方で規則的で単調な時間は、振り返って見ればただの1日に過ぎないように感じられる。そんな話が挿入される。
    すると、物語の中の時間がどんどんスピードアップして行く。まさに規則的な毎日が圧縮されて進んで行く。
    物語の中で、時間は完全に支配されている。

    話の中で、人類の進歩を信じた教師は、ライバルを失い、生徒も失った。自身の命もそう長くはなく、仕事は達せられそうにない。
    人類に懐疑的だった宗教家は、傷つき憤った挙句に自死を選んだ。
    その後には、保守も革新もない。戦争がやってくる。

    主人公の内面に寄り添って来たところから一変。
    従軍が始まるや、描写は急に彼から距離が取られる。よく知った家族・友人が・知人が戦場を駆けて行く。一体何の為に?
    そして堪らず作者が主人公に語りかける、『さようなら』。
    長く困難な物語に付き合うのは率直にいって退屈で苦痛でもあったが、こうして終わる頃には感慨も少なくない。不思議なもので、物語を通していつしか心情も支配されていたんだろうか。

  • 1924年に出版された小説にこんなに共感出来るなんて意外でした。「精神と肉体」だとか「生と死」だとか「愛」だとか「時間」だとか、そういったかたちのないもの、理屈で解明出来ないものとはやはりいつの時代にも不変のテーマなんですね。そしていつの時代の人々も、同じようなことを感じ同じようなことに苦しみ同じような結論を出す。面白い。本当に面白い。

  •  ついに読み終わりましたよ、上下巻1400ページの大作!

     若い時なんで読まなかった、いえ、読めなかったのでしょうね。大作ということならもっと長大編を読みましたものね。でも、とにかく夏の暑い盛りに(豪雨もありましたが)汗かいてよくこの歳で読めたと自分で感心してます。

     作家倉橋由美子さんは病気になるとベットに持ち込み読んで、読み終わると病気が治るのが理想だそう(『偏愛文学館』)10年ごとに読みたくなったそうですが、そんなに病気になるのはちょっとどうも、ですよね。

     主人公のハンス・カストルプがスイス高原のサナトリュウムへ、いとこの見舞いに行ったら自分も結核になっていたということがわかり、いっしょに入院、療養に長き時を過ごすその間に、いろいろな人たちがああでもないこうでもない。

     ストーリーは複雑ではありませんが、登場人物達のセリフというかおしゃべりが摩訶不思議なので、なかなか噛み応えがあります。

     考えさせられるような、しかしわけのわからないような登場人物たちの御託、まじめなんだかどうなんだかですけど、ちょっとユーモラスでもありかつ大変勉強になります。

     ハンスが不倫の恋に落ちるクラウディア・ショーシャ夫人は、竹久夢二が描く女性のように「くんにゃり」としているようにわたしは感じました。『トニオ・クレーゲル』に出てくる少年達のように、ハンスが少年の時に好きだったプシービスラフ・ピッペ少年にその夫人がそっくりなところもちょっとドキッとします。思わず『トニオ・クレーゲル』も再読してしまいました。

     これはほんのさわり、内容は思索的、精神的なことに色濃い作品です。当然ですよね、ノーベル文学賞作家ですもの。しかし、純真無垢なハンス青年がスイスの恵まれた療養所でゆっくりと(7年も!)思索的人生勉強なんて、やっぱり物語だからです。

     トーマス・マンはこの物語で「時の流れ」ということを、とてもうまく表現していると思います。あれもこれも時の過ぎ行くまま、読み終わってほっとしております。

  •  上下巻の大長編なので読み通すのに精一杯、というのが正直な所だが教養小説を志向しただけに、様々な、そして趣の異なった魅力がふんだんに詰まった小説だった。
     第一としてはセテムブリーニ、そしてナフタとの議論、この部分が通読して一等面白かった。第二はシャーシャ夫人との恋の行方だろうか。第三にはマンの本作における時間感覚。小説内の時間の問題についてはジュネットの『物語論』を適用させられるのだがそれだけでは済まない〈魔の山〉独特の時間の流れ方を考えてみるのもよいかもしれない。
     
     続けようと思えば何処までも続けられる類の小説なのだろうが、一応の筋はあるので、それに関して思った事と言えば、これは獲得と喪失の話なのだろうな、という事。なるほどハンス・カストルプなる青年は教化されて上巻に比べれば一端の論客になれそうなくらい、知恵はついたし深く物事を考える態度を得た。その一方で、親しい人々が次々と死んでいく。この経験は果たして青年ハンスに何をもたらしたか、そこに内面の成長を喚起させるものがあったか、まああったのだろう、敬虔さを身に着けたのかもしれない。それにしても親しい人の相次ぐ〈死〉という喪失による精神的ダメージを次々と経験していくさまが痛ましいとは思えないか。わたしならこれは堪らない。後追いというわけではないが、ハンス青年は切実な心持ちで〈死〉に接近していたはずだ。
     しかしながらマンもあこぎな事をする書き手で、ハンス青年は病が癒えてしまう。結核療養所である〈魔の山〉においては、死神がすぐ横に侍している病人ばかりである。その中でハンス青年は〈魔の山〉においてはストレンジャーになりうざるを得ない。快癒したのならば下山すればよいのだが、彼は幼い時に両親を失っていて、七年間も過ぎたら彼の帰りを待つ人や場所(勤め先)もなくなった。死神に去られたハンス青年は〈魔の山〉の居住資格を失って、かつ帰る場所もない。喪失したアイデンティティーである〈死〉を求めて、あるいはヨーアヒムの果たせなかった軍務を代理して成就させるためを以て、いずれか、それとも両方の理由から第一次世界大戦に出征したのではなかろうか。
     
     この幕引きのための最後の十ページほどの中に戦場に臨むハンス青年の心理や思考は詳しくは描かれない。解釈に正解も間違いもない、マンが答えを示さなかったのだから読んだ人間の数だけ解釈があってよいはずで、なので幾つか『魔の山』論を読んでみたい気にさせた。読み終えてもまだまだ考えたい事柄が残るというのが名作の条件だと個人的に思っていて、その点からすれば本作は紛うことなき名作である。

  • アプリによると、上巻を読み終わったのは2012年のことらしい。今から8年前です。
    長い年月をかけて、久しぶりに読書を再開して、読み進めてようやく読み終わった。再開するまでは、この本は難しくて面白くもないという印象だったが、久しぶりに開くとなんと面白い本じゃないかと思った。
    特に第6章の雪という節には非常に引き込まれた。巻末で、この本の所謂山場はここだという文を読んで納得した。つまらない感想だと思うけれども、人生の煌めきと刹那が詰まっている。
    人物も魅力的。ハンスもヨーアヒムも、ナフタもセテムブリーニも、ショーシャもペーペルコルンも、ハンスをめぐるたくさんの人々が現れては去っていく。人生はどれも儚いものだけど、皆それぞれがたくさんの人との出会いや出来事を経験している。ハンスはこのまま歴史の渦に消えていくのかもしれないけども、この本を通して私たちは一人の些細な青年の人生を経験する。

  • まるで時間の流れそのものを描こうとするかのような
    非常に挑戦的な試みだと感じた。
    面白いか、面白くないか以前にとにかくすごい!
    よく書こうと思ったな、という印象。
    壮大な試みが作品として成立していることがすごい。
    (執筆に8年くらいかかっているとのこと)

    本作はストーリーを楽しむタイプの小説ではない。
    ストーリーの進行に対して費やされる文章の量が半端
    じゃなく、説明的すぎる文章も多いので退屈に感じる場面もしばしばあった。何度も途中で読むのをやめようと思ったが、辛抱して読了。忍耐力がいる作品だった。

    この作品のすごいところは舞台である療養所、ベルクホーフに流れる時間を実体験できる(ような気がする)ところである。
    うまく言えないが作品の中に独特な時間が流れている。こういった試みの成功により文学の可能性をさらに広げたことが魔の山が世界的名作として永きにわたり読み継がれる所以なのだろう。

  • まさかの結末に、とにかく衝撃。あんな終わり方するなんて、これまで連綿とただただ綴られた物語の幕が、一瞬にしてスパンとシャットアウトされたような、とにかく嘘でしょって言いたくなる終わり。物語自体は面白いとか、つまらないとか、そんな感情なくただただ日常を歩むように紡がれている。今まで読んだことのないタイプ。
    強いて言うなら、下巻よりは上巻の方が好きかも。

  • セプテムブリーニさんの論敵ナタフが現れて尚更ちんぷんかんぷん。更にそこに、憧れの女性が連れてきた偉大なるオランダ人が加わり、ハンスは様々に啓蒙され教科され、考えを深めていく。しかしいとこやオランダ人、ナタフが退場していく終盤、物語の行方は不穏になっていく。霊能力のある少女があらわれ、療養所は荒れていく。そして主人公は戦争の為下界へと降りることになる…ラストはなんだかあまりキレが良くないというか、だらだらして終わってしまったなと思ってしまった。ハンス自身が降りる決意をしたとか、あるいは人生を終えてしまうなどすべきだったのではと思うが、最後に「君のこんごは決して明るくはない。」という不穏な予言が、魔の山を降ってしまったハンスと、その戦場での描写にて、 対比するように魔の山の妙なそそりたつ明るさの魅力を印象付けられるように感じた。

  • なるほど、詰め詰めに詰め込まれている。
    科学と自然、病と健康、人文主義と虚無主義。西欧と東洋。富。隷属。音楽。恋愛。戦争。

    これだけてんこ盛りにされていれば、この本を脳内に分類始末をつけるに際して、気圧されたように「これは教養文学である」と言って逃げたくなる気は分かる。

    逃げずに、ここに書いてあったことを整理してみようとすると、時間をくださいと言いたくなるのが正直なところ。しばらくかけて(下手したらこの後の人生をかけて)考えてみる。

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著者プロフィール

【著者】トーマス・マン(Thomas Mann)1875年6月6日北ドイツのリューベクに生まれる。1894年ミュンヒェンに移り、1933年まで定住。1929年にはノーベル文学賞を授けられる。1933年国外講演旅行に出たまま帰国せず、スイスのチューリヒに居を構える。1936年亡命を宣言するとともに国籍を剥奪されたマンは38年アメリカに移る。戦後はふたたびヨーロッパ旅行を試みたが、1952年ふたたびチューリヒ近郊に定住、55年8月12日同地の病院で死去する。

「2016年 『トーマス・マン日記 1918-1921』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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