饗宴 (新潮文庫)

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  • Amazon.co.jp ・本 (218ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784102027028

感想・レビュー・書評

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  •  文学作品として味わうには素養が足りなかったが、心に響いたフレーズを一つ引用しておきたい。
     「美しくないものを、ただちに醜い、とするとか、善でないものを、ただちに悪、とするとか、強引なことをしてはなりません」
     0と1の間には無限のバリエーションがある。美を語る場合も例外ではないのだ。

  • 私の教養の浅さが露呈。

    結局エロスとはなんだったのだろう。。。

  • プラトンの作品の中でも特に文学的な作品と言われているだけある。
    話の持っていき方やアルキビアデスの登場などは戯曲的な臨場感に満ちており、ぐいぐいと作品の世界に引き込まれた。

    『饗宴』は、悲劇詩人アガトーンの入賞を祝う酒席で、
    五人の仲間たちが愛の神エロースを讃美する即席演説を試みた、
    というのをソクラテスの付添いでその場にいたアリストデモスが話す報告形式の作品。

    演説の順番は、
    パイドロス→パウサニアース→エリュクシマコス→
    アリストパネス→アガトーン→ソクラテス。

    パイドロスは権威主義的に、
    パウサニアースは相対主義的に、
    エリュクシマコスは自然哲学的にエロースについて説く。

    アリストパネースの話は純粋に物語のようで面白かった!
    かなり要約すると、昔、人間は男・女・両性の3種類に分かれていた。
    それらは二つの頭に4つずつの手足を持っていたが、神に謀反を働いたために半分にされてしまい今の男と女になった。
    ゆえに現在の私たちは昔の片割れを求める気持ちから、男もしくは女を求めるのだ云々。

    五人目の最後アガトーンは飾り立てた美辞麗句でエロースを讃美するが、直後にソクラテスの短い問答相手をさせられ否定される。
    この否定っぷりが痛快!

    ソクラテス自身は、ディオティーマという女性を引き出して、かつて彼女がソクラテスに教えたエロースについて話す。

    そしてソクラテスが演説を終えた途端にアルキビアデスが登場するが、ここからが更に愉快!
    エリュクシマコスが彼にも「エロース」を讃美する演説を進めるが、ソクラテスの前で彼以外を讃美なんてできない!と、「ソクラテス」を讃美し始める。
    アルキビアデスの話から、ソクラテスが日常生活でどのように愛を実践していたかが垣間見える。

    訳者である森進一の解説も丁寧で興味深かった。

  • 20190812
    ソクラテスが出てくるプラトンの著作で、饗宴の中で愛=エロースについて語る作品。およそBC380年の著作。
    設定は、饗宴に呼ばれたメンバーで酒を交わしながらエロースについて持論を展開する。アガートン達の一般メンバーは愛とは完璧なるもので、求めてしかるべきものと説くが、一方のソクラテスは、愛とは美しいものと醜いものの中間地点にあるものであり、中間であるがゆえにそれを求め、永遠に取り込みたい・得たいと思うものなのだと説いて説得する。
    ソクラテスの議論方法がやはり面白い。相手の語った前提を一つ一つ繰り返しながら、矛盾を指摘し自分の議論に導いていく。弁論法の参考になる。
    また、愛とはという今も昔も普遍なテーマをここまで掘り下げている点に知恵を感じた。どういう性質を持っているか、それに対して人はどう思うかといった観察眼と議論方法は今も参考にしたい。

    //MEMO//
    欧米諸国の哲学の基礎を作ったプラトン。
    プラトンは国家のあるべき姿を解くといった、その時代の政治学者でもあったものだが、本書は愛というテーマで書いている。人間が昔から変わらない男女の営みについて、ヨーロッパ的な考え方や古代の人の考え方を学び、現代と比較して理解を深めたい。

    ・エロースの神
    カオス、大地の次に愛が生まれた

    ・天上的な愛


    ・地上的な愛
    身体、金銭

    天上的と地上的な愛の両面を節度を持って享受する

    エロース=愛の美しさ→善美なるもの全ての原因となる

    ソクラテスの弁明=以下の定義には反対
    ・愛は何かを対象とする
    ・愛はかけているものを対象とする

    愛とは中間値にあるもの。(美しいものと美しくないもの)
    愛とは、美しいものを、永久に、自分の中に取り込みたいと思うもの
    不死なるものへの欲求

    肉体的、精神的に善なるものを愛すること

    物質ではなく、行為や行われ方に善美を感じる考え方

  • プラトーン『饗宴』
    再読。紀元前416年、アガトーンの悲劇コンクールの第一回優勝記念祝賀会で、6人が愛の神(エロース)を讃えるという内容である。
     1. パイドロースは、エロースがカオスのつぎに生まれた最も古い神であり、もっとも高い誉れをもち、人間を徳と幸福の所有者にみちびくという。
     2. パウサニアースは、エロースがアフロディーテ(美)と切り離しがたいといい、アフロディーテには二種あるという。天(ウラーノス)を父とする天上的な美と、地上的な美がある。地上の愛には非難があるが、徳をめざす愛が天上の女神に属する愛だという。
     3.エリュクシマコスは医者だが、「身体のエロティカ(欲求現象)に関し、欲求を満たすべきか、満たさずに置くべきかを取り扱うもの」が医学だといい、「熱と冷、乾と湿などが相互の関係において、たまたま節度ある愛に触れ、調和、すなわち節度の保たれた混合をえる場合には、人間および他の動植物の上に繁栄健康をたずさえて君臨」するといい、「愛の神は最大の力を持ち、われわれに人間に幸福の一切を与え、……神々とも交わり、親しき友ともなりうるよう、計ってくれる」ものであるとする。また、アスクレーピオス(医術の神)やヘーラクレイトス(自然哲学者)の説として、熱と冷など相反するもの中に愛と調和を生ずる技が医学であるという。この点は中国医学にもみられる点である。
     4.アリストパネースは、ソークラテースを風刺した『雲』という喜劇を書いた人物だが、『饗宴』では有名な「人間の完全体」の話をする。太古、人間は(現在の人間の)二人で一体であり、男男・女女・男女(両性具有)の三種類がいたが、ゼウスが傲慢をとがめて、半身に裂いたという。そして、むかしの半身をもとめるのが愛であるという。人間がこれ以上傲慢になれば一本足にされるともいう。大航海時代には一本足の人間というのがでてくるが、ここが出典かもしれない。
     5.アガトーンは饗宴が行われた邸の主人で、悲劇のコンクールで優勝した詩人だが、「エロースが現れるまでは……アナンケー(必然)の神が支配していたため、いまわしいことのかずかず」が生まれたといい、「エロースが生まれるや、美しいものへの愛に導かれ、善いことの限りが、神々の間にも人間の間にも生まれた」とする。
     6.ソークラテースは五人の讃美が美辞麗句にすぎず、真実を語らねばならないという。エロースが美や善をもっている神なら、それ以上、美や善をもとめないから、エロースは美や善をもつものではなく、「自分に欠けているものを対象にする」といい、ディオティーマ(おそらく架空)の女から聞いた「愛の奥義」の話をする。これによると、エロースはポロス(策知の神)とペニアー(貧窮の神)の子であり、神ではなくダイモーン(鬼神)で、神と人間の中間者、知と無知の中間者であるという。そして、「愛の奥義」は「出産」にあるという。これは死すべき人間が永遠につながる唯一の手段であり、「出産」には子供を生み育てることも、知恵や作品を生み出すこともふくまれる。
    愛が中間のものであり、神と人、人と人の間をつなぐ渇望であるというのは、キリスト教の天使ににていると思う。
     このように6人が語り終えたあと、よっぱらったアルキピアデスがやってくる。アルキピアデスは、ハンサムで頭がよく、金持ちで武勲もあったが、アテナイを敗北に導いた作戦の立案者で、スパルタにねがえった売国奴でもあり、道徳的には破綻していたが、へんな魅力があった。アルキピアデスはソークラテースの知性を讃美するのだが、「哲学者のもつ狂気」も知っていて、「この人のそばで、じっと坐ったまま、年をとったりしてはたいへん」だから「耳をふさぎ、この人から逃げ去る」のだという。「知を愛する」ことを愛せない、とても人間くさいひとである。ちなみに、このアルキピアデスと親しかったからソークラテースは告発されるんである。
    最後は、開け放ちだった扉から酔っ払いが大勢乱入してきておしまいである。
    愛は美へのベクトルであり、人にもあるし、宇宙全体にもある。そういう力のようなものかと思う。

  • 宴会に集まった人々が、愛の神・エロースについて語りあったという設定のお話。

    哲学的な議論から、愛の本質へ迫る内容ですが、今一つピンときませんでした。
    あと、読んでいる途中で気づいたのですが、「少年愛」が前提となっているので、そこはどうにも理解ができませんでした。

  • 倉橋由美子「シュンポシオン」に誘われて長く書棚に眠っていたこの本に.
    エロースの賛美を饗宴の 参加者が順におこなって行く趣向.まあどうでもいい話.最後に真打ちのソクラテスが出てきて美のイデアを語る.イデア論なんて聞いたのは高校の倫理社会以来か.そこにアルキビアデースという人物が酩酊して現れ,ソクラテスを賛美して終わる.

    ろくな感想はないので以下雑談.
    ⚫︎この歳になって美のイデアと言われても困るなぁ.乾いた魂には憧れも起こらない.
    ⚫︎饗宴にはもっと身のある話題,あるいはバカバカしい話題を選ぶのがふさわしいのではないのかな.昔の人は真面目だったんだな.酒の席の話題が哲学だよ.
    ⚫︎解説を読むとギリシャ哲学とかは未来がないなぁ.あまりに過去の蓄積が大きすぎてなにか新しいことができるような気がしない.神経質な感じの訳注も,ご苦労様という感じ.
    ⚫︎読んでいて,そ、そ、ソクラテスかプラトンか,という昔の歌を思い出して苦笑いすることしきり.申し訳ない.

  • ここ1年くらいプラトン対話篇を読んだり、読み直したりしている。

    というなかで、なぜか順番が後の方になってしまったが、有名な「饗宴」を30年ぶりにくらいに読み直してみた。

    おー、こういう話しだったのか!

    アリストパーネスの「昔、人間は、球形で、男男、男女、女女が組合わさったものだったが、神が2つにわけた。それで、人間は切り分けられた分身を探して、愛するのだ」という有名な話し以外は完璧に忘れていた。

    ソクラテスの語る「プロセスとしての愛」「傷みを伴う愛」「一定の方法論をもって修習すべき愛」みたいな概念は、個人的にはすごく響いた。ここには、固定的なイデア論ではなくて、理想を探求していくプロセスと心のマスタリーが重要ということ。

    が、個人的に今回読んで一番衝撃であったのは、ソクラテスのスピーチのあとで、泥酔して会場に乱入してくるアルキビアーデスだ。この人の酔っぱらいながらも語る赤裸裸なソクラテスへの愛は、なんだか痛々しい。ソクラテスの語る愛の話しとシンクロしつつも、大きな違和感を物語に投じている。

    あと、今回読んで驚いたのは、この饗宴を構成する入れ子状態の間接話法というか、伝聞の伝聞みたいな話しの構造だ。複雑、かつ劇的な構成と何重にも張り巡らされた伏線と隠喩。さまざまな読みが可能な感じがする。

    やはりプラトンの対話篇のなかの白眉ということなんだろうなー。

    と言いつつ、パラパラと流し読みしてしまったので、まだまだ十分に読み込めていない感じがするので、自分側の満足度としては★を一つさげて、4つにしておく。

  • プラトン先生ウハウハじゃないですか

  • バッハオーフェンさんの「母権制」にマンティネイア出身のディオティーマという女性がソクラテスに語ったというお話しが出てきていたので読んでみた。

    愛の神エロースは鬼神ダイモーンで、不死の神でもなく、死すべき人でもないその中間にある者。
    知者は知を持っているから知を求めず、無知なる者は知を持っていないこともわからないから知を求めない。知者と無知者との中間にある者こそが知を求める。
    ありゃりゃ~なんかここでも真ん中50ですね。


    Mahalo

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