- 新潮社 (1952年2月4日発売)
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Amazon.co.jp ・本 (592ページ) / ISBN・EAN: 9784102032015
AIがまとめたこの本の要点
この本を表す言葉
みんなの感想まとめ
壮大な海の物語が展開され、捕鯨船の船長エイハブが伝説の白鯨を追い求める姿が描かれています。彼の復讐心と執着は、海の神秘や人間の小ささを際立たせ、読者に深い思索を促します。作品には、当時の捕鯨や鯨に関す...
感想・レビュー・書評
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前回読んだ本に出てきた「白鯨」読んでみた
海で戦う職人達の荒々しく、崇拝しうる姿の数々
そして船長エイハブの
モービィ•ディックへの憎しみと執着
所々に当時の船や、鯨に関する雑学をはさんでいるので、なおさら想像を膨らますことができる
「その静寂の一夜、舳に砕ける白泡のはるか前方に、銀色の汐噴きが見られた。月光にかがやいて、この世のものとは思えなかった。‥‥
数日後またも同じ静寂の時刻に、ふたたび一同の者がそれを認めたが、追いすがろうと帆を張ってみると、またしてもはじめから存在しなかったもののように、掻き消えてしまった。
来る夜も来る夜も、こんなふうに弄ばれた末、ただ怪しいことだと思うばかりで‥‥
このただ一つの汐煙は、永久にわれわれを誘惑しつづけようとするのかと疑われるのだった」
容易には成し遂げられないことに
誰もが幻を追い続けるような思いをいだく。
とてつもない海の大きさと、海への尊厳、海への恐れ、海への憧れ
人間ってなんて小さなものかと、問いながらも
それに立ち向かう心の大きさを思わせてくれる
はたしてモービィ•ディックに出会えるのか
下巻が楽しみ!
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『(17)一六 サア・ウィリアム・デヴナント イギリスの桂冠詩人で劇作家(一六〇六―六八)。シェイクスピアの落胤という伝説がある。『ゴンディバート』はロマンティックな叙事詩で完結しなかったが、その序は批評文学として価値を認められている(中略)(19)一六 ウォラァ イギリスの政治家で詩人のエドマンド・ウォティ(一六〇六一八七)。その抒情詩は一時もてはやされたが陳腐で、政治生活も無節操であった』―『訳注 語源』
本はどんな本でも基本的に最後まで読み通すことにしているけれど、どうしても保留のままになっている本がある。これもそんな一冊。若い頃に読了するのを諦めた本を再訪する試み。大学生協のブックカバーが掛かった分厚い二冊の文庫本は、上巻が昭和五十八年、下巻が昭和五十七年に出版されたもの。小さな活字で一頁当たり43文字×18行の文字が並ぶ。それが上下巻で859頁。それに加えて、更に小さな活字で訳注が78頁。これまた長文の訳者ノートを除いても、単純計算で72万文字強、各頁に空白の部分が一割程あったとしても、実に65万文字程の大作だ。昨今では一般的な文庫本が10万文字程度と言われているので、これは文庫本の旧来の役割を、すなわち廉価に知識欲に飢えた人々を満足させることを、全うした本ではある(定価は二冊で八百八十円。それでも当時の学食の定食の三倍程度)。因みに、同じ新潮社の文庫本「白鯨」は現在上下二巻で千六百五十円。活字も少し大きくなって全1147頁。しかし、読了を断念したのはその長さ故ではない。それはこの古典的名作が、まさに「古典的」であるが故に、読みにくいのだ。それを態々老眼に厳しいセピア色の紙の上の小さな六ポイントの活字で読み直す。
これは、もう本好きにはよく知られた事実だが、まず最初の二章(27頁)では、ひたすら鯨という(あるいは鯨と解釈される生物の)言葉にまつわる引用が執拗に並ぶ。もちろん、十九世紀半ばにおける鯨の生態あるいは象徴的意味に対する理解が充分ではなかった人々を啓く(あるいは知らしめたいというメルヴィルの)意図、そして物語全体を象徴する目論みがそこにはあるのだと理解するけれど、先入観なし読み始めた人はここで食傷気味になるだろう。脚注も同時進行で読むと、物語の進行とは直接関係のないこの二章を読み終える頃には集中力を切らしそうになる。しかも、この訳注は単なる参照元の記載に留まることなく翻訳者の解釈やメルヴィルの意図の読み解きなども含まれており、読み飛ばすことができない。訳注も多いとはいえ、翻訳者田中西二郎が参照した原典の復刻版には264頁に及ぶ詳注があったというから、先人達もこの怪物的著作と悪戦苦闘してきたということなのだろう。
さて、昭和五十二年に改版されたとはいえ、初版は昭和二十七年。日本語の表現も古めかしい。原書は更にその百年前の出版だから明治以前の嘉永五年。彼我の違いはあるにせよ、元の古風な文章の雰囲気を新潮文庫版の翻訳は醸し出している、ということなのだろう。その時代がかった日本語もまた読み進める歩調を遅くさせる。試しに、原書と、他の文庫版の冒頭(ペーパーバックなどでは省略されていることも多い)を読み比べてみると;
『グーテンベルク版:
The pale Usher—threadbare in coat, heart, body, and brain; I see him now. He was ever dusting his old lexicons and grammars, with a queer handkerchief, mockingly embellished with all the gay flags of all the known nations of the world. He loved to dust his old grammars; it somehow mildly reminded him of his mortality.』
『新潮文庫版(田中西二郎訳、1952年):
あの蒼ざめた代用教員――衣服ばかりか、身もこころも、はたまた頭脳も、すりきれて襤褸になっていた彼が、いまもわたしの目にうかぶ。いつも使い古した辞典や文法書の埃を払っていたが、それには奇妙なハンカチを使っていたっけ――皮肉にも、世界じゅうで知られている限りの国々の派手な色彩の旗で飾られた代物であった。彼は古い文法書の埃を払うことを好んだが、それによっておのれの命数に静かに思いを馳せていたのだろう』
『岩波文庫版(八木敏雄訳、2004年):
顔青ざめたる代用教員よ――服装も、こころも、体も、脳もぼろぼろの代用教員よ。わたしはその者をいまも眼前に見る思いがする。彼はいつも奇妙なハンカチで辞書や文法書のちりを払っていたが、そのハンカチたるや、皮肉なことに、あでやかな万国旗でかざられていた。彼は古い文法書のちりを払うのを愛したが、それがそこはかとなく自分の死をしのばせたからだろう』
『角川文庫版(富田彬訳、2015年):
青い顔をした助教師――上衣も、心も、体も、それから頭の中も、ボロボロに擦りきれた彼を、おれは今眼の前に見る。彼はいつも妙なハンカチで、自分の古い辞典と文法の本の埃をはらっていたが、そのハンカチには、いかにも馬鹿にするように、誰でも知っている世界のあらゆる国々のあらゆるけばけばしい旗の飾りがついていた。彼は古い文法の本の埃をはらうのが好きだった。そうしていると、なんというわけもなく、自分はやがて死ぬ身だということが、そこはかとなく思い出されてくるのだった』
英語の表現が古風なのかどうか解らないけれど、持って回ったような言い回しであるとは感じる。その意味では、確かに田中西二郎の翻訳はその時代がかった雰囲気を残しているのだろう。岩波文庫版でも新潮文庫版ほどではないにしろ、古めかしい雰囲気は残る。一方で角川文庫版の日本語は現代的でするすると読み進めるのにはよいのかも知れない。ただ、前段を終えて物語に入ると、狂言回し的な主人公イシュメールによる語りは、まるで講談師の語りのような雰囲気となる。であれば、この古めかしい日本語にはそれなりの機能があるのだとも言えるのかも知れない。
講談といえば、物語とは別に時代背景や舞台設定についての説明の下りがあるものだけれど、「白鯨」もまさにそんな構成を取っている。いや、むしろその説明の下りが本書の大半を占めると言ってもよい。物語としてはモービィ・ディックと呼ばれる巨大な抹香鯨に片脚を奪われた船長が復讐心に燃えてその白い鯨を追いかけ最後は乗組員もろとも海の藻屑となるという単純な話だが、登場する一癖も二癖もある人物達を描くのは元より、捕鯨や捕鯨船にまつわる様々な詳細を、大袈裟にたっぷりに描く部分がほとんどなのだ。そもそも肝心の抹香鯨が登場するのだってほとんど頁が尽きようかという終盤中の終盤(前段の二章、後段の一章を除く全百三十五章中の百三十三章目)なのだ。
ところが翻訳者による解説を読むと、この苦学の作家は本書を通じて、その宗教観に基づき、人間の愚かさを説いているのだと言う。確かに膨大に引用される聖書からの文言や逸話はその宗教観の表れの一端であり、鯨油を取るためだけに捕鯨をすることの意味を問い掛けているようでもある。それと同時に、多大な危険を犯してまで採取した油を無駄に使う人々への嫌悪感も其処此処に漂いはする。その雰囲気はスウィフトがガリバー旅行記を通して厭世的に皮肉ったものに類似することなのかも知れないとも思う。そうは思う一方で、それにしてもこれが何故古典的名作の一つと数えられるのか釈然としないことも正直なところでもある。
そんなことを考えていたら、ふと、メルヴィルが捕鯨を通して物語ったことを、今であれば石油産業に置き換えて考えることも出来ると気付く。そもそも鯨油は当時、灯りとして燃やすために使われていた。その鯨油に取って代わったものは言わずと知れた石油だが、今や石油は多くの無垢な考えの人々にとって未来を破壊するものの代名詞のような位置づけとなり、そこで働く人々もショッカーのような扱いを受ける身分となった。捕鯨もまた海洋資源の枯渇を招く程に乱獲したが故に環境保護団体からは目の敵にされた。だが、どちらも人々の暮らしを支えていた(いる)ことも紛れもない事実である。メルヴィルが鯨油がどのようにもたらされたかなぞ気にも留めないで金を出して買い使う人々を皮肉りつつ、鯨という人間の力を越えた存在に対して横暴なふるまいをする捕鯨に携わる人々に親近感を抱きつつも人種差別的な表現とすら捉えかねられない言葉で描き、かつ最後に何の救いの手も差し伸べなかったことに思いを致す時、そういう産業を支えているものの根底にある「人の強欲」へのまなざしを感じずにはいられなくなる。そしてそれは石油産業を支える構図と全く同じものなのだということにも改めて思い至る。
そう考え直してみると、この紆余曲折しているかのように思えた物語が、鯨の物語ではなく人間の業の深さの物語なのだということにようやく気付く。そしてシェークスピアの戯曲の中の台詞のような狂言回しの主人公の叫びが、急に異なる響きを放つように感じられるのだ。
『友よ、わたしの腕を支えてくれ! この巨鯨に関するわたしの思想は、それを筆に書き記すだけのことでも、そのあまりに広大無辺の包括性のために、気が遠くなってしまうのだ。それは実にいっさいの科学の圏域にわたり、過去、現在、未来の鯨と人間と第三紀産巨象とのすべての世代を包摂し、加うるに地球上の、全宇宙の大帝国とその周縁をも含めて旋転展開する大パノラマのすべてにひろがっている。一つの偉大にして包容力ある主題の効能というものは、これほどひとをして濶大ならしめるものか!』―『第百四章 化石鯨』 -
アメリカ文学の古典の一つと言われている「白鯨」を読んだ。分厚い文庫本上下2冊で、文章も古い訳で現代文とは言いにくくちょっと読みづらい。いつも通り通勤時に読んで1冊約3週間、上下で一ヶ月半ぐらいを要した。
ストーリーは、伝説の白鯨(巨大な白いマッコウクジラ)を復讐に憑かれた捕鯨船の船長エイハブが探し求めて仕留めようと、アメリカ東海岸から大西洋を南下、アフリカ喜望峰を回ってインド洋に入り、東南アジアから太平洋、日本近く(たぶん小笠原近海)まで至り、ついに白鯨と戦う話である。
物語自体はなかなか面白く、良くできている。途中、鯨に関する様々な解説が長々とあったり、当時の捕鯨の様子も細かく解説されている。この辺りに興味のない方には、文章の長さはちょっと辛いかも。私は、両方とも興味を持って読めたので、遅々として進まないストーリー展開も耐えてなんとか最後まで読めた。
個人的に楽しかったのは、途中数多く登場する島々の名前が、趣味(アマチュア無線)の方で結構馴染み深いものばかりであった点である。結構珍しいところが多い。
あと、この話に登場するコーヒー好きの一等航海士の名前がスターバックと言い、あの有名コーヒーチェーンのスターバックスの名前がここから取られたものであるらしいことを初めて知った。
最後まで読んで、ふと、中学生のころ、学校の映画鑑賞会か何かで「白鯨」の映画を見たことがあるような気がしてきた。
2007年3月24日 読了。 -
過去の名作と聞いて読み始めたが、読みづらくて何度も挫折。面白く読めるコツとかあれば教えて。
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途中で挟まる捕鯨雑学が多くてストーリーを終えず断念。メインストーリーは面白そうなのでまたいつか再挑戦したい。
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19世紀南北戦争以前の米ベドフオード、マサチューセッツのナンタケットという漁村の抹香鯨漁に命を賭けた漁師の話である。相当詳しく「鯨学」ともいう鯨そのもののことや鯨漁の歴史的・産業的解説から始まる。数年かけて世界の海で鯨を探し求め死闘を経て一山当てる捕鯨の実態に迫る。捕鯨船ピークオド号に乗り込んだイシュメールの眼を通して、船長エイハブと巨大な抹香鯨モービー・デイックの因縁と壮絶な戦いの物語である。
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昭和27年の翻訳で読んでいる。悪い訳ではないと思われるが、いかんせん、今この世に生きて流通している日本語とは異なる。岩波文庫や講談社文芸文庫と「翻訳比べ読み」をしてみてもいいかも知れないなどと思いながら読み進める。後編へ。
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<エンサイクロペディア•リヴァイアサン>
本書には、鯨に関することは余すことなく書かれている。
全て書くという百科全書派の偏執狂的な意志を持つメルヴィルは、過去の文献、書画、伝聞、自分の経験(実際に捕鯨船に乗っていた!)を総動員して、この鯨大全をものしてしまう。
だから、映画『白鯨』や、影丸穰也の漫画『白鯨』のドラマチックなストーリーを期待して読むと、戸惑ってしまう。
ドラマチックなストーリーは見当たらない。
冒険小説のつもりで手に取った本が実は、鯨に関する百科事典(エンサイクロペディア)だったのだから。
アメリカ発祥のニューイングランドはマサチューセッツ州ナンタケット島を出発したエイハブ船長率いるピークォッド号は、大西洋を渡り、アフリカ喜望峰を越えると、インド洋に入り、日本近海まで白鯨を追いかける。
この航路は、ロードアイランド州ニューポート出身のペリー提督がアメリカ艦隊(黒船)を率いて、日本に開国を迫った時の航路と同一だ。
『白鯨』は1851年に発行されている。
ペリー艦隊の日本到着は1853年。
日本への航路は、太平洋を渡るのではなく、大西洋•希望峰•インド洋経由であったことが分かる。
その長い航海の間、鯨に関する蘊蓄が延々と続く。
まるで長く退屈な航海を模倣するかのように。
しかし、その蘊蓄が面白い。
鯨は、現代でいう、原油に相当することが分かる。
産業革命の始まった時代、登場した機械を動かすためには、潤滑油が必須だった。
その潤滑油として使われたのが、マッコウクジラの油だったのだ。
工場は夜も稼働できると、利潤を増やすことができる。
ランプの時代、工場を煌々と照らすランプの油も鯨の油。
ペリーは捕鯨船の補給基地として日本に開国を迫ったのだ。
つまり、原油を求めて中東で争った20世紀の世界のように、19世紀にあっては、当時の原油である鯨を求めて、世界中で競争が行われていたのだ。
それが現代では、捕鯨は、動物保護法に抵触するとして、ダークサイドに押し込まれている。
世界中で鯨を取りまくったのは、アメリカはじめ欧米列強だったのに。
我々が映画や漫画で知っている、白鯨と対決する手に汗握る死闘のドラマは、原作では、下巻のほんの最後だけ。
そのクラマックスに向け、ひたすら鯨のお勉強。
何せ、航海は途轍もなく長いのだから。
タイトルに掲げた<エンサイクロペディア•リヴァイアサン>のリヴァイアサンは、あのポップスの描いた怪獣のことだ。
白鯨モビー•ディックに片足を食いちぎられ、復讐心に燃えるエイ船長のから見ると、白鯨は悪の化身リヴァイアサンだ。
船員たちも次第にエイハブの復讐心を共有してゆく。
彼らにとって白鯨は、存在を許されない悪そのものとなる。
それは、何か、ナショナリズムに燃える国民の熱狂、狂信を思わせる。
だとすると、敵=白鯨は本当に悪魔なのか?
リヴァイアサンなのか?
語り手の若者イシュマールだけは冷静だ。
エイハブの洗脳に染まらない。
エイハブをヒトラー、船員をドイツ国民と見做すと、これはファシズムのメカニズムをファシズム登場の80年前に描いたものと言える。
イシュマールの視点、つまり、ファシズムの熱狂に距離を置く立場からは、白鯨は、単なる悪魔ではない。
悪魔ではなく、もしかしたら神かもしれない。
災禍をもたらす神などあるのか?
旧約聖書の神はどうか?
それは怒り、人類を絶滅間際まで追い込み、多くの災害をもたらす神だ。
だが、ユダヤ教は(旧約を取り込んだキリスト教も)そんな神を信仰している。
大体、イシュマールという語り手の名前がそれを語っている。
イシュマールこそ、ユダヤ人の祖先アブラハムの息子だ。
ただ、彼はアブラハムの正妻の子でないことから、砂漠を彷徨する運命に遭う。
大海原という砂漠を彷徨するのが19世紀のイシュマールという訳だ。
この本はアメリカ文学の最高傑作と言われながらも実際に読んだ者はあまりいない(と思う)。
鯨についてこれでもかこれでもかと語る作者の語り(エンサイクロペディア)にハマらなければ、途中で挫折することは必定。
しかし、いったんこの語りにハマってしまうと、毎日読書という長く退屈な航海に倦むことはない。
日本で初めての完訳も、古典を趣を湛えて、典雅。
時間のたっぷりとある、寛容精神に溢れる大人だけが読むことを許された本だ。
かの<学魔>高山宏が博士号を取った論文が<白鯨論>だったのは、<学魔>が、若い頃から寛容に溢れた大人であったことが分かる。
次は高山の<白鯨論>を読んでみたい。 -
ストーリーの本筋は非常に面白い。簡単に言えば鯨相手に繰り広げられる復讐劇だ。ただ、脱線が多いため、読みやすくはない。
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シンポジウム「戦争・コロナの先 文学で世界をよむ」
佐藤賢一氏のおすすめ本
2022/10/28日経新聞 -
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本筋と関係ない話が長い。面白いとはなかなか言えないが、下巻で鯨とどのように関わるのか期待。
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とりあえず上巻は読み終えた。序盤、宿でのイシュメールとクィークェグのやりとりが微笑ましい。
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ステイホームということで「読書だけでも海に漕ぎ出て涼しい気分になろう」と読み始めたら舞台は南洋でした。燦々とした太陽と海風が蒸し暑そうです。
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いろんな知識が溢れてて溺死するかと思いました。
僕、ジジイが好きなんですがエイハブ船長に見事に魅せられましたね。
他、ジジイをお探しの方は「老人と海」と「パイド・パイパー」まで。 -
まず人喰い人種のクィークェグと、主人公イシュメールが、ひょんなことから仲良くなって会って即日、同じ布団で寝るっていうところから、なんだかスリルとロマンに満ちてて面白いではないか笑
最初は、マンガみたいな展開で はーんさすがのアメリカ文学(笑)ってちょっとバカにしてたが(すみませんすみません)、中盤以降は、イシュメールの哲学的饒舌に引き込まれ、エイハブ船長の狂気に戦慄した。そして軽薄な目でみていた自分を恥じた、、(>_<)
作者メルヴィルの思索的認識、高密度の詩的散文、そのボリュームに圧倒されてしまう。また、鯨学(現代的観点からすると誤謬も多いようだが)についての深い知識、鯨の神性および悪魔性について、『白鯨』(モービィ・ディック)にまつわる様々なエピソードを絡めてつまびらかにしていくその手技は、卓越した技と言わざるをえない。
久しぶりに、文学的に感動する小説を読んだ。後編も楽しみ。
(ちなみに前編では、エイハブ船長は宿敵『モービィ・ディック』に対面することはないんだよね。せっかちな人は気長に読みましょう。) -
☆☆☆2019年10月☆☆☆
『白鯨』で素晴らしいのは、さびれた港町の描写。北風の吹く町のボロ宿で、イシュメールとクィーエグに出会い。
海の荒くれ者たち。まるで自分がそこに迷い込んだかのようだ。絶対にかかわりたくない世界だ。 -
さすが世界十大文学。まだ白鯨の本物は出てきてないけど。
捕 出身も人種もさまざまな個性的な捕鯨船の船長と乗組員たち。畏れをもって語られる人智を超えた存在たる白鯨モービィディック。海の、鯨の怪異。未知へと乗り出す勇気と若さと冒険。
今は動物保護だ環境活動だと言ってるけど、たくさん鯨を取ってる時代だものね。
卓越した古今東西の博学と、短い章ですぐ場面が切り替わって、白鯨に対するイメージが鮮やかで膨らむ。「閉ざされた未知の国、日本」なる記述が出てきて、まだこの時代の日本は鎖国してる江戸時代だったのか、と今さら驚く。 -
正月に文豪の小説を読もうと決め、2019年は本書を選んだ。
読む前は、巨大なクジラと戦う漁師の話、という理解であったし、間違いでは無いが、本筋の話以外の部分が非常に長い。上巻の時点ではクジラが実際に出てくるのは一瞬。
ほとんどがクジラとは、クジラ漁とは、といった講釈に費やされる。 -
2018年3月18日紹介されました!
著者プロフィール
ハーマン・メルヴィルの作品
