白鯨(上) (新潮文庫)

  • 新潮社
3.32
  • (22)
  • (41)
  • (92)
  • (13)
  • (8)
本棚登録 : 868
感想 : 55
本ページはアフィリエイトプログラムによる収益を得ています
  • Amazon.co.jp ・本 (578ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784102032015

感想・レビュー・書評

並び替え
表示形式
表示件数
絞り込み
  • 『(17)一六 サア・ウィリアム・デヴナント イギリスの桂冠詩人で劇作家(一六〇六―六八)。シェイクスピアの落胤という伝説がある。『ゴンディバート』はロマンティックな叙事詩で完結しなかったが、その序は批評文学として価値を認められている(中略)(19)一六 ウォラァ イギリスの政治家で詩人のエドマンド・ウォティ(一六〇六一八七)。その抒情詩は一時もてはやされたが陳腐で、政治生活も無節操であった』―『訳注 語源』

    本はどんな本でも基本的に最後まで読み通すことにしているけれど、どうしても保留のままになっている本がある。これもそんな一冊。若い頃に読了するのを諦めた本を再訪する試み。大学生協のブックカバーが掛かった分厚い二冊の文庫本は、上巻が昭和五十八年、下巻が昭和五十七年に出版されたもの。小さな活字で一頁当たり43文字×18行の文字が並ぶ。それが上下巻で859頁。それに加えて、更に小さな活字で訳注が78頁。これまた長文の訳者ノートを除いても、単純計算で72万文字強、各頁に空白の部分が一割程あったとしても、実に65万文字程の大作だ。昨今では一般的な文庫本が10万文字程度と言われているので、これは文庫本の旧来の役割を、すなわち廉価に知識欲に飢えた人々を満足させることを、全うした本ではある(定価は二冊で八百八十円。それでも当時の学食の定食の三倍程度)。因みに、同じ新潮社の文庫本「白鯨」は現在上下二巻で千六百五十円。活字も少し大きくなって全1147頁。しかし、読了を断念したのはその長さ故ではない。それはこの古典的名作が、まさに「古典的」であるが故に、読みにくいのだ。それを態々老眼に厳しいセピア色の紙の上の小さな六ポイントの活字で読み直す。

    これは、もう本好きにはよく知られた事実だが、まず最初の二章(27頁)では、ひたすら鯨という(あるいは鯨と解釈される生物の)言葉にまつわる引用が執拗に並ぶ。もちろん、十九世紀半ばにおける鯨の生態あるいは象徴的意味に対する理解が充分ではなかった人々を啓く(あるいは知らしめたいというメルヴィルの)意図、そして物語全体を象徴する目論みがそこにはあるのだと理解するけれど、先入観なし読み始めた人はここで食傷気味になるだろう。脚注も同時進行で読むと、物語の進行とは直接関係のないこの二章を読み終える頃には集中力を切らしそうになる。しかも、この訳注は単なる参照元の記載に留まることなく翻訳者の解釈やメルヴィルの意図の読み解きなども含まれており、読み飛ばすことができない。訳注も多いとはいえ、翻訳者田中西二郎が参照した原典の復刻版には264頁に及ぶ詳注があったというから、先人達もこの怪物的著作と悪戦苦闘してきたということなのだろう。

    さて、昭和五十二年に改版されたとはいえ、初版は昭和二十七年。日本語の表現も古めかしい。原書は更にその百年前の出版だから明治以前の嘉永五年。彼我の違いはあるにせよ、元の古風な文章の雰囲気を新潮文庫版の翻訳は醸し出している、ということなのだろう。その時代がかった日本語もまた読み進める歩調を遅くさせる。試しに、原書と、他の文庫版の冒頭(ペーパーバックなどでは省略されていることも多い)を読み比べてみると;

    『グーテンベルク版:
    The pale Usher—threadbare in coat, heart, body, and brain; I see him now. He was ever dusting his old lexicons and grammars, with a queer handkerchief, mockingly embellished with all the gay flags of all the known nations of the world. He loved to dust his old grammars; it somehow mildly reminded him of his mortality.』

    『新潮文庫版(田中西二郎訳、1952年):
    あの蒼ざめた代用教員――衣服ばかりか、身もこころも、はたまた頭脳も、すりきれて襤褸になっていた彼が、いまもわたしの目にうかぶ。いつも使い古した辞典や文法書の埃を払っていたが、それには奇妙なハンカチを使っていたっけ――皮肉にも、世界じゅうで知られている限りの国々の派手な色彩の旗で飾られた代物であった。彼は古い文法書の埃を払うことを好んだが、それによっておのれの命数に静かに思いを馳せていたのだろう』

    『岩波文庫版(八木敏雄訳、2004年):
    顔青ざめたる代用教員よ――服装も、こころも、体も、脳もぼろぼろの代用教員よ。わたしはその者をいまも眼前に見る思いがする。彼はいつも奇妙なハンカチで辞書や文法書のちりを払っていたが、そのハンカチたるや、皮肉なことに、あでやかな万国旗でかざられていた。彼は古い文法書のちりを払うのを愛したが、それがそこはかとなく自分の死をしのばせたからだろう』

    『角川文庫版(富田彬訳、2015年): 
    青い顔をした助教師――上衣も、心も、体も、それから頭の中も、ボロボロに擦りきれた彼を、おれは今眼の前に見る。彼はいつも妙なハンカチで、自分の古い辞典と文法の本の埃をはらっていたが、そのハンカチには、いかにも馬鹿にするように、誰でも知っている世界のあらゆる国々のあらゆるけばけばしい旗の飾りがついていた。彼は古い文法の本の埃をはらうのが好きだった。そうしていると、なんというわけもなく、自分はやがて死ぬ身だということが、そこはかとなく思い出されてくるのだった』

    英語の表現が古風なのかどうか解らないけれど、持って回ったような言い回しであるとは感じる。その意味では、確かに田中西二郎の翻訳はその時代がかった雰囲気を残しているのだろう。岩波文庫版でも新潮文庫版ほどではないにしろ、古めかしい雰囲気は残る。一方で角川文庫版の日本語は現代的でするすると読み進めるのにはよいのかも知れない。ただ、前段を終えて物語に入ると、狂言回し的な主人公イシュメールによる語りは、まるで講談師の語りのような雰囲気となる。であれば、この古めかしい日本語にはそれなりの機能があるのだとも言えるのかも知れない。

    講談といえば、物語とは別に時代背景や舞台設定についての説明の下りがあるものだけれど、「白鯨」もまさにそんな構成を取っている。いや、むしろその説明の下りが本書の大半を占めると言ってもよい。物語としてはモービィ・ディックと呼ばれる巨大な抹香鯨に片脚を奪われた船長が復讐心に燃えてその白い鯨を追いかけ最後は乗組員もろとも海の藻屑となるという単純な話だが、登場する一癖も二癖もある人物達を描くのは元より、捕鯨や捕鯨船にまつわる様々な詳細を、大袈裟にたっぷりに描く部分がほとんどなのだ。そもそも肝心の抹香鯨が登場するのだってほとんど頁が尽きようかという終盤中の終盤(前段の二章、後段の一章を除く全百三十五章中の百三十三章目)なのだ。

    ところが翻訳者による解説を読むと、この苦学の作家は本書を通じて、その宗教観に基づき、人間の愚かさを説いているのだと言う。確かに膨大に引用される聖書からの文言や逸話はその宗教観の表れの一端であり、鯨油を取るためだけに捕鯨をすることの意味を問い掛けているようでもある。それと同時に、多大な危険を犯してまで採取した油を無駄に使う人々への嫌悪感も其処此処に漂いはする。その雰囲気はスウィフトがガリバー旅行記を通して厭世的に皮肉ったものに類似することなのかも知れないとも思う。そうは思う一方で、それにしてもこれが何故古典的名作の一つと数えられるのか釈然としないことも正直なところでもある。

    そんなことを考えていたら、ふと、メルヴィルが捕鯨を通して物語ったことを、今であれば石油産業に置き換えて考えることも出来ると気付く。そもそも鯨油は当時、灯りとして燃やすために使われていた。その鯨油に取って代わったものは言わずと知れた石油だが、今や石油は多くの無垢な考えの人々にとって未来を破壊するものの代名詞のような位置づけとなり、そこで働く人々もショッカーのような扱いを受ける身分となった。捕鯨もまた海洋資源の枯渇を招く程に乱獲したが故に環境保護団体からは目の敵にされた。だが、どちらも人々の暮らしを支えていた(いる)ことも紛れもない事実である。メルヴィルが鯨油がどのようにもたらされたかなぞ気にも留めないで金を出して買い使う人々を皮肉りつつ、鯨という人間の力を越えた存在に対して横暴なふるまいをする捕鯨に携わる人々に親近感を抱きつつも人種差別的な表現とすら捉えかねられない言葉で描き、かつ最後に何の救いの手も差し伸べなかったことに思いを致す時、そういう産業を支えているものの根底にある「人の強欲」へのまなざしを感じずにはいられなくなる。そしてそれは石油産業を支える構図と全く同じものなのだということにも改めて思い至る。

    そう考え直してみると、この紆余曲折しているかのように思えた物語が、鯨の物語ではなく人間の業の深さの物語なのだということにようやく気付く。そしてシェークスピアの戯曲の中の台詞のような狂言回しの主人公の叫びが、急に異なる響きを放つように感じられるのだ。

    『友よ、わたしの腕を支えてくれ! この巨鯨に関するわたしの思想は、それを筆に書き記すだけのことでも、そのあまりに広大無辺の包括性のために、気が遠くなってしまうのだ。それは実にいっさいの科学の圏域にわたり、過去、現在、未来の鯨と人間と第三紀産巨象とのすべての世代を包摂し、加うるに地球上の、全宇宙の大帝国とその周縁をも含めて旋転展開する大パノラマのすべてにひろがっている。一つの偉大にして包容力ある主題の効能というものは、これほどひとをして濶大ならしめるものか!』―『第百四章 化石鯨』

  • アメリカ文学の古典の一つと言われている「白鯨」を読んだ。分厚い文庫本上下2冊で、文章も古い訳で現代文とは言いにくくちょっと読みづらい。いつも通り通勤時に読んで1冊約3週間、上下で一ヶ月半ぐらいを要した。

    ストーリーは、伝説の白鯨(巨大な白いマッコウクジラ)を復讐に憑かれた捕鯨船の船長エイハブが探し求めて仕留めようと、アメリカ東海岸から大西洋を南下、アフリカ喜望峰を回ってインド洋に入り、東南アジアから太平洋、日本近く(たぶん小笠原近海)まで至り、ついに白鯨と戦う話である。

    物語自体はなかなか面白く、良くできている。途中、鯨に関する様々な解説が長々とあったり、当時の捕鯨の様子も細かく解説されている。この辺りに興味のない方には、文章の長さはちょっと辛いかも。私は、両方とも興味を持って読めたので、遅々として進まないストーリー展開も耐えてなんとか最後まで読めた。

    個人的に楽しかったのは、途中数多く登場する島々の名前が、趣味(アマチュア無線)の方で結構馴染み深いものばかりであった点である。結構珍しいところが多い。

    あと、この話に登場するコーヒー好きの一等航海士の名前がスターバックと言い、あの有名コーヒーチェーンのスターバックスの名前がここから取られたものであるらしいことを初めて知った。

    最後まで読んで、ふと、中学生のころ、学校の映画鑑賞会か何かで「白鯨」の映画を見たことがあるような気がしてきた。

    2007年3月24日 読了。

  • 途中で挟まる捕鯨雑学が多くてストーリーを終えず断念。メインストーリーは面白そうなのでまたいつか再挑戦したい。

  • 19世紀南北戦争以前の米ベドフオード、マサチューセッツのナンタケットという漁村の抹香鯨漁に命を賭けた漁師の話である。相当詳しく「鯨学」ともいう鯨そのもののことや鯨漁の歴史的・産業的解説から始まる。数年かけて世界の海で鯨を探し求め死闘を経て一山当てる捕鯨の実態に迫る。捕鯨船ピークオド号に乗り込んだイシュメールの眼を通して、船長エイハブと巨大な抹香鯨モービー・デイックの因縁と壮絶な戦いの物語である。

  • 昭和27年の翻訳で読んでいる。悪い訳ではないと思われるが、いかんせん、今この世に生きて流通している日本語とは異なる。岩波文庫や講談社文芸文庫と「翻訳比べ読み」をしてみてもいいかも知れないなどと思いながら読み進める。後編へ。

  • ストーリーの本筋は非常に面白い。簡単に言えば鯨相手に繰り広げられる復讐劇だ。ただ、脱線が多いため、読みやすくはない。

  • シンポジウム「戦争・コロナの先 文学で世界をよむ」
    佐藤賢一氏のおすすめ本
    2022/10/28日経新聞

  • 本筋と関係ない話が長い。面白いとはなかなか言えないが、下巻で鯨とどのように関わるのか期待。

  • とりあえず上巻は読み終えた。序盤、宿でのイシュメールとクィークェグのやりとりが微笑ましい。

  • ステイホームということで「読書だけでも海に漕ぎ出て涼しい気分になろう」と読み始めたら舞台は南洋でした。燦々とした太陽と海風が蒸し暑そうです。

全55件中 1 - 10件を表示

著者プロフィール

1819年-1891年。ニューヨークに生まれる。13歳の時に父親を亡くして学校を辞め、様々な職を経験。22歳の時に捕鯨船に乗り、4年ほど海を放浪。その間、マルケサス諸島でタイピー族に捕らわれるなど、その後の作品に影響を及ぼす体験をする。27歳で処女作『タイピー』を発表。以降、精力的に作品を発表するものの、生存中には評価を受けず、ニューヨークの税関で職を得ていた。享年72歳。生誕100年を期して再評価されるようになり、遺作『ビリー・バッド』を含む『メルヴィル著作集全16巻』が刊行され、アメリカ文学の巨匠として知られる存在となった。

「2012年 『タイピー 南海の愛すべき食人族たち』 で使われていた紹介文から引用しています。」

ハーマン・メルヴィルの作品

  • 話題の本に出会えて、蔵書管理を手軽にできる!ブクログのアプリ AppStoreからダウンロード GooglePlayで手に入れよう
ツイートする
×