- Amazon.co.jp ・本 (336ページ)
- / ISBN・EAN: 9784102042021
感想・レビュー・書評
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アメリカ女性作家の作品を村上春樹が翻訳。舞台は戦時中、夏ののどかな南部の町。フランシス・アダムズ(通称フランキー)は12歳の女の子で、夏休みを退屈に過ごしている。仲良い友達も引っ越してしまったし、クラブのみんなには仲間はずれにされていて、毎日料理女のベレニスといとこのジョン・ヘンリーとトランプ遊びをやりながら手持ち無沙汰に日々を送っている。そんな中、兄のジャーヴィスが結婚することになり、フランキーの心境に変化が訪れる。兄夫婦の結婚式がもうすぐ新居で開かれる。結婚式に参加したら私は兄夫婦のところから帰らない。「わたしたち」は「三人で」一緒に世界を旅するんだ。そんな荒唐無稽な考えにとりつかれたフランキーは自分の名前を好みのものに変えたり、自分の計画を見知らぬ他人に触れ回ったりと退屈な日々から一転、行動を起こしていく。ベレニスはそんなフランキーを目を覚ませとたしなめるがフランキーは聞く耳を持たない。そして、ついに結婚式の日が訪れる。という話。
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風景描写、それも心象風景とか、心情の表現が抜群にうまい。また、著者は思春期の女の子の言語化できない気持ちを言語にしようと試みている。フランキー自体もうまく言えない、うまく言えないこの気持ちをどうすればいいのか、よくわからないからとりあえず言葉にしてみる、ころころと気持ちはすぐに変わっていくが、とにかくベレニスに矢継ぎ早に質問をしてみる、その質問のやり取りの中でフランキーの考えていることがおぼろげながら把握できる。世界から隔たっているような気持ち。閉じ込められているような気持ち。どこへも行けないんだという気持ち。誰かにほめられたいし、認められたい。これらの友達がいない子どもが退屈なときに強く感じる気持ちをうまく表すことができているように思う。また、フランキーの質問応じるベレニスの回答も良い。
自分の匂いを気にしてつける安物の香水、急に伸びてしまった自分の身長、「私って大人になったら可愛くなると思う?」、結婚式のドレスの感想を求める様子、成長しつつある女子の気持ちというものがそこにはにじみ出ている。フランキーが少し変わった女の子として描かれてはいるがそこには多くの子どもの姿が投影できるだろう。
そもそも子供自体の描写がうまい。フランキーとジョン・ヘンリーの退屈な様子がまざまざと描かれていて、それは自分も昔経験したような感覚を思い出させるようだ。台所をうろうろしたり、無駄に自分の足の皮を削ってみたりというような。ジョン・ヘンリーみたいな小学生いるよなぁと思いながら読んだ。
最後は少し悲しくも希望ある終わり方だ。最後のフランキーの「わたしたち」が以前の「わたしたち」とは違うという事実がこちらもなんだかうれしくなってしまう。子どもは成長し、大きくなっていくのだ。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
昔読み始めたのに挫折した本。新訳が出たので読んでみる。
「PART ONE」はやはりちょっとかったるくて、昔はここいらで早々に挫折したんだなと思ったが、今回はクリア。
「PART TWO」になったら俄然夢中になって読了。
読んで良かった。
思春期の思いこみの強い個性的な女の子の話というのは珍しくないし、そういう女の子はだいたい(第三者から見れば)辛い青春を送るものなので、そういった意味では珍しくない。(ミュリエル・スパークとかマヤ・ヴォイチェホフスカなんかにもそういう作品あるし。)素晴らしい文章を絶賛されたと聞くが、訳文で読んだわけだからそれに納得するわけにもいかない。
しかし、アメリカ南部の気だるい夏、料理にたかるハエ、響くピアノの調律の音、何にも属することのできない三人の濃密な毎日がリアルに感じられた。
三人の関係はあっけなく終わるけれど、この夏はフランキーにとっては生涯永遠に続く。
どこか別の場所で全く違う人生を送りたいと思いながら、勇気がなく、あるいはチャンスがなく、あるいは現実に縛られて生きる(ベレニスの言う「閉じ込められた」)多くの人に届く作品だと思う。
自分は自由に生きていると思っている、現状にある程度満足しているという人には、まあ、「何言ってるんだ」って感じだとは思うけど。 -
主人公の少女が、まったく身に覚えがありすぎる。
身体と心がアンバランスで、夢想好き、誰かに愛されたい、愛したい、そして何よりも今、この場から逃げ出したい気持ち。
何が欲しいのかわからないけど、何かが足りない焦燥感。
全てくっきりと思い出した。 -
田舎の少女のはちきれんばかりの生(きること)への欲望と情熱。湧き出る心の訴えを周囲に理解して貰いたいのに、いまいち正体のわからない不満の消化方法を模索する。しかし自分がもがいてしんどい様子を知られるのは、子供っぽいから避けたい。大人の振りをして何もかもわかっているわよ、という素振りを見せなくてはならない。
という、よくある思春期もの。
南部の夏の重苦しい雰囲気は存分に伝わる。しかしやっぱり別の訳者で読みたい。この訳者は好みでない。 -
一度読むのを挫折したのだけれど、最後まで読み通すととても心に残る作品になった。あの夏のあのキッチンに戻りたくなる。
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2018.04.20 社内読書部で紹介を受ける。
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ときどきふっと読みたいという気持ちがわいてくるのが、村上春樹の翻訳もの。その一冊を久しぶりに手に取った。
12歳の少女フランキーは自分の兄の結婚式を機に、いま住んでいる街を出てどこか遠くに行ってしまいたいと願う。そんな成長途上の少女の心の動きを繊細に描いたというのが、この小説の謳い文句でもあるし、それは確かにその通りだろう。
だが、どうしてもワタシには、フランキーが12歳とは思えない。これはミルハウザーの『エドウィン・マルハウス』に登場した11歳のエドウィンやジェフリーにも感じたことなのだけれど、せいぜい10代後半、いや20代前半といわれても違和感を覚えないくらいなのだ。もちろん彼らのみずみずしい感性や幼さが残る行動は紛れもなく11歳や12歳だ。
でも、彼らが感じる苦痛や恐怖や不安が、圧倒的に重くのしかかる。この熱病にかかったかのような息苦しいダークな部分が、彼らを実際より大人に見せているのだ。
そして、この息苦しさはどこかで読んだ覚えがある…と思っていたが、読後に気づいた。『オン・ザ・ロード』ではなかったかと。
「自分が監獄に連れて行かれることはないのだ。ある意味では彼女はそれを残念に思った。見えない監獄に入れられるよりは、どんどんと壁を叩ける監獄に入れられた方がまだましだった。世界はあまりにも遠くにあった。」 こんなフランキーの思いのベースにあるのは、正体不明の閉塞感と、それを打ち崩すにはどうしたらよいのかという永遠の疑問だ。大人になるにつれて忘れてしまうこの疑問は、時代は違えど、『エドウィン・マルハウス』、『オン・ザ・ロード』、そしてこの『結婚式のメンバー』の中で、しっかりとその存在を示している。 -
村上春樹さん訳、ということで購入。
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不安定な思春期を過ごす主人公の少女の心の動き。不満、不安、期待、焦り、そんなものがカオスのように心の中を渦巻く中、魅力的で包容力のあるベレニスや、いかにも男の子らしい男の子のジョンと繰り広げる会話がとても魅力的。よい本だと思いました。訳も秀逸なのだ。
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変な小説ーっ!
というのが読み終わった直後の感想。
Part3は予想外の展開になって急におもしろかったけど、そこに行くまでは全然おもしろくなくて苦痛でした。
人の頭の中だけであーでもない、こーでもないって続く小説が、そもそも、もともとあんまり好きじゃないので。
確か、村上春樹氏の奥さんが何度も読んでいて、珍しく英語でも読んでいた、とどこかで書かれていたのが手にした理由。奥さんに関する情報がほとんどないせいか、すごく食いついてしまって期待しすぎたんだとは思うけど、それにしても、Amazonでの大変な高評価に驚く。ほんとにみんなそんなにこの小説好きなの?村上春樹の評価に影響されてない?ほんとに??って聞きたい。(笑)
そして、「通過儀礼の小説かぁ、ふぅ、(しんどかった)」と思いながら読み終わり、続けて解説を読んでビックリした。
『この小説は単なる「人生の通過儀礼」を描いた小説ではないということだ』と書いてあるではありませんか。
なんだか、宿題をいいかげんに終わらせて遊んでいたのをもろに見つかった中学生のような気分になった。
り、理解が足りなくて、すまん・・・
でも、「たけくらべ」に似ている、っていう村上春樹さんの説はすごく新鮮で興味深かった。そういうユニークな比較、大好きなので。(ただし同意するかどうかは微妙)
あと、相変わらず村上春樹氏が翻訳で使うカタカナ語の趣味は合わないと思った。英語の音をカタカナに置き換える時点でいろいろ無理があるんだから、ブルーズブルーズと、そんなにムキになってそこだけ原音に忠実に書かなくても、日本語として浸透しているブルースでいいじゃない、と思う。(もしくは、やるなら全部徹底してやれ、と思う。RとLを書き分けるくらいに。)
用語に違和感があると、どうしてもそこで読む勢いが止まってしまうし、村上氏がブルーズって書いているのを見るたび、私はどこかにぶつけて出来た青あざを思い浮かべちゃいます。 -
物語から感じる気温や湿度が大好きなカポーティに近いのだけど、更にひりひりさせられる。
何のメンバーにもなれなかった自分を、出来れば思い出したくないのだ。
思い出すなら、せめて、甘やかす形で思い出してやりたいのだ。
でも、この小説はそうはさせてくれない。
かと言って突き放し過ぎているわけでもなく、その距離が絶妙。
他の作品も是非読みたい。
もう少し、胸のひりひりが治ったら。 -
やはり、サローヤン
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「緑色をした気の触れた夏の出来事で、フランキーはそのとき十二歳だった」尖った出だしで、興味をそそられる。そう言えば訳者は村上春樹氏だったな。少し楽しみに思う。が、数ページで読めなくなる、外国系も文学系も苦手なのに、何故これを読もうと思ったのだっけな、 そうか「book barお勧め本」か。こう言った場合、速読の練習と思い、斜め読みするが、やはり途中で終了。家の中で女性がおしゃべりしている話には興味をそそられず。
#book barお勧め本 -
2017/6/17購入
2018/5/30読了 -
12歳のいそうでいない少女の目線で語られる、人生の一時期にしか訪れない”気の触れた夏”。
著者のマッカラーズはこの半自伝ともいえる小説を何度も書き直したそうな。
かつて芥川龍之介は「いそうでいない主人公を作り上げたらその小説は半分成功したようなもの」と語ったがこの小説がまさにそれではないか。 -
気が狂うほどの暑さ
ひょろひょろと長い少女
片目が義眼の黒人給仕
ポーカー
結婚式 この町を出る -
ぼくに繊細な感受性とか読解力が欠けていることがとても大きいと思うけど、個人的にはよくある物語という感じがして、途中からあまり惹かれず、しっかり読めなかった・・・。でも社会に上手く適合出来ない気持ちはよく分かる。
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「自分を変えてくれるはずの何か」に裏切られ現実を突きつけられる年頃の少女の話。「狂っているのは自分なのか?それとも周りにいる人間なのか?」こういった類いの苦しみは、ある一定の層には一生ついてまわるものです。そんなもがき苦しむ様も描いた普遍的な作品。
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レビューも良さそうだから読んでみたけど、私には全くわからなかった…。思春期の微妙な心理ということを前提に読んだけど、私が全く違う性格だからか、こんなもん?と思いながらも、読んでいて辛くなってしまった。村上春樹さん訳なのも、私には難しいのかも。2016/11/4完読