結婚式のメンバー (新潮文庫)

制作 : Carson McCullers  村上 春樹 
  • 新潮社
3.64
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本棚登録 : 522
レビュー : 62
  • Amazon.co.jp ・本 (332ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784102042021

作品紹介・あらすじ

この街を出て、永遠にどこかへ行ってしまいたい――むせかえるような緑色の夏に、十二歳の少女フランキーは兄の結婚式で人生が変わることを夢見た。南部の田舎町で、父や従弟、黒人の女料理人ベレニスとの日常に倦み、奇矯な行動に出るフランキー。狂おしいまでに多感で孤独な少女の心理を、繊細な文体で描き上げた女性作家の最高傑作。≪村上柴田翻訳堂≫第一弾、村上春樹の新訳!

感想・レビュー・書評

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  • 自分はなんのグループにも所属しておらず、なんのメンバーでもない。自分は世界のどこにも含まれていない。
    そう思い悩む12歳の少女フランキーの、むせ返るような緑色で灰色の"気の触れた"ひと夏の物語。
    村上春樹も絶賛しているように、多感で孤独で早熟な少女のみずみずしい感情をすくいあげた小説でした。そう、文芸的に優れているというだけでなく、何か特別でとんでもないものが飛んできたかのような、特別な種類の鮮やかさがある。
    南部アメリカの片田舎で、冴えない父とのろまな従弟と黒人の女料理人と、灰色のけだるい午後の台所が自分のすべてで、どこにもいけない閉塞感に焦燥と苛立ちを募らせ、押しつぶされそうになっているフランキー。毛を逆立て全身を尖らせるその姿があまりにも可哀想で、愛おしくて、かつての私をみつけてしまって、たまらず抱きしめてあげたくなった。「大丈夫よ」と背中をさすってあげたくなった。

    好きな場面、好きなセリフがたくさんある。
    p49 春の朝とても早い時刻、これまで気にも留めなかったなにげない風景がフランキーを傷つけるようになった。アイデンティティーを見失いだす過程。
    p192 気怠く長い午後のおしまい頃に台所のテーブルで無節操に繰り広げられる「聖なる主にして神」の世界。
    p220-244 フランキーの叫び。「世界中を飛び回るの!ひとつの場所に留まったりしない!世界中を巡り歩くの!それが絶対間違いないところよ、もう、なんたって!」「わたしたちは世界全体のメンバーになるのよ!もう、なんたって!」私はほとんど泣きそうだった。
    p309 結婚式がおわったあとの現実。「自分を変えてくれる」と信じていたものからあっけなく裏切られる。結局のところ、他でもなく今いる場所こそが、空想ではない彼女のすべてなのだ。

    出口のみえない真っ暗なトンネル。私もかつてそこを歩いてきた。12歳の、ちっぽけな少女だった。
    でも完全に通り抜けたわけではないのだ。作者であるカーソン・マッカラーズが考えるのと同じように、未だ継続した物語として続いている。当時の自分を忘れたくないし、「そういう時期もあったわね」「みんなが通る道よ」なんて退屈な大人のように軽率でデリカシーのない言葉ではとてもまとめたくない。

  • 村上柴田翻訳堂の一冊目、ということで手に取りました。表紙のレトロな雰囲気と爽やかな題名から連想する印象をしっかり裏切ってくれます。
    子供ではないが、大人でもない多感なま12歳の少女。アンバランスな少女のどこにも属さない孤独感や狂気じみた妄想や果てしない自己嫌悪やら。。あらゆるエネルギーが渦巻いていて、かなり圧倒されます。
    目を覆いたくくなるほど自我を曝け出すフランキーに何処か繋がるものを持ち引き込まれてしまう物語。

  • ベレニスの言ったこと。かかった熱病の種類によっては、その後の一生がどうしようもなく方向付けられてしまう。同じダンスを続けようとして、でも以前とは同じようにステップを踏めないことにいつまでもなじめなくて、くるしみ続けるのかもしれない。違うダンスを踊るには、今までのステップを踏めないまま無様に動くしかないけれど、かつてうまく踊れていたことを忘れるのはいいことだろうか、悪いことだろうか。

    一言でいえば12歳の女の子がかかった熱病の話なのだろうが、切り離された懐かしい過去として読むことはできなかった。自分の中に閉じ込められていることを、意識する時期としない時期があるだけなのだ。

  • 若かった頃読んだときどう思ったかは、すっかり忘れた。今はただ、胸にしみる。その一言。

    最初のあたりでフランキーが言う。「わたしがわたし以外の人間であればいいのにな」 そう、いつもそう思っていた頃がわたしにもあった。なぜ自分はこの自分なのか。受け入れられずに、でも、そういう言葉にはできずにいた頃。しかもその子供じみた思いは、まったく消え去ったわけではなくて、実はずっと自分のなかにあるのだった。そのことに思いいたる。

    十二歳のフランキーは、共感できる女の子というわけではない。思い込みが強く、不自然な行動をし、ちょっと意地悪で、軽はずみで(こうあげてみたら、この年頃の子によくある性質でもあるが)。彼女の葛藤や苦しみはどこまでも彼女自身のもので、時代や国や民族の違いなどのせいではなく、その個別性で、わたしの安易な理解を拒否している。

    それでもなお、「ああ、この気持ちはわかる」と何遍も思った。自分が「何者でもない」ことがたまらず、何かになりたい、なれるはずだ、いやなれないのでは、と自信と劣等感の間を行き来していた。周囲の誰にも理解されないと思い、そのくせ理解されることは拒絶して、ここではない、どこかに自分の行くべき場所があるはずだといつも思っていた。料理女のベレニスが「あたしたちはみんなそれぞれ、なぜか自分というものに閉じ込められているんだ」と言う、まさにその通りに感じて。

    訳者の村上春樹が「(自分もフランキーのような少女と同様に)何がなんだかわけのわからないままに『気の触れた夏』をくぐり抜けてきたのだ」と書いている。ここが深く心に残っている。「それは人生の中でほんのいっときしか味わうことのできない、大事な気の触れ方だったのだ」

  • またまた、素晴らしい小説を読んだ!

    おいそれと感想を言いたくないくらい。

    それに今はまだ、悲しくって…。

    突然、穴に落っこちたくらい驚いたけれど、
    よくよく考えたら
    ずっと前からそんな予感があったような気が
    だんだんして来たんだ。

    ところでこの小説はところどころ、
    私の大好きな映画
    「なまいきシャルロット」を彷彿させるシーンが、
    あるのよね。

    「なまいきシャルロット」を作った人は
    この小説が好きなのかな?

    とにかく、色々戸惑って悩んでいる少女に
    うかうか近付くとランプなり、水がめなりで
    頭をかち割られるってわけ、さ。

    男の人も、色々大変だと思うけれど、気を付けてね。

    また、ちょっとしたらすぐに読み返したい。

  • 今となっては、マッカラーズなんて知らない人が多いんだろうなあ。長らく入手困難で隠し玉状態だったからなあ。

    何十年たって新しい訳でマッカラーズを読めるということが驚き。読んでる自分も驚き。

    ぜひこの勢いで「心は孤独な狩人」「悲しき酒場の歌」と併せて3点セットで読めるようになるといいなあ。読んでもらいたいなあ。

    こういう夏があるんだ。ヒリヒリ、キリキリする。

    • たまもひさん
      懐かしすぎる…。
      「心は孤独な狩人」を是非出してほしい。学生のとき英語のテキストとして読みました。老教授のボソボソした声が妙に似合っていた...
      懐かしすぎる…。
      「心は孤独な狩人」を是非出してほしい。学生のとき英語のテキストとして読みました。老教授のボソボソした声が妙に似合っていたなあ。
      2016/04/02
    • アヴォカドさん
      はいー、出してほしいですね。
      でも、今では使えない言葉とかも結構多くて、新訳は難しいのかもしれませんね。
      「心は孤独な狩人」、大切な1冊...
      はいー、出してほしいですね。
      でも、今では使えない言葉とかも結構多くて、新訳は難しいのかもしれませんね。
      「心は孤独な狩人」、大切な1冊です。
      2016/04/02
  • 台所の空気、光、温度。静寂。ピアノの調律。それらは世界の末端で、同時に本体でもあり、一瞬たりとも留まる事なく流れている。止める事の出来ないものを止めずに描いている、と言えば良いのか。私はそれを詩情と呼ぶが、では詩情とは何かと問えば、時の移ろいが放つ霊性、と答えれば本書にはぴったりだろう。

    物語的にはS・アンダーソンの進化型とも言えそう。ロレンス「二番手がいちばん」、アンダーソン「タンディ」と比べてみてごらん。象徴的な死、名前の持つ言霊的な力、、、。

    訳も解説も、ある意味、春樹による春樹論と言っても良いが、上手すぎてイメージが固定されてしまうなあ。見事だし、素晴らしいのだけどね、いつも騙されている気になる。内容の良し悪しにかかわらず、化かされる気持ちの悪さ。これを気持ちの良さ、と受け取ればハルキ教徒になれるのだろうけど。

  •  夏休みの無為な感じ、大好きな人が悲しい時に自分に何もしてあげられることがなくてもただ寄り添ってあげること、そうしてあげた次の日にはその人に対してどうしようもなくイラついてしまったりして心にもないことを言ってしまうこと。そういう無力さ、不安定さは少女時代に封じ込めて、思い出したくなんてなかった。この本を読んだらそっくり目の前に書かれてしまっていた。もじもじしながら読んだ。
     一方で、肝心の結婚式への熱狂については全く共感することができずじまい。個人差か。
     主人公は友達が少なく、周囲の同級生達を馬鹿にしがち。これだけ頭の回転が速くて、自己主張が強かったら、それはやりづらかろう。その点では、父親の心情がもう少し書かれていてもいいんじゃないかと思った。でも、それだと青春小説でなくてヒューマンドラマになってしまうか。。

  • まったく予備知識なく、ただ村上さん訳でアメリカ文学の有名どころだっていうので読んでみたんだけど、なんというか、今まで読んだことない、っていうか、ユニークで不思議な感じだ、と思った。
    正直、(わたしだけかもしれないけど)、最初、状況がつかみづらくて読みにくいし、なにか起こりそうで起こらなくて長い、とか思った(大変失礼)し。
    それでも、ローティーンの少女の思春期な感じを描いた作品ってすごくたくさんあると思うんだけど、どれとも違うというか、不思議な感じに惹きつけられる。そして、解説で村上さんも書いてらしたように、だれもが自分の十二歳くらいのときの感覚を思い出すんだろうなあと。

    ベレニスの存在や話がよかったな。

    でも、読後感がけっこう暗い感じ。。。人生は哀しいというか。こういう思春期の暗さ、大人になっていわゆる「リア充」みたいになって忙しさにまぎれてカラっと忘れてしまえばいいんだろうけど、引きずったら辛いというか。カーソン・マッカラーズは引きずったんだろうなあ、とか。まあだから作家になったのか、とか。

  • 「世界って間違いなくちっぽけなところなのね」

    なんというか、ものすごい小説だった。

    その突飛な文章に慣れるのにとても時間がかかった。なぜ突飛なと思うのか…会話劇であり、主人公フランキーの思想が、会話の中にあるから。

    フランキーは名前を変えながら成長していく。

    彼女と、黒人の料理女ベレニス、従兄弟の小さなジョン・ヘンリーの3人が過ごす、キッチンでの、ほんの半日の話がこの本の8割を占めている。

    アメリカ南部の典型的な田舎町、閉鎖的な町から、兄の結婚式と共になんとか、抜け出したい、自由になりたい少女の細かな心の動きを描いた、なんというか凄まじい本だった。またところどころにアメリカの抱えた黒人差別の問題と、人種を超えた愛も読むことができる…

    熱を持った星のような思春期の少女の気持ち、私には分かってしまった。少女の物語はいくつになっても続いているんだ…

  • 村上柴田翻訳堂、第一弾。
    さすがに、素晴らしい作品。

    親密な人と、たわいもなく、なんでもない当たり前なことをしている時が実は一番幸せであり、その幸せな時間は瞬間瞬間過ぎ去って消えていく。そのことに私たちは普段気づいていない。

    「ライ麦畑でつかまえて」、「異邦人」のような青春をみずみずしく書いた小説に比肩するすごさ。ただ、よりナルシスティックな要素が少なく、シンプルで少し滑稽に表現できているところが良い。そもそも人はみな滑稽であり愛おしい。
    映画だと、ジムジャームッシュの初期作品やアキカウリスマキのような手触り、深みを感じる。

    思春期の女の子を通して、人間のおかしさ、メランコリックさ、ずうずうしさ、などを絶妙にミックスし、日常の中の非日常を淡々と(それでいて狂気を含ませながら)表現している。また孤独さと、人と人のつながりあいなどの関係性がテーマとして書かれていると思う。

    少女から女性へ成長しかけている主人公は、いろいろなことに気づきだし、疑似家族たちや父親から自立し、いままでの幼く古い「わたしたち」から脱皮しようとしている。
    突拍子もなく、行動的でありながら、(ナイフをつかって暴力的だったり、男並みの荒々しさをもっていながら、)どうでもいい細かいことに繊細にこだわったりする。ナイーブな心理が、心理描写ではなく、情景描写と会話劇で緻密に立体的に構築されている。

    フランキー(主人公)から見た、女料理人ベレニスは他人でありながら、母親代わり、お姉さん代わり。ジョン・ヘンリーはいとこだけど、弟や、子供代わりであり、本当の家族以上に家族らしい、繋がり(コネクション)がある。この構成を主題にして、リアリティーをもって成り立たせている。

    フランキーの視点から書かれている小説という印象を受けるが、第一人称ではなく、第三人称で描かれている。

    村上春樹があとがきで記載している以下がすべてを表している。すごい。
    以下、「訳者解説」より

    この小説は単なる「人生の通過儀礼」を描いた小説ではないということだ。つまりこれは「かつてこういう少女時代がありました。そのようにして私たちは大人になってきたのです」という物語ではないということだ。カーソン・マッカラーズにとっては、ここに書かれた物語は、彼女の中でそのまま生きて継続している物語でもあったのだ。何がノーマルであり、何がノーマルではないのか、その謎を彼女はいまだに追い求めているのだ。とても真剣に、自分自身の意味をかけて。彼女にとって、その「気の触れた夏」は今もなを続いているのだ。だからこそこの『結婚式のメンバー』という作品は、そこに描かれた限定されたジあkンとその限定された時間は、現代にあっても確かな力を持って、我々に訴えかけてくるのだ。

  • 大学の講義で「悲しき酒場のバラード」を読んでから、カーソン・マッカラーズのファンでして。

    でも、その本を手に入れるのに神保町を探し回れど見つからず、ネット見たらラスト一冊でウン十年前に翻訳されたやつを発見したという。でも、買ってよかったと思える本だった。

    それを、これまたファンの村上さんが訳されている、というのがちょっとうれしくてですね、

    この本を買ったわけです。成田空港の本屋で。フィリピンに出向く際に。それが2か月前。

    でも、なんか常夏のフィリピンに、この本の妙に重苦しさを漂わせる雰囲気が合わずしばし寝かせておいたのですが、フィリピン生活2か月目にして活字中毒の禁断症状が出て、ほかに読む本がほぼなくなってしまったがゆえ解禁したマッカラーズ。


    でもまぁ、読めてよかった。でもすぐにこう感想を述べられるような読後感とは程遠く、ちょっと消化したらまた感想をかけたらいいなと思います。

  • 読み終わった直後のこの気持ちは、岡崎京子の漫画を読んだ時に似ている。

  • 12歳。
    『波』2016.6にて。

  • アメリカ女性作家の作品を村上春樹が翻訳。舞台は戦時中、夏ののどかな南部の町。フランシス・アダムズ(通称フランキー)は12歳の女の子で、夏休みを退屈に過ごしている。仲良い友達も引っ越してしまったし、クラブのみんなには仲間はずれにされていて、毎日料理女のベレニスといとこのジョン・ヘンリーとトランプ遊びをやりながら手持ち無沙汰に日々を送っている。そんな中、兄のジャーヴィスが結婚することになり、フランキーの心境に変化が訪れる。兄夫婦の結婚式がもうすぐ新居で開かれる。結婚式に参加したら私は兄夫婦のところから帰らない。「わたしたち」は「三人で」一緒に世界を旅するんだ。そんな荒唐無稽な考えにとりつかれたフランキーは自分の名前を好みのものに変えたり、自分の計画を見知らぬ他人に触れ回ったりと退屈な日々から一転、行動を起こしていく。ベレニスはそんなフランキーを目を覚ませとたしなめるがフランキーは聞く耳を持たない。そして、ついに結婚式の日が訪れる。という話。

    ――――――――――――
    風景描写、それも心象風景とか、心情の表現が抜群にうまい。また、著者は思春期の女の子の言語化できない気持ちを言語にしようと試みている。フランキー自体もうまく言えない、うまく言えないこの気持ちをどうすればいいのか、よくわからないからとりあえず言葉にしてみる、ころころと気持ちはすぐに変わっていくが、とにかくベレニスに矢継ぎ早に質問をしてみる、その質問のやり取りの中でフランキーの考えていることがおぼろげながら把握できる。世界から隔たっているような気持ち。閉じ込められているような気持ち。どこへも行けないんだという気持ち。誰かにほめられたいし、認められたい。これらの友達がいない子どもが退屈なときに強く感じる気持ちをうまく表すことができているように思う。また、フランキーの質問応じるベレニスの回答も良い。

    自分の匂いを気にしてつける安物の香水、急に伸びてしまった自分の身長、「私って大人になったら可愛くなると思う?」、結婚式のドレスの感想を求める様子、成長しつつある女子の気持ちというものがそこにはにじみ出ている。フランキーが少し変わった女の子として描かれてはいるがそこには多くの子どもの姿が投影できるだろう。

    そもそも子供自体の描写がうまい。フランキーとジョン・ヘンリーの退屈な様子がまざまざと描かれていて、それは自分も昔経験したような感覚を思い出させるようだ。台所をうろうろしたり、無駄に自分の足の皮を削ってみたりというような。ジョン・ヘンリーみたいな小学生いるよなぁと思いながら読んだ。

    最後は少し悲しくも希望ある終わり方だ。最後のフランキーの「わたしたち」が以前の「わたしたち」とは違うという事実がこちらもなんだかうれしくなってしまう。子どもは成長し、大きくなっていくのだ。

  • ちょっとしんどかった。
    でも訳者解説読んで、たしかに単なるイニシエーション的な物語じゃないところがいいなと思った。

  • 昔読み始めたのに挫折した本。新訳が出たので読んでみる。
    「PART ONE」はやはりちょっとかったるくて、昔はここいらで早々に挫折したんだなと思ったが、今回はクリア。
    「PART TWO」になったら俄然夢中になって読了。
    読んで良かった。

    思春期の思いこみの強い個性的な女の子の話というのは珍しくないし、そういう女の子はだいたい(第三者から見れば)辛い青春を送るものなので、そういった意味では珍しくない。(ミュリエル・スパークとかマヤ・ヴォイチェホフスカなんかにもそういう作品あるし。)素晴らしい文章を絶賛されたと聞くが、訳文で読んだわけだからそれに納得するわけにもいかない。
    しかし、アメリカ南部の気だるい夏、料理にたかるハエ、響くピアノの調律の音、何にも属することのできない三人の濃密な毎日がリアルに感じられた。
    三人の関係はあっけなく終わるけれど、この夏はフランキーにとっては生涯永遠に続く。
    どこか別の場所で全く違う人生を送りたいと思いながら、勇気がなく、あるいはチャンスがなく、あるいは現実に縛られて生きる(ベレニスの言う「閉じ込められた」)多くの人に届く作品だと思う。
    自分は自由に生きていると思っている、現状にある程度満足しているという人には、まあ、「何言ってるんだ」って感じだとは思うけど。

  • 主人公の少女が、まったく身に覚えがありすぎる。
    身体と心がアンバランスで、夢想好き、誰かに愛されたい、愛したい、そして何よりも今、この場から逃げ出したい気持ち。
    何が欲しいのかわからないけど、何かが足りない焦燥感。
    全てくっきりと思い出した。

  • 田舎の少女のはちきれんばかりの生(きること)への欲望と情熱。湧き出る心の訴えを周囲に理解して貰いたいのに、いまいち正体のわからない不満の消化方法を模索する。しかし自分がもがいてしんどい様子を知られるのは、子供っぽいから避けたい。大人の振りをして何もかもわかっているわよ、という素振りを見せなくてはならない。
    という、よくある思春期もの。

    南部の夏の重苦しい雰囲気は存分に伝わる。しかしやっぱり別の訳者で読みたい。この訳者は好みでない。

  • 一度読むのを挫折したのだけれど、最後まで読み通すととても心に残る作品になった。あの夏のあのキッチンに戻りたくなる。

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