予告された殺人の記録 (新潮文庫)

  • 新潮社 (1997年11月28日発売)
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レビュー : 304
  • Amazon.co.jp (158ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784102052112

作品紹介・あらすじ

町をあげての婚礼騒ぎの翌朝、充分すぎる犯行予告にもかかわらず、なぜ彼は滅多切りにされねばならなかったのか?閉鎖的な田舎町でほぼ三十年前に起きた幻想とも見紛う殺人事件。凝縮されたその時空間に、差別や妬み、憎悪といった民衆感情、崩壊寸前の共同体のメカニズムを複眼的に捉えつつ、モザイクの如く入り組んだ過去の重層を、哀しみと滑稽、郷愁をこめて録す、熟成の中篇。

感想・レビュー・書評

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  • 大きさも形も不揃いなモザイクのピースを、わかりやすい外枠や特徴的な部位からはめていくのではなく、まずはど真ん中の破片、次は右下、次は左上…とバラバラに置き続けて観る者の頭を混乱させておいて、最後はその正体も意味も、なんならピースの境目すら溶けてわからなくなってしまっているのにすさまじく吸引力のある見事なグラデーション模様の作品を完成させたような作品。

    冷静に眺めるとどう考えてもおかしいのに、あまりに緻密な描写から当然の現実と思い込んでしまいそうになる、マルケスの代名詞「マジックレアリズム」は健在。

    本作は実際の迷宮入り事件をモデルにしているのだけど、あまりにリアリティがありすぎたので、事件の真相を知ってるのではと疑われて警察の取り調べを受けたとか…。

    物語はいきなり一人の青年がこれから殺されることが明かされてスタートする。そして、犯人たちの名前もすぐ明かされる。
    では、犯人探しではなく、トリックや動機を暴くタイプのミステリー小説が始まるのか…と思ったらそうではない。

    語られるのは、登場人物たちの奇妙な行動。

    犯行直前に殺害の意志を触れ回りながらも誰かが犯行を止めてくれることを期待するような行動をとり続けた犯人たちの姿。
    それを目にしながらも結局誰も(悪意なく、決して故意でもなく)殺害を止められなかった町の人々の姿。
    事件後に人生が狂った人々の姿。
    町中がこれから殺されることを知りながら当の本人は知らなかった被害者青年の姿。
    そして、事件の当事者の一人であるはずのとある花嫁の心に事件後芽生えたあまりに異常な愛。
    そして、「最期」の瞬間。
    多くの人物の異質な行動が交互に入り組みながら語られていきます。

    そこで示されているのは、よそ者が持ち込む波紋、旧態然とした名誉の形、差別、偏見、そして、それらに振り回されて揺らいでもろさをさらす共同体の危うさといったもの。

    ミステリーであれば最も大事なはずの「真実」は最後まで明かされない。
    でもそれが当然で、全く重要ではないと思えてしまうのは、やはりマルケスのマジック。

    マルケス自身が最高傑作だと言ったとのことで、たしかによく作り込まれた作品です。

  • ふと外国文学が読みたくなり、夫の書棚から拝借した一冊。
    特定の国や作家の趣味があるわけではない。
    ただ、謎めいた書名や、顔の思い浮かばない作者名、美しい装丁などが、なんとなく好きなのである。

    本書は、コロンビア出身の作家、ガブリエル・ガルシア・マルケスが、1951年に実際に彼の身近で起きた殺人事件を取材し、後年小説としてまとめたものである。
    マルケスは1982年にノーベル文学賞を授賞。

    本を開いて最初にしたことは、コロンビアの位置をGoogleマップで検索すること。
    淡々とページはめくれるものの、どう読んでいいのかわからない、というのが第一印象。
    題名のとおり、殺人事件が起きているが、犯人は最初から明確であるので、推理小説というわけでもない。
    町をあげての盛大な婚礼の様子や、宗教行事の描写が続き、恐らく色々なことを象徴しているのだが、いかんせんコロンビアが遠すぎてぴんとこない。
    たくさんの人々の証言とともに、殺人にいたるまでの経緯が複数の視点から繰り返されるのだが、殺人の詳細がはっきりするかというとその逆で、なぜそれが起きてしまったのか、いよいよわからなくなってくる。
    一方、ラストシーンでは、殺人の様子がナイフをどう刺したか、どう血が出たかまではっきり描かれ、被害者サンティアゴ・ナサールが死んだという事実だけがつきつけられる。

    混乱しつつも印象に残ったのは、女たちのしぶとさ、したたかさだった。
    貧しい生まれながらその美貌で名士に結婚を申し込まれるアンへラ・ビカリオと、サンティアゴの家で使用人として働く少女ディビナ・フロールの二人が、もっとも殺人の発生に深く関わっていると私には思えた。
    作品の中では真相は見えない。
    でも、二人ともたくましく生き延び、後年割りと幸せになっているように予感させられる描写がある。
    なんて、勝手に生きているんだろう!
    人目ばかり気にしている自分とは大違いである。

    最期に解説を読んだらこの小説の構成上の技巧について丁寧に説明されていて、そこではじめて作者の意図を理解できた。
    作品自体の文学史的な意義はわからずに読んじゃったなあ。
    でも、登場人物の激しさ、悲しさ、とまどいやわがままは充分鮮やかに感じられて、楽しかった。
    外国文学って一筋縄じゃ行かないけど、そこがいいと思う。
    また、少しずつ読んでいこうっと。

  • 実際の事件がモデルとなった本作。複数の関係者からのインタビューから、サンティアゴ・ナサールというひとりの青年に舞い込んだ不幸が徐々に浮かび上がってきます。

    多くの人々が「計画」を事前に耳にし、計画を知った人々は周囲に彼に会ったら用心しろと伝えるよう頼みました。彼は現場で多くの人に目撃されていたにも関わらずそれは「決行」されます。そして人々は「結果」を知って口々に言うのです――あの時こうしていれば…と。

    とある告白がむくむくと膨れ上がり、真実を創り上げる恐怖。告白につき動かされた者とただ見守った者。個々が何気なく選んだ行動が幾重にも連なった時、あるひとつの残酷な結末を生み出します。凄惨な事件のなかに人間特有の滑稽さが溢れ、読後は純粋な充実感が残ります。綿密に計算し尽くされたマルケスのストーリー展開のすっかり虜に。
    期せずして噛み合わさってしまった歯車の一つ一つを確認するように、再び読み返したくなる面白さがありました。

  • ガルシア・マルケスと言えば
    高校生のころ『青い犬の目』と言う本を題名に魅かれ購入、
    かっこつけて本棚に並べてはいたが、
    その本すら、読んでいなかった!
    その本はいつの間にかどこかへ…

    ガルシア・マルケスさんが今年の4月に亡くなって、
    尊敬する本読みさんたちが嘆き悲しんでいるのをみて、
    行きつけの本屋さん何軒かで、「追悼フェア」が
    開催されているのをみて、「ふーん…」と気になって、
    そして、読んでみた。

    私は暑いのが苦手だからか?
    あまり暑い国が舞台の本を読まないのだけれど、
    だから、出てくる名前も地名も
    物珍しさと言うか面白さがあった。
    なじみのない語感の名前だったけれど、
    不思議とすぐに憶えられた。

    とにかく熱気と汗がすごいんだから…

    盛大な結婚式の次の日、ほぼ町中の人が知っていた「殺人予告」にも
    関わらず、ある男が惨殺される…。

    「予告」をきいて、
    ある人は「そんなことは起こらないだろう」と信じ込む、
    またある人はわざと黙っている、
    本当に知らなかった、「もう止められない」と思った、

    などなど反応はそれぞれだけれど、

    全体に漂う「これを避けることはできない」と言う感じ、

    映画の『グロリア』の最初のところ、
    不穏な不穏な空気の中、
    「あぁ、これ、絶対だれか死んじゃう、
    でも、もう、それはしょうがない…」って
    見てる側が勝手にあきらめた、と言うのを思い出した。

    不思議なんだけれど、殺害される人の
    「選ばれている人」感が、凄い。

    運命と言うか、宿命と言うか、そういうのを考えてしまった。

    この作品は実際起こった事件がモチーフになっており、
    「詳しい事情を知りすぎている」と言うことで、
    ガルシア・マルケスさんはなにか新事実を知っているのでは?と
    警察から事情聴取を受けたそう、です。

    いつもはあの本も、この本も…と集めるだけ集めている本、
    どれもこれも執着して、手放すことが難しいんだけれど、

    こう言う群を抜いて素晴らしい本を読むと
    「うーん、あの本はもう、いらないかな~?」と
    急に本棚も片付くと言う、すてきな作用もある。

  • 作家がコロンビア人だから当然なのだが
    南米のコロンビアが舞台というのも目新しくおもしろいし
    小説的手法がそもそも奇抜で
    つまり主人公が殺される結末からはじまるのに
    それからそれへと謎が噴出し興をそそられる
    ああ、これがうわさのマルケスの小説なんだと感心しきりであった

  • 何かの映画のように、サンティアゴ・ナサールが殺される場面を様々な立場の街の人の見た視点から描いて行く。
    そして、最後に彼が殺される場面を直接的に描き出す。
    訳者あとがきによると、何人もの映画監督に影響を与えたという。
    さもありなん。
    彼が殺されるという噂は、街中で知られいたが、ほとんどの人は、それは冗談と捉え、相手にしなかった。
    多くの人が知っているこの事件を、作者は、多くの人の証言から描き出すという文学的仕掛けを用い、描いている。

    単なる1殺人事件ではあるが、物語の筋の面白さに満ちており、時間軸が同じ場面を違った角度から描写するという映画的でもあり、また、何処か童話のようにも感じさせる。

  • 殺意を持った人物(たち)が、殺さずにいられないほど相手を憎悪しつつ、
    根っからの悪人ではないので、出来れば周囲に阻止してほしくて、
    「今、殺(や)りに行きます」(笑)と吹聴するのだが、
    本気にしない人が多いわ、一部「これはイカン!」と思った人の声は
    ターゲットに届かないわで起きてしまった凄惨な殺人事件の回想。

    27年後の追想録になっているのは、
    作者が故郷で実際に起きた事件をベースに
    ノンフィクション小説を書こうと思い立ち、
    実現させるまでに長い時間を要したことが反映されたため、らしい。

    加害者にせよ、傍観者にせよ、長期間を経過すると、
    実行した、現場に立ち会ったという記憶が薄れ、
    事件は他人事として褪色してしまうのではないか……
    と、常日頃思っているのだが、この物語の登場人物たちも、やはり、
    往時の状況を微に入り細を穿って語りはするが、
    誰が悪いとか自分にも落ち度があった、といった他責・自責の念が希薄になり、
    生涯ただ一度の豪勢な祭の熱狂を懐かしむような口振りなのが
    いかにもラテン系だな、と思わされる。
    被害者は神への捧げもので、皆が協力して仔羊を屠ったということなのか。
    しかし、それによって共同体の絆が強まりはせず、
    時代や社会構造の変化に揉まれて、紐帯は次第に解けていったのだろう。
    だとしたら、遺体は虚無への供物になったとしか言いようがない。

    面白いのは、後半に
    緊張の中の弛緩と言うべきナンセンスさが滲み出てくるところ。
    検死解剖によって
    被害者の胃から幼少期に呑み込んだメダルが出てくる(p.89)だとか、
    急性アルコール中毒で倒れた花婿の惨めで滑稽な様子(p.99,103)などの叙述に、
    笑みが零れてしまった。

    (p.141)
    「人をひとり殺すのがどんなに難しいか、お前さんにゃ想像もつくまいね」
    ――ですが、噎せ返るような汗と埃と血と臓物の臭いは
    嫌と言うほど伝わってきました、ハイ。

  •  中篇小説・百四十三頁、この著書を買ったのは二〇一四年五月、未読のまま、書架の奥に入っていたのを見つけた。何と五年もの間積読になっていたのだ。おそらくかつての読友に薦められ買ったのに違いない。
     著者の略歴は、一九二七年コロンビア生まれ、一九八二年ノーベル文学賞受賞と書いている。
     友達は何故この本を僕に薦めたのか?話題になった本だと思う。
     読了して分かったことは、強烈な印象とクライマックスに至る迄のあまりにも緻密な描写から当然現実のものと思い込んでしまいそうではあるが、物語は約三〇年前、閉鎖的な田舎町で起きた幻想とも見紛う殺人事件。怨嗟の声、差別や妬み、移民の感情と言語の違和感が記録と記憶で、小説の中の《わたし》が探偵となって、事件の全貌を明らかにする一種の推理小説となっているのです。
     真実は何か!読友は、その疑問を共有したかったのではないかと今更ながら思っているのです。
     実におもしろい。僕の折り紙つきです。

  • 高校以来の再読。
    面白くなかったからずっと読み返さなかったのではなく、めちゃくちゃ面白くて、絶対外れない本が読みたい時のために取っておいたら随分間が空いたのだった。
    タイトル通り、これでもかというほど予告された殺人が何故完遂してしまったのかを描いた作品。
    人殺し、というのは最大のタブーの一つであるはずなのだけど、群衆の無責任さとコミュニティの閉鎖性から進んでいってしまううちに半ばエンターテイメント化されていき、読者もその共犯になって後ろめたさと愉悦を味わう。
    やっぱり最高に恐ろしくて面白い。

  • 初めての南米文学。

    『百年の孤独』から入りたかったんだけれど、出張に出るタイミングで分厚いハードカバーを持ち歩くのはいかにも気が引けた。というわけで、薄い本を選んだ。そして、同じ本を立て続けに2回読んだのも、これが初めて。

    『仮面の中の自画像』を装丁に取っている。このベルギー人の絵は、確かになんだかラテンっぽい。名の売れた絵が、文庫の装丁に使われるのも珍しい。

    容易に防ぎ得たはずの殺人事件が、いくつもの偶然やすれ違いの結果既遂に至ってしまう。その顛末と詳細を記録と証言から突き止めて行く話。
    場面や時制を目まぐるしく切り替えながら、一つの事件について繰り返し語る。と同時に、その事件が人々に与えた影響も少しずつ語られる。事件に向かっていく話と、事件から発せられる話とが入り混じる。
    一つ一つの行為や現象の意味により注意深くなることができたという意味で、再読時の方が楽しめたかもしれない。中でも序盤・中盤・終盤と定期的に現れる『はらわた』をめぐるブラックユーモアがとても印象的。

    事実は小説よりも奇であることがあるというけれど。
    これはその小説よりも奇な事実に基づく小説とのこと。
    偶然やすれ違いが思わぬ結果を生むことは、確かにある。往々にして瑣末なことで。
    『例のあれ、帰るまでにやれってあいつに伝えといて、分かってるはずだから(俺は帰るけど)』
    『言わなくても分かってると思ってました(早く帰りたかっただけだけど)』
    『あの人に伝えようと思って電話しました(不在だったけど)』
    『電話があったのでメモ置いておきました(置いておいただけだけど)』
    『メモは見ましたが追って連絡があるものと思ってました(無ければいいと思ってたけど)』
    『っていうか、あの人もう帰ってるから誰か代わりにやってくれて済んだのかと思ってました(ここにまだ書類あるけど)』

    そうして翌日、顛末書を書く羽目になった時に、きっとこの本を思い出す。

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