マッチ売りの少女―アンデルセン童話集 3 (新潮文庫)

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  • Amazon.co.jp ・本 (245ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784102055045

感想・レビュー・書評

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  • 「雪の女王」の、風景の描写がきれいなのと、ゲルダの健気さがかわいい。

  • ブタ飼いの王子様がお姫様を懲らしめて終わる話が面白かった。

  • これで一通り、新潮社からでているアンデルセンの童話は読んだことに。
    今回収録されているものは、とりわけアンデルセンの向けるまなざしのその先にあるものが強く印象に残った。ことばの存在、名づけるというその行為が息づく「家じゅうの人たちの言ったこと」
    正直者ほど嘘をつき、嘘つきほど正直という一見矛盾に見える真実、見えないものを見せる人の魂の働きを描く「はだかの王さま」
    死ぬということを美しく飾らず、また恐怖の対象としてふたをするでもなく、魂の存在を考える「墓の中の坊や」
    思わぬうちに落ち込む恋の驚き「いたずらっ子」
    「旅の仲間」善く生きる者の前には、高い木の枝になる実さえもその枝を垂れる、宮沢賢治の言葉が思い出される。
    一見すると悲しくも見える肉体の死の中に美しく魂の死を織り込む「マッチ売りの少女」
    幸せの意味を、夢という無限で不可思議の実現する中で考える「年とったカシワの木のさいごの夢」
    「氷の女王」信じるということ、神の身元にひざまづくこと、永遠の実現、すべて今ここに存在するほかならぬこの自分によらなければ何も起こらない。悪魔の鏡が惑わすのはひとの心ではない。ひとの見るという肉体の感覚だ。魂のまなざしを曇らせるのは、ひとの冷たい心。そしてそれを溶かし取り除くのは、熱いひとの涙。
    目には見えない存在がアンデルセンの言葉のなかではいきいきと呼吸し、悲しみや恐怖、喜び、感情を揺さぶりながら魂に語りかける。ことばという論理に従いながらも必ず飛躍し、論理からはみ出ずにはいられない。ことばのその先が知りたくなる。アンデルセンを読むといつもそうだ。

  • 味わい深いです。子供に読むにはちょっと長いかとは思いますが。

  • 「マッチ売りの少女」「みにくいアヒルの子」「はだかの王様」などアンデルセンを代表する童話もあれば、あまり聞かない長いお話もあります。

    感じたことは登場人物が「死」や「神」といった問題をオプミスティックに捉えて生き生きとした描写をしているということですね。

    個人的には「旅の仲間」が好きです。

  • 案外、知らないので読んでみました。
    マッチ売りの少女はいつ読んでもちょっと悲しい。

    お気に入りは
    年をとったカシワの木のさいごの夢

  • そういえば結末はどうだったっけ?
    と思い手に取ってみました。

    少女が最期まで誰を恨む訳でも
    自分を哀れむでもなくいくという
    その美しすぎる魂の有様にたじろぎました;

  • アンデルセン童話とグリム童話が有名な二大童話と言えるのだろうけれど、この物語はまるで性質が異なってくる。アンデルセン童話は比較的安心して子供に読ませられるけれど、グリム童話は原作に忠実だとあまりに残虐な部分が多い、しかしこれは大人から見た視線なのだろうか?とはいえ、個人的には昔から血を見るのが怖かったりしたので、子供=残虐とはなりえないとは思う、まぁ、親の影響なのかもしれないけれどそれを言ったら、子供の残虐性だって親の影響が皆無とは言えなくなってくるので……という堂々巡り。

    収録されている童話で有名なのは、表題作のマッチ売りの少女、醜いアヒルの子、裸の王様あたりなのかもしれない。しかし、知っているものとはなにやら違っていたりもする。例えば、醜いアヒルの子は、白鳥になっていい気分で幸福を感じて終わっているけれど、確か記憶によれば、彼を虐めた連中が彼の成長した姿を見て羨ましがるような、そういう箇所があったように思う、つまり、カタルシスを強めている要素が追加されている。また、親鳥も当初は子供を可愛がっており虐められても擁護していたりする描写があったりして、このあたり省かれていたのではないかなぁ。裸の王様は、誰も彼もが自分が無能であると認めたくないので必死に見えないのに見える振りをするという滑稽さが描かれており、現代版だと王様の滑稽さが際立っているけれど、原作的にはむしろ王様単独というよりは、自らの無能さを認めたくないがゆえの人間のエゴイズムが引き起こす悲劇ともつかぬ喜劇を描いているように感じられる。

    さて、アンデルセンの面白いところは実は読者をも物語りに巻きこもうとしてくる姿勢なのかもしれない。語り口調なのは珍しくないのだけれども、カラー(襟のあれ)が紙になって今この物語を伝えているのです、この男が物語を広めたものが今ここに綴られているのです、といった具合に彼は読者をも物語に引きいれようと試みている。あるいは、悪戯好きのキューピッドを忘れないように、などというこの語り口は著者が物語を通して教訓を伝えるというよりは直に教訓を伝えようとしているあたりが愉快だと感じる。ちなみに、とびくらべなんかでは、最後に「けどこの物語は嘘かもしれませんよ?」として茶目っ気を出すと同時に、読者に自ら考えることを促してもいる。

    ショートショートといった分量のものが多いのだけれど、本童話集では、「旅の仲間」と「雪の女王」だけはそれなりに分量がある。旅の仲間は少年が、金を返さずにして死んだとして死体をいじくられていた男を助けてやったことで、その男が旅の仲間として少年の許に現れ、彼を影から守っていくというストーリーである。因果応報の「いい」バージョンである。また、雪の女王は、離れ離れになった少年少女が、少女が子供らしさを失わずに少年を求めることで周囲の人たちが力を貸してくれてとうとう少年を助けることが出来、彼らはその月日の間に大人になっていたものの、子供の心を持ち続けており、それゆえに、イエスの、「幼子のような心を失えば天国にはいけないだろう」という言葉と合わせて教訓譚としている。

    個人的にこの旅の仲間や雪の女王も好きだけれど、マッチ売りの少女には到底勝てないように思われる。薄幸なマッチ売りの少女が、幸せな夢を見る、朝になったときにはもう彼女は死んでいた、この物語は数ページで終わるほどの短さなのだけれど、それがなおさらこの物語を際立たせていると感じる。幸せな夢、死、というこの対極な二つこそが現実に相応しいのである。そして、「年とったカシワの木の最期の夢」もほぼ同じストーリーラインを辿るというところを見ると、薄倖さ、あるいは無常観と、しかし、その中にあるほのかな幸せこそが最上なのだという感慨のようなものがアンデルセンの根底にはあったのかもしれない。

  • 高校2年生/図書館にて
    949.7/ア
    4010

  • 知っているようで、実は細部を全然知らなかったような。そうか、子どもの頃、わかりやすそうな翻訳で読んでいたからかもしれない。
    大人になってからもう一度読むのはいいことかもしれない。という訳でしばらくアンデルセンを読もうと思います。書かれた当時、デンマークの皇太子まで読んでいた本だもの。

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著者プロフィール

デンマークの作家、ハンス・クリスチャン・アンデルセン(Hans Christian Andersen、1805年~1875年)。

「2022年 『即興詩人 初出影印版』 で使われていた紹介文から引用しています。」

アンデルセンの作品

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