ナイン・ストーリーズ (新潮文庫)

  • 新潮社 (1974年12月24日発売)
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Amazon.co.jp ・本 (304ページ) / ISBN・EAN: 9784102057018

感想・レビュー・書評

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  • 「悲しみ」という名の怪物と不意に目が合ってしまったような九つの物語

    小銭を落して自動販売機の下を覗き込んだとき、雨上がりの街で排水溝に流れ込む雨水を目で追ったとき、誰かに呼ばれたような気がして振り向いたとき、早退していつもと違う時間に玄関のドアを開けたとき、向かいのマンションの空き部屋でカーテンが揺れたのに目を凝らしたとき、「悲しみ」という名の怪物と不意に目が合ってしまったような九つの物語

    ふだんは気付かなかった、いや薄っすらとその存在に気付いていたのに、気付かないふりをし続けていた「悲しみ」という名の怪物が、自分の存在を主張するかのように目の前に現れ、じっとこちらを見つめてきたような九つの物語

    • ひまわりめろんさん
      一般論としてなんだけど、みんな「古典」を読むとき、特にサリンジャーのような研究対象になっているような「古典」を読むとき、「正解」を求めすぎな...
      一般論としてなんだけど、みんな「古典」を読むとき、特にサリンジャーのような研究対象になっているような「古典」を読むとき、「正解」を求めすぎなような気がするんよな

      えー、いいじゃん
      もっと堂々と胸を張って「見当違い」の感想を発信していこうよー!って思うんよ

      読書ってそういうことやんって思うのよ
      国語のテストじゃないんだぜってね

      誰かの枠にハマった感性なんていらない

      うわ、また名言出た
      2024/07/06
    • 土瓶さん
      なるほど……。
      俺も正解を求めてしまっていたか。
      求めて、そのものになり、やがてその頂点に立ったというわけだな。
      つまりは正解王!
      ん? な...
      なるほど……。
      俺も正解を求めてしまっていたか。
      求めて、そのものになり、やがてその頂点に立ったというわけだな。
      つまりは正解王!
      ん? なんか語呂がいいぞ。
      西海王。西の海を治める王。
      いや、征海王。海の覇者。海賊王か。ロジャーか、ワンピースか!
      いやいやどうせなら星海王。もしくは征界王!
      いいぞ! 十倍界王拳とか出せそうだ!
      ならば政界王ならどうだ? あれ? 急にショボく……。
      パー券さばいて裏金作りなら任せろ!
      こんな王いらんわー!!
      (⁠ノ⁠`⁠Д⁠´⁠)⁠ノ⁠彡⁠┻⁠━⁠┻

      なんの話???
      2024/07/06
    • ひまわりめろんさん
      いや残しときなさいよ!
      なんの話でもいいから何かしらのせいかい王残しときなさいよ!
      いや残しときなさいよ!
      なんの話でもいいから何かしらのせいかい王残しときなさいよ!
      2024/07/06
  • 数年前、吉田秋生さんのコミック「BANANA FISH」がお気に入りで、その頃特装版が書店に並んでいて我慢するのが大変だった。主人公アッシュ・リンクスは、ビジュアル的には原作よりもアニメの彼が好みでしたわ。その元ネタの「BANANA FISHにうってつけの日」は、いつか読もうきっと読もうと思い続けておりました。

    タイトル通り、サリンジャー自選の短編9編。年代順のようです。なかなかの難物揃い。面白くないかと言えば、そんな事はなく、多くの作品で最後の3行にびっくりさせられる。そして、そのラストも含めて、さあどうぞと解釈してくださいね。と、ストーリーを引き渡される。困る。
    数編読んで、作品の設定に微妙な類似があるのかな?(天才系の少年とか)とぼんやり思っていたのだけれど、“グラース家”の家族というのがサリンジャーの作品に登場する家族らしい。この短編の中にもグラース家の話が3編あるのだそうな。(私は4編かなと思ったのだけど)
    短編だとしても、もう少し、説明があっても良いのではと思うが、このグラース家の設定は理解して読むのが流れなのかしら?

    「バナナフィッシュにうってつけの日」1948年
    シーモア・グラース(グラース家ですね。)と妻はビーチでバカンス。グラースは、多少病んでいるようです。かみ合わない会話、曖昧な返事。静かな狂気が漂いますね。バナナフィッシュは架空の魚。バナナをいっぱい食べて、入ったところから出れなくなる。ラストが突然。
    シーモアグラースが、“もっと鏡を見て”と人名の掛け言葉らしい。

    「コネティカットのひょこひょこおじさん」1948年
    大学時代のルームメイト2人が、そこそこの年齢でおしゃべり。この一人の恋人だった男がウオルト・グラース(グラース家だ)で、彼の昔話の中で、女の子が足首を捻った時、童話のびっこの兎ひょこひょこおじさんと言ったのがタイトル。足首とおじさんのアンクルが掛け言葉。二人が酔っ払ってくるし、娘には空想の恋人が出てくるし、難解ですわ。

    「対エスキモー戦争の前夜」1948年
    最高に食えない友人とテニスをして、その帰り友人の家に立ち寄る。友人の兄が手を切って出てくる。
    その後兄の友人が出てくる。二人が飛行機工事で働いていた。

    「笑い男」1949年
    スポーツ団のコーチの青年が、少年達に話す作中作が“笑い男”。誘拐され顔に穴を開けられた少年が義賊となる。妬まれて殺されるが、仲間と自然を大切にした。コーチは有望な好青年だが、見た目が良くない。自分のこととかけているのかな?物語はよくできていて面白い。

    「小舟のほとりで」1949年
    父親の陰口を聞いてしまった少年が、小舟に家出する。母親ブーブー(グラース家)が息子を慰めて、家に一緒に帰る。
    陰口は、父親がユダヤ人(カイク)と言われたこと。
    母親は、空に揚げる凧よ(カイト)とごまかす。

    「エズミに捧ぐ」1950年
    エズミの結婚式の招待状が届く。
    エズミとの出会いを思い出す。彼女は、彼女が出てくる小説を書いて欲しいと頼む。
    エズミと軍人との小説が書かれる。

    「愛らしき口もと目は緑」1951年
    男が若い女と一緒にいる時に、友人から電話がくる。妻が帰って来ないと延々と話続ける。ひたすら酔っ払いの話を聞いてなだめる。どうにか電話を切らせたが、又電話が鳴り、妻が帰った喜び。
    若い女が妻だと思っていたが、違った。

    「ド・ドーミエ=スミの青の時代」1951年
    主人公は、偽名で通信の美術学校の講師になり、一人の修道女に執着する。
    学校の運営は日本人。無許可で営業していたようで廃校になり、元の生活に戻る。

    「テディ」1953年
    天才少年テディ。船旅の間の輪廻転生などの死生観の会話。予測が、船から落ちること。妹か彼か、どちらが落ちたのでしょう。
    日本の詩として俳句が紹介されている。

    何というか、研究対象の文学という感じでしょうか。読み解ければ、気持ち良さげですが、自由に想像する余白があるとした方が気楽に読めそうですね。

  • ひとつ前に読んだ「九つの、物語」(橋本紡著)の中に挿入されていた
    古典文学の短いお話「コネティカットのひょこひょこおじさん」の著者が
    J.D.サリンジャーであることと、このお話はサリンジャーによるその他の
    お話と共に、九つの短編が収められている「ナイン・ストーリーズ」という
    短編集の本であることを同時に知り、「九つ」と「ナイン」の二つの本との
    巡り合わせにも心動かされて読んでみました。

    ・バナナフィッシュにうってつけの日
    ・コネティカットのひょこひょこおじさん
    ・対エスキモー戦争の前夜
    ・笑い男
    ・小舟のほとりで
    ・エズミに捧ぐ――愛と汚辱のうちに
    ・愛らしき口もと目は緑
    ・ド・ドミーエ=スミスの青の時代
    ・テディ

    それぞれ単独の短いお話で、どのお話の中にも幼児くらいの小さな子供や
    十代の少年少女、あるいは二十歳を超えたくらいの若い青年が登場します。
    (登場しないお話も若干あり)その少年少女たちに向けられている、著者
    サリンジャーの眼差しはとても穏やかで柔らかく、愛おしささえ感じる
    優しい空気に包まれていました。けれどもその一方で、大人な人の心に潜む
    言い知れぬ孤独感のようなもの悲しい空気も漂い流れていて、どのお話も
    人肌ほどの柔らかな温かさと、人恋しくなるようなもの寂しさとが交差して
    たゆたっているように感じられました。

    ちいさな子たちや少年や少女は決してみな主人公ではありません。
    (中には主人公もいます)けれどもこの子たちこそがお話の中での重要な
    キーパーソン。著者サリンジャーは、子供たちの姿を借りて、読む人への
    メッセージを込めていたのかしら...と、ふとそんなふうに思えたお話が
    いくつかありました。中にはサリンジャーご自身をなぞらえているのかも...と
    思えてしまうようなお話もあったり。(「笑い男」の私。「エズミに捧ぐ」の私。)
    サリンジャーの著作を読むのはこれが初めてで、何の予備知識もないまま
    読んだのに、九つのお話どれにもどこかになぜかしらサリンジャー自身が
    いるように思えてなりませんでした。不思議。

    「バナナフィッシュにうってつけの日」に続くお話と「ライ麦畑でつかまえて」
    読んでみたいです。

  • サリンジャーの描く子供って個性豊かでリアルですごい好き。
    子供なんだけど子供らしくなくて、大人の押し付ける子供への理想みたいなのが投影されてない感じ。
    うまく言えないけど、サリンジャー自身も大人になりきれてなくて、ずっと子供の純朴さを持ち続けていたから描ける子供像なんだと思う。
    嫌でも大人にならなきゃいけない、子供のままではいられない社会の中で、文学を通して子供のままでいようとしたのかな〜なんて思ったり。
    とにかくピュアで自由で…。
    登場人物の子供への接し方も良い。
    子供相手に諭すような接し方ではなく、純粋に友人として対等に接する感じ。

    話の成り行きはどれも予想が出来なかったり、結末が唐突だったりして驚くけど、テディにあった通り、自分が「論理的にあろうとしている」からそう感じるんだと思った。
    大人の世界で生きるのはつまらなくても苦しくても、バナナフィッシュの存在を受け入れられる人間であり続けたい。

    • おはようまだねようさん
      言語化が上手すぎます!それを伝えたくてついコメント残してしまいました。
      言語化が上手すぎます!それを伝えたくてついコメント残してしまいました。
      2025/03/09
    • いぬ心地さん
      コメントありがとうございます!
      とっても嬉しいです‪‪ ‬т т!!
      コメントありがとうございます!
      とっても嬉しいです‪‪ ‬т т!!
      2025/03/22
  • ネイティヴ並みの英語力で原書を読めたらどんなに幸福なことか‥‥今作はそう思う何冊かの一冊。

  • 大好きな一冊
    10代の頃からずっと繰り返し読んでます

    生きることの不器用さ言い換えれば純粋さとも言える主人公たちの言葉にできない部分を
    うまく描いてるのがほんとすごい
    もやっとした曖昧なものを言葉で説明して理解させるのではなく、行間を読ませて感じさせるみたいな、そういう空気感や緊張感を作るのがうまいんだと思う
    その辺の感覚が合わないとつまらない作品になるとおもう
    読解力とかではなく単にフィーリングの問題

    サリンジャーは言葉遊びが面白いので、この作品は特に翻訳無しでも読んでみてほしいです

  • バナナフィッシュにうってつけの日が読みたくて。
    行儀悪くたくさんバナナを食べすぎて、バナナ穴から外へ出られなくなるバナナフィッシュ。彼らはそのままバナナ熱にかかって死んでしまう。とても示唆に満ちた話だ。
    このナイン・ストーリーズにおさめられている9つの話はどれも取るに足らないような、でもそこには見えない何かが含まれているような不思議な読後感を残す。
    最後の話であるテディでは、とても哲学的で賢いテディという少年が出てくる。アダムとイブがエデンの園で食べた林檎のなかに入っていたのは論理だというテディ。アダムとイブは論理なんか食べるべきではなかったと。私たちも同様にいつも論理的であろうとするから、物をあるがままには見たがらず、物事には終わりがあるものだと思ってしまう。
    こうやって感想をまとめようとしてる今、なんだかそれはバナナフィッシュに似ているような気がしている。バナナフィッシュと、リンゴ食いの連中である私たち。

    • naonaonao16gさん
      こちらこそありがとうございます!

      そして、まだ途中ではあるのですが、バナナフィッシュの1話が「バナナフィッシュにうってつけの日」、最終話が...
      こちらこそありがとうございます!

      そして、まだ途中ではあるのですが、バナナフィッシュの1話が「バナナフィッシュにうってつけの日」、最終話が「ライ麦畑でつかまえて」だったような気がします。
      なので、レビューの冒頭にも驚いてしまいました!

      とはいえ、サリンジャー難しいんですよねー(汗)
      2020/05/15
    • つづきさん
      そうなんですね!私もバナナフィッシュというアニメが気になってきたので機会があればみてみますw

      私は村上春樹さんが好きなので、サリンジャ...
      そうなんですね!私もバナナフィッシュというアニメが気になってきたので機会があればみてみますw

      私は村上春樹さんが好きなので、サリンジャーも村上春樹訳がきっかけで読むようになりました。
      抽象的な部分が多くて難しいところもありますが、無理に読み解こうとせずに自分に置き換えられる部分だけ掬い取って読んでいくと楽しめたのでぜひ!感想楽しみにしています♪
      2020/05/16
    • naonaonao16gさん
      バナナフィッシュはAmazonプライムで観られますので是非(笑)

      わたしも以前村上はるきさん大好きでよく読んでました!そしてその時に、わた...
      バナナフィッシュはAmazonプライムで観られますので是非(笑)

      わたしも以前村上はるきさん大好きでよく読んでました!そしてその時に、わたしも彼の翻訳でライ麦を読みました。かなり前なのですっかり忘れてしまっていますが(泣)
      自分に置き換えられる部分だけ掬いとる、というのは、とても分かりやすくて素敵な表現ですね。
      翻訳に苦労しがちなので、そんなふうに読んでいきたいです✧︎ありがとうございます!
      2020/05/16
  • バナナフィッシュにうってつけの日」 バナナを6本も口にくわえたバナナフィッシュという魚がいるらしい。 まるで自分が拳銃に撃たれたかのようなショックを受けたものですが、久々に読み返してみてその鮮烈さに変わりなかったです。 『テディ』 最後の一編。ずば抜けた知性を持つ少年テディ。なぜ彼は生と死について考えなければならなかったのか。 最初の一編『バナナフィッシュにうってつけの日』につながるような終わり方でした。 久々に読み返して、自分にとって生涯の一冊であることを再認識した。

  • 解釈するにはまだまだ足りないような。
    純粋にストーリーとして味わった感じ。

    「エズミに捧ぐー愛と汚辱のうちに」を読みたくて購入。
    エズミという少女の、不思議な魅力。
    位が高いことを自負しながらも「汚辱」が書かれた小説を主人公に求めるのは、なぜなのか。
    戦争によって壊れてしまった主人公が、またスタート地点に戻る快復を試みるのが、エズミからの手紙のおかげであるのに。

    アメリカ人という、分からない対象を、それでも理解しようとし対話を行うエズミと、その対話に快く応じ、また彼女をその相手として認める主人公の、バランスの良い時間が心地よかった。

    「バナナフィッシュにうってつけの日」では、より奔放な少女が描かれている。
    読んだあと、川端康成の「みずうみ」という作品を思い出した。
    自らの足の醜さを意識するあまり、少女の清らかな足を求める構図が、似ているように思う。
    足は、手と違って万能性はないものの、地という汚れ・現実との接続点とも言えるかもしれない。

    「テディ」は、読後を持っていく力のある、最後の作品だった。
    恐らく年齢に不釣り合いな哲学的思索を行えるテディは、死に対しても透徹した目を持っている。
    成長の途上にある少年が、既に霊的進歩を遂げた存在であることが混合されると、なんだか奇妙な感覚を覚えさせる。

  • はじめてのサリンジャーで。
    楽しみにしていた「バナナフィッシュにうってつけの日」の海へ放り出されたような終わり方にびっくり。

    九篇を読み終えてサリンジャーの雰囲気を知り、もう一度読み返してみることでやっと味わえた。かな?

    自分で行間を読む楽しさと、難しさ。
    「テディ」がお気に入り。

  • サリンジャーは本当に意地悪なひとだと思う。かなり、変わっている。
    バナナフィッシュからはじまる一連の物語の不可解さ、不思議さ。なのにでも、どこかひきつけられた暖かい。
    始めは、出来事の順序や時間といった因果関係がつながっているようで壊れていて、困惑した。出来事と行動を結びつけることが拒まれている。なんだこれは。
    テディまで読んでようやくわかった。出来事に因果関係など、はじめから彼は持たせていなかったのだ。彼はことば以前に立ち戻って語ろうとするために、因果関係を拒絶するような飛躍をしているのだ。テディのことばを借りれば、エデンのリンゴを吐き出して、ということだろう。
    どうしても理由や意味をもとめたがってしまう。シーモアはなぜ自殺したのか、とか。今目の前にいる愛らしい口元の目は緑の奴は何者か、とか。なぜコネティカットのひょこひょこおじさんはあんなにも涙したのか、とか。ド・ドーミエ=スミスはあの晩何を見たのか、とか。はっきりいってそういったことを求めるのはナンセンスだと思う。わかるわけないのだ。はじめから意味や理由を持たせていないのだもの。ただ、在るようにしかない。バナナフィッシュはバナナフィッシュであって、それ以上の何者でもない。どんな形でどういう色でとか、海にバナナって何なのか、そんなものない。そうとしか、言えない。そうとしか言えないように、しているのだ。たぶんプラトンへの敬愛が彼にあるんだと思う。
    そうすると、バナナフィッシュになったり、眼鏡を頬にこすり付けて泣いたり、脱腸帯を締めてるマネキンになったりするのだ。こういう意図的にナンセンセンスなものが書けてしまうというところが、ものすごく変わっている。哲学者ではこうはできない。
    そして、そのことを最後に10歳の少年に堂々と語らせて、見事に落ちまでつけて幕引きさせるのだから。まるで今までの8編での取り組みのほどを確認するかのように。相当イケズだと思う。
    解説によると、彼は自分の略歴や作品への解説を許可していないようだ。戦争がどうとか、家庭がどうとか、人物像や彼の表す象徴の解釈を作品に持ち込んでもらいたくないのだ。そんなものなくても、彼の書いたものを自力で理解できなければ、リンゴを吐き出してものを言えない。いや、理解というよりはもはや体感といった方がいいかもしれない。
    彼の作品に登場するのは若いひとだと言うが、年齢というよりは根源的というところなんだと思う。いくら年がいっていても、根源をいつでも見出せるひと、それが若さなんだと。10歳でも何歳でもいいのだ。常に古く、常に新しく、ひとは根源に至ることのできる可能性を持っている。

  • 「両手の鳴る音は知る。片手の鳴る音はいかに?」

    冒頭に添えられたこの禅の公案が問いかけるのは、音の不在そのものに意味があるのかということ。音を生む沈黙、沈黙が生む気づき——それは、物語が残す余韻に通じるものがある。

    静かな湖に小石を投げる。水面は揺れ、波紋が広がる。その広がりの行方は、自分でもわからない。『ナイン・ストーリーズ』を読むたび、心のなかに生じるさざめきもまた、見えない波紋となって消えずに残る。

    バナナフィッシュのシーモアは楽園を垣間見たが、戻ることは叶わなかった。エズメの手紙は兵士にとっての救済だったが、世界そのものを救うことはできない。テディの哲学は無垢に見えながら、死の匂いをはらんでいる。戦争の影、喪失、孤独、純粋さの崩壊——それらは静かに沈み、やがて思考の底に堆積する。

    サリンジャーの物語は、はっきりとした意味を与えない。コーヒーカップの底に残る渦のように、その形を読み解くことはできても、完全には掴めない。あるいは、電車の窓越しにふと目にする誰かの横顔のように、一瞬で消えるが、なぜか心に引っかかるものがある。

    決定的な答えを示さず、「片手の鳴る音」のような、形に収まらない余韻を残す。だからこそ、本を閉じても、その響きは消えない。

    ---------
    サリンジャーという作家

    サリンジャーが隠遁を選んだ理由は多く語られてきた。プライバシーへの強い願望、社会や世界への幻滅、戦争の記憶、精神的・宗教的探求——どれも彼の決断に影響を与えたのだろう。ただ、それらの背景を超えて、彼は「自分らしく生きる」ために、自らの道を選んだのだと思う。

    彼にとって「純粋さ」と「真実」は、子どもの無垢な感性のなかにこそ宿るものだったのかもしれない。エズメの言葉に救われる兵士のように、テディの瞳に宿る哲学のように、サリンジャーの描く「純粋さ」は単なる理想ではなく、ときに残酷な形で現れる。「真実」は、大人になった先に見出すものではなく、かつての純粋さを抱えながら世界と対峙することで、ようやく辿り着くものなのかもしれない。

    おじさんになって、わかったことがひとつある。イノセンスは、気合いで取り戻すことができる、たぶん。あちょー。

  • テディだけ、生まれ変わりの信仰や合理科学への疑問を語らせている感覚。
    子どもというより、もっと無垢であることが、無知であることが、真に物事を知っている、という感じ。

  • 「バナナフィッシュにうってつけの日」が
    読みたくて買いました。

    衝撃的で突然過ぎる終わりに、
    読み終わったあとしばらくボーッとしました。

    その他の短編も、どこか悲しげというか
    「死」というものがそばにあるように感じます。

    『ライ麦畑でつかまえて』も読みたいですが
    なかなか売ってなくてまだ手に入れてません。
    早く読んでみたいです。

  • あまり人気はないようだが、『小舟のほとりで』が好きでなんども読み返してしまう。あの二人の会話が、何気なくて、小さなことで、それでいてとても大きな問題で、優しい。『バナナフィッシュにうってつけの日』などがサリンジャーの真骨頂ではと思うが、それと同じくらい心の僅かなゆらぎを描ける作家としての実力(野崎先生の力含め)が『小舟のほとりで』にはあると思う。


  • サリンジャーの作品って、大人への皮肉や理屈っぽい世の中へ、子どもという純粋で素直な存在を通してヘイトするのがすっっごく上手。ただ悪口としてのヘイトではなく、理屈に生きる大人たちをハッとさせてくれるような、この世を正しい方へ軌道修正させてくれる、そんなサリンジャー作品が大好き。

    現代社会で仕事をしてると、数字主義すぎて、実態なんて後回しだなって感じる。数字で実績を出せば、手段は問わないってのをすごく感じる。それをやる奴が「成功者」と言われる狂った世の中を、少しでも修正したい。

    論理なんかに負けず、じぶんの感情を信じたい。

  • 「テディ」が1番好き。あなたはただ論理的であろうとしているだけなんだよ。

  • 収録作品の登場人物には悲惨な結末を迎える者や、報われない者もいるが、彼らを描き出す作者の目線は愛に満ちているように思った。読んでいてとても心地よかった。

  • 【不自由を書くのが上手すぎる】

    この短編集の妙はこれに尽きると思う
    時代・格差・戦争によって心身の価値観を損なわされ、選択肢が狭められた人物が
    いかに無意識に自分自身の思考、行動範囲を狭められているのか、そしてそれを自分では気付けないでいるのかを描くのが上手い

    氏の作品一つひとつが難解と受け取られるのも、まさにここに起因すると思う

    もちろん、当時の異国の時代背景や戦争のリアルを日本人目線では掴めないのは大きい
    (原作で読めないのも十分ハンデだ)

    しかしそれ以上に私たちが一回でこの作品の本質を読み取れないのは、登場人物が自身の不自由に無自覚だからだ

    この短編集に出てくる登場人物らはほぼ全員、いかに自分の行動や発言が時代・格差・戦争によって制限を強いられているのか、その本質的なところには尽くが無自覚だ

    その言動がいかに不自由を強いられているのかを描いているのに、しかしその言動を取る登場人物は尽くその不自由さに無自覚だ

    だからあまりにもさらりと描く
    それが生々しい
    既にそうなってしまった人間の結果だけを描くことで、逆にその登場人物の今日に至る喪失の厚みを読者に押し付けてくる

    行間がとにかく重たい短編集だった

  • 読後じわーっと味わいが残るいい短編集。読み残して長い間積んでいたのがちょっと惜しかった。

    ひとつひとつの内容も面白く、凝っている。一話完結という風ではなく、余韻が残してある。その余韻が想像力をかきたてたり、不安が増したり、余情を感じたりする。

    散りばめられた文学的エッセンスの数々が興深い。サリンジャーは短編の名手でもあると知る。

    「バナナフィッシュにうってつけの日」…「バナナフィッシュ」って…傷跡?刺青? 出てくるドイツ語の詩の本って何だろう?

    「コネティカットのひょこひょこおじさん」…女同士の会話がいい。ジェーン・オースティンの名が…。

    「対エスキモー戦争の前夜」…コクトー『美女と野獣』が気になる。

    「笑い男」…短編中に織り込んである詩情あふれるファンタジー物語の方もすてきだが、地の短編にも泣く。

    「小舟のほとりで」…声高に言わずに、いじめとか差別があるこの世を示してくれる。

    「エズミに捧ぐ――愛と汚辱のうちに」…ドストエフスキー「カラマーゾフの兄弟」ゾシマ長老言葉に再会。

    「愛らしき口もと目は緑」…え、え、えっ。浮気の相手は電話の相手と思わせぶり。

    「ド・ドーミエ=スミスの青の時代」…登場人物の珍妙な日本人が不可解で芸術が偽っぽいとは複雑な気持ちになる。

    「テディ」…知的オカルト・ホラー。ぞぞ、ぞー。

    丹念に読んだが、感想があたっているかどうか。

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