ナイン・ストーリーズ (新潮文庫)

  • 新潮社
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本棚登録 : 5660
レビュー : 543
  • Amazon.co.jp ・本 (302ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784102057018

感想・レビュー・書評

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  • ひとつ前に読んだ「九つの、物語」(橋本紡著)の中に挿入されていた
    古典文学の短いお話「コネティカットのひょこひょこおじさん」の著者が
    J.D.サリンジャーであることと、このお話はサリンジャーによるその他の
    お話と共に、九つの短編が収められている「ナイン・ストーリーズ」という
    短編集の本であることを同時に知り、「九つ」と「ナイン」の二つの本との
    巡り合わせにも心動かされて読んでみました。

    ・バナナフィッシュにうってつけの日
    ・コネティカットのひょこひょこおじさん
    ・対エスキモー戦争の前夜
    ・笑い男
    ・小舟のほとりで
    ・エズミに捧ぐ――愛と汚辱のうちに
    ・愛らしき口もと目は緑
    ・ド・ドミーエ=スミスの青の時代
    ・テディ

    それぞれ単独の短いお話で、どのお話の中にも幼児くらいの小さな子供や
    十代の少年少女、あるいは二十歳を超えたくらいの若い青年が登場します。
    (登場しないお話も若干あり)その少年少女たちに向けられている、著者
    サリンジャーの眼差しはとても穏やかで柔らかく、愛おしささえ感じる
    優しい空気に包まれていました。けれどもその一方で、大人な人の心に潜む
    言い知れぬ孤独感のようなもの悲しい空気も漂い流れていて、どのお話も
    人肌ほどの柔らかな温かさと、人恋しくなるようなもの寂しさとが交差して
    たゆたっているように感じられました。

    ちいさな子たちや少年や少女は決してみな主人公ではありません。
    (中には主人公もいます)けれどもこの子たちこそがお話の中での重要な
    キーパーソン。著者サリンジャーは、子供たちの姿を借りて、読む人への
    メッセージを込めていたのかしら...と、ふとそんなふうに思えたお話が
    いくつかありました。中にはサリンジャーご自身をなぞらえているのかも...と
    思えてしまうようなお話もあったり。(「笑い男」の私。「エズミに捧ぐ」の私。)
    サリンジャーの著作を読むのはこれが初めてで、何の予備知識もないまま
    読んだのに、九つのお話どれにもどこかになぜかしらサリンジャー自身が
    いるように思えてなりませんでした。不思議。

    「バナナフィッシュにうってつけの日」に続くお話と「ライ麦畑でつかまえて」
    読んでみたいです。

  • バナナフィッシュにうってつけの日が読みたくて。
    行儀悪くたくさんバナナを食べすぎて、バナナ穴から外へ出られなくなるバナナフィッシュ。彼らはそのままバナナ熱にかかって死んでしまう。とても示唆に満ちた話だ。
    このナイン・ストーリーズにおさめられている9つの話はどれも取るに足らないような、でもそこには見えない何かが含まれているような不思議な読後感を残す。
    最後の話であるテディでは、とても哲学的で賢いテディという少年が出てくる。アダムとイブがエデンの園で食べた林檎のなかに入っていたのは論理だというテディ。アダムとイブは論理なんか食べるべきではなかったと。私たちも同様にいつも論理的であろうとするから、物をあるがままには見たがらず、物事には終わりがあるものだと思ってしまう。
    こうやって感想をまとめようとしてる今、なんだかそれはバナナフィッシュに似ているような気がしている。バナナフィッシュと、リンゴ食いの連中である私たち。

    • naonaonao16gさん
      こちらこそありがとうございます!

      そして、まだ途中ではあるのですが、バナナフィッシュの1話が「バナナフィッシュにうってつけの日」、最終話が...
      こちらこそありがとうございます!

      そして、まだ途中ではあるのですが、バナナフィッシュの1話が「バナナフィッシュにうってつけの日」、最終話が「ライ麦畑でつかまえて」だったような気がします。
      なので、レビューの冒頭にも驚いてしまいました!

      とはいえ、サリンジャー難しいんですよねー(汗)
      2020/05/15
    • つづきさん
      そうなんですね!私もバナナフィッシュというアニメが気になってきたので機会があればみてみますw

      私は村上春樹さんが好きなので、サリンジャ...
      そうなんですね!私もバナナフィッシュというアニメが気になってきたので機会があればみてみますw

      私は村上春樹さんが好きなので、サリンジャーも村上春樹訳がきっかけで読むようになりました。
      抽象的な部分が多くて難しいところもありますが、無理に読み解こうとせずに自分に置き換えられる部分だけ掬い取って読んでいくと楽しめたのでぜひ!感想楽しみにしています♪
      2020/05/16
    • naonaonao16gさん
      バナナフィッシュはAmazonプライムで観られますので是非(笑)

      わたしも以前村上はるきさん大好きでよく読んでました!そしてその時に、わた...
      バナナフィッシュはAmazonプライムで観られますので是非(笑)

      わたしも以前村上はるきさん大好きでよく読んでました!そしてその時に、わたしも彼の翻訳でライ麦を読みました。かなり前なのですっかり忘れてしまっていますが(泣)
      自分に置き換えられる部分だけ掬いとる、というのは、とても分かりやすくて素敵な表現ですね。
      翻訳に苦労しがちなので、そんなふうに読んでいきたいです✧︎ありがとうございます!
      2020/05/16
  • サリンジャーは本当に意地悪なひとだと思う。かなり、変わっている。
    バナナフィッシュからはじまる一連の物語の不可解さ、不思議さ。なのにでも、どこかひきつけられた暖かい。
    始めは、出来事の順序や時間といった因果関係がつながっているようで壊れていて、困惑した。出来事と行動を結びつけることが拒まれている。なんだこれは。
    テディまで読んでようやくわかった。出来事に因果関係など、はじめから彼は持たせていなかったのだ。彼はことば以前に立ち戻って語ろうとするために、因果関係を拒絶するような飛躍をしているのだ。テディのことばを借りれば、エデンのリンゴを吐き出して、ということだろう。
    どうしても理由や意味をもとめたがってしまう。シーモアはなぜ自殺したのか、とか。今目の前にいる愛らしい口元の目は緑の奴は何者か、とか。なぜコネティカットのひょこひょこおじさんはあんなにも涙したのか、とか。ド・ドーミエ=スミスはあの晩何を見たのか、とか。はっきりいってそういったことを求めるのはナンセンスだと思う。わかるわけないのだ。はじめから意味や理由を持たせていないのだもの。ただ、在るようにしかない。バナナフィッシュはバナナフィッシュであって、それ以上の何者でもない。どんな形でどういう色でとか、海にバナナって何なのか、そんなものない。そうとしか、言えない。そうとしか言えないように、しているのだ。たぶんプラトンへの敬愛が彼にあるんだと思う。
    そうすると、バナナフィッシュになったり、眼鏡を頬にこすり付けて泣いたり、脱腸帯を締めてるマネキンになったりするのだ。こういう意図的にナンセンセンスなものが書けてしまうというところが、ものすごく変わっている。哲学者ではこうはできない。
    そして、そのことを最後に10歳の少年に堂々と語らせて、見事に落ちまでつけて幕引きさせるのだから。まるで今までの8編での取り組みのほどを確認するかのように。相当イケズだと思う。
    解説によると、彼は自分の略歴や作品への解説を許可していないようだ。戦争がどうとか、家庭がどうとか、人物像や彼の表す象徴の解釈を作品に持ち込んでもらいたくないのだ。そんなものなくても、彼の書いたものを自力で理解できなければ、リンゴを吐き出してものを言えない。いや、理解というよりはもはや体感といった方がいいかもしれない。
    彼の作品に登場するのは若いひとだと言うが、年齢というよりは根源的というところなんだと思う。いくら年がいっていても、根源をいつでも見出せるひと、それが若さなんだと。10歳でも何歳でもいいのだ。常に古く、常に新しく、ひとは根源に至ることのできる可能性を持っている。

  • あまり人気はないようだが、『小舟のほとりで』が好きでなんども読み返してしまう。あの二人の会話が、何気なくて、小さなことで、それでいてとても大きな問題で、優しい。『バナナフィッシュにうってつけの日』などがサリンジャーの真骨頂ではと思うが、それと同じくらい心の僅かなゆらぎを描ける作家としての実力(野崎先生の力含め)が『小舟のほとりで』にはあると思う。

  • サリンジャーは若い頃にライ麦畑~を読んだきりだったのですが、小川洋子&クラフトエヴィング商会のパスティーシュ本『注文の多い注文書』に収録されている「バナナフィッシュの耳石」を経て、ようやく今更これを読むことに。実はそれ以前に辻原登の『闇の奥』で「笑い男」のエピソードがかなり重要な役割を果たしていたので、いい加減『ナイン・ストーリーズ』くらい読まねばなあと思っていたところでした。

    のっけから「バナナフィッシュにうってつけの日」のインパクトが絶大。この作品以外にも戦争の影は差しているけれど、深読みや解釈をせずとも、情景だけでとても鮮烈だった。原題は「A Perfect Day for Bananafish」。おかげで脳内でルー・リードの「Perfect Day」がずっと流れてます。

    あとはやっぱり「笑い男」が面白かった。外枠になる「コマンチ団」の少年と団長の物語より、団長が語ってきかせる「笑い男」の話に圧倒的に興味を惹かれてしまう。ユゴーの「笑う男」がベースにあるのだろうけど、たとえばバッドマンのジョーカーとか、もっと拡大したら日本の口裂け女にも通じる悲劇的な過去から悪への変貌、それでいて悪役ではなくダークヒーロー的な活躍をする「笑い男」と彼の仲間たちの魅力。

    「コネティカットのひょこひょこおじさん」は、大人たちのとりとめない会話の内容よりも、無慈悲にイマジナリー・フレンドを取り換える幼い女の子の存在が印象的。どの短編にもそういえば幼い子供が出てくるあたり、サリンジャー研究してるひとは分析しがいがありそうだなとか思いつつ。私はそこまで思い入れがあるわけではないので、どれも単純に筋を追うのが面白かった。

    ※収録
    バナナフィッシュにうってつけの日/コネティカットのひょこひょこおじさん/対エスキモー戦争の前夜/笑い男/小舟のほとりで/エズミに捧ぐ――愛と汚辱のうちに/愛らしき口もと目は緑/ド・ドーミエ=スミスの青の時代/テディ

  • はじめて読んだときから、たぶんしぬまでずっと好き。
    以前読んだとき、意味がよくわからず「????」となり、今回読み直してもまた意味がよくわからなかった。しかし理解しようと内容についてたくさん考えるのが楽しかった。
    どのお話しも印象にのこった。
    「バナナフィッシュにうってつけの日」「コネティカットのひょこひょこおじさん」「笑い男」「エズミに捧ぐ」「テディ」がとても好き。

    「バナナフィッシュにうってつけの日」にてシーモアが話す寓話が昔からお気に入り。最後はびっくりした。
    この短編を読むたびに都合よく記憶が消せたらいいのにと思う。記憶を消して、もう一度はじめて読んだときの衝撃を味わいたい。

  • 全体としては先に読んだ『ライ麦畑でつかまえて』の方が好きなのですが、
    その理由は長編と短編の違いと、「君」に向けて書かれた文章か
    普通の小説の文体かどうか、人称の違いなのかなあという気がします。

    長編『ライ麦畑』の場合、いちど作品世界に入っていけたら
    後はすらすらと読めましたが、『ナイン・ストーリーズ』の場合は
    各登場人物・人間関係の把握に時間がかかり、
    のめり込めたかと思うと後半で、すぐ終わってしまう。
    二回目の方が面白いのかもしれません。

    把握するのに時間がかかるので、こちらの方が読み難かった。
    読み終わるまですごく時間がかかりました。
    短編だと、一日一本のつもりで読むのですが、話の途中で諦めて
    次の日に持ち越すことも多く・・・そのせいで『愛らしき口もと目は緑』は
    ちゃんと読解できていませんでした。残念。
    序盤の「深い青」=海の貝殻みたいな目=緑じゃない という描写を
    見逃してしまうと、これは意味がさっぱりわかりませんね。

    そんなわけで全体としては★4ぐらいだけど、
    『エズミに捧ぐ』が突出して大好き・・・これだけ10回は読み返したいぐらい。
    前半後半等、違う話を合体させているパターンも、この短編集ではかなり多いです。
    『笑い男』もそうだし、『テディ』なんかも。
    『エズミに捧ぐ』も、前半と後半・・・参戦前後で違う話。構成がすごい。

    『バナナフィッシュにうってつけの日』はシーモアの話ですが
    『僕は狂ってる』の後の、『ライ麦畑』の原型のような感じ。
    『ナイン・ストーリーズ』全体を通して戦争後遺症、PTSDが影を落としてる。
    PTSDと、サリンジャーは無垢なものに対する憧れ云々と言われますが
    早い話が重度のロリコン・ショタコンなんじゃないかと・・・。
    あまりに純粋なロリコンですよね。
    そこの部分の描写があまりにも巧みすぎます。
    なにかを描写するのに、直接的ではなくて
    周りから細かく描写している。周囲の雰囲気込みで。そしてその観察眼の鋭さ。
    だから、読むのに時間がかかるのかもしれません。

    『笑い男』はそのまま『ダークナイト』の世界観、
    ジョーカーや乱歩の『黄金仮面』のようなイメージ。

    『ド・ドーミエ=スミスの青の時代』も、地味に好きです。
    何かの芸術作品を介在させて、女性に惹かれていく。
    まあそれは文章でも絵でもなんでもよくて、その人のセンス。
    これ、すごくよくわかりますよ。魂の部分で惹かれるところが。
    勝手に妄想するとこは青くさいんだけど(笑)。

    『テディ』で終わるんですけど、また『バナナフィッシュ』に還ってくる、
    アルバムの最後の曲が終わると、また一曲目に戻ってくる
    そんな印象を受けました。
    とにかく『エズミに捧ぐ』が大好き。★100個。


    「あなたもわたしをひどく冷たい女だとお思いになって?」

    • kwosaさん
      ああ、GMNTさん!

      また『ナイン・ストーリーズ』が読みたくなりましたよ。
      僕は『エズミに捧ぐ』が強烈に好きだったということは覚えているく...
      ああ、GMNTさん!

      また『ナイン・ストーリーズ』が読みたくなりましたよ。
      僕は『エズミに捧ぐ』が強烈に好きだったということは覚えているくせに、内容はすっかり忘れているんですよ。
      でも、ものすごく良かったってことだけ覚えているんです。なんなんでしょうね。

      サリンジャーは、これと『ライ麦畑』しか読んでいないんですが、『ナイン・ストーリーズ』は折に触れ読み返しますね(そのくせすぐ忘れるんですが)。

      柴田元幸の新訳も買ったのですが、これに関しては野崎訳が好きなようです。
      『バナナフィッシュにうってつけの日』は柴田訳では『バナナフィッシュ日和』になっていて。
      でも「うってつけの日」ってのがいいんですよね。
      GMNTさんがどこかのコメント欄に書いていらした『ライ麦畑でつかまえて』の「つかまえて」感みたいなものですかね。

      『バナナフィッシュにうってつけの日』の、死に至るまでの不条理感(けっして不条理ではないのですが)が心を締めつけ、油断すると涙がこぼれそうになります。

      よく推理物のドラマなんかで、自殺に見せかけた殺人事件というシチュエーションで、探偵役が「これから死のうとする人間がビデオの録画予約をするでしょうか」みたいなセリフがでてきますが、そういうことあるとおもうんですよね(ミステリなので推理のとっかかりとしては問題ないのですが)。

      慢性的に死に思いを馳せていて、そのギリギリのラインで毎日をなんとか生きている人。
      毎日、それなりに楽しく生きているけれど、ビデオの録画予約をした後に死にたくなっちゃったとか。

      サリンジャーの、特に『ナイン・ストーリーズ』は、そのギリギリのライン、人間の心の境界の不可解な部分を不可解なままにごろっと提示しているのが凄いと思います。
      作品を媒介してサリンジャーからテレパシーを送られているような不思議な感覚です。
      2013/10/01
    • GMNTさん
      『エズミに捧ぐ』は、主人公(サリンジャーの分身)がWWII時に渡英して、諜報部隊かなんかの訓練を受けてるときに女の子(エズミ)と出会う話です...
      『エズミに捧ぐ』は、主人公(サリンジャーの分身)がWWII時に渡英して、諜報部隊かなんかの訓練を受けてるときに女の子(エズミ)と出会う話ですね。
      エズミに書いてとせがまれた「愛と汚辱」についての小説が入れ子、メタ的構造になってて前半が愛、後半が汚辱=戦争終結直後のPTSDの話・・・と言ったら思い出されるんじゃないですかね?
      『スローターハウス5』もそうでしたけど、結局こういうのが自分のツボなのかも。
      『エズミ』は前半の描写や話してる内容も全部ツボなんですよね・・・。

      『ナイン・ストーリーズ』に関しては、地の文が話し言葉じゃないので
      野崎さんの訳でも全然古くささを感じませんでしたねー。
      『バナナフィッシュ日和』だと『ギャグマンガ日和』とか、
      あとなんとなく俵万智っぽくないですか?(笑)
      『サラダ記念日』とか『チョコレート革命』とか・・・
      カタカナ+漢字の組み合わせの。

      「つかまえて」感、あそこに思惑や意思が篭ってる気がします。
      野崎さんの単語選びは濃い気がするんで、やっぱりそこ含めてファンになってしまいますね。

      >死に至るまでの不条理感
      それはよくわかります。
      というか・・・『ライ麦畑』のオチの解釈も有名なのでネタバレしてて、
      新潮文庫の『ナイン・ストーリーズ』はカバーの裏表紙に「自殺」って思いっきりネタバレしててw
      これひどいなあwwwww

      『ライ麦畑』と『バナナフィッシュにうってつけの日』と『テディ』は
      全部つながってますねー。
      それぞれ形は違うんだけど、あとの2本は死が唐突に来ますから。

      『ライ麦畑』よりも『ナイン・ストーリーズ』の方が
      若い頃に読んだ方がいい本だな、って思いました。
      2013/10/01
  • 紅茶よりジンな夜に。

  • 大学の読書レポート(2019年2月)から。

    ~~~~~
     「バナナフィッシュにうってつけの日」というサリンジャーの短篇について知ったのは、吉田秋生作の漫画『BANANA FISH』がきっかけだった。この漫画のタイトルはサリンジャーの短篇から取られている。漫画の中で「バナナフィッシュ」とは、その姿を見ると死にたくなる「死を招く魚」であると説明されている。自殺を誘うという不気味な設定に、「バナナフィッシュ」が原作ではどのように描かれているのか、興味をそそられた。さらに、シーモアを中心とする「グラース一家」を描く一連の作品が存在することを知り、本作を手に取った。本作に収録されている短篇の一つ、「小舟のほとりで」も「グラース一家」シリーズの一編だ。

     「バナナフィッシュにうってつけの日」は、主に三つのシーンに分かれている。シーモアの妻ミュリエルがホテルで母親と電話をするシーン(このシーンでシーモアが精神的に不安定であることが間接的に明かされる)。シビルという少女がシーモアとビーチで話をするシーン。そして、シビルと別れたシーモアがホテルの部屋に戻り自殺するシーンだ。これらのうち、「バナナフィッシュ」の名前が登場するのは二つ目のシーンのみである。
     バナナフィッシュが、シーモアの自殺にどのような関わりがあったのか考察してみる。
     二つ目のシーンにおいて、シーモアはシビル(おそらく3,4歳ほどの女児)に海でバナナフィッシュをつかまえようと提案する。バナナフィッシュについてシーモアは、「実に悲劇的な生活を送るんだ」(P.29)と語る。バナナフィッシュは、バナナがどっさり入った穴に泳いでいき、バナナを食べすぎて穴から出られなくなる。そして、最後には「バナナ熱」に罹って死んでしまうという。
     このシーンで不可解な描写は、シビルがバナナフィッシュを見たと言った途端に、シーモアが驚き、急いでシビルの足に接吻をして海から上がらせたことだ。バナナフィッシュを探すことを提案したのはシーモアの方であるにも拘わらず、まるでシビルをバナナフィッシュから遠ざけようとしているように読み取れる。
     では、バナナフィッシュとはどういった存在なのだろうか。上記のバナナフィッシュの性質は、強欲とその結果としての破滅を端的に表している。また、シビルとの会話の中でシーモアがスノビズムにも触れていることから(P.30)、彼が俗世や俗物根性を意識していることが伺われる。
     シーモアはシビルに、「きみも若いころにはずいぶんバナナフィッシュを見たことがあるだろう?」(P.26)と問いかけるが、シビルは否定する。すると、二人の会話は要領を得ないものとなる。さらに、シビルがシャロン・リプシャツという別の少女のことを話題にすると、シーモアはシャロンの純粋な優しさを褒めて「ぼくはあの子が大好きなのさ」(P.28)と贔屓するような発言をする。これらのことから、シーモアは、幼いシビルが強欲にまみれた俗世を意識しないほど純粋なのか、もしくは既に俗世に染まってしまったために、無関心であるのかを見極めようとしていたことが考えられる。バナナフィッシュを見たことがないと発言したシビルが、シーモアと海に入り、今度はバナナフィッシュを見たと言ったことがそのどちらを意味していたのかは定かではない。しかし、この出来事が、直後に起こるシーモアの自殺のきっかけになったとすると、シビルのような幼い子どもが、強欲の象徴であるバナナフィッシュに気付いてしまっていることに彼が絶望した、と考えることができるだろう。

     次に、「バナナフィッシュにうってつけの日」を「小舟のほとりで」と比較してみる。
     「小舟のほとりで」は、ブーブー・タンネンバウム、「旧姓グラース」(P.127)が、一人で小舟に「家出」をした息子ライオネルを説得するシーンを描いた短篇だ。ブーブーは、ライオネルの小舟遊びに付き合うように海軍の提督を演じるが、「ママは提督じゃない。ママはいつだってただの奥さんじゃないか」(P.127)と拒絶される。しかし、彼女は設定を守って独特の口調を続け、「秘密のラッパ」だという口笛を吹いて息子の興味を引こうとする。ライオネルは、二歳のころから家出をしていた繊細な子どもとして描写されている。繊細である彼は、母親は「ただの奥さん」だという現実を突きつける父親や、家族を侮辱するメイドといった大人の言葉に傷ついていた。そんな幼い息子に寄り添うことで、ブーブーが彼の純粋な心を守ろうとしていることが、彼女の行為から読み取れる。それは、シビルが波にさらわれないよう足を抑え、バナナフィッシュに目を光らせていたシーモアに通じる姿勢である。

     「バナナフィッシュにうってつけの日」において、シーモアはバナナフィッシュに象徴された強欲というものに嫌悪を抱いていた。最後には人間の強欲に絶望して自殺に至ってしまうが、彼はシビルやシャロン・リプシャツのような純粋な幼子たちと触れ合いながら、彼女たちを、現実の危険と、精神的なものの両方から守ろうとしていた。彼の妹であるブーブーも息子を大人たちの世界から守ろうとしていた。
     同じくサリンジャーの小説『ライ麦畑でつかまえて』の主人公ホールデンは、自分より純粋な子どもたちを大人の世界から守る存在になることを漠然と希望している、と大学の講義で学んだが、この二つの短篇にも同じテーマが根底に流れていると言えるだろう。

  • J.D.サリンジャー生誕100周年。この作品は初期の短編集です。子供を主人公にした作品が目立つます。『ライ麦畑でつかまえて』を想起させるような子供の内面描写がいくつもあり良い。中でも「笑い男」が好きで、この物語はコマンチ団という少年たちと団長の大学生の物語で、団長が彼らに話す物語が笑い男のストーリーなんですよ。この少年たちと団長の間に大人の女性が入ってきて不協和音を生み出し、どうやら二人は付き合っていて、でも、団長と女は別れるのかな。その団長の気持ちが笑い男のストーリーに影響し、子供たちにまで伝わるのです

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