フラニーとゾーイー (新潮文庫)

  • 新潮社 (1991年1月1日発売)
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Amazon.co.jp ・本 (239ページ) / ISBN・EAN: 9784102057025

AIがまとめたこの本の要点

プレミアム

みんなの感想まとめ

自己認識や他者との関係に悩むフラニーの物語は、現代の若者にも共感を呼ぶテーマが盛り込まれています。彼女は自分の高い自意識に苦しみながら、ボーイフレンドのレーンの無邪気さに耐えられず、席を立つことで自ら...

感想・レビュー・書評

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  • グラース家の両親は旅回り興行の一員で、七人の子供たちが生まれた。長男シーモア、次男バディ、長女ブー・ブー(ベアトリス)、双子のウォルト(ウォルター)とウォーカー、ゾーイ(ザカリー)、フラニー(フランセス)で、長男シーモアが17歳の時、末っ娘フラニーは生後11ヶ月という年齢の幅。
    このきょうだいは天才を持ち、当時人気だったラジオ番組「これは神童」に順々に出演していた。
    こちらに収録の2作は、下の二人、ゾーイとフラニーの物語です。

    『フラニー』
    週末の駅でガールフレンドを待つ大学生たちがいる。その一人のレーンが待っているのが、グラース家の一番下の娘で女優のフラニー。
    この駅での様子が、秋風、気取った大学生、待ちわびる様子と格好つけたい様子、って描写が良いです。
    レーンとフラニーは数日前に手紙をやり取りしてこの週末のことを楽しみにしていた。
    だがレストランに入ったフラニーの様子は神経過敏だった。レーンが論じる大学での日々が、フラニーには「なんだか特研生みたい」と言う。代行で授業を行って、いかにも気取った服装でいかにも流行りの文学批評をするような人のことだ。
    フラニーは「自分はどうにも駄目みたい」と感じている。思春期(は過ぎているか?)の潔癖さ、自意識、俗っぽい世間への反発、そんな自分が自意識過剰ではないか?と悩み、演劇への道にも悩んでいるのだ。次第にフラニーの不安定は増し、店のトイレに駆け込んで泣く。レーンは、戻ってきたフラニーの持つ本について聞く。それはロシアの巡礼者の物語だった。
    フラニーは「部屋で休むから」と言って、レーンは一人で出かける。

    『ゾーイー』
    シーモア・グラースの突然の自殺から5年、次男のバディが年の離れた弟ゾーイー(ザカリ)に手紙を書く。グラース家の下から二番目の弟ゾーイーと一番下のフラニー(フランセス)は美貌に恵まれ俳優をしている。
    グラース家の七人の秀才兄妹の長男で精神的支柱だったシーモアと、すぐ下の弟バディは、続く弟妹たちの面倒を見ていた。シーモアの独特な哲学、思想、宗教観、詩作は下の弟妹たちにも影響を与えていたのだ。

    この物語は『フラニー』でフラニーがレーンとの散々な週末の直後。フラニーはまだ精神不安定で母のベシーは心配してる。こんな時に母がやることは『チキンスープを飲みなさい」ってことで、それにもうんざり気味。
    母に言われたゾーイーはフラニーの部屋に行く。彼らの話題はフラニーが読んでいるロシア巡礼者の祈りの本ことになる。子供の頃からの経験やシーモアの影響で、キリスト教は信じられない。だが祈りを追求して追求して本当の自分の中心にたどりつきたい。心の平和が欲しい、でも利己心は捨てられない。

    グラース兄妹は、この祈りをキリスト教だけでなく禅仏教哲学にも求めているみたいですね。

    グラース兄妹の中では「言葉の曲芸飛行士」であるゾーイーは「祈りを現実の代わりにしてはいけない、事実を見るんだ。祈るならちゃんとイエスに向かって祈るんだ。何もかもごちゃごちゃにした相手ではなく」とかなんとか言う。
    なんかゾーイーのほうが喋ってるよ 笑。
    混乱するフラニーにゾーイーは「それならバディに電話するように言うか?」(バディは電話のない山小屋に住んでいて連絡が取れない)と言うが、フラニーは「シーモアお兄ちゃんと話がしたい」と言う。

    ゾーイーは、昔シーモアとバディが住んでいた部屋に入り込む。ドアにも本にも彼ららしいメモがある。
    そしてバディを名乗ってフラニーに電話をかける。
    まあこの偽装はすぐバレるんだけど。
    ゾーイーが言ったのは、かつて自分たちが順々にラジオ番組「これは神童」に出ていた時、シーモアは「太っちょのオバサマ」のためにちゃんとするんだ、ってこと。ゾーイーは、観客に見えなくても、スポンサーに理解されなくても、でもどこにでも「太っちょのオバサマ」はいる、いや、誰もが「太っちょのオバサマ」なんだ。そしてそれこそがイエス・キリストなんだよ、そして母親のチキンスープに気が付かないなら、自分の心なんて気がつくものなのか?と言う。

    受話器を切ったフラニーは、すっかり安心した。ベッドに潜り込むが、今度は夢も見ずにぐっすり眠ったのだ。

  • 実際に読み終えた僕がそうであるように、「フラニーは自分だ」と思った人はたくさんいるだろう。けれども本当に大切なのは「自分は誰かにとってのレーンになってはいないだろうか」と考えるところにあると思う。この小説を読んで、「フラニーは私、私はフラニー」と酔っているだけの奴がいるのなら、そいつはきっとレーンだ。

  • 村上春樹訳で読んだ。
    学校にうんざりして、哲学とか宗教とかの本読むようになって、かぶれてしまったフラニーのような女の子は、これ読み終わるとハッと目を覚まして、現実世界を生きるようになること間違いなし。読むのちと大変かもしれないけど、頑張ってよめば、数少ない本しか残せなかったサリンジャーが、世界に残してくれた偉大な救いの物語だと気づくはず。サリンジャー好きになること間違いなし。

  • サリンジャーのライフワークだった「グラース家」にまつわる二篇。
    教育方針は各家庭によって様々です。とりわけ「神童」と呼ばれるグラース家の兄妹たちは生まれ持った資質や幼き頃からの教育の過程で、同世代の他者とは異なる視点や思想を持っていました。二篇を通し、グラース家の兄妹たちがそれぞれキリスト教や仏教、史記など多種多様な哲学や思想に多大に影響を受けていることが描かれています。その結果、「周囲との考え方のギャップ」と「現実の自分」と「理想の自分」の間で板挟みになるフラニーの苦悩が見て取れます。

    『フラニー』
    グラース家の末っ子で次女のフラニーが主人公。自分の高い自意識に悩むフラニーは、昼食中にボーイフレンドのレーンが青年らしい年齢相応の自己顕示や見栄っ張りな態度に疑問を持たずに過ごしていることに耐えられず思わず席を立つ。

    『ゾーイー』
    前篇『フラニー』の数日後。フラニーは自宅に戻り寝込む。心配した母親ベシーはフラニーのすぐ上の五男ゾーイーに助けを求める。
    ベシーとゾーイーとの適当過ぎるやりとりは軽快。ゾーイーは良かれと思いフラニーを励まそうと全力で話し掛けますが、上の兄弟の思想を見事に受け継ぎ頭の回転も早いゾーイーの話は右へ左へと逸れ、結局フラニーを混乱へと陥れます。ゾーイーの絡み方は最高にうっとおしいけれど、ここまで一方的だと面倒さを越えて笑っちゃいそう。

    =============================
    「カタツブリ ソロソロノボレ フジノヤマ」(一茶)
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    「ゾーイー?どうしてる、あいつ?」
    「どうしてるかっていうの?元気にしてるわよ。最高の状態ね。殺してやりたいくらいだわ、まったく」(P216)
    =============================

    ~memo~
    『フラニーとゾーイー』
    『大工よ、屋根の梁を高く上げよ』
    『ナイン・ストーリーズ(バナナフィッシュにうってつけの日)』

  • サリンジャーの作品は20台半ばまでに読んでおかないといけないような気がする.そうでないと,あの胸を締め付ける寂しさと悲しさと希望とが入り交じった感覚を味わえないように思う.本作はグラースサーガの中でも「ハプワース」と並んで大好きな本.思想的に大きく影響を受けた.

  • サリンジャーによる「フラニー」と「ゾーイー」連作二編を一冊にまとめたもの。グラース家7人兄弟の末っ子である女子大生フラニーと、そのすぐ上の兄で俳優のゾーイーをめぐる物語です。このグラース家はサリンジャーの連作物語に登場する一家で、全ての物語を読むことでパズルのようにグラース家の家族関係が徐々に明らかになるということです。(グラース・サーガ)

    「フラニー」では、フラニーとその彼氏のレーンのレストランでのやりとりが描かれます。二週間前までは気に留めることもなかったレーンの大学生の男の子にありがちなエゴや自己掲示欲、エリートとしての言動にフラニーは精神的ストレスを感じる様になっていました。フラニーもそれを露骨に態度に表すので、2人の会話は完全にすれ違っていく…。彼女がそうなってしまった背景には『巡礼の道』という一冊の本があるのですが、レーンに「それは何の本だい?」と尋ねられてもフラニーは「何でも無い」と言って逆に隠してしまう…。そしてついにフラニーは意識を失い倒れてしまいます。


    「ゾーイー」はその後日、グラース家でのお話。一家の母ベシィがフラニーを心配し、兄ゾーイーに彼女と話をするよう頼み込む。会話の中で長男シーモァの自殺が、フラニーの心に暗い影を落としているということが判明します。『巡礼の道』を読みふけり、祈りを唱える彼女。実は彼ら7人兄弟はラジオクイズ番組の幼いころからの常連で、兄弟全員が異常早熟の天才として描かれています。フラニーとゾーイーは幼少の頃から上の兄達に宗教哲学や東洋思想を植え付けられてきました。
    ゾーイーは説得する側でありながら、彼もまた他者と自我の折り合いに苦悩する若者なので、容赦なくフラニーに自分の考えをぶつけます。
    「もしそのイエスの祈りを唱えるのなら、少なくともイエスに向かって唱えろ。お前が今すがっているものは、イエスではない。亡くなったシーモァや、聖フランチェスコなど複数の人物を頭の中でごちゃ混ぜにした、漠然としたイメージに対して祈りを唱えることで楽になろうとしているだけだ」

    サリンジャーの作品はライ麦畑然り、若者が煩悶する描写が見どころ。他人や社会のエゴに対しての不満・疑心感から攻撃的になってしまう彼らに純粋さを感じます。とても綺麗で苦しい。フラニーは追い求める「神様」の答えを、生前シーモァの話していた「太ったおばさま」に見つけ救われます。ゾーイーの見事な説得を称えると共にこちらまで救われた様な気持ちになりました。

    手元にあった昭和44年角川書店発行本はZooeyの読みが「ズーイ」だったのですが、現在発行されているものは「ゾーイー」が主流の様です。

  • やはり、サリンジャーがすき。ゾーイーの方がすき。


  • 今年は海外文学を読んでいきたいので、ずっと気になっていたサリンジャーから。
    大崎清夏さんのエッセイで『フラニーとズーイ』のラストが触れられていて、野崎訳で読みたかったところ、古本発見!

    神経衰弱の妹フラニーと、あの言葉この言葉で慰めようと奮闘する兄ズーイのお話。
    解説を読んで更に納得なんだけれど、
    “どうでもいい”ようなほんのわずかな動きや言葉選びが、その人物の人格まで細かに伝わってくるように描かれていて、立体的。没入感。

    海外文学独特の遠回し&ユーモアが難しく感じてしまうけれど、慣れてくるとクセになりすっごく面白い。

    ラスト、ズーイが他兄弟のフリをしてフラニーに電話を掛けるシーンからは涙も出そうに…。
    私は自分ごととしても落とし込める作品だと思った。(正しく解釈できているのかはわからない。。。)
    サリンジャー他作品も読みたい!

  • なにか苦しんでるとき、しかもそれがこの本と同じような類のものだった時、なにかヒントになるかもしれません。サリンジャー作品で一番好き。

  • 私にとって心の絆創膏的な作品。

    若い魂が必ず直面する、いやらしい現実との衝突に戸惑い、それらを拒絶するフラニー。フラニーが当惑する様に、自分の面影を見ながら、ずんずん読み進めていった。

    いつの間にか開いた世界と自分とのギャップに絶望するフラニーに、兄ゾーイーがかける言葉とは???

    作者サリンジャーは、いつまでも子供の心(青年の心?)を持ち続けたのだと思う。
    読み終えたあと、美しい2つの魂に触れたという爽快感に浸れる名作です。

  • あたしがアメリカ人だったらなぁと思うよ、本当に。
    イエス様だとか、イエス様をイエス様と呼ぶ文化のことだとか、
    仏教に関すること(抹香くさい、だっけ?)への認識だとか。
    なんかそーいったことのアメリカの空気を当たり前のように感じることができていたなら、随分と違った読み方が出来たんじゃないかと思った。
    端的に言えばですな、難しかったのですよ笑。
    でも、理解のできた「キャッチャー・イン・ザ・ライ」よりも、
    (私の中では)意味がふわふわしている「フラニーとゾーイー」」の方が、私は好きなのであります。

  • 『ライ麦畑でつかまえて』の主人公と同じように、偽りのない本当の自分としての人生を送ることに価値をおき、それが出来ない人達のことをインチキだとして蔑むタイプの主人公が出てきます。


    『ライ麦畑でつかまえて』と違うのは、彼らが、相手を啓蒙しようとする点です。「フラニー」編では、フラニーが恋人のレーンを、「ゾーイ」編ではゾーイが妹のフラニーを、それぞれ啓蒙しようとします。

    ただそれは一方的な教師――蒙昧な民といった力関係ではなく、啓蒙する側も錯乱と試行錯誤の中にいる、というエクスキューズとともに描かれます。

    それでも私は、なんだか、押しつけがましさを彼らに感じてしまいました。


    だいたいカフェテリアの座席や、部屋の一室で、悩み会話の果てになんらか人生を変えようとするからそうなってしまっているのであって、ホールデン・コールフィールドみたいに家の外に出たらどうなんだ? って思いました。

  • 新潮文庫の野崎孝訳版のみ「Zooey」の読みが「ズーイ」でも「ズーイー」でもなく「ゾーイー」になっている。最初に読んだのがこの野崎版なので、村上春樹新訳版「フラニーとズーイ」に置き換わる前に、野暮ったくも愛着のある「ゾ」の字を本棚に置いておきたくなったので購入。

  • サリンジャーの読後は決まって「ううむ」とつぶやいてしまう。作中の人物は、しゃべっていないことを伝えようとしてしゃべっているので、読者に異常な集中力を要求し、結果としてその答えはわからずじまいということになる。読者の不満を募らせるのが目的で書いているのであれば、それは作家の死後においても成功している。

  • 二点間の最短距離は直線に非ずして、その二点を通る円の弧である

  • この作品は何度も何度も読み返した私の中で希有な作品である。フラニーとゾーイーがお互いに、というか主にゾーイーが喋り続けている場面は、こんなお兄さんが欲しかったな、と稀に思わせられる。キリストについて、祈りとは、フラニーの部屋の中には死人の霊が充満している。その中でフラニーは神経衰弱に陥っている。

    最も神聖な事とは何か、エゴとエゴではない境界線とは何か。ゾーイーの言ってる髑髏ように私もなって死を迎えたい。

    結局のところ、私にはシーモアの言う"太っちょのオバサマ"についてはわからなかった。ゾーイーはキリストのことなんだよ、とフラニーの嫌う全ての人も尊敬する人も全ては"太っちょのオバサマ"なんだ、とそのようなことを語っていたが、つまりは"太っちょのオバサマ"とは大衆のことであろうか。一度高円寺の小さな公園でわかった気になったことがあるが、それも忘れてしまった。

    会話口調の多いこの作品。だからこそ私は好きだ。演説を語り終えたゾーイーは電話を切った。フラニーはこれから神の為の女優になるだろう。そう願いたい。

  • 物語の最後にシーモアからゾーイーに暗示される「太っちょのオバサマ」がなぜイエス(キリスト)なのかよくわからない。フラニーが祈りを続けることに固執する意味も。

    ただし、インテリジェンス溢れるこの兄弟たちの雰囲気、会話、指先の動きから吐息のたゆたいにさえどっぷりと浸かって彼らと時空を共にする、そんな快感を味わえるのは格別な体験だ。

  • いちばん好きな本。フラニーと一緒に戦って、一緒に救われた。

  • 村上訳も読みました。
    でも私は、野崎訳の心に迫る、熱量を帯びた言葉が圧倒的に好き。

    フラニーの章は、まるで映画のように軽やかに流れる。
    ただし、その内容は軽いものでも流せるものでもありません。覚えのある痛さがチクチク。。。
    フラニーとBFレーンの会話のズレ。心のズレ。
    ちくちくする。
    存分に惹きつけられてから、ゾーイーの章へ。
    ずるいなぁ。

    (大好きな)ゾーイーの章。
    妹フラニーを助けようと兄ゾーイーが語り続ける。
    突き付けられるフラニーも辛そうだけれど、
    ゾーイの言葉は、自ら喉を傷つけて生み出した刃のようで、それを発する姿は痛々しい。
    お互い無傷では居られない、救いたい一心の行動、
    これが愛情でなくてなんなんだ!

    グラース家のお話であるこの本。
    ここに挙げていない家族の言動もやはり愛に満ちている。

    うまくまとめられないけれど、溺愛してる一冊です。

    • 猫丸(nyancomaru)さん
      「熱量を帯びた言葉が圧倒的に好き。」
      そうだったかなぁ、、、
      村上訳を読む時に、隣に置いて気になるフレーズを参照しよう。。。
      「熱量を帯びた言葉が圧倒的に好き。」
      そうだったかなぁ、、、
      村上訳を読む時に、隣に置いて気になるフレーズを参照しよう。。。
      2014/05/15
  • 故J・D・サリンジャー氏の未発表小説5作品が出版へ 国際ニュース : AFPBB News
    http://www.afpbb.com/article/life-culture/culture-arts/2964374/11252905?ctm_campaign=txt_topics

    新潮社のPR
    「アメリカ東部の小さな大学町、エゴとスノッブのはびこる周囲の状況に耐えきれず、病的なまでに鋭敏になっているフラニー。傷心の彼女に理解を示しつつも、生きる喜びと人間的なつながりを回復させようと、さまざまな説得を試みる兄ゾーイー。しゃれた会話の中に心の微妙なふるえを的確に写しとって、青春の懊悩と焦燥をあざやかにえぐり出し、若者の感受性を代弁する連作二編。」

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